2011年5月11日水曜日

事故から2ヶ月、その検証記事を読む

2ヶ月経過した。

東京新聞は朝刊トップで福島第一原発事故検証、まずは1-1「最初の1週間」を掲載した。

見出しは、危機一髪 設計限度を超えた圧力 「決死隊」被ばく 首相「排気、手動でいい」とはなばなしい。

検証記事は明日を生きる我々のために、未来を生きる次世代のために欠かせない貴重な作業。

ここはもっと冷静に、起こった事実だけを判りやすく記事にしていただきたい。

福島第一原子力発電所は東京から230キロ、福島県大熊町、双葉町の用地350万平方メートルに6基が立つ。

1号機は1971年営業運転開始、79年までに6基が運転を始めた。

作られた電気は関東に送られ、東電の供給電力の7.6%を占める。

3月12日午前2時半、1号機格納容器内の圧力は840キロパスカル。(設計最高圧力は528キロパスカル)。

格納容器の破裂を防ぐためにはベント(排気)が必要。

当直長らは電源が落ちた中、ライトを照らし手作業でバルブを開けようと奮闘。

弁は二つ、両方が開いて初めて排気可能となる。

午前10時過ぎ、移動式の発電機を配線につなぎ、一つ目の弁を開けることが出来たが、もう一つの弁は開かない。

圧縮空気を送り込んで二つ目の弁を開けたのは午後2時。

圧力上昇は12日未明に官邸に報告され首相、経産相、内閣府原子力安全委員長らの協議し東電へのベント指示は午前1時。

いつまでたっての東電からのベント開始の連絡がなく、首相、補佐官、安全委員長は午前6時14分、ヘリで第一原発へ向かう。

第一原発に降り立った首相は東電副社長にベントの遅れを問う。

東電副社長は『電動で開けるベント弁の復旧は4時間かかかる」と答える。

「手動でもいいから早く開けてください」と首相。

所長は「すぐにやります」と応じ、ベント指示から10時間以上の後、弁が開く。

なぜ、ベントが遅れたか。

東電が電気の復旧を優先したから。

電源は戻らず、(ボクのノートでは1、2号機の電源回復は9日後の20日、1号機は13日、2号機は14日に建屋内水素爆発を起している)暗闇と高い放射線量が妨げ。

東電は手動でのベントを想定せず、訓練もしていなかった。

手動で弁を開いた当直長は累計106ミリシーベルトの被ばく。

ここまでが記事の概要。

引き続き掲載される検証記事で明らかにされるのかもしれないが、

ボクの最大の疑問は、

何故、非常用電源が有効に機能していないのか、

何故、安全維持に不可欠な電源復旧にこんなに長時間を必要としたのかだ。

想定外の地震と津波による天災と主張する東電だが、

設計と運転、およびその安全と継続性の維持という人的な誤作動が不幸な原発事故の原因の全て。

つまり、人間であるが故に免れることができない問題群。

20世紀人間による技術過信に加え、凡人にはさけられない判断ミスと意思の不一致そして疎通の欠如。

人間は残念ながら、第三の火を持つこと、原子力発電を運営することは不可能であったのだ。

持つことで富みを得た人間と持たされて不幸に貶められた人間。

こんな悲劇は2011年3月11日で終わりにしよう!