2012年5月4日金曜日

聖母大聖堂の音楽

15世紀はじめ、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂は大クーポラ(円蓋屋根)の建設を開始することとなった。
パンテオン以来の巨大屋根の建設は自治都市フィレンツェの期待と威信が懸けられておりその工事をまかなう大聖堂造営局と羊毛組合の役員たちは不安と協議に明け暮れる日々を重ねている。何度もローマを訪れ研究したブルネルレスキは、1418年、直径40mに及ぶ大屋根には足場を掛けることなく、二重構造を持つリブ付きの八枚の尖塔状パネルを掛け渡すことを提案する。建設過程における造営局との交渉と旧態化した工匠たちとのやりとりはヴァザーリの建築家列伝(白水社)に詳しいが、ブルネルレスキは1436年8月、最頂部ランタン(頂塔)の設置のみを残してその偉業を達成する。大クーポラの完成はルネッサンス幕開けの象徴であると同時に、前代までの建築との決別を意味する。何故なら、この時から、建築では一貫性を持った建築理論が問題となったからである。
建築デザインとは概念を統御することであり、生産技術に支配される職人仕事ではないということを示したからにほかならない。透視画法の発見者としても知られるブルネレスキは技術とデザインのみならず、建築そのものを変革した、そして新しい建築の時代はこの日を起点として新たな道を歩み始めることになったのだ。

クーポラの完成の5カ月も前、待ち切れぬフィレンツェ市民は3月25日にサンタ・マリア・デル・フィオーレの献堂式(落成式)を行う。その式典の執行は教皇エウゲニウス四世。反教皇的勢力にローマを追われフィレンツェに亡命していたエウゲニウス四世は、同時代の最大の音楽家ギョウム・デュファイを帯同していた。デュファイはこの日のために、祝典モテトゥス「新たに薔薇の花は=Nuper rosarum flores」を作曲する。
式典に参列した人文学者マネッティは鮮やかな衣服をまとったトランペット、ヴィオールなどの楽器の奏者や聖歌隊のことを書き残している。「彼らの音楽が聴衆の心を打ち畏怖の念で満たしたので、音楽の響きと香の匂いと美しい装飾とで並みいるすべての人々は高揚し始めた・・・聖堂全体が調和の有る合唱と楽器の合奏で一杯に谺したので、天使たちや神聖な天国の合奏や歌が、天から送られてきたかのように思われた」。(西洋音楽史/上・音楽之友社)
ブルネルレスキも聴いたであろうこの音楽は、CD化されていて現在聴くことは可能だが、面白いのは音だけでなく、その構成にある。この音楽と建築は「数あわせ」がなされている。大聖堂の身廊の長さ、交差部の幅や円蓋の高さという建築の各部分は比例関係を持っている。四声曲イソリズム技法で作曲されたこの曲は、上の2声部は聖母マリアに捧げられたこの大聖堂について歌い、下の2声部は献堂式の為のミサ曲、グレゴリア聖歌の旋律が演奏される。下の2声は同じ旋律が4回繰り返されるが、回ごとに長さが異なり、その長さの正数比は大聖堂の比例関係に適合している、つまりデュファイは音楽と建築を調和させることで、文字どおりマネッティ-のいう、天からの世界を現出させたのです。

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