2011年5月28日土曜日

写楽展

5月26日、午後から上野、国立博物館の写楽展を観る。
平日の展覧会場はいつも、中高年の見学者でいっぱい。
しかし、今日は女性グループというより夫婦連れと男性客も多く目についた。
写楽は男性にも人気があるということだろう。
展示の前半は写楽以前の人気絵師たちによる歌舞伎役者のブロマイド。
歌麿、師宣、春章、清長、北斎と何でもござれだ。
弥次さん喜多さんを書いた十辺舍一九の絵もあったような気がする。
そしていよいよ、江戸の名物出版社、蔦重プロデュースによる写楽の登場。

まずは歌舞伎役者の大首絵と称する、写楽得意のクローズアップ作品群。
つづいて歌舞伎役者たちの全身の立ち姿。
大首絵が役者の表情をリアルに克明に写し取っているかと思うと、 ここでは身体の動きやひねりを画面いっぱいにレイアウトし、 役者たちの表情と仕草がその出し物における演技そのものを忠実に表現する構成となっている。 (歌舞伎に無知なボクには残念ながら、実際の舞台はイメージすることはできないが)
そしていよいよ、背景まで入念に描かれた画面がつづく。
それはまるで本物の舞台のように次々と横並びに展開されている。

今回の写楽展の見所は、戦災等により、もはや国内では残存しないが、 幸いヨーロッパで保存され、生き続けた沢山の作品が里帰りし、 同時に展示されたことにもある。
同じ版木から刷られ、フランス、ドイツ、ベルギー、アメリカ、オランダ等に散っていった写楽が会場では再び出会い隣り合わせに展示されている。
同じ版木でも刷りの違いからくる表情や表現の異なりを、見学者にも読みとってもらおう配慮されているのだ。
解説を読み、一通り見学した印象は以上だが、 見終わってみて何となく満足しなかった個人的感想を付け加えたい。
今日の写楽展は蔦屋重三郎が江戸時代に出版した浮世絵の集大成。
当然、部屋を飾る掛け軸や屏風あるいはふすま絵に比べれば作品は圧倒的に小さい。
手に取って個人的に楽しむものを、わざわざ大きな展覧会場で行列して眺めているという違和感は最後まで拭われることはなかった。
浮世絵と言うものに無知であるボクには、図書館で写楽の図版集を見ること以上の感想は生まれ得るはずはないのだ。
写楽の魅力は画面いっぱいの克明な表情とドラマチックな仕草、 それを小さな画面にたくみにレイアウトし、色数の少なさと合い呼応し、簡潔に表現したことにある。
しかし、曽我蕭白等が描く、見るものが立つ、生の空間をも圧倒する力は写楽には感じられない。
好きな江戸絵師たちの描く世界には、みな大きな空間が描かれている。
異次元あるいは想像のみの深淵な自然界だとしても、そこにはボク自身を包み込んでいく空間的一体感がある。
小さな版画あるいは画帳の一枚であったとしても、絵師が描く大きな空間に身を委ねたい。 決して天才写楽を疎んじるつもりはないが、ボクの好む絵師ではないなと結論し、会場を離れた。

2011年5月24日火曜日

100、000年後の安全

映画「100,000年後の安全」(東京渋谷アップリンク)、ボクのTLでほとんどツィートされていないので、ポストすることにした。 この映画は21世紀の人々、全てが見るべきだと思っている。
 原子力発電により多大な廃棄物を生み出しているアメリカ、フランス、そして日本。 特に第三位の原発国日本は、不幸にして福島第一原子力発電所事故を起こしてしまった。 
その結果、これからどういう被害が東日本に、日本全体に、太平洋沿岸地域に及ぶのか、想像するに恐ろしい。 さらにまた、すでに青森県六ヶ所村には3000トンの使用済み核燃料が保管されている。

