
長い引用だが、この部分は須賀敦子さんの「時のかけらたち」。
パラーディオの建築は訪れる機会が度々あったが、しかし、彼女のヴェネツィアは美術書・建築書ではつかみきれない「マニエリスム」を「目から鱗」的に説明してくれている。

デリ・インクラビリはかってのヴェネツィアの娼婦たちが病を得て不治のまま収容されていた施設があるところ。
須賀さんは書くべきこと、書かずにはいられないことのすべてをここに書き尽くしているように思えてならない。
「・・・河岸に立つと、対岸のレデントーレ教会がほぼ真正面に望めた。私がヴェネツィアでもっとも愛している風景をまえにして、淡い、小さな泡のような安堵が、寒さにかじかんだ手足と朝から不安で硬くなった気持ちをいっぺんにほぐしてくれた。」
須賀さんのヴェネツィアは確か、愛するペッピーノを失ってからの体験がすべてであったはず。
そして、パッラーディオのレデントーレ教会、その対岸のデリ・インクラビリから、かっての不治の病の娼婦たちが毎日眺めたであろう理想世界。
建築はやはり、いつの時代も多くの人が各々の物語を生み出す芸術なのだ。
この「・・・いっぺんにほぐしてくれた」に触れ、彼女が残した著述の全貌と訪ね続けた人と建築への思いを強く実感した。