オペラ誕生の為の音楽上の準備は十六世紀半ばすでに完了していたと言って良い。舞踏曲、アリア、マドリガル、コーラス、シャンソン、カンツォネッタ、そしてインテルメディオ幕間劇。しかし、インテルメディオにおける音楽の役割は劇的進行ではなく雰囲気づくり。演じられてはいるが情景が静止した絵画のようなものだ。その世界は詩と音楽によるスケッチ画にすぎない。
ドラマを動かし、そこに感情を吹き込むのは詩やセリフの役割だ。インテルメディオの音楽はドラマを動かすものではなく、ドラマ全体を包み込む空間、あるいは雰囲気を作り出す役割に過ぎなかった。
オペラの誕生には、音楽そのものがドラマにならなければならない。ドラマに挿入される音楽ではなく、音楽によってドラマが進行する。そこには一貫して流れる音楽にふさわしい劇が必要となる。読んで面白いドラマティックな詩の流れ、舞台で見て楽しい変幻自在な情景、そのような劇の登場が待たれていた。
マドリガーレは歌詞の情感を繊細に表現することは出来たが多声であるがために、あくまでイメージや全体の雰囲気を表現するもの。つまり、マドリガーレは情感あふれる音楽だが、劇を生み出し進行する手法は持ってはいない音楽。
従って、ここでもまた「音楽により劇が進行する」というオペラの誕生は後のフィレンツェまで待たなければならない。
「リュートやヴィオールを伴奏にして小曲を歌うのがなぜ快いかという最大の理由は、それが言葉に驚くべき優美さを与えるからである」と「宮廷人」にカスティリオーネは書いている。「宮廷人」の出版は1528年、楽器伴奏をともなったソロの歌はフィレンツェのカメラータがモノディ様式を生み出す前からすでに人気となり流行していたのだ。
フロットラや対位法的に書かれたマドリガーレにも下の四声部を全部楽器にゆだね、一番上のパートのみを人が歌うという楽曲はすでに存在していた。しかし、「劇を進行させる音楽」にとって大事なことは、旋律が絵画のような情景を描くことではなく、人が話をするのと同じ様に自然の抑揚を持って歌われるものでなくてはならない。
その為には舞踏風の規則正しい拍子やテキストを繰り返しを助成したり、対位法的な音の進行に縛られることのない、一音節に一音譜が載るホモフォニックな和声を音楽として認める必要がある。
ソロの歌の流行は音の綾織りのような対位法的楽曲より主要な旋律が際立って聞こえるホモフォニックな和声への好みが増していることを示すもの。民族主義的底流の中、イタリア人は対位法好みのフランスとは全く異なる音楽を求めていたのだ。
イタリアでは元来、複雑で曖昧であることより論理的、明解であることが大事にされている。歌曲においても、一つの旋律に対する優れた感覚と言葉の抑揚に見合った、的確なリズムに対する関心が強かった。そして、このような好みと関心がフィレンツェのカメラータたちのギリシャ劇へのこだわりと結びつき、その後のオペラ誕生のきっかけとなる「劇を進行させることの出来る音楽」の形式を生み出していく。
つまり、テキストはできるだけはっきりと理解できるように、言葉は人が話す時と同じように自然の抑揚を持って歌われること、旋律は人が語る高められた感動に備わった抑揚やアクセントを模倣し強調するものであること、という原則が理論化されフィレンツェのモノディ様式、オペラが誕生した。