 映画は極寒のフィンランドが冬の安定した熱源を確保せざるを得ない事情から、多大な原子力廃棄物を生み出してしまったことに始まる。 フィンランドは「オンカロ」(=隠れた場所)と呼ぶプロジェクトによって、ヘルシンキの西240キロの小さな島、オルキルトに廃棄物貯蔵所を建設している。 貯蔵所は島の岩盤を掘削し、地下500メートルに建設している地下都市。
 無色無臭、しかし、人類にとって最も危険な放射性廃棄物の処理は「太陽にロケットで打ち込むか」「海底に埋めるか」、結局は「地下に埋めるしかない」とわかりプロジェクはスタートした。 「オンカロ」の完成は100年後、つまり21世紀中建設しつづけ22世紀にようやっとの完成する。

 「オンカロ」は「100,000年後の安全」のための施設、しかし、いま問われている最大の問題は、その存在を100、000年後の人々にどう伝えるのか、ということ。 
「オンカロ」は永久に封じ込めら、永久に高レベル放射能と生命を遮蔽し続けなければならない施設。 そんな施設が小さな島、オルキルトにあることを未来の人々にどう伝えるのか、あるいは、伝える方法などあるのだろうか。

 人類誕生からまだ数万年。 数万年前の人類はいまの我々とは全く異なる人類。 1万年前の人々が、彼らがルーン文字により「ここは危険、侵入してはならない」と書いたとしたら、本当に誰もが侵入をやめるだろうか。 多分、多くの人々が「宝が眠っている」と思い、懸命に封入を解く。 未来の人類もまた生物の生命に危険な放射性廃棄物を拡散してしまうにちがいないのだ。
 ここに来て映画は情報は知らせない方が、忘れさせてしまう方が良いのではないかというテーマにも踏み込む。 つまり、人類の未来に真に関われる学問分野は哲学、情報学こそ重要、いやむしろ物理化学とは正反対の美術や音楽、芸術こそが最も有効ではないかと思えて来る。

 ネットと新聞は毎日、事故現場の検証とその管理者原子力村の不手際を伝えている。 そして、そこから見える、日本人の政治と経済は原発の反対・賛成にかかわらず論議は5年先10年先までのこと、いまを生きる日本人、自分たちのことばかりにとどまっていると言って過言でない。
 フィンランドの「オンカロ」もまた、電力と天然ガスをロシアに依存せざるを得ないトラウマからの開放目指す、自国の安全保障プロジェクトであることもまた事実であろう。 しかし、映画「100,000年後の安全」は今を超え、地政を超え、未来の安全保障をいかに生み出すかがテーマである。 なぜなら「オンカロ」を知ることが、今、地球にいる我々の責任と語っているからだ。

2011年5月14日土曜日

尾高氏の「コジ・ファン・トッテ」とシャーの「オリー伯爵」

コジ・ファン・トッテとオリー伯爵 オペラ研修所
多難な時、自粛しろと言われそうだが、フシダラな題材の喜劇を二つ観た。 ロッシーニのオリー伯爵とモーツアルトのコジ・ファン・トッテ。 共に中世十字軍遠征時の女人館の艶色譚。
前回のこのホール、研修所公演プッチーニの三部作「外套」を観ている最中に地震が発生、 客席係員の誘導で2時間待避し、6時過ぎ歩いてようやっと自宅に戻ることができた。
今日の初台、新国立劇場はボクにとってもそれ以来の鑑賞だ。 と、ここまでが昨日の「コジ・ファン・トッテ」の幕間でのツィート。

スマフォ利用の不十分なポスト、モーツアルト・ファンに怒られそうな内容だ。 「コジ・ファン・トッテ」は十字軍にも関係がなければ、女人館の艶色譚でもない。
モーツアルト得意の「愛と寛恕」をテーマとしたアンサンブル・オペラと言うべきだろう。 恋人たちの遊び心を真実の愛に変えて行く音楽の力こそ、このオペラの魅力なのだから。

今日の公演はそのことをまじまじと実感させる素晴らしい内容だった。 オープニングの舞台挨拶で尾高氏は語っている。
「演奏会形式という異例な形ですが、急遽企画した今日の公演に、沢山の方々にお出でいただきありがとうございます。 今回の地震により、外国人をメインとしていた新国立オペラの本公演は悉く中止となりました。 毎回、本公演を支えるべく沢山の日本人歌手がメインキャストのカバー役として練習に練習を重ねております。 しかし、今回はそういう彼らの努力もまた一切報われることなく埋もれてしまいました。 カバー役として練習を重ねている歌手たちの努力にむくいたい、そして彼らの成果を聞いていただきたいと考え、 演奏会形式ですが、新たな本公演を間近に控えた今日、このような演奏会を開かせていただきました。 彼らの素晴らしい演奏をごゆっくりお楽しみください。」

メモしていた訳ではないので正確ではないがそんな内容。
この公演を知ったのは一昨日の「オリー伯爵」を東劇で見た後だった。 会員であることから早速オフィスに連絡すると、まだティケットはあるという。
席は一階最奥、右手には録画機材がならんでいたが、突然出くわした音楽シーンには大満足した。 特に、多彩なアンサンブルのみならず、6人の歌手たちのアリアもふんだんに取り入れられた後半部分、 14人の弦とピアノそしてチェンバロにのる彼らの歌声は大きな感動をともない中劇場一杯に響き渡った。
聴き終わった後、これはありだ。 中劇場でチケット代も安価ならボクにとっては大歓迎、毎回でも実施してもらいたい思ってしまった。 確かに、オペラの魅力は大劇場で展開されるプロセニアム内(舞台と客席を区切る額縁)の多彩で豪華は音楽的虚構にある。

しかし、カバーはカバーだから本公演を差し置いての今回のような公演は新国立では運営上不可能だろうが、 若い歌手が中心となる、小さな楽器編成の演奏会形式のオペラは、もっとあってもいいのではないかと思っている。 オペラをあるいは声楽を生で聴ける楽しみはもっともっとあっていい。 生のオペラを聴くことは多くの人々にとってCDやDVDに比べれば画期的な体験でありからだ。

今日のコジの歌手たちは30台前後であろうか、彼らは皆、原発建設以後生まれた人たちということになる。 ボクの知る30年前、しかし、こんな演奏は不可能だったように思う。 今日の演奏は明らかにこの最近の30年余の成果。 原発の恐怖も知らない若い世代はスクスク育ち、劇場を圧倒するこんな素晴らしいオペラを生み出している。
一方、原発を許容し、建設し続けてきた旧世代、こんな苦難を招いたボクたちのの30年はどんな成果、何を生み出したと言えるだろうか。
若い人々による演奏の内容が素晴らしかっただけに、我が身を思い暗然としたものを残してしまったのも今日の体験。 話は変わるが、ロッシーニの「オリー伯爵」にも一言、触れておこう。
すでに書いたことだが、このオペラを聴きたかったのは演出家バートレット・シャーにある。 彼は前回ユニークなホフマン物語を演出し、ボクは大きな関心を持った。
そして今回はメト初演の「オリー伯爵」、彼は何をやらかすか興味津々だった。 「オリー伯爵」はロッシーニの最後の名作、内容は間違いなく中世十字軍遠征時の女人館の艶色譚だ。 しかし、シャーはそれを18世紀の劇中劇として展開した。 つまり、演じられているのは中世の物語。 観客のボクたちは、舞台を眺める18世紀の観客の一人ということだ。 プロセニアム・アーチという大きな額縁の中にはもう一つ18世紀という額縁がつき、その中の12世紀の物語を21世紀がボクたちが劇場ではなく映画館で眺めている。

シャーは「オリー伯爵」が映画になり、TV放送され、DVDになり、額縁の額縁の額縁の中で展開されることを意識してこのオペラを演出している。 それはまさに、シュルレアリストたちが作り手としての意識を韜晦に韜晦を重ねる手法と全く同じではないか。 メトの「オリー伯爵」は遠からずNHKで放送されるだろう。 その時は、シュルレアリス得意の補助線がどう引かれているかを見破りつつ、このオペラをまた楽しみたいと思っている。

2011年5月11日水曜日

事故から2ヶ月、その検証記事を読む

2ヶ月経過した。

東京新聞は朝刊トップで福島第一原発事故検証、まずは1-1「最初の1週間」を掲載した。

見出しは、危機一髪 設計限度を超えた圧力 「決死隊」被ばく 首相「排気、手動でいい」とはなばなしい。

検証記事は明日を生きる我々のために、未来を生きる次世代のために欠かせない貴重な作業。

ここはもっと冷静に、起こった事実だけを判りやすく記事にしていただきたい。

福島第一原子力発電所は東京から230キロ、福島県大熊町、双葉町の用地350万平方メートルに6基が立つ。

1号機は1971年営業運転開始、79年までに6基が運転を始めた。

作られた電気は関東に送られ、東電の供給電力の7.6%を占める。

3月12日午前2時半、1号機格納容器内の圧力は840キロパスカル。(設計最高圧力は528キロパスカル)。

格納容器の破裂を防ぐためにはベント(排気)が必要。

当直長らは電源が落ちた中、ライトを照らし手作業でバルブを開けようと奮闘。

弁は二つ、両方が開いて初めて排気可能となる。

午前10時過ぎ、移動式の発電機を配線につなぎ、一つ目の弁を開けることが出来たが、もう一つの弁は開かない。

圧縮空気を送り込んで二つ目の弁を開けたのは午後2時。

圧力上昇は12日未明に官邸に報告され首相、経産相、内閣府原子力安全委員長らの協議し東電へのベント指示は午前1時。

いつまでたっての東電からのベント開始の連絡がなく、首相、補佐官、安全委員長は午前6時14分、ヘリで第一原発へ向かう。

第一原発に降り立った首相は東電副社長にベントの遅れを問う。

東電副社長は『電動で開けるベント弁の復旧は4時間かかかる」と答える。

「手動でもいいから早く開けてください」と首相。

所長は「すぐにやります」と応じ、ベント指示から10時間以上の後、弁が開く。

なぜ、ベントが遅れたか。

東電が電気の復旧を優先したから。

電源は戻らず、(ボクのノートでは1、2号機の電源回復は9日後の20日、1号機は13日、2号機は14日に建屋内水素爆発を起している)暗闇と高い放射線量が妨げ。

東電は手動でのベントを想定せず、訓練もしていなかった。

手動で弁を開いた当直長は累計106ミリシーベルトの被ばく。

ここまでが記事の概要。

引き続き掲載される検証記事で明らかにされるのかもしれないが、

ボクの最大の疑問は、

何故、非常用電源が有効に機能していないのか、

何故、安全維持に不可欠な電源復旧にこんなに長時間を必要としたのかだ。

想定外の地震と津波による天災と主張する東電だが、

設計と運転、およびその安全と継続性の維持という人的な誤作動が不幸な原発事故の原因の全て。

つまり、人間であるが故に免れることができない問題群。

20世紀人間による技術過信に加え、凡人にはさけられない判断ミスと意思の不一致そして疎通の欠如。

人間は残念ながら、第三の火を持つこと、原子力発電を運営することは不可能であったのだ。

持つことで富みを得た人間と持たされて不幸に貶められた人間。

こんな悲劇は2011年3月11日で終わりにしよう! 

戦う操縦士 サン・テグジュペリ

「建築成った伽藍内の堂守や貸し椅子席係の職につこうと考えるような人間は、すでにその瞬間から敗北者であると。それに反して、何人にあれ、その胸中に建造すべき伽藍を抱えている者は、すでに勝利者なのである。」 これは昔読んだ「戦う操縦士」の中の一節。我々はいま、原発事故から抜け出ることはできない。 理由はともあれ、事故の収束に奮闘する「現場」をいろいろな意味で、想像してしまう毎日だ。そして、やけに、昔読んだサン・テグジュペリが気になっていた。 偶然、今朝、このブログをみつけた。こんな日常をチャンと理解されているひとがいる。書評子とは必ずしも、本を書評する人ではなく、時代を、時代の中の人間を評される人のこと。彼は仕事に関わる人間の「真摯」を「ピーター・ドラッカー」と「夜間飛行」のなかに読もうとしている。 http://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2011/05/post-d9b4.html 「戦う操縦士」「夜間飛行」、ここには「現場」が書かれている。当然ながら、サン・テグジュペリにも結論はない。しかし、そこにはいつも「人間」がいるのだ。久しぶり「城砦」を読んでみたい。