2014年11月21日金曜日

ダゴベルト・フライとジェームス・ファーガソン

19世紀ウィーンのダゴベルト・フライは演劇の現実性に関する考察を展開し、「建築は私の生活空間に所属する」と言っている。
当たり前と思うが「模写的絵画や彫刻では、作品と観照者である自分との間には、時間的・空間的な隔たりや境界があるが、建築ではそのような隔たりがなく、作品と私は同一の時空を共有する」(建築美学・中央公論美術出版)と書かれるとややややと思う。

つまり、一般美学では建築は絵画や彫刻と同じように自然をある種の幻影として表現することがあるが、建築では現実性として表現しなければならない。しかし、実用性がそのまま美となることもなく、建築は芸術的に形成された現実性であるというのだ。
これは現代都市にこそ相応しい言及、彼の「観客と舞台」はちょっと気になる論文だ。

ジェームス・ファーガソンは、宗教改革期以降の西洋建築は全て模倣様式と言い放ち、19世紀イギリスの建設ブームの真っ最中にあって折衷主義建築を鋭く批判した人として有名だ。
その彼がさらに面白いのは、まだ見ぬ近代建築を、野獣によって表現されるほどの喜びや悲しみしか表現できない建築と語っていることだ。
人間の術としての建築は初歩的な技術段階、感性的美術段階、そして最後に言語を用い知性に訴える音声術段階の三段階あるとするのがファーガソンの論だが、20世紀の建築からは形態の持つ人間的意味情報はすべて消去されうると予測していたのだ。

2014年11月13日木曜日

供述によるとペレイラは・・・・ アントニオ・タブッキ

「ペレイラ」はポルトガル語では西洋梨の木。
もともとはヘレニズム語で果実をつける木を意味する。
タブッキはポルトガルの歴史の中で不当な仕打ちを受けた民を敬愛し、この小説の主人公をペレイラと名づけた。
夢と現実が錯綜し時間も後戻りする、曖昧と混乱の中に幻想的な物語を構成するタブッキだが、今回は1938年の夏というリアルな時間の中で順当に推移するまるで映画のような物語を読んだ。事実、この小説は1995年マルチェッロ・マストロヤンニがペレイラを演じ映画化されたという。

小説の中のペレイラは妻を失った「リシュボア」新聞の文芸面編集長。
すでに老成した彼は静かな安定した毎日を仕事面でも休暇面でも楽しんでいる。
1938年とはサラザール独裁政権下のリスボンが秘密警察の横暴と言論封じ等の圧政で第二次世界大戦前夜の悲劇に直面している時、同時代の日本と同様多くの市民は政府の意のまま、抵抗もままならず苦しんでいる、ペレイラもまたそんな市民の一人であった。

7月のある日、ペレイラが文芸欄の編集上必要としたことだが、リスボン大学哲学科を優等で卒業したフランシスコ・モンティロを見習い記者として雇うことから物語が始まる。
読み終わる以前の予測どおり、ペラエイラはポルトガル、スペインのレジスタンス活動に賭ける若者を支援するようになる、そして、モンティロはその活動の犠牲となりこの世を去る。

しかし、物語は歴史に対する抵抗運動の話ではない。老成し安定した日常生活を送るペレイラの内面世界が描かれている。もちろん小説ではモンティロの死はショックだが、小説はそこにいたる歴史の過酷さと人間の義務がテーマとなっている。
休養と体力調整のために滞在したパレーデの海洋療法クリニックのカルドーソ医師がペレイラに語る。

「大事なのは、疑いはじめたことです。もし若者が正しかったら・・・。」と医師はペレイラの人間としての内面に深く関わる。
「個人としての規範となる常態、それは決して結果ではなく、自らが課した主導的エゴに統括されているに過ぎない。問題はさらに強いもう一つのエゴが登場した時、あなたはその新たな主導的エゴのもと生きることができるか否かだ。」

ペレイラは若者たちの意見と行動とは隔たってはいるが、自己の内面にある新たな主導的エゴには忠実、そして彼らの活動を支援する。
物語は長い間培かってきた人格や信念というものをも、必要と考えれば変えられるかどうかがポイントだ。
つまり、この物語は現実を生きる人間として写実的に描き、主人公の生き方を問い、市民としてのあるべき姿を真正面から取り上げた小説と言ってよい。

