2014年7月10日木曜日

物語としての都市


人間はどんな時代でも虚構<物語>の中を生きてきた、それでいて<経験>を<真実>とか<本物>という根拠は、その物語りが歴史や伝統を持つとき/都市の政治学(岩波新書)


A−>ギリシャ・ローマと中世の都市はコスモロジー(シンボリックな世界)による世界劇場、神殿と教会はその象徴=ミソロジー=神話と宗教の時代


B−>ルネッサンスの都市はパースペクティブ(数学的秩序)で捉えられた絵画的空間、
理想都市図は教会に変わる現実だった=セーノグラフィー=絵画の時代


C−>パッラーディオの時代、都市はすでに危機にある、テアトロ・オリンピコは前代までの都市に対するオマージュかもしれない=サッコ・デ・ローマ


D−>ルドーの時代、理性による個人主義ではコスモロジーも理想都市も崩壊、美学の持つ表現力によって、世界を新たに発見しなければならなかった、それは空間の拡大、芸術の誕生=エンライトメント=音楽の時代

注:音楽の時代
音楽はサロンからコンサートへ、パトロンから自立し芸術の誕生、ミュージアムとコンサートホールはブルジョワ市民に支えられる。建築同様「他律であるが自律する」、神に変わる芸術家自身が新たに独自に切り開いた世界だ。

音楽もまた建築同様、自律から他律へ、そし多くの理解ある聴衆よって、コンサート・ホールは古代劇場を超える社交の場を生み出す。

意図的にコンサート・ホールは18世紀の私的サロンから19世紀の公共の場に引き出された音楽の場。しかし、それは貴族の持つ政治、宗教、という音楽外的要因と結びついた他律的音楽を市民の脱日常的なオケイジョンの場に展開されるもの。
19世紀以降のコンサートは確かに商業ベースのマスカルチャーではあるが、演奏からその本質をなす音楽的生産を奪うものではなく、演奏そのものを社会参加させる、あるいは人間社会と世界と密接に結びつけるものだった。

E−>機械の時代、もはや美学が生み出す理念は無く、物質的環境の拡大による均質空間=シーナリー=アウラの喪失と建築の解体

注:ベンヤミンの複製技術の時代、都市が失ったものはアウラ、アウラは本来、「風」「空気のそよぎ」「息吹」を意味する


F−>情報と環境の時代、都市はどんなカタチを生み出すか=??