2017年6月21日水曜日

宇宙の謎を探る、LHCからILCへ

138億光年前のビッグバンにより宇宙が誕生した。しかし、宇宙望遠鏡を駆使してもその膨大な宇宙を観ることが出来るのはたった38万光年までと言われている。
その先の世界を観るためには、我々はビッグバンの爆発によって宇宙空間に飛び交った、様々な素粒子を掴まえなければならない。
超高エネルギー状態で無秩序に飛び交った様々な素粒子は、やがて宇宙が膨張し温度が下がると、まとまり始め物質を構成する。そして誕生したのが夜空の銀河であり、その一つの太陽系であり、 我々が住まう地球であり、地球上の全ての原子。我々人間自身もまた原子の塊に過ぎないのだから、人間もまたビッグバンに始まる素粒子の塊であり、星屑の一つに過ぎない。

宇宙のはじまりを知るビッグバン直後の高エネルギー状況を実験室に作り出す装置が「高エネルギー加速器=リトルバンを生み出す実験装置=LHC」。1980年代以降、LHCにより数多くの素粒子を発見された。その測定から宇宙の成り立ちや、素粒子の運動を支配する原理がわかりつつあるが、原理の理解は「標準理論」として纏められている。
しかし、理論で存在が予測されているが、なかなか発見されなかった粒子がある、ヒッグス粒子だ。この粒子の発見は2012年、この時からいよいよ、宇宙の解明が加速されたが、しかし、標準理論で説明出来るのはわずか5%に過ぎない。全宇宙の大半は見ることが出来ない謎の物質「ダークマター」と謎のエネルギー「ダークエネルギー」によってその大半は構成されているのだ。

そしていよいよヒッグス粒子や暗黒物質、暗黒エネルギーを捕まえる「国際リニアコライダー計画=ILC」が始まった。この実験装置を北上山中に作ろうというアインシュタインもコペルニクスもビックリするような計画。
ILCは全長50キロメートルの直線型加速器、可能な限りのエネルギーで電子と陽子を衝突させビッグバンを再現しようとする実験装置。
138億年前のビッグバンは物質の解明のみならず新たな「次元」、素粒子とは異なる複合粒子という新しい「階層」、あるいは単独宇宙に関わる我々だが、スカイウォーカーやダークベーダーが活躍する「複数宇宙」の存在が見えてくるかもしれない。どちらにしろ、人類史最大なワクワク計画といってよいだろう。

今日の早稲田大学井深大記念ホールでの講演は村山斉氏と鳥居祥二氏のお二人。どちらも超優秀な頭脳、話の内容は素人の私には難解だが、しかし、優秀なのは頭脳だけはない。話は各々一時間足らずだが、そのわかりやすさは驚くばかり、気持ちの良い、午後の時間を楽しませていただいた。
前者のお話は今やTVでもお馴染み、ユーモラスな解説で今日も巧みに我々を宇宙に引き込んでいく。ポイントは宇宙が冷え、結果、様々な物質・星・人間が生まれるのだが、その原理はエネルギーだけの問題ではなく、超特殊なヒッグス粒子により、熱い無秩序な宇宙がやがて秩序を持つところにもあるようだ。(聞き間違っていないかな、責任は村山氏ではなく、当然このわたし)
後者のお話はNASAの国際ステーション(ISS)での宇宙線観測するカロリメータ型宇宙電子線望遠鏡(CALET)とその観測データ。宇宙の高エネルギー現象の理解には宇宙線が最も重要。来月の国際会議には観測されたデータから重要な発見が発表されるかもしれない。

2017年6月16日金曜日

永遠のファシズム ウンベルト・エーコ

昨年の2月に亡くなったエーコを読み続けている。薔薇の名前は読みやすかったが、フーコーの振り子や前日島は途中で挫折していた。
最近になって、プラハの墓地が面白く、岩波がバウドリーノを文庫化していたので、今は虜になっている。
長らく気がつかなかったが、彼の本の面白さは人間の間のミステリーではなく、個人の中に巣くう陰謀にあるのかもしれない。
そして一昨日、共謀罪を強行裁決する国会を眼にし、「永遠のファシズム」の真実味をまのあたりにした。
何時の時代、何処にでも生きる、人間が持つファシズムの原形を永遠のファシズムとエーコは捉え、その形を次のように原ファシズムとして列記している。

1ー>伝統崇拝=知の発展はありえない、私たちのできることは解釈し続けることだけ。
2ー>伝統主義はモダニズムの拒絶を意味のうちに含む。
原ファシズムは非合理主義。
3ー>文化は批判的態度と同一視されるいかがわしいものとされる。
知的世界に対する猜疑心は、原ファシズムの兆候。
4ー>原ファシズムにとって、意見の対立は裏切り行為。
5ー>原ファシズムは人種差別主義。
6ー>原ファシズムは個人もしくは社会の欲求不満から発生する。
7ー>原ファシズムはその心性の根源に陰謀の妄想力を抱え込んでいる。
8ー>敵の力を客観的に把握する能力の欠如。
9ー>生のための闘争は存在せず、あるのは闘争の為の生。
平和主義は悪であって、敵とのなれ合いと見なされる。
10ー>原ファシズムは大衆エリート主義を標榜する。
11ー>原ファシズムは死(英雄)にあこがれ、死に急ぐ。
12ー>原ファシズムはマチズモの起源、英雄視は武器と戯れる。
13ー>原ファシズムは質的ポピュリスムに根ざしたもの。
個人は個人としての権利を持たない。
人間存在は量としては共通意志を持つことなどありえないのだが、原ファシズムは個人的意志を認めない。
14ー>原ファシズムは虚構を話す。

