山科盆地、伏見の醍醐寺の塔は京都で現存する最古の塔。
936年に着手され、951年に完成している。
総高38mのうち相輪が13mと塔身の約半分も占めているのが特徴。
逓減率は小さいが組み物は上層ほど部材を小さくするなど、安定したプロポーションを生み出すため細かい配慮がなされている。
三手先は平等院鳳凰堂に見られる完成形の模索、屋根は当初は流板葺きという木瓦葺、現在は本瓦葺だ。
初重内壁には両回界曼荼羅空海像が描かれていて、仏舎利の塔ではなく密教の塔としてつくられたものだそうで、見てみたいと思ったが、今日は残念、無理のようだ。
この寺の始まりは874年理源大師が笠取山に草庵を設けたことにあるというから歴史は古い。
その地は上醍醐と言われ、現在の醍醐寺の後ろの山の上に開山堂、如意輪堂が残されている。
案内所のおばさんに、山道を一時間も登ればよいと言われたが、下から見るかぎり、眼前の山の更に奥の山だそうで、さぞかし眺めも良いのだろうとは思ったが今回はパスすることにした。
そう、旅は始まったばかりだ。
初日に頑張ってしまっては後が続かない。
下醍醐、つまり現在の醍醐寺は907年、平安時代の醍醐天皇の勅願寺。
醍醐寺は室町時代が全盛期でその堂塔を納める境内は山上と山下、広大な領域に及んだようだ。
しかし、15世紀半ばの応仁・文明の乱により五重塔を残し、悉くを焼失。
その後は醍醐の花見で有名、 秀吉によって再建される。
従って、塔をのぞく大半の建築は16世紀の桃山時代と言って良い。
1時間あまりの奥の院巡りは諦めたが、秀吉再建の三宝院とその庭は見学した。
建築と庭は京都では見飽きるほどある桃山建築と石の多い庭だが、表書院や勅使の間、秋草の間には目を見張った。
縁を挟んで庭とは直結、等伯一派や狩野山楽の障壁画を遠目で全体を近くに躙り、他に人がいないことを良いことに自由自在に動き回り眺めてきた。
しかし、ここでもまた一つの残念。
主室には醍醐棚があるはずだが、今日は入室禁止、次回までのお預けとなってしまった。