2014年2月21日金曜日

三四郎 夏目漱石

電子本で久しぶりに出会った「三四郎」は全てがノスタルジー、昔々の薫りがした。
当然ながら、三四郎は決して自分を先に出すことはないが、単純素朴な田舎者ではない。
「坊ちゃん」も同じだが、描かれているのは田舎や都会ではなく、複雑多面な新生活の中にある、様々なスタイルだ。
それは我が身も昔は持っていたであろう、新世界における遊民的なライフスタイルと言って良い。
漱石は夜汽車で隔たれる熊本あるいは京都との空間差を物語の基底に据え人物模様を描いていく。
チンチン電車で東京をさまよう男や女もまた空間に縁取られた様々な心情風景を表出する。
つまり、漱石は近代的風景を立ち至る空間のイメージと人間が放つ言葉や行動を重ね合わせ、全く新たな想像世界を描いていたのだ
ノスタルジーと書いたのは、かって子ども心に「三四郎」や「坊ちゃん」の遊民生活に憧れていたからに違いない。

「ある日の午後、三四郎は例のごとくぶらついて、団子坂の上から、左へ折れて千駄木林町の広い通りへ出た。 秋晴れといって、このごろは東京の空もいなかのように深く見える。 こういう空の下に生きていると思うだけでも頭ははっきりする。 そのうえ、野へ出れば申し分はない。 気がのびのびして魂が大空ほどの大きさになる。 それでいてからだ総体がしまってくる。 だらしのない春ののどかさとは違う。 三四郎は左右の生垣をながめながら、生まれてはじめての東京の秋をかぎつつやって来た。」 

熊本の第五高等学校を卒業し東京帝国大学に入学し、上京した小川三四郎、なんとも気持ちの良さそうに本郷周辺を散歩する。 
実際の漱石は我が家の裏(市ヶ谷)、牛込育ち。 子どもの頃から漱石は本よりも早く、その名前が残された町名や公園、坂道や遺跡で馴染んでいた。
 
東大卒業後、愛媛松山や熊本で教師を勤めるが、彼には田舎生活はこたえたようだ。 その体験は「坊ちゃん」に書かれている。 やがて朝日新聞に入社し、東京に戻った漱石、場所を得た彼はその愉しみを「三四郎」や「それから」に克明に描いていく。 
わが家周辺は「それから」や「硝子戸の中」の直接の舞台だが、三四郎は当然、漱石の学生時代、本郷から東の駒込あたりまでがメインステージ。東片町、西片町と今でも町名が残る、広田先生の住居を中心に物語が展開される。 
物語と言っても特に大きなドラマが展開される訳ではなく、校内の池で出会った真砂町の美禰子とその兄、幼馴染のお光さんや安月給の理科大で光線圧力を研究する野々宮くんとその妹、広田先生の押しかけ書生のような佐々木与次郎等々が、長閑で多彩な人間模様を描いていく。

2014年2月12日水曜日

虞美人草 夏目漱石

ベッドの中で電子ブックを読むにはタブレットでは重過ぎると感じていた。 kindle paperwhiteを買った。 早速、試してみる。

漱石先生には申し訳ない気がしたが「虞美人草」を読む、快適だ。 kindleも漱石先生も。 いや、漱石はやはり面白い、文豪は今も生きている。
前半は京都と東京を対比させた都市小説。 物語は上野不忍池、勧業博覧会のイルミネーションで一転する。 

山羊革の靴に洋杖、文学と哲学と法学、金時計を持つ浅葱桜の下の2人に対し池を挟んで対峙する2人、西洋で病没した父の肖像と謎を活きる継母、 真面目と世間体、悲劇と喜劇 。
 その全体はまるで無声映画感覚で観る漱石ワールド。 
弁士が語る登場人物の各々は鮮明に描かれた現代人、物語はますます広大な領野へと向かう。
対比のテーマは西洋と日本に収斂する、圧巻は漱石の生きた時代と漱石が見通した我々が生きる現代だ。

巻末の宗方君の手紙、「ここでは喜劇ばかりが流行る。」にはこの小説にかける漱石の思いの全てが込められている。 19世紀のイタリアの詩人ジャコモ・レオパルディを読んでみよう。 漱石はもっと重大な対比をこの詩人の本に隠しているようだ。

2014年2月1日土曜日

『音楽と建築、そのデザイン』kindle版









『音楽と建築、そのデザイン』kindle版、昨日、発売した。


オペラ誕生前後のイタリア諸都市の「音楽と建築」が主なる内容。

 
国立音楽大学での講義録とイタリアの経験のアンソロジー。


西ヨーロッパの作品的世界を散策する案内書。


昨年10月、同名の書として既に出版していましたが、今回はバロック時代のオペラと都市、「都市と劇場」を加筆しての再版。

Google Keepから共有