2014年4月29日火曜日

アルプスの北と南の音楽と建築

ロマネスク期イタリア半島の聖堂は木造小屋組による天井構成とバジリカ式(長方形)平面という単純な形式。 石造のヴォールト天井は古代ローマ時代の技術、当然、イタリア半島の聖堂で普及してしかるべき建築。 
しかし、その形式はイタリア半島ではなく、もともと石造建築には不慣れであったアルプスの北の人々が採用している。(ロマネスクはローマ風という意味、イタリア人ではなく、北の人々が石造建築をロマネスクと呼んだようだ) 彼らは 作り慣れた木造ではなく、あえて石造で天井をヴォールトで建設しようとする真意は一体どこのあったのかだろうか。

 確かに、火災にも強く、より堅牢な耐久性のある聖堂を求めたことは理解できる。 しかし、それだけが不慣れな石造天井を必要とした理由では無い。 
北の人々が新しい聖堂に求めたこと、それは石造であることから生まれる音の反響と残響にあったようだ。 つまり、彼らにとって聖堂は音の空間、音楽重視の聖堂と言って良い。
 一方、イタリア半島は視覚の空間。イタリア人にとっては音以上に、祭壇に向かって集中する視線のパースペクティブこそ聖堂にはもっとも重要なものと考えていたようだ。

 北の人々が好んだ音の反響とは後世で言えば和声のこと。 単声歌あるいはユニゾンを音楽とする半島の人々と早くから和声あるいは音の協和に関心を示す北の人々。 イタリアとフランスの音楽の特性はすでにこのロマネスク期の建築に明解に示されていたと考えて良い。
 付け加えると、古代ギリシャ人にとっての音の調和は継起的なもの、複数の音が同時に鳴る和声とは全く異なるもの。 何人かの演奏者が同時的に奏でる形態はこのフランスロマネスク以降の中世的発想と言って良い。 
さらに中世以降、多声音楽を一般化したフランドルのポリフォニーに対し、ルネサンス以降、イタリアでは多声であるがホモフォニーに拘り、やがてオペラの基となるモノディー(単旋律の歌唱声部を低声部と和音の伴奏で支える独唱歌曲)を生み出している。

2014年4月26日土曜日

ジャック・カロ展

西洋美術館のジャック・カロ展
フランスのロレーヌ地方に生まれたカロはローマに行き、国外追放されたフランス人フィリップ・トマッサンから版画の技術指導を受ける。
貴族を自称する彼はやがて、フィレンツェのメディチ家の宮廷づき版画家に抜擢された、17世紀初めのことだ。
そして10年、その作品群は「奇想の劇場」、 今日の展覧会の副題にはぴったりの内容だ。

1600年にフィレンツェではじまるオペラ、あるいは当時流行のインテルメッツォやドラマ仕立の槍試合、カロが生み出す版画はまさに劇場世界の雰囲気を伝える格好のメディアだった。
版画は印刷技術は発達したが、写真撮影がまだままならぬ時代の、宮廷の祝祭やイベント、あるいは街風景の中の庶民や虐げられた人々の生活をそのまま現代にリアルに伝える貴重な資料。

同時代にあっては、そのままの出版物あるいは印刷書に刷り込まれた他面的視覚メディア。
多くの人々をリアルタイムで愉しませる、まさに現在の新聞のようなものと言って良い。
従って、カロがメディチ家宮邸にいた10年、その製作は寸暇も惜しむ毎日であったのだろうと推測され、その作品量は膨大だ。
絵画とは異なり、墨刷り小品群は華やかさには欠ける。
しかし、表情や仕草、衣類や情景等、当時の世界が写真以上に細やかに、リアルに写し取られていて、現代の我々をも惹きつけて止まない。
会場にところ狭しと飾られた作品群だが、入場者は少なく、17世紀の世界に引き釣り込まれたままの愉しい午後の時間は静かに過ぎていく。

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2014年4月25日金曜日

ガレロ夫人 森有正

森有正の「バビロンの流れのほとりにて」を再読しているが、今、恐ろしく様々なイメージが立ち上がり、壊れていく。 都市に生きるガレロ夫人の強さはどこから生まれてくるのだろうか。 以下は電子ブック「バビロンの流れのほとりにて」より引用。 「ガレロ夫人のアパートは、デフリ街の四番地に二年前そのままにあった。しかしアパートの内部はすっかり立派になり、温水、冷水がほとばしり、ショファージュ・サントラル(中央式暖房)が据えられ、浴室も直っている。しかし、昔の主人ガレロ夫人は、そこをパリ市の旧い役人に売り、自分はファン・ド・メナージュ(女中)になっている。金のなくなった夫人は女中になり、もとの自分の住居には新しい金持ち主人がすんでいる。しかし夫人の顔には悲しみの影さえなかった。白い前かけをして、陽気に働いている。僕もそれを見ていると何だかそれが当たり前のことのように思われてきた」