2017年6月12日月曜日

バウドリーノ ウンベルト・エーコ

自分は嘘つきだ、という男が話す12世紀の歴史物語。
歴史は現実なのか、見たものなのか、人の話しなのか。

聴き手は十字軍の巡礼者に蹂躙された都市、コンスタンチノープルの高官ニキタウス。
語り手はイタリア中部、ロンバルデイアに生まれたバウドリーノ。

彼は13歳で街を出て、ケルン、パリで学び、コンスタンチノープルからアルメニア、キリキアへ、そして聖地エルサレムではなく、今では空爆が絶えることのない砂漠を越える。

12人の旅の仲間とともにたどり着いたのは不可思議な言葉と体型を持つキリスト教者の地でもあり、一角獣とヒュパティアの住まう古代ギリシャ。

しかし、バウドリーノの旅は終わらない。
ロック鳥に救われ一度はコンスタンチノープルに戻るが、今度はたったひとりヒュパティアの地を目指す。

信じるべきは、歴史かもしれない!

学ぶべきは、宗教かもしれない!

夢みるものは、旅かもしれない!

2017年6月7日水曜日

北大路紫野の大徳寺

新緑が終わり、梅雨を迎える前の一時は京都は思いの外、花は少ない。
しかし名所と繁華街、駅は修学旅行生と外国から訪れた人々で大賑わいだ。
昨日までの友人たちと別れ、久し振りに大徳寺の塔頭を訪ねることにした。

記憶では、ここではトップクラスの歴史と文化が展開されている寺院。
時間的には公家と武家の交代期を色濃く刻み、空間的には多彩な禅宗庭園と茶室建築の集積地となっている。
この日、思ったより観光客は少なかったがしかし、もっとも京都らしいところと言って良いのかもしれない。

大徳寺は14世紀の初め、赤松則村の援助で開山した臨済宗(禅宗)の小寺院から始まっている。
半ばには後醍醐天皇により五山筆頭の南禅寺と同格に列せられるなど、重要な寺院として隆盛した。
しかし、建武新政崩落後は時の足利権力に翻弄され沈滞する。
同じ臨済宗でも無窓疎石の関わる足利政権下の寺院群とは異なり、ここは公家に愛された大徳寺、その寺勢は思うようには伸ばせない。
15世紀半ばには、かの応仁の乱とそれに続く戦乱に巻き込まれ、歴史ある伽藍の大半は廃墟のような体となってしまった。

時代は動き、庶民の台頭が始まると、鎌倉仏教は農民の浄土宗、商人の法華宗として隆盛し、京都のみならず日本中に沢山の寺院が作られる。
そんな時代、禅宗寺院大徳寺は一休和尚により復興され、武家社会に広まって行く。

大徳寺の見学は南から東に連なるふたつ大きな方丈庭園に始まるが、楽しみは、人のいない縁側からのんびりと時間を忘れ、小さな石庭を、砂の海と石の島々を、見立てられた蓬莱の世界を体験するところにある。幾つもの塔頭で展開される絵画的世界は、まさに此処でしか体験出来ない禅曼荼羅の世界なのだ。

塔頭は桃山時代には豊臣秀吉が織田信長の葬儀を営み、信長の菩提を弔うために建立した総見院が有名だが、戦国時代の京都に関わる家々の多くはこの寺の僧侶を開祖とし菩提寺としている。
まずは一休宗純の搭所真珠庵、能登畠山氏の龍源院、九州大友氏の瑞峰院と大慈院、加賀前田家の興臨院、前田利家夫人のまつが建立した芳春院、小早川家と毛利一族の黄梅院、三好家の聚光院、細川家の高桐院、ここにはガラシャ夫人の墓標もある。その数は22ヶ寺、しかし、一般公開は数ヶ寺にすぎない。なかなか見学できないが最も有名なのは弧蓬庵だろう。小堀遠州の小庵を大徳寺に持ち込み彼の隠居所としている。その庭と茶室忘筌は国史跡・重文だが、19世紀日本の最高の建築空間と言って良いのではないだろうか。

2017年5月16日火曜日

マンチェスター・バイ・ザ・シー

質の高い小説を、大きな椅子に包まれ、
ゆったりと、いつまでも読み続けているような体験。
落ち着いた昔からの好みの映画館、恵比寿シネマガーデンで、
久し振り、映画らしい映画をじっくり観た。

