絵画は虚構の空間による一遍のドラマ。かって建築の壁面にあって空間の形成に参加していた絵画は、建築とは無関係に、一個の独立した存在として、自らのうちに独自の空間を形成し始めた。それは絵画の自立を意味する。絵画のみで世界をあるいは空間を表現することが可能となったのだ。
透視画法による人間が眺める世界、風景の発見により建築は従来の役割を終え、新しい役割を課せられるようになった。空間が絵画で表現できるのなら、建築は実用的な現実世界へ、つまり、近代建築の始まり。
建築は虚構的表現の場から実体的空間としての役割を重視しなければならなくなっていく。しかし、建築家はすべて実体に関わる技術者の道を歩めば良い、という訳ではない。
空間を生み出しそのコンセプトを表現するのは透視画法だが、建築はさらに新たなテーマを発見し、自らがその問題に答えていく、という役割も浮上した。神に変わり人間自らが問題を発見し答えていく、という近代建築の持つプログレマティズムは、透視画法が開いた新たな使命、生まれたばかりの建築家が果たなければらない重要な役割だ。
透視画法が建築家を誕生させ、その彼に新たな役割を課す一方、画家と彫刻家の役割もまた明確となった。透視画法は彫刻によらなくとも三次元の立体を作り出すことが可能だ。従って、彫刻家の仕事は現実の立体を作り出すこと、画家の仕事は空間全体を描きだすことがその役割となる。
画家は人物像の周りに、建築を描き空間を生み出す。さらに、画家は空間を生み出すばかりか、部屋を取り囲む建築の壁体をも解体する。そしてついには、平な建築の天井にドーム天井を描くことで、重たい危険なドームを実際に作ることなく、天上の世界の表現が可能となった。つまり、画家は実際の建築を超え、建築家が実際の建築を作る以前に、自由に建築空間を生み出すことが出来たのです。