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2014年11月12日水曜日

バッハとトーマス教会

中世初期、ロマネスク教会では、聖歌は単旋律で歌われていた。

単旋律のグレゴリア聖歌はモノトーンでお経のような音楽。しかし、唱和され聖歌は堅い石の壁とボールト天井に反響し、次々に重なりあい教会内は独特のハーモニーで満たされる。

結果、その音響は決して単純かつ質素なものではない。体 感的には、その後のヨーロッパ音楽の特徴である旋律的、和声的な音楽のすべてはこのロマネスク教会の単旋律音楽が始まりと考えて良いようだ。

石で囲まれたロマネスクの教会では、神父の普通の話し声はとても聞き取りにくい。それは子どもの頃、洞窟やトンネルで騒いだ体験があれば容易に理解できることだろう。

音はウヮンウヮンと響いてしまい、多くの人に解るように大きな声を出せば出すほど、シラブルは長い間反響し言葉の意味はますます聞取りにくくなる。

ロマネスクやゴシック教会での神父の話が全て音楽のように聞こえるのは、朗誦の部分もリズムをとり、前のシラブルが消え、次のシラブルは抑揚を変えるなどして音の重なり合いを起さないように語られているからだ。

16世紀の宗教改革後のルター派教会では従来のカソリック教会に比べ、聖書講読することや説教を聴かせる事がその大きな役割となった。プロテスタント教会の牧師にとって最も重要なことは聖歌を歌うこと以上に聖書の中の物語を普通の話し声で教徒たちに語ることと言って良い。

新しく聖書講読用に造られた教会は別にして、古いドイツの教会では、この目的に叶うため、内装上の幾つかの改修が必要とされた。ライプチッヒの聖トーマス教会はバッハの宗教上の名曲が数多く生まれた教会として有名だが、この教会はプロテスタントのために改修された教会として知られている。

今年も年末を迎えると、ロ短調ミサ、マタイ受難曲・・・・は、あちこちの教会や大学あるいはコンサート会場で演奏される。現在ボクたちの誰もが親しめ、楽しめるこの名曲は牧師の言葉が明瞭に聞こえる、改修されたばかりの聖トーマス教会から生まれていることり留意する必要がある。

聖トーマス教会に施された改修とは、ひだのついた垂れ幕を石の教会内にたくさん施し、木製バルコニーを導入し、音を分散させ、残響時間を1.6秒程にまで押さえたことにある。石に囲まれた残響が長い音響空間ではなく、人の話が明瞭に聞こえる野外や木造の祈祷室(オラトリオ)のような空間はまさにバッハ音楽のために用意された音楽空間と言って良い。

つまり話は逆なのです。プロテスタントであったバッハは話し声という精妙・微細な音も明瞭に聞こえる音響空間を得たことで、以前の石の教会の音楽家ではなし得なかった、弦のパートが明瞭に響き、きびきびしたテンポ、複雑な音型とハーモニーの素早い展開を持ち、早いリズムのメロディーを、雪解けの水の流れのように軽やかに奏でていく名曲の数々を、作曲することが可能となったのです。

バッハの後に生まれたモーツアルトはカソリックの教徒です。彼の宗教音楽は決して多くはないが、その中の一つ有名なレクイエムを聴いてみると面白い。そして、バッハのロ短調ミサ曲と聴き比べてみる。同じ、宗教音楽でもその音楽の響きかたが大きく違うことに気がつくだろう。

音楽は名曲であるかあらぬか以前に、音楽が生み出される、あるいは奏でられる空間の違いによって、全く異なる世界を生み出していることが実感されるはずだ。

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2014年11月4日火曜日

バッハの音楽

バッハの音楽は川のせせらぎに似て、始まりもなければ終わりもない、クライ マックスない音楽です。一定の時間内にドラマが起き、完成するという西洋的な思考からみると、バッハ音楽の時間の流れはその場その場の音の世界を、ただひたすら生み出したもの、と山田雅夫さんは「渦と水の都市学」に書いている。時間はある目標を完成させるための手段ではなく、ただひたすらに経験すれば良いという視点は、西洋というより東洋的な感じがしとても興味深い観点だ。
バッハの音楽が東洋的であるかどうかはともかく、クラシック音楽を聞くうえで当たり前に思われている、クライマックスやフィナーレという見方は案外新しく特殊の考え方である、と教えてくれたのは国立音楽大学の小林緑さん。