素晴らしい映画です。
マンチェスター・バイ・ザ・シーは、
ボストンの北、イギリス風パブと教会が多い海辺の街。
観光地でもないこの街の風景は、なにもなく、静かで美しい。

実在の空間でおこる、どこにでもあるつましい家族の不運。
しかし、画面を流れる時間は、どこまでもただ静かに流れていくだけ。
誰にでも訪れるであろう不運と悲しみと小さな喜び。
それは野に咲く小さな花のような世界だ。
いや、この映画の舞台は海。
描かれているのは、只々静かに船縁を叩く小さな水の音。

この街を訪れてみたい、
小さなパブで主人公のリーと出会い、気が合えば共に夕方の潮風に触れ、
ゆっくりと話してみたい。
静かな人々のいる、静かな空間と時間は、
こんなカタチのない時代でも、
決して無くなるものではないことを、確認するために。

2017年5月12日金曜日

ダンサー、セルゲイ・ポルーニン

今朝のYouTube、Take Me to Churchの視聴回数はなんと19,768,413回をカウントしていた。
https://www.youtube.com/watch?v=c-tW0CkvdDI

この驚異的な数字は昨日、試写会で「ダンサー、セルゲイ・ポルーニン 世界一優雅な野獣」を観て、多いに納得している。
しかし、タブレットではない、大画面で観るセルゲイのダンスはもう半端じゃない。
劇場はおろかTVでもあまり見たことがないバレエだが、ポルーニンのダンスは芸術的というより驚異的なもの。
コードに制御されない、肉体が刻むリズムと躍動とポーズが表現する世界、それはポルーニンのみに許された、究極的に人間がもつ、生きていることの素晴らしさだ。

しかし、現実世界にいる我々は、誰もがみなその生には苦労する。
ウクライナのキエフ近郊の家庭に育ったポルーニンも例外ではない。
家族と別れ、ひとり言葉の通じないロンドンでバレエの練習に明け暮れる少年時代。
圧倒的な才能を開花させ、19歳でプリンシパルにまで登り詰めたポルーニンだが、彼が失ったものも計り知れない。
ドキュメントはそんなポルーニンの目に見えぬ内面世界も、画面に躍動する野獣的ダンスを通し克明に語っていく。

残像

京橋テアトルで試写会を観る。来月より、岩波ホールで公開されるそうだ。
画家として、人間として、ストゥシェミンスキほど優れていなければ、こんな過酷な半生を送る必要はなかったかもしれない。
教育者として多くの若者に人気があり、卓越した技量と知性を持ったモダニズムの芸術家。
しかし、キャンバスやインテリア空間に描いてきた絵画、言葉として纏めた視覚論(芸術論)、その悉くを時代の持つ暴力に侵され、奪い取られ、そしてストゥシェミンスキは倒される。
残ったのは像(イメージ)のみ、ワイダが残し得た映画という残像のみだ。

50年代のポーランドにおいて、資本主義モダニズムの持つ抽象と社会主義リアリズムの対立がこれほど過酷なものであったことは知らなかった。
いや、ワイダが描いたものは、芸術的対立ではなく全体主義の持つ過酷な暴力だ。
権力者が持つ、政治的イデオロギーを盾にしての暴力、それは人間から全てを奪い取る、残酷なものだった。

しかし、見終わった後、ワイダの「残像」が残したものは本当に政治的暴力のみだったのか、と考えてしまった。
政治経済社会を覆うイデオロギー(風)により芸術(表現)を評価しようとする悪癖はモダニズムはもちろん、ポストモダニズムと言われる現代もそれ程変わっていないかもしれない。
差異化のみを強調する表装化したパッケージデザインに明け暮れるゼロ年代、人間拡張という真の生産性を持った芸術の自立は今や可能なのだろうか。
ワイダが残してくれたもの、いや残そうとしたものは「残像」のみだ。

2017年5月8日月曜日

僕とカミンスキーの旅


我々は観客席という現実世界から額縁の中の虚構の世界を眺めている。
絵画も映画も額縁(プロセニアム・アーチ)の中で演じられている世界だ。
プロセニアム・アーチは現実と虚構の境界を示す建築的装置。
舞台上のドラマが終われば、虚構の世界の演技者はこの境界から抜け出し、現実世界に戻るが、絵画や映画ではこの境界は決して消えることはない。
つまり、我々観客は永久に虚構の世界の住人に成ることは出来ない。

近代のキュビズム絵画やサウンド・スケープ、あるいはインスタレーションという表現活動では意図的にプロセニアム・アーチを解体し、虚実一体化した世界を産み出した。
ここでは、演技者も観客も一つの空間、虚実混淆した世界の住人となる。
しかし、映画ではどうだろうか。
かって、キアロスタミは虚実解体を目論んだ映画を制作したが、この映画の監督ダニエル・ブリュールはどうだろうか。

