2010年5月4日火曜日

ルネサンスの透視画法

(透視画法の発見)

透視画法を発見したのはブルネレスキです。 フィレンツェの花の聖母大聖堂(サンタ・マリア・デル・フィオーレ)の献堂式の記録を残したマネッティによれば、幕開けはフィレンツェのサン・ジョヴァンニ洗礼堂を描いたパネル画にあった。洗礼堂が克明に描かれたパネルの空の部分には銀箔が張られている。そのパネル画の中央には小さな穴が開けられていた。パネルはそのまま手に取って眺めるのではなく、片手に鏡を持ち、もう一方の手にこのパネルを持つ。眺めるときはこのパネルの穴からパネルに描かれた洗礼堂を鏡に写しこんで眺める。

この動作を実際の洗礼堂の前、定められた広場の一点から、鏡の中の鏡像と実際の洗礼堂を同時に合わせて見る。鏡の中に再現されたものは現実の洗礼堂とは区別がつかない、現実性を持ったパネル画と実際の洗礼堂の姿が重なって眺められる。ブルネレスキは何故、このようなことを試みたのか。彼の関心は絵の描きかたではなく都市にあった。都市における建物のをいかに配置するか、その方法への関心が透視画法を発見させている。

中世以来のシニョリーナ広場には、様々な記念建造物が巧みに配置されている。ブルネレスキの時代、この広場の構成はまさしく共和国の中での市民と聖職者、その秩序だった関係の象徴と見なされていた。この秩序を生み出すもの、それは当然、当時の考え方では、神の力によるものであったのだが、ブルネレスキはそのような構成を神の力に寄らずして人間の力で、客観的で科学的な根拠のある方法で生み出し得ると考えた。そして単一の視点より見ることから生まれる幾何学に基づいた一点透視画法を発見したのだ。

神の力に頼らずに秩序を生み出す方法の発見のためのヒントは古代ローマの宇宙論にある。かってのローマ全盛の時代には、宇宙も人体もともに秩序立った世界、コスモスだ。前者はマクロコスモス(大宇宙)、後者をミクロコスモス(小宇宙)。 図で描けば大円である宇宙と人体は一致する。(アントロポモルフィズム=レオナルド・ダ・ヴィンチ図) さらに各々はともに深い関係にあり、二つのコスモスは正確な比例関係を持つものとみなされていた。

この考え方は十五世紀になると復活し、大宇宙=小宇宙の原理に基づく空間概念が後に、新しい建築の原理となり、比例を通じて表現された諸部分の調和ということに関心が持たれるようになる。

ルネサンス建築の特徴とされるのは、アプリオリの全体ではなく部分を重視する視点。全体はその部分の集積として改めて規定されるものという考え方。あるいは部分と全体は決してバラバラにあるのではなく空間的には一体化、統一化されている。この考え方はローマ以来の大宇宙=小宇宙の原理に基づくもの。ブルネレスキは同じ原理に励まされ、サン・ジョヴァンニ洗礼堂のパネル画の実験を試みるのだ。


(透視画法の原理はヒューマニズム)

ブルネレスキの一点透視画法の発見が当時の知識人たち、人文学者や建築家たちの最大の関心事となったのは、大宇宙=小宇宙の原理の強調や部分・全体の考え方を透視画法が理論づけていたからだ。空間が中心から発する光線によって理論的にも実際的にも把握されることに気が付いたブルネレスキは、目とモノとの間に置かれた画面は視覚錘体の断面を構成していることを示した。つまり、どんな部分も全体とは比例関係にあり、その部分と全体の関係は大宇宙=小宇宙を示している。

それはまた秩序ある都市の配列を導くもの。実際はともかくブルネレスキはシニョリーナ広場における様々な記念建造物の巧みな配置はこのような原理に基づくことを証明しようと考えた。

さらにもうひとつ、一点透視画法の発見がもたらした大事な考え方がある。それは世界を支配し、自然を変革するのは神のみではなく、人間もまた自然と法則を知ることで、世界を有効に支配できるという考え方。

世界は神ではなく、人間が人間のために計画的に支配出来るという確信が、人間が中心となった世界観を生み出す。つまり、人間中心主義というルネサンスのヒューマニズムは透視画法の原理そのものでもあったのです。


(透視画法が開いた世界)