18世紀のある音楽会のプログラムでは、まずシンフォニーの第一楽章のみが演奏される。次に続くのが全く別の器楽曲、そしてさまざまな歌手によるアリアが歌われ、最後になって再び先程のシンフォニーの第四楽章が演奏されるのだそうだ。
現在ではとても考えられないプログラムだが、これが18世紀の普通の音楽会であったそうだ。17世紀以来のオペラの人気が高い当時のヨーロッパの音楽会ではアリアが中心、器楽だけのシンフォニーは音楽会を構成する枠組の一つ、お飾りに過ぎなかったということだろう。

中世の教会から始まった音楽の歴史では、西洋の音楽は歌うことから始まっている。つまり、全員参加が音楽の前提だ。歌手の歌を聴くということが始まるのもルネサンスになってからのこと。そして、音楽がただ聞くためのものに変わるのは器楽音楽が人気となったモーツァルト以降のこと。
宮廷オペラが人気となるバロック時代だが、器楽だけの音楽はまだ貴族社会における衣食住の道具に過ぎず、日常的ななりわいの一つにほかならない。
器楽音楽は生活用品であり、衣装で身体を飾るように、日常空間を装飾していた。つまり、器楽音楽は家具のようなものなのだ。そこでの音楽は量が重要であり、豊かに沢山の器楽音楽が鳴り響いていることが空間を豊かにすること、そして、権力の高さを象徴していた。つまり器楽音楽は聴いて楽しむものではなく、荘重でも厳粛である必要もなく、ただただ聞き流すものであったのだ。

18世紀になり、聞き流していた器楽音楽を身を入れて聞くようになったことから、フィナーレ感が重視される。ここでは社会における音楽の役割の変化を考えてみる必要がある。時代は貴族社会から市民社会へ、音楽はオペラだけでなく聴いて楽しむ器楽音楽が盛んになる。そして19世紀になり、フィナーレとそれを迎えるためのクライマックスはなくてはならないものに変わった。

器楽音楽は貴族社会にあっては当初は芸術ではなく、ディリービジネス、終わりという観念もなく、風や水の流れのような存在であった。やがて、市民社会になり「音」だけを楽しむという演奏会が誕生し、初めて器楽音楽におけるフィナーレという終わりが重視される。そして、音楽は全てはじめがあり、クライマックスがあり、フィナーレがあるものとして完成していく。

器楽音楽はかって、フィナーレがなく、ただひたすらの時の流れであったということはとても重要なことを意味している。音楽は時間の中にあり、時間は何かの目標を実現するための手段ではなく、人間として生きることの全てである、という当たり前のことを改めて喚起してくれているのではないだろうか。
人間が生きる上での「時間」は東洋も西洋も変わらない、当たり前で自然なことなのだ。しかし、この当たり前の時間の流れが西洋では「音楽」となり芸術となった。西洋文化の面白さはこんなところに姿を表す。

ボクは「音楽は建築」だと考えている。歴史から見ると、建築が音楽なのだが、「人間が人間として生きる特別な空間」つまり芸術の空間はかってはすべて建築の中に統合されていた。しかし、市民社会に入り、音楽は聴くもの、絵画・彫刻は見るものとなり、全ての芸術は建築からは分離し独立してゆく。
残された建築はニュートラルな生活の容器であり道具あるいは箱に変容した。つまり建築の解体だ。美術館やコンサートホールという「建築」はもはや、美術でもなければ音楽でもないのだから。

こんなことを考えながら、バッハおよびそれ以前の「都市と建築」を体験して見る必要がある。時代が変わり、貴族社会が市民社会に変わったという事実からだけでは見えてこない、「人間が人間として生きる時間」の流れを気づかせてくれる。現在の建築からは決して体験することができない、何か大事なもの、そこには「日常的な時間」の流れと同時に、「特殊な時間」も重層して流れている。