この映画ではどうやら、実在しない虚構の画家カミンスキー自身が描いた、絵画の中の世界が生身の現実世界であると設定し、作り出したようだ。
映画の中では額縁を施した絵画の中が現実であり、額縁の外側が虚構の画家カミンスキーが住む、虚構の世界として作られている。
そして、映画の外側にいる我々観客は、映画の中の虚実の反転に立ち会わされる。
その反転は唐突に登場する達磨大師の「有無相対」にある。

つまり、虚構を生み出す建築的装置であるプロセニアム・アーチが解体された映画の中では、カミンスキーの絵画という虚構こそ現実であり、その虚構からカミンスキーを眺める映画の中の「僕」はまた、映画の観客である僕でもあるのだ。
面白い映画ですね、美しいロードに展開される、戯画的な人間たちの虚実混淆、そして僕は本当にどこにいるのだろうか。
どうやら癖になりそうな、新たな映画タイプが生まれたようだ。

2017年4月27日木曜日

聴くことの悲劇 ルイジ・ノーノ

20世紀前半、「見ることの悲劇」をオペラにしたのは 「モーゼとアロン」の シェーンベルク。
20世紀後半、「聴くことの悲劇」をオペラにしたのは「プロメテオ」のルイジ・ノーノ。
もっとも、 「モーゼとアロン」「プロメテオ」がオペラであるか否か、識者の見解は様々と言って良い。

16世紀の貴族社会はギリシャ以来の「悲劇・喜劇」とは異なる、より娯楽性の高い第三の劇「牧歌劇」を生み出したことが、オペラの誕生に繋がる。
ギリシャ悲劇の復活を目指していたフィレンツェの人文主義者達は牧歌劇を話す代わりに歌う音楽劇に仕立て、結婚式の催し物として上演した。
メディチ宮廷での上演は「エゥリディーチェ 」、このオペラは竪琴を弾くことで世界を和ませる音楽の神「オルフェオ」を題材としていることから、合い争う当時の北イタリアの宮廷では格好の外交的催し物となり人気となる。
結婚式の祝典でのオペラの上演は、貴族の権威の保護装置、しかし、人文主義者にとって、彼らが時代に関わるための理念や批評の機会でもあり、ルネサンスの人々の生き方の再確認の場であったことも留意すべきだ。
それは当時の建築の持つ役割にも言えることだが、貴族が必要とする視覚装置は、権力の誇示ばかりではなく、より良く生きねばならないというノーブル・オブリージ宣言でもあったのだ。

貴族社会から市民社会へ移行していく18・19世紀、動く絵画としてのオペラは社交と娯楽の道具であり、都市における市民生活の基盤となっていた。
しかし、20世紀になると、ヨーロッパの絵画・建築・音楽が大きく変容する。
その変容は、芸術は日常生活のお飾りでも贅沢品でもなく、生きていくため不可欠なものとすること。
従って、虚構と現実を二分化するプロセニアム・アーチ(額縁舞台)は新しい市民生活のモラリティやリアリティを損なうものと批判され、オペラはその意味と役割を大きく変えなければならなかった。

アーノルド・シェーンベルクは音楽の自立を妨げ装飾的と見なしかねない形式的な調性を疑い、十二音無調音楽を模索し 「モーゼとアロン」を作曲する 。
旧約聖書の出エジプト記にある「偶像崇拝の禁止」をテーマとしたこのオペラではモーゼは語ることはあっても歌う事はない。
神の指示により、その姿を描く事を禁じられたモーゼは歌い上げることで神の姿を視覚化する彼の兄アロンと大きく対立する。
自立した近代市民の音楽の意味に関わるシェーンベルクは、その対立場面ではアロンの歌により、オペラの持つルネサンス以来の視覚装置を顕在化することで、「見ることの悲劇」としてのオペラを生み出した。

しかし、「モーゼとアロン」は対立場面の第二幕まで、第三幕以降は作曲されていない。
現代世界、果たしてオペラは可能なのだろうか。
ルイジ・ノーノはその答えとして「プロメテオ」を作曲した。
プロメテオは神々のみが天界で所有する「火」を人間にもたらし神。
不死のプロメテウスはゼウスにカウカーソスの山頂に張り付けにされ、3万年に渡り肝臓を鷲に啄めばられる責め苦を負う。
言うならば現代の原子力に繋がる、人間の力ではどうにもならないリスクの大きい技術を手にしてしまった人間世界の象徴。
ノーノはしかし、この物語を直接的には描いてはいない。
シェーンベルクの「モーゼとアロン=見ることの悲劇」は「神は見るものではなく信じるもの」、それは視覚的な「形を見る」ことではなく、個々人の中に響く「音楽」を聴くことにある、とメッセージしている。
ノーノのシェーンベルクを引き継ぐ「プロメテオ=聴くことの悲劇」は、プロメテウスの火に苦しめらる群島状に分布する様々な人の声、それは矛盾と敵対を孕んだ歌や合唱となり鳴り響く。オペラは脳内のシナプス連繋のように響き渡る世界を「音楽」として聴くことを試みている。
つまり、ルネサンスに生まれた視覚装置としてのオペラはプロセニアム・アーチが解体された現代世界においても「音楽」として本来の意味と役割を発揮続けているのだ。

