2010年5月6日木曜日

アルス・ノヴァが開いたルネサンス


(アルス・ノヴァ)

オペラを生み出す十六世紀ではなく、十四世紀に戻ると、かって、ノートル・ダム大聖堂のリズミック・モードがガリレオの計量的時間を先取りし、多声音楽の道を開いたように、アルス(技法)に基づく音楽の時間構造の変化が観念や理念先行の音楽を実在の道に導いた。

それはアルス・ノヴァという音楽運動。リズムや拍子に関する考え方を神学者や哲学者がそれまで持っていた考え方から、新しい時間尺度に変えていこうとする運動だ。アルス・ノヴァは原則や正当性という理論重視の音楽を、新鮮な響きの世界へと開いていった。

アルスの開発により十三世紀も後半になると、自由なリズムを表記する試みが活発化し、音楽のスタイルは大きく変化する。そして十四世紀始めに音楽の理論書、フィリップ・ド・ヴィトリの「アルス・ノヴァ」(新技法)が登場した。ヴィトリは詩人であり、数学者、音楽の理論家であり作曲家。ペトラルカの友人でもあった彼はまさにルネサンス人の先駆けと言える人だ。

この理論書が重要なところは「音符の持つ時間の長さを多様化した」ところにある。多様化とは、本来は1対3という完全分割しか許されていないキリスト教音楽の記譜法に、1対2という不完全分割をも認めるようにしたこと。三拍子系のリズムでしか表記できなかった音楽が、二拍子系でも表現が可能となった。

三拍子は舞曲、それは詩的。二拍子は行進、自然の人間の歩行、行動を促す。従来のキリスト教の中の「三位一体」という理念からは許されなかった二拍子系のリズムの応用がアルス・ノヴァにより論理的に可能となった。結果、詩は全て韻文ではなく散文でも許されるように、音楽は理論上の作品も実践上の立場から書かれ、やがて現在の我々にとっても聞きやすい、滑らかで自由なリズムと旋律の道を開いていくことになる。

(音楽家ギョーム・マショー)

十四世紀始めは絶対的権力であった教皇権が没落し始める時代。新しいローマ教皇の選出にあたりフランス王が干渉し、選ばれた教皇がローマに行くことを妨げられる、歴史にいう「アヴィニョン捕囚」の時代だ。ギョーム・ド・マショーの音楽はこのような時代に作られた。それは教会の中の音楽より、宮廷における世俗音楽のほうが主流となる時代の始まりでもある。

教会の中で発展した多声音楽はバラードあるいはシャンソンと言った世俗のポリフォニーとして展開され、技巧に満ちた美しい歌が沢山生み出される。マショーの時代、それはアルス・ノヴァの結果と言えるものだろうが、音楽は教会の道具であることから独立し、自由な形式を持ち、人間性を自由に表現するものとみなされた。結果、教会では聞くことのできない、多彩なメロディーによるメランコリーな音楽が時代の主流となるのだ。

この時代の世俗音楽は、もはや、現代の私たちが聞く音楽の印象と大きな違いはない。十四世紀音楽の世界に起こったアルス・ノヴァは様々な音楽上の着想が取り込まれる新しい道を切り開いていた。面白いことに、アルス・ノヴァ、そしてギョーム・ド・マショーの音楽に示される音楽上のルネサンスは建築や絵画より百年も先行していたのだ。