京都の最大の盛り場は産寧坂だろう、今日も中国語・韓国語・日本語の若い嬌声でいっぱいだった。
しかし、路地を東大路まで降りれば観光客はまばらだ。
此処からは割安のおでん屋、呑み屋という店はそう遠くない。
振り返れば法観寺八坂の塔。
室町中期の五重塔のわりには塔身が細い。
何故かと本を見ると最初の建設は平安末期とある。
その後12世紀に焼失、頼朝が再建している。
さらに13世紀末再度焼失し、北条貞時に再建され足利尊氏により補修落慶供養が行われた。
そしてまたまた焼失、現在の塔は1440年に足利義教が再建している。
つまり、建設は室町だがデザインは鎌倉時代と言って良い。
一般に室町に比べ鎌倉の塔のほうが塔身が細い、どうやら、この辺りが八坂の塔の塔身の細さの原因だろう。
そして、気がつくことはさすが京の街中の塔だ。
壊されても壊されても再建されるこのしたたかさ。
塔を見て歩くと、戦で堂宇が焼かれても比較的、塔だけが残された寺が多いことに気がつくが、八坂の塔のように焼かれても焼かれても、こんなにも何回も再建され続けられた塔はほとんどない。
近江の寺々は悉く信長に焼かれている。
しかし、 山の下の子院の堂宇は焼かれても、 山の上の本堂と塔だけは焼失を免れている。
そこでは僧自らが自分たちの寺域を焼き、山上の塔と本堂もすでに焼失したと偽り、寺宝と塔を守ったのだ
僧たちの古い建築を守るしたたかさ、さらに京の街という、ここだけが唯一の都市人間の持つしたたかさ、今後も長く長く続いてほしいと、いまは考えている。