2017年4月25日火曜日

内面からの報告書 ポール・オースター

「冬の日誌」に引き続き翻訳・出版されたこの書は題名どうりオースターの内面を綴った日誌。しかし、この書は決して、一作家の内面を描いたものではなく、21世紀の現代に生きる我々の苦悩に通底する、作家自身の経験のリポートと言ってよい。
構成は「冬の日誌」のように時系列に合わせ一連に描かれるものではなく、「オースター」という素材を4面から眺めリポートした報告書。彼の少年期の経験、彼の人生感を象徴する二つの映画、そして彼の青春期の苦悩の中のラブレターとフォト・アルバム。バラバラ4面はしかし、周到に重ね合わされた一つの世界、彼の小説の常道とも言えるポリフォニー形式の報告書だ。
特に興味深いのは「脳天に二発」。その内容はオースターが少年期に観た二つの映画の解説。しかし、「縮みゆく人間」と「仮面の米国」という映画こそオースターが描きたかった彼の内面世界を象徴するもの。彼はこのパートを主旋律として中世ロマネスク期の音楽をこの報告書で奏でている。
4面構成の全体は確かにオースターの青少年期の報告書だが、それを対位法音楽の方法で捉えようとする本意はどこに有るのだろうか。もう、読み終わって一週間、しかし、まだ見えてはこないのだが、彼は1968年を起点としたポストモダニズム、後期資本主義、欲望の民主主義と言われる現代世界の始まりを描いているのではないだろうか。その年は間違いなく、同世代のボク自身の起点でもあり、苦悩な現代世界の通奏低音旋律なのだ。

2017年4月11日火曜日

冬の日誌 ポール・オースター

読み終わりのページ数もあと僅か、語り手は突然、オースターの無音楽ダンスパフォーマンスでの体験に触れる。体験とはオースターをどこか未踏の地に連れて行くもの。1978年12月、オースターはマンハッタンの高校の体育館でのダンスパフォーマンスによって、どん底の執筆生活から救われたとある。
さらに語り手は、ブルックリン橋からオースターが眺める建築の美しさに触れている。オースターは1980年来ブルックリンに住むようになり、繰り返し繰り返しこの橋からマンハッタンを眺めてきたが、その風景から消えてしまったツインタワーについて、語り手は次のように語っている。
「タワーがなくなった現在、横断するたびに死者のことを君は考えずにいられない。自宅最上階の娘の寝室の窓からツインタワーが燃えるのを見たこと、攻撃のあと三日間近所の街路に降った煙と灰のこと、・・・。あれ以来九年半、依然として週に二、三度橋を渡りつづけているものの、その移動はもはや同じではない。死者はいまもそこにいて、タワーもまだそこにある。記憶の中で死者たちは息づき、空にぽっかり空いた穴としてタワーはいまもそこにあるのだ。」
そして語り手は64歳になったオースターに対し「君は人生の冬に入ったのだ。」と語り、ページを閉じる。
いやぁ、なんとも素晴らしい日誌だ。オースターが書いた自伝ではなく、第三者である語り手が書いたプロジェクト報告なのだ。
淡々とリズムを刻み、のんびりと端正に、人と時間の世界を歩み続けるオースターを語り手は丁寧にかたっていく。
オースターは2001年に「ナショナル・ストリー・プロジェクト」を纏めたが、「冬の日誌」はオースター自身を、オースターだけをテーマとしたストーリー・プロジェクトと言えるようだ。完成が2011年と言うことは、オースターは丁度10年間、今度は自分自身をプロジェクト化し、この「冬の日誌」を書き終えたのだ。
いや、まだ終わってはいない、訳者柴田氏はあとがきに書いている。「ある身体の物語」たる本書が刊行される翌月には、「ある精神の物語」である「内面からの報告書」の訳書も刊行される。」そうか、プロジェクトはまだ終わっていない、明日にでも神保町に出かけプロジェクト報告を手に入れよう。

2017年3月30日木曜日

欧州最後の植民地、ジブラルタル

「英 EU離脱通告」今朝の朝刊三面トップ。29日メイ首相が署名した通告がEUトゥスク大統領に届けられた。課題は年間30万人に及ぶ移民の受け入れ先と自由貿易、加えて、未払い分担金7兆2千億円。さらに、財政危機のギリシャ、イタリアへの対応、5月のフランス大統領選挙と危機にあるウクライナとロシアの影、ヨーロッパの苦難は留まるところがない。
昨年、9月のル・モンド電子版はスペインの南端にある英領ジブラルタルをリポートしていた。タックスヘーブンではないが、スペインでは税率が利潤の30%に対してここでは10%。領内にはエアーポートもあり、他国で活動している企業の営業費削減が目的でここに本拠地を置く。当地の保険会社には英国人所有の自動車の20%が加入、オンラインカジノを誘致し現在20社もあり利益もあげている。気候もロンドンより住みやすく暖かでストレスや犯罪がない。家賃も電話代、電気代も安い。