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「須賀敦子の世界」展 

連休最後の日は予定通り横浜へ、近代文学館は満員だった。 
今日は講演会もあるというので、行くならこの日と決めていたが、驚くばかりの大人気。 
晴れた秋の半日、「港が見える丘公園」わきに建つ文学館は散歩にも最高、展覧会の内容も彼女の世界がわかりやすい丁寧に展示されていて、大入りなのは当然と理解した。
 混んだ中の2時間タップリの見学は、相当の疲労。
 恥ずかしながら、講演会はウトウト、講演者には申し訳ないことをした。
 それにしても返す返すも残念なのは「アルザスの曲がりくねった道」が出版されないまま他界されてしまったことだろう。

 ほぼ完成している草稿がA4で打ち出され展示されていた。
ユルスナールの「黒の課程」、アンゲロプロスの「ユリシーズの瞳」に触発されての彼女の新たな構想、なんとしても完結させたかったと思うのは決して出版者だけではない。 
帰りの売店をのぞくと、ほぼ全作品の直販。 最近になり文庫版化された作品も数多く、その売れ行き人気には草葉の影に立つ彼女、きっとビックリしているに違いない。

2014年11月3日月曜日

ピアノの時代

十八世紀は視覚革命の時代。タブローに描かれる世界は最早、中世の神の世界でもなければ、ルネサンスの人間中心主義を支えた透視画法でもない。
それはルドゥの建築に示される平行図像、気球から見たようなアイソメトリックな世界だ。

神の目に変わり、人間の目で世界を見ることが可能となった十五世紀以来、我々は透視画法を利用し、部分と全体を調和させた建築的世界を作ってきた。
しかし、十八世紀、建築家は人間中心の目を捨て、再び古代ギリシャの天使の目を希求している。
それは全てを等角投影、等距離におき、何処にも絶対的中心を置かない世界像。

ルドゥとモーツアルトは同時代人。
モーツアルトは人間の歌を楽器演奏の音楽へと導き、すべての世界をを楽音によって表現して行く。
ルドゥは人間の視線を解放し器械的記号化により世界を描いて行く。
十八世紀は「ピアノの時代」だ。
その初頭、フィレンツェで生まれたピアノはモーツアルト、ベートゥヴェンによって全く新しい音楽の世界を開いて行った。
ピアノの時代は、現代のコンピュータの時代に似ている。
アナログメディアをデジタル化していく現代のコンピューター技術者に似て、モーツアルトは開発時代のピアノ(コンピューター)を操り、あらゆる歌を軽快な機械音と同調させ、ウィーン中の居酒屋(ゲームセンター)を沸かせている。
彼はまさに現代社会におけるゲームやアニメづくりの天才と全く同じだ。

「ベートーヴェンの32曲のピアノソナタは新しいテクノロジーを貪欲に取り入れ、それと格闘してきた歴史でもある」と渡辺裕氏は書かれている。
ベートーヴェンの最新式ピアノとの格闘は、コンピューターを手にして、未だプリントメディアを超える新発想を見いだし得ていない、我々の姿に近いかもしれない。

ギリシャの時代は「天上の館」が建ち、「天体の音楽」が響いた時代。
巨大な楽器であつた宇宙、そこでは固有のメロディーが奏でられ、そのメロディーの中には世界を解きあかす法則が秘められていた。
芸術が、すなわち技術であった彼らの時代、宇宙はある種のスーパーコンピューター、数学的法則はそのためのソフトウェアーと言って良い。

しかし、十七世紀後半、ニュートンがプリンキピアによって、スーパーコンピュータとしての「宇宙=世界」を解体した。結果、天体は音楽を奏でる場ではなくなった。
十八世紀後半の「ピアノの時代」、建築家はルドゥは気球に乗り新しい理想世界を想像し、モーツアルトとベートゥヴェンは新しいピアノを駆使し、再び「天上の館、天体の音楽」を奏でようとしていた。
そして現在の我々はバームの中のスマホを駆使し、懸命に新しい世界を想像しようとしている。

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