2014年2月15日土曜日

劇を進行させる音楽

オペラ誕生の為の音楽上の準備は十六世紀半ばすでに完了していたと言って良い。舞踏曲、アリア、マドリガル、コーラス、シャンソン、カンツォネッタ、そしてインテルメディオ幕間劇。しかし、インテルメディオにおける音楽の役割は劇的進行ではなく雰囲気づくり。演じられてはいるが情景が静止した絵画のようなものだ。その世界は詩と音楽によるスケッチ画にすぎない。

ドラマを動かし、そこに感情を吹き込むのは詩やセリフの役割だ。インテルメディオの音楽はドラマを動かすものではなく、ドラマ全体を包み込む空間、あるいは雰囲気を作り出す役割に過ぎなかった。

オペラの誕生には、音楽そのものがドラマにならなければならない。ドラマに挿入される音楽ではなく、音楽によってドラマが進行する。そこには一貫して流れる音楽にふさわしい劇が必要となる。読んで面白いドラマティックな詩の流れ、舞台で見て楽しい変幻自在な情景、そのような劇の登場が待たれていた。

マドリガーレは歌詞の情感を繊細に表現することは出来たが多声であるがために、あくまでイメージや全体の雰囲気を表現するもの。つまり、マドリガーレは情感あふれる音楽だが、劇を生み出し進行する手法は持ってはいない音楽。

従って、ここでもまた「音楽により劇が進行する」というオペラの誕生は後のフィレンツェまで待たなければならない。

「リュートやヴィオールを伴奏にして小曲を歌うのがなぜ快いかという最大の理由は、それが言葉に驚くべき優美さを与えるからである」と「宮廷人」にカスティリオーネは書いている。「宮廷人」の出版は1528年、楽器伴奏をともなったソロの歌はフィレンツェのカメラータがモノディ様式を生み出す前からすでに人気となり流行していたのだ。

フロットラや対位法的に書かれたマドリガーレにも下の四声部を全部楽器にゆだね、一番上のパートのみを人が歌うという楽曲はすでに存在していた。しかし、「劇を進行させる音楽」にとって大事なことは、旋律が絵画のような情景を描くことではなく、人が話をするのと同じ様に自然の抑揚を持って歌われるものでなくてはならない。

その為には舞踏風の規則正しい拍子やテキストを繰り返しを助成したり、対位法的な音の進行に縛られることのない、一音節に一音譜が載るホモフォニックな和声を音楽として認める必要がある。

ソロの歌の流行は音の綾織りのような対位法的楽曲より主要な旋律が際立って聞こえるホモフォニックな和声への好みが増していることを示すもの。民族主義的底流の中、イタリア人は対位法好みのフランスとは全く異なる音楽を求めていたのだ。

イタリアでは元来、複雑で曖昧であることより論理的、明解であることが大事にされている。歌曲においても、一つの旋律に対する優れた感覚と言葉の抑揚に見合った、的確なリズムに対する関心が強かった。そして、このような好みと関心がフィレンツェのカメラータたちのギリシャ劇へのこだわりと結びつき、その後のオペラ誕生のきっかけとなる「劇を進行させることの出来る音楽」の形式を生み出していく。

つまり、テキストはできるだけはっきりと理解できるように、言葉は人が話す時と同じように自然の抑揚を持って歌われること、旋律は人が語る高められた感動に備わった抑揚やアクセントを模倣し強調するものであること、という原則が理論化されフィレンツェのモノディ様式、オペラが誕生した。

2014年2月10日月曜日

バイロイト祝祭劇場

現代劇場は音楽家や演劇関係者の要請によって建築されますが、オペラ劇場は19世紀まで音楽家はその建設に関わることがありませんでした。16世紀の近代劇場の誕生以来、作品を上演する上で積極的にオペラ劇場という建築に関わったのはリヒャルト・ワーグナーだけです。劇場はオペラの上演のみが目的で作られたものではなかったからです。