しかし、その周辺、スペイン失業者は35%だそうで、多くの失業者が朝検問を通り、ここで働き夕方に帰る。スペイン人にとっては家賃は3倍、ここでは住めないが、タバコを検問外への持ち出せれば、それは密輸であるが付加価値税分が手元に残る。 シェンゲン協定には未加盟なのでスペインとの検問は存在する。結果、夕方のスペイン側検問所は流入する密輸品(タバコ)の検査で延々2時間、いつも満員で大混乱

さて、英国のEU離脱後、英領ジブラルタルとその近隣に住まうスペイン人はどうなるのだろうか。検問所は残るのか消えるのか。スペインは当然、併合主張だが、英領ジブラルタルと近隣スペインどちらの住民も離脱・併合を望んでいない。

欧州最後の植民地、ジブラルタル

ローラ・パッラ・クラヴィオット(Lola Parra Craviotto)

http://www.diplo.jp/articles16/1610-1gibraltar.html

2017年3月29日水曜日

アメリカ大統領選の記事とポール・オースター

トランプが勝ったのではない、メッセージのないヒラリーが負けたのだという内容。民主党は長年政治に携わってきたインサイダーに頼り、それに固執すらしてきた。今回のトランプの勝利はそんなアメリカに於ける、グローバル化の疲弊に巻き込まれているポピュリストの抵抗であったと言うことだ。さらに踏み込めば、左派のポピュリズムは「エリートやエスタブリッシュに対立する人々」を擁護する部分では同じだが、右派のポピュリズムは「左派のエリートは移民、イスラム主義者アフリカ系アメリカ人過激派といった第三のグループを甘やかしている」と言って非難する。

今回の選挙でメッセージすべきは、まず、80年代のレーガンに始まるグローバリズムと脱工業化で疲弊した特に北部ラストベルトの人々へのメッセージ。そして、60年代以来、ニューディール連合崩壊によりすでに民主党を批判する南部サンベルト白人層へのメッセージ。民主党はすでに支持を失ったリベラリズムだが、いまだ固執するエリート、そのエスタブリッシュメントに対立する人々へのメッセージ。  ヒラリーは何もメッセージを持たなかった、ということだ。そして「トランプでさえ勝てた、2016年アメリカ。それはトランプが勝ったのではない、ヒラリーではアメリカはもう持たない。ヒラリーにはもはやメッセージがなかった。ヒラリーは社会階級より多様性に偏っていただけだ。得票数は上回ったが、北部ラストベルトでの敗退。黒人層における民主党と共和党との票差は僅かだが、彼女は貴重な64人の選挙人を失ってしまった。

このキャラベルの論点は日本のメディアはあまり触れていない。それをポピュリズムの勝利と呼ぶのは容易だが、彼らはむしろ歴史的にはいつも存在したリアリストであり現実主義者であったと言って良い。一方、ヒラリーは政治的には相変わらずリベラルなアイディアリスト理想主義者、彼らの持つ多様性に頼っていたのだ。グローバリーゼーションと脱工業化から置き去りにされた階層へのメッセージは今や、アメリカばかりではなく、EU諸国でも問題となっている。事実、EUが創り出したのは一つの共同体ではなく、グローバルな巨大市場過ぎないのだから。その市場は冷淡で、裕福な人々、そして金融市場と大都市にうまく接続した人々を喜ばせようとする以外の意志は、いまやどこにも見当たらないというのが現実であろう。

ヒラリー敗北を簡約すればこんなところ。ジェローム・キャラベルの論点で興味深いのは冒頭にあるインサイダー、リベラリズム崩壊の歴史だ。その詳細は添付した本文から読み取れるが、興味深いのはアメリカの崩壊はジョンソンの60年代に始まるが、決定的なのは80年代のレーガンの新自由主義と規制緩和、小さな政府による社会問題の市場化にあった。(日本の衰退はその20年後、小泉政権の新自由主義と規制緩和に始まったと言われる)崩壊はレーガンからブッシュに持ち込まれ決定的となる。途中、クリントンは中国の人権問題に派生する最恵国待遇見直しにより当選したが、中国主導の世界経済を迎え、何もなし得なかった。クリントンを引き継いだオバマだが、彼もまた絶えず晒される経済問題への対応にすべての時間を奪われ、チェンジを果しえずトランプ大統領と交代する。そして現在、民主主義は圧倒的に後退し、世界は均質平等に支えられた経済市場主義を引き継いでいるのである。

アメリカの崩壊はベトナム戦争の60年代に始まる、という話は雑誌等でしばしば目にしていた。一方、建築におけるモダニズムの終焉もこの時代。これ以降、デザインはポストモダニズムの建築と言われている。さらに大きな変化はレーガンの80年代、新自由主義、市場経済のグローバル化と機械生産の停滞による脱工業化時代の始まり。このル・モンド電子版の記事を読みながら、終始、頭をよぎっていたのはアメリカの小説家ポール・オースターの幾つかの作品だ。82年「孤独の発明」を書き、詩人から小説家に転身、その後ニューヨーク三部作で「エレガントな前衛」と呼ばれた人気者。彼はポストモダン特有のある種の知的悲劇性を持った作品を書き続け、ボクにとって毎年、新翻訳を楽しみにさせる貴重な小説家のひとりだ。

