現代劇場は音楽家や演劇関係者の要請によって建築されますが、オペラ劇場は19世紀まで音楽家はその建設に関わることがありませんでした。16世紀の近代劇場の誕生以来、作品を上演する上で積極的にオペラ劇場という建築に関わったのはリヒャルト・ワーグナーだけです。劇場はオペラの上演のみが目的で作られたものではなかったからです。
さらに、劇場をいざ作ろうとすると、オペラ劇場ほど融通の利かない建築はありません。舞台と客席と言う相反する二つの巨大スペースを必要とし、そのどちらにも巨額な設備と装飾を掛けなければならなかったのです。やっと出来あがっても、オペラ劇場はオペラの上演以外ほとんど使い道はなく、古くなった後、他用途への転用もままならず、使われなくなれば壊すしか方法がありません。
多くの人に愛され利用されている最中にあっても、オペラ劇場はちょっと油断すればすぐ火事で焼失します。しかし、オペラほど舞台と観客の分離をこれほど完全に必要とする演劇形式は無いにもかかわらず、観客と舞台がこれほど一体となった同じ感情に満たされる演劇形式もまた他にはありません。オペラは舞台上だけでなく、劇場全体の雰囲気もオペラの体験には必要不可欠なものなのです。バロック宮廷劇場以来のオペラ劇場という建築の持つ娯楽性もまた、19世紀の市民文化の中でも決して消え去ることはありませんでした。
合い矛盾するいくつかの課題を抱えた建築形式ではありますが、歴史経過から見る限り、オペラ劇場は結局、ワーグナーが関わるまで、天才建築家を必要とする事はなかったといえます。<見る・見られる>関係の深化と巨大化以外、その形式に新しいものを要請するものは何もありませんでした。事実、ヴィチェンツァにテアトロ・オリンピコが誕生して以来、オペラ劇場は様々な洗練とバリエーションは繰り返されますが、新たな空間的独創性はどこにも発揮されることはなく、多くの宮廷劇場・市民劇場が作られています。
舞台と客席、分節された二つの空間、前者は方形、後者は馬蹄形、各々は合い異なるボリュウームを持ちますが、一つの劇場建築という視覚上の要請から、その調整のため客席の天井高は恐ろしく高いものになってしまいます。唯一、ワーグナーのみがこのアンバランスを次のように指摘しています。「伝統的劇場は舞台の高さに客席の天上高を合わせようするあまりプロセニアムの頂部よりも高いところにまで天上桟敷を作ることになり、より貧しい人々はオペラを鳥敢的にしか楽しむことが出来なかった」と。結果、彼は音楽家でありながら建築に直接関心を払った唯一の人であり、彼の持つ音楽的情熱が画期的な劇場建築(バイロイト祝祭劇場)を完成させました。
しかし、このバイロイト祝祭劇場は現代の劇場空間の原型といえるものですが、同時にヨーロッパの劇場空間の持つ本来の意味を喪失した劇場でもあります。
客席の誰にとっても等しく舞台が見やすい劇場とするため、古代劇場の楕円形の客席を取り止め、ワーグナーは誰もが舞台を直視できるよう方形の客席に変えました。加えて、桟敷席が廃止され、社交のためのロビーやホワイエも取り除かれています。さらに、オーケストラピットを沈め、客席を暗くすることにより、観客は舞台に集中し、リアルな視覚世界のみに関わることが可能となりました。
しかし、ヨーロッパの劇場空間の持つ本来の意味は、古代社会での一時的な祝祭空間が常設の建築空間として造られたことにあります。従って古代劇場にとってもっとも重要なことは、演者と観客の区別のない、全員参加の空間、神々と人びとが一体となった世界劇場であることです。
ワーグナーは祝祭劇場を観る・聴くためだけの箱に変容させてしったと言えるようです。劇場空間はもはや何の意味・言葉を発することのないニュートラルな建築に過ぎません。バイロイト祝祭劇場は集団的意味としての作品的世界、オルフェオの世界、世界劇場というデザイン・コンセプトを尽く喪失した劇場です。真っ暗な客席は、隣席に人がいてもいなくとも変わることのない、全くの個人的空間と言えます。そこは集団ではなく、個々人がただ「見る・聴く」ためだけの装置。個人がイヤホーンで聴くウォークマンやガジェットのようなオペラ劇場と同じです。そこは、もはや集団を支える社交空間でもなければ祝祭の場ではありません。幸い、この劇場は豊かな庭園に囲まれています。ここは屋根のない爽やかなロビー、人びとはファンファーレが鳴り響くまで、祝祭空間の持つもっとも重要な役割、世界中の多くの人々との有効な交歓が可能となっているのです。