ルネサンス建築の考え方を支配したのは透視画法。透視画法とは自分の目の前に一枚の透明なガラス板を置き、そのガラス板越しに見える世界をガラスの面に正確になぞって書くことだ。結果、目の前の世界は一つの秩序、まとまりを持った表現が可能となる。

そのまとまりは、人の目に「見えるまま」に表現された世界。つまり、ガラスという画面は「あるがままの世界」を写し取る装置。ここで重要なことは、画面に描かれた世界、あるいは空間の中にあるものは、宗教的観点から眺めたものではなく、人間の目が眺めた世界、人間の見た目が意義を持つ。

中世的絵画において、空間にあるものを画面の中に描こうとする時、描かれたものの大きさは宗教上序列、あるいは世俗の世界における階層を表すものに他ならない。つまり、空間は「あるがままの世界」ではなく、神によって秩序付けられ、序列化された世界、「あるはずの世界」なのだ。

ガラス越しに見るという透視画法の中にあっては大きさの違いは距離を示すに過ぎない。中世的絵画にあっては、神は大きく中央に描かれ、序列の下位のものは外側あるいは小さく描かれている。いうならば描かれる前に、描かれる方法は決められていて、描かれる世界は序列化されたシンボルによる寓意の空間、それが中世の絵画空間だ。

透視画法では神ではなく人間の見ための現実が全てに優先される。そこでもっとも重要なこと、透視画法の中の消失点(焦点)や水平線が示していることは、モノや空間が無いのではなく、あるのに見えないだけと認識させたことにある。視覚によって見ることできる現実世界の限界はあっても、その限界は人間の住む世界の限界ではないことを透視画法は明らかにした。このことから、空間は誰の支配も受けない自由な広がりと見なされる。空間は特定な性格や好みも持たない等質で等方なもの、平準で均質なものと考えられた。

もはや空間は神が支配するものではなく、あるいはある種の質感をもった物体が外側にひろがって行くものではなく、その中にモノがあろうが空っぽであろうが、いつでも人間の力で計測・計画出来るもの。空間がこのように認識されることで、建築を支える考え方も大きく変わった。建築は自然を越えるという想像上のものではなく、あるいは目に見えない世界構造を示すというものでもなく、視覚で測定でき、規則的に表現できる、ある法則に基づいた機械のようなものとなったのだ。

さらに、あらたな建築が生み出す空間のイメージとは、それは神が支配するものとしてアプリオリに限定されているのではなく、人がモノや記号を人為的に配列にすることによって生み出されるもの。詩人が言葉の配列によって生み出す空間と同様、シンボルの空間とみなされようになる。つまり、空間はあるいは世界は、神により生み出されるものではなく、詩人による制作、画家や建築家による「作品」となった。


(シンボル配置の方法)

描かれている世界はいかに写実的であっても、絵画空間を構成するのはシンボル。シンボルはいかにありのままの表現であったとしても、それは音楽と同じように、実在物の似姿に過ぎない。絵画は平な画面のなかに様々なシンボルを配置し、意味ある世界を表現したもの。そのシンボルを徹底した写実で表すか、あるいは別の意図を持って象徴的に表すかは、その絵画が描かれた時代の考え方の反映と言って良い。

写実性を生み出すことに熱心であったルネサンス、そこにはギリシャ・ローマと同じ様な自然を客観的に眺める時代精神が色濃く反映されている。反リアリズムであった古代エジプトや中世キリスト教社会、そこでは客観的に眺める以上に、「目に見えない世界」をいかに具体的に表現するかに関心が持たれた。中世社会では「あるはずの世界」が象徴的、超越的に表現されていたのだ。

ローマ時代のポンペイの家のいくつかには写実的な壁画が残されている。しかし、このような描きかたはキリスト教社会の中ではまったく消えている。十四世紀、音楽においてギョーム・ド・マショーがアルスを駆使し世俗音楽を作曲する頃、同じフランドルの画家ファン・アイクやイタリアのジョットが驚くほど写実的な絵画を描くようになった。しかし、彼らは後の透視画法のような奥行きを持った空間を描く技法を持ちえていたわけではない。ただひたすらだった自然観察がこれらの写実性を導き出していたのだ。

音楽におけるアルスへの関わりが「作品」と「作曲」、そしてその研究が音楽の革新となるアルス・ノーヴァを生み出したように、十五世紀の透視画法の研究が画家と建築家を誕生させ、新しい人間と世界の関係を生み出す方法を開いていった。