そんな、彼の本で最も最近読んだのは「ブルックリン・フォールズ」。読みながら、考え続けていたのはこの「フォールズ(愚行)」の意味なのだが、ジェローム・キャラベルのこの記事はその意味を明らかにしているのかもしれない、と考えてしまった。いや、決してポピュリズムが愚行だと言いたいわけではない。小説の中の人たちも何ら具体的な愚行を犯している訳ではない。「ブルックリン・フォールズ」だけでなく、前作「オラクル・ナイト」や92年の名作「リヴァイアサン」からも見えてくることだが、オースターの言う愚行、それはリアリスティックに生きる現実主義とアイディアルに生きようとする理想主義の格闘を意味しているのではないだろうか。いや、この格闘は決して対立ではない、むしろ、融和しようとする行為を意味している。対立ではなく融和だからこそ愚行と書くしかないのだ。

オースターはありのままのニューヨークという現実の上に、現実主義と理想主義をいつも並列し、虚構化している。そこから生まれてくる悲劇性は決して涙を流すものではない、愚行としか言いようのない悲しみなのだ。実なるオースターはエリート的リベラリストだが、彼は決して理想主義だけを小説にする事はない。さりとて、リアリストに媚びを売るわけでも同情するわけでもなく、そこに対立が見えるとさりげなく融和を愚行として描いている。まだ未読だが、机の上にカバーのかかったままの「冬の日誌」がある。2017年2月25日発行、この書にはポストモダニズム・アメリカのどんな愚行が書かれているのだろうか。

大衆が起こしたポピュリストの叛乱 アウトサイダーの年

201612ー>政治ジェローム・キャラベル(Jerome Karabel

http://www.diplo.jp/articles16/1612-1outsider.html

2017年3月27日月曜日

ポリモルフィックネットワーキングの都市的応用

ポリモルフィックネットワーキングのシンポジウムに行く。IoT*AI技術の将来を見据え、あるべき都市のコンセプトの検討しようとするもの。ポリモルフィックとは多彩な知能化技術によって、様々な部分が多形的につながり合い、全体として協調と秩序を持ったあるべき姿を生み出そうとすることにある。
多彩なあらゆる部分の合理的な調和から、新しい秩序ある全体を生み出す方法とは、ルネサンス期の建築家アルベルティ、彼が建築論で示した「コンキンニタス」とよく似ている。しかし、コンキンニタスは、いわゆる美術研究家が問題にするデコルムが生み出す調和ある全体像ではなく、個々の充実した部分が先行し、その部分による結果としての調和ある全体が意味されている。

アルベルティのコンキンニタスはモノや材料に直接関わらない、リネアメントウムという想像上のカタチの検討をその方法としている。リネアメントウムは「モノ」ではなく「カタチ」の検討。単なる美しい部分の集合としての実体ではなく、充実した部分のみの持つカタチ、その線画を検討することにより、材料や技術という外づけの理由や事象には関わらない、全体を生み出すという方法の検討としての建築論。つまり、技術の持つ通念的な意味づけを別物に読み替え、試行を繰り返すことで調和ある全体に関わっていこうとするもの。

今日のシンポジウムは開発されつつある先端技術の可能性の追求に関わるものでコンセプトではない。そして、IoTとAIを同列で掛け合わせることで、まさに多元的な知能化技術を我々は持つことができると同時に、使い方を間違えると社会に大きなリスクをもたらすことが示めされた。

ルネサンスが切り開いた神に依存しない、人間による都市・建築時代だが、その実態は物理的にも観念的にもクラウド情報に一元的に管理されたフラットな人間世界に至っているのが現代社会。それはアルベルティのいうコンキンニタスとは程遠い世界となっている。さらに、身近な懸念ではAIロボットによる人間の仕事の消滅が取り沙汰されているのはルネサンス期の錬金術から科学への移行、新時代が生み出す近代機械への懸念と全く同相だが、それは一重に「人間と技術」の問題に尽きる。なぜなら、ルネサンス以降、西欧社会が500年間、いつも人間の外部にあるモノやイデオロギーに弾き飛ばされてきたテーマがここにあるからだ。

シンポジウムの感想としてアルベルティのコンキンニタスを思い出した理由も「技術と人間」にある。スマートと名を変えた都市が安易に人間に関われるとはとても思えない。都市という全体を生み出すのは部分としての人間に他ならない。アルベルティは方法論をモノから離れたリネアメントウムを検討することで示したが、その後の都市と建築はモノに拘った様式論とイデオロギーに終始し、人間は益々阻害されてしまった。そして現在、最も懸念するのは先端技術の名を借りた安易な自然主義と人間主義である。