さらに、劇場をいざ作ろうとすると、オペラ劇場ほど融通の利かない建築はありません。舞台と客席と言う相反する二つの巨大スペースを必要とし、そのどちらにも巨額な設備と装飾を掛けなければならなかったのです。やっと出来あがっても、オペラ劇場はオペラの上演以外ほとんど使い道はなく、古くなった後、他用途への転用もままならず、使われなくなれば壊すしか方法がありません。

多くの人に愛され利用されている最中にあっても、オペラ劇場はちょっと油断すればすぐ火事で焼失します。しかし、オペラほど舞台と観客の分離をこれほど完全に必要とする演劇形式は無いにもかかわらず、観客と舞台がこれほど一体となった同じ感情に満たされる演劇形式もまた他にはありません。オペラは舞台上だけでなく、劇場全体の雰囲気もオペラの体験には必要不可欠なものなのです。バロック宮廷劇場以来のオペラ劇場という建築の持つ娯楽性もまた、19世紀の市民文化の中でも決して消え去ることはありませんでした。

合い矛盾するいくつかの課題を抱えた建築形式ではありますが、歴史経過から見る限り、オペラ劇場は結局、ワーグナーが関わるまで、天才建築家を必要とする事はなかったといえます。<見る・見られる>関係の深化と巨大化以外、その形式に新しいものを要請するものは何もありませんでした。事実、ヴィチェンツァにテアトロ・オリンピコが誕生して以来、オペラ劇場は様々な洗練とバリエーションは繰り返されますが、新たな空間的独創性はどこにも発揮されることはなく、多くの宮廷劇場・市民劇場が作られています。

舞台と客席、分節された二つの空間、前者は方形、後者は馬蹄形、各々は合い異なるボリュウームを持ちますが、一つの劇場建築という視覚上の要請から、その調整のため客席の天井高は恐ろしく高いものになってしまいます。唯一、ワーグナーのみがこのアンバランスを次のように指摘しています。「伝統的劇場は舞台の高さに客席の天上高を合わせようするあまりプロセニアムの頂部よりも高いところにまで天上桟敷を作ることになり、より貧しい人々はオペラを鳥敢的にしか楽しむことが出来なかった」と。結果、彼は音楽家でありながら建築に直接関心を払った唯一の人であり、彼の持つ音楽的情熱が画期的な劇場建築(バイロイト祝祭劇場)を完成させました。

しかし、このバイロイト祝祭劇場は現代の劇場空間の原型といえるものですが、同時にヨーロッパの劇場空間の持つ本来の意味を喪失した劇場でもあります。
客席の誰にとっても等しく舞台が見やすい劇場とするため、古代劇場の楕円形の客席を取り止め、ワーグナーは誰もが舞台を直視できるよう方形の客席に変えました。加えて、桟敷席が廃止され、社交のためのロビーやホワイエも取り除かれています。さらに、オーケストラピットを沈め、客席を暗くすることにより、観客は舞台に集中し、リアルな視覚世界のみに関わることが可能となりました。

しかし、ヨーロッパの劇場空間の持つ本来の意味は、古代社会での一時的な祝祭空間が常設の建築空間として造られたことにあります。従って古代劇場にとってもっとも重要なことは、演者と観客の区別のない、全員参加の空間、神々と人びとが一体となった世界劇場であることです。
ワーグナーは祝祭劇場を観る・聴くためだけの箱に変容させてしったと言えるようです。劇場空間はもはや何の意味・言葉を発することのないニュートラルな建築に過ぎません。バイロイト祝祭劇場は集団的意味としての作品的世界、オルフェオの世界、世界劇場というデザイン・コンセプトを尽く喪失した劇場です。真っ暗な客席は、隣席に人がいてもいなくとも変わることのない、全くの個人的空間と言えます。そこは集団ではなく、個々人がただ「見る・聴く」ためだけの装置。個人がイヤホーンで聴くウォークマンやガジェットのようなオペラ劇場と同じです。そこは、もはや集団を支える社交空間でもなければ祝祭の場ではありません。幸い、この劇場は豊かな庭園に囲まれています。ここは屋根のない爽やかなロビー、人びとはファンファーレが鳴り響くまで、祝祭空間の持つもっとも重要な役割、世界中の多くの人々との有効な交歓が可能となっているのです。