2014年4月20日日曜日

芸大フィル新卒業生演奏会

芸大フィル新卒業生演奏会
新緑もすっかり深まった4月中旬の上野の山。
毎年、この頃から興味深い演奏会、展覧会はめじろ押しだ。
今年は宗達をはじめとして、バルテュスやカロという本の中でしか見たことのない展覧会が続いている。
そして、平野啓一郎がキューレーションする写真展まであると言う。
奏楽堂、新卒業生紹介演奏会を聴く。
作曲作品に始まり、トランペット、ヴァイオリン、指揮にソプラノ、ピアノと全て今日のために選ばれた6人の若い音楽家たちの演奏会。
最終演目はベートーヴェンのピアノのコンチェルト第五番。
全く久しぶりに生で聴いたこの曲、改めてベートーヴェンの良さを気づかせてくれる演奏だった。
聞き慣れていたはずのピアノの曲だが、こんなにピアノの高音が優しく響く曲だっただろうか。
それも、しっかりとしたリズムに刻まれた古典的な格調のなかを。
ニックネームに言う「皇帝」、その名の通り朗々とした名曲だが、新人黒岩君の演奏は決して意気込んではいない、もちろん見せびらかしもない。
淡々としたピアノの一音一音をオーケストラの中にしっかりと響かせる、本来の協奏曲の愉しさを十分に楽しまさせる清々しい演奏だ。
多分、今日のオーケストラ、藝大の先生方の演奏も一音一音、端正に奏でられているが故に、その音のシークエンスがより新鮮に聴こえるのだろう。
指揮は山下一史氏、特に良かった楽器はホルン、どなただろう。
若い演奏家による今日の演奏会は演目も若く、ソプラノの竹田さんが歌う「夢遊病の女」のベッリーニとこのピアノ・コンチェルト以外はすべて20世紀の作品。
川崎君が踊るように指揮してくれたラヴェルのラ・ヴァルスの他は初めて聴く曲ばかりだ。
特に名演奏と感じたのはトランペットの松田優太君。
A.デザンクロという1912年生まれのフランスの作曲家の「祈禱、呪詛と踊り」。
ボクの好みだから当然かも知れないが、現代曲とは言え古典的な形式だ。
特によかったのは「哀歌」の部分。
ミュートを付けたトランペットは最早金管ではない、と言って当然、木管ではない。
長くゆったりとした気持ちの良い歌声、文字通り哀歌が鬱々と静かにながれる。
彼はまだ修士課程の1年生だそうだ。



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2014年4月13日日曜日

ワレサ

週末になると映画を観たくなる。 ヨーロッパの重厚なサスペンス・アクションかシットリとした恋愛もの、と思って探したが見つからなかった。 岩波ホールの「ワレサ・連帯の男」を観る。 戦後の社会主義下のポーランドを撮り続けてきたアンジェロ・ワイダ監督の集大成とみなされている映画だ。 70年代から90年代、日本のバブル時代のポーランドは崩壊しつつあるソ連の体制下。 ワイダは民主化を求める市民の姿を、その渦中にあって、ドキュメンタリータッチでリアルに描き続けてきたのだが、その時の連帯委員長ワレサはまさに彼の映画のモデルでありシンボルだった。 この映画はそのワレサを民主化の現場、かってのレーニン造船所グダンスクに立ち戻らせて描いている。 ワレサは決して勇士でも英雄でもない。 子沢山の愛妻家、楽天的だがコマ目で気が利く電気工。 理屈優先の学者ではなく、目の前の諸問題をなんら難しく考えることなく、極めて現実的に決断していく。 例えば逮捕される時でさえ、警察官を待たせても、妻に頼まれた乳母車の車輪の修理こそ今なすべきこととし用具を持つ。 暗い時代だがワレサは楽天家、民主化が成功した(?)今の時代の制作ゆえだろうか、間もなく90歳を迎える監督のワイダも撮影を楽しみ、全体を明るく描いている。 しかし、この明るさの源は実際の歴史上にあった小さな幸運だ。 策が見えなくなった時の外国人メディアの滞在。 危機一発の時のブレジネスの逝去。 小国の市民の声とワレサの運命は他国のメディアと他国の権力の変容に委ねられていた。 特に前者は意味深い、結果はともかく、情報社会の有り様はメディアではなくコンテンツにあると改めて気付かせる。 Google Keepから共有