今後、このシンポジウムがどのような方向に進むのかとても興味深い。しかし、今日のシンポで示された60年代のメダボリズム論や数学者クリストファー・アレグサンダーのセミ・ラチス論の安易な引用は、益々、人間不在の技術論や様式論に追いやりがちと感じてしまった。何故なら、 確かに、自然や水に準えるメタボリ技術や多様な人間集団を捉えるセミ・ラチス構造は魅力あるコンセプトだが、個々の部分としての人間の充実はどこに担保されるのであろうか。 外づけの時間と言語は立ち止まることが無く、いつも流れていくのだ。

IoT*AIはモノやイデオロギーから一度キッパリ縁を切り、その技術を様々な多元的な人間環境に投げ渡し、新たな自立状況を検討すべきではないだろうか。ここで求められるのは設計者やデザイナーの持つ合理主義や経済主義ではなく、人間個々人が持つ充実、そのリネアメントウムの模索ではないかと考えている。

2017年3月22日水曜日

アフリカのアレヴァ

昨年12月、トランプより驚いたのは、ル・モンド電子版の「アレヴァ」。 フランスの「腫瘍」となった大問題。フクシマ以来、原発はもはや、腫瘍以上だ。中央アフリカの惨状はまだ日本のメディアは取りあげていないが、今朝、東京新聞朝刊は東芝の二の舞「三菱重、原然出資大丈夫?」を記事にした。


以下は電子版「アフリカにおけるアレヴァの奇妙な事件」抜粋

アフリカにおけるアレヴァの奇妙な事件
ジュアン・ブランコ(Juan Branco)国際法研究者

L’Ordre et le monde. Critique de la Cour pénale internationale
(Fayard, Paris, 2016)

http://www.diplo.jp/articles16/1611-1uramin.html

 このフランスの企業グループは2007年に、その前年からバクマ鉱山の権利を保有していた会社、ウラミンを買収していた。中央アフリカ共和国の東部に位置する巨大なウラン鉱脈の「発見」[訳註1]はこの国に大きな希望を与えていたため、当時[2003〜2013年]大統領だったフランソワ・ボズィゼ司令官はアレヴァに対し、とある村の近くに原子力発電所を建設するよう求めた。その村には飲料水も、電気も、電話もまだなかった。アレヴァの幹部たちは住民たちに学校やスタジアム、病院の計画を示し、その予算合計は10億ユーロに達していた。彼らはそれらをこの地域に建設しようとしていた。確かにそう約束していたのだ。

 協定の調印から8年と1度の内戦が過ぎ、ボズィゼ氏は亡命した。バクマの鉱床は放棄された。この国の平均寿命は今もまだ50歳を超えてはいない。国民一人当たりの国内総生産(GDP)は350ドルだ。アレヴァが建設を約束していた道路や病院、学校は一つも作られてはいない。ひどい栄養失調で苦しみ、お腹が膨らんだ数十人の子供たちは、焼いた土で作られた村の小屋に住み着いていた。この村はかつて飢餓を経験したことはなかった。そしてつい最近、たった一人だけ残っていた医者も失ってしまった。村人は電気、飲料水、電話網を少しの間だけ手にしたが、今では何もかもなくなってしまった。

 「ピッ、ピッ、ピピピピ……。」ガイガーの放射線量計測器が鳴る。高く伸びた草の間を通り過ぎるとシャツは汗でびっしょりとなり、呼吸するのも難しくなった。気温は35、36、37、そして40度まで上がっていく。バクマの鉱山キャンプはアンドレイ・タルコフスキー監督の映画『ストーカー』の「無人地帯」のようだ。その呪われた空間では植物と廃墟と錆が混ざり合い、徐々にその区別が消え去って一つの塊を形成していた。失敗に終わった専門家の派遣プロジェクトと「フランス・アフリカ関係」が保たれた40年という時間が、この場所にある巨大な凹地に集約されている。その凹地は放射能にまみれ、泥と落ち葉からなる厚い層が建造物をすっかり覆ってしまっている。それらが放棄されてからはまだ4年も経っていない。

 非常に重要であり、かつ細心の注意を要する諸作業はまったく行われなかった。たとえば、放射性廃棄物を埋めること、施設や道具の汚染除去、周囲に暮らす人々にとっては必須となるだろう鉱山サイトの安全確保といった作業だ。最も基本的なルールすら破られ、注意標識も設置されず、危険な場所へのアクセスを禁止する柵もない。私たちがこの場所にある主要な鉱床に危険を冒して足を踏み入れた際、そこは放射能で溢れていた。小さなトウモロコシ農園とコブ牛の群れに挟まれた畑の真ん中に、放射性廃棄物がそのまま放置されていた。その廃棄物の真上の放射線量はこの地域の自然被曝量の40倍(1)、フランスの原発で働く労働者に対して許可された最大被曝量の17倍の数値を示していた。最後の赴任者がこの地を去ってしまったため、医療施設は完全に取り壊されてしまった。現地の職員たちの健康診断データもどこかに消えてしまった。調査は何も実施されなