2017年7月23日日曜日

ユーパリノス=建築はだまり、語り、歌う



「建築はだまり、語り、歌う」はヴァレリーの「ユーパリノス」に書かれている言葉です。冥府にいるソクラテスはパイドロスとの対話の中で建築家ユーパリノスのつぎの言葉を聞き、「再び生きるなら建築家として生きたかった」と語っている。
「私の神殿は愛する対象が人を動かすように人を動かさねばならない」。
「町のむらがる建物の中で、あるものは黙し、あるものは語り、あるものは歌うということに気づきはしなかったか?」
「精神と肉体が見事に調和したときには、単に作品が出来上がるだけではなく私自身の建築が出来上がる」。
感覚的世界、形や外界という物質的世界、あるいは地上的美の世界を必要としなかったソクラテスにとってユーパリノスの言葉は大いなる驚きだった。
そこにはソクラテス自身が果たせなかった「観念と行為の応答」を成し得た人がいたからである。
「歌う建築」はヴァレリーが冥府にいる哲学者ソクラテスに生前成すべきことを、「ユーパリノス」を通じて伝えた。
そして、ソクラテスは言う「アンチ・ソクラテス、私の中には、周囲の事情からとうものにならなかった一人の建築家がいたのだ」と。

講義録をまとめるに当たっては「ユーパリノス」のこの言葉を表題にしたいと考えていた。誇大妄想、アナクロニックな試みではあるが、「建築の中の意味の世界」の散策、「建築を科学や芸術とは異なる視点からの面白さ」として講義してみたいと考えていたからだ。
優れた建築は、見る人に感覚的喜びだけではなく、想像的な楽しみを与えてくれる。
建築家の生み出す形態は動的役割や美しさを表現するばかりか、形態に付された表象は建築の体験者に、物語の世界に入り込むような楽しさを与えてくれる。

建築に物語のような意味を与えることはヨーロッパでは当たり前のことだった。
しかし、現在では建築は黙して語らない。
ヴァレリーが「ユーパリノス」を書いたのは1921年、第一次世界大戦直後のこと。
それはまさに西欧の精神の崩壊の時、建築は歌うどころか、科学と芸術の乖離のなか、建築はその集団的意味を失い、一言も発することがなくなった。
ヴァレリーは「ユーパリノス」を大図録「建築」の序文として書いている。
彼は「建築的調和は音楽的調和、建築は精神と肉体の調和から生み出されるもの」とみなし「建築はだまり、語り、歌う」と書いたのだ。

2017年4月27日木曜日

聴くことの悲劇 ルイジ・ノーノ

20世紀前半、「見ることの悲劇」をオペラにしたのは 「モーゼとアロン」の シェーンベルク。
20世紀後半、「聴くことの悲劇」をオペラにしたのは「プロメテオ」のルイジ・ノーノ。
もっとも、 「モーゼとアロン」「プロメテオ」がオペラであるか否か、識者の見解は様々と言って良い。

16世紀の貴族社会はギリシャ以来の「悲劇・喜劇」とは異なる、より娯楽性の高い第三の劇「牧歌劇」を生み出したことが、オペラの誕生に繋がる。
ギリシャ悲劇の復活を目指していたフィレンツェの人文主義者達は牧歌劇を話す代わりに歌う音楽劇に仕立て、結婚式の催し物として上演した。
メディチ宮廷での上演は「エゥリディーチェ 」、このオペラは竪琴を弾くことで世界を和ませる音楽の神「オルフェオ」を題材としていることから、合い争う当時の北イタリアの宮廷では格好の外交的催し物となり人気となる。
結婚式の祝典でのオペラの上演は、貴族の権威の保護装置、しかし、人文主義者にとって、彼らが時代に関わるための理念や批評の機会でもあり、ルネサンスの人々の生き方の再確認の場であったことも留意すべきだ。
それは当時の建築の持つ役割にも言えることだが、貴族が必要とする視覚装置は、権力の誇示ばかりではなく、より良く生きねばならないというノーブル・オブリージ宣言でもあったのだ。

貴族社会から市民社会へ移行していく18・19世紀、動く絵画としてのオペラは社交と娯楽の道具であり、都市における市民生活の基盤となっていた。
しかし、20世紀になると、ヨーロッパの絵画・建築・音楽が大きく変容する。
その変容は、芸術は日常生活のお飾りでも贅沢品でもなく、生きていくため不可欠なものとすること。
従って、虚構と現実を二分化するプロセニアム・アーチ(額縁舞台)は新しい市民生活のモラリティやリアリティを損なうものと批判され、オペラはその意味と役割を大きく変えなければならなかった。

アーノルド・シェーンベルクは音楽の自立を妨げ装飾的と見なしかねない形式的な調性を疑い、十二音無調音楽を模索し 「モーゼとアロン」を作曲する 。
旧約聖書の出エジプト記にある「偶像崇拝の禁止」をテーマとしたこのオペラではモーゼは語ることはあっても歌う事はない。
神の指示により、その姿を描く事を禁じられたモーゼは歌い上げることで神の姿を視覚化する彼の兄アロンと大きく対立する。
自立した近代市民の音楽の意味に関わるシェーンベルクは、その対立場面ではアロンの歌により、オペラの持つルネサンス以来の視覚装置を顕在化することで、「見ることの悲劇」としてのオペラを生み出した。

しかし、「モーゼとアロン」は対立場面の第二幕まで、第三幕以降は作曲されていない。
現代世界、果たしてオペラは可能なのだろうか。
ルイジ・ノーノはその答えとして「プロメテオ」を作曲した。
プロメテオは神々のみが天界で所有する「火」を人間にもたらし神。
不死のプロメテウスはゼウスにカウカーソスの山頂に張り付けにされ、3万年に渡り肝臓を鷲に啄めばられる責め苦を負う。
言うならば現代の原子力に繋がる、人間の力ではどうにもならないリスクの大きい技術を手にしてしまった人間世界の象徴。
ノーノはしかし、この物語を直接的には描いてはいない。
シェーンベルクの「モーゼとアロン=見ることの悲劇」は「神は見るものではなく信じるもの」、それは視覚的な「形を見る」ことではなく、個々人の中に響く「音楽」を聴くことにある、とメッセージしている。
ノーノのシェーンベルクを引き継ぐ「プロメテオ=聴くことの悲劇」は、プロメテウスの火に苦しめらる群島状に分布する様々な人の声、それは矛盾と敵対を孕んだ歌や合唱となり鳴り響く。オペラは脳内のシナプス連繋のように響き渡る世界を「音楽」として聴くことを試みている。
つまり、ルネサンスに生まれた視覚装置としてのオペラはプロセニアム・アーチが解体された現代世界においても「音楽」として本来の意味と役割を発揮続けているのだ。

2017年1月19日木曜日

ルネサンスの3人の建築家

13世紀、西欧の諸芸術は建築と共に聖堂や教会のなかにあった。15世紀、絵画・彫刻は教会の壁から世俗世界の芸術品となって飛び立っていく。残された建築も古典的装飾を身にまとい美術史の一端を担う。しかし、20世紀、建築は権力のプロパガンダとして批判され、機能主義という観念(イディオローグ)に支えられた実用的でニュートラルな箱となる。

初期ルネサンスの3人の建築家は、古典主義を切り開いた建築家として知られている。
しかし、彼らは美術とは異なる別種の建築世界を模索していたようだ。
3人の建築家はブルネッレスキ、アルベルティ、ブラマンテ。
彼らは様式、つまりスタイルに関わる古典主義の建築家とするのが大半の建築史だが、prof.Fは彼らはスタイル(様式)ではなくタイプを模索した建築家という観点から、その建築を説明している。中央公論出版の「イタリア・ルネサンス建築史ノート」全3冊はお薦めだ。

イタリア・ルネサンス建築史ノートから読み取れる最も重要な点は、美術・装飾とは異なる建築のみが持つ空間表象としての意味の検討と言える。
それはパトロネージの権威付けでも、社会的要請への呼応でもなく、建築のみが可能なメッセージ。
諸芸術をインテグレートしていた建築が、ルネサンス以降、自立するために課せられた使命だった。
しかし、建築は為政者の権力装置のプロパガンダの役割を担い、その後の西洋建築史をリードしていく、つまり、建築史の大半は美術様式史。
18世紀以降、時代は市民主義から民主主義、建築は機能主義や経済社会からの要請に準じ、やがて、形を失い、スタイルによる差別化だけを目的とする建築に変わっていく。
しかし、お薦めの3冊の建築家は建築の始まりとも言える15世紀、その後の美術様式論とは異なるの建築を検討している。

最近になって、E・ガレンの「ルネサンス文化史 ある史的肖像」(平凡社)を再読した。E・ガレンはイタリア人、定番となっている19世紀のヤーコブ・ブルクハルトの「イタリア・ルネサンスの文化」やピーター・バークの「イタリア・ルネサンスの文化と社会」(岩波書店)からは読み取れない別種の建築を模索する文化状況を解説している。
そこでポイントとなるのは、ルネサンスを主導したのは美術史にある絵画ではなく、悲劇的な旧代を乗り越える新しく生きる価値に触れる著作物にあった。
3人の建築家が美術ではなく、修辞論としての建築に関わろうとするのは当然だろう。
母語、ラテン語、ギリシャ語が日常化しているベトラルカに始まる知識人社会にあって、絵を描かない建築家アルベルティは建築によって同時代の悲劇性を乗り越え、反時代性、批評性に触れたメッセージを発信し続けたのだ。

E・ガレンの「ルネサンス文化史」の冒頭を以下に引用する。
「当時のイタリアは経済的活力を消失しており、政治的混乱は極めていたので、文化同様にルネサンス期が歴史的事象全般にわたって活況を呈していたわけではない。絵画、建築、そして彫刻が花開き、文学作品もますます洗練度を増し、稀に見る高さの教育理念が表明される一方、都市の経済はすべて壊滅状態で諸産業は衰弱してほぼ封建的性格と言ってよい農業に回帰しており、都市の自治も揺れ動きコムネーの自由も霧散し、教会も腐敗の度合いをさらに深めていた。・・・人間の偉大さが大変豊富なあの1400年代「クワットロチェント」、生活と歴史は戦争で荒らされ、また陰謀で流血状態のイタリアは真に悲劇的であった。」
そして、人文主義を以下のように書く。
「人文主義は、ブルクハルト的な表現による<人間の再発見>であるよりもむしろ、人間が固有の自律的創造力を獲得し肯定するための手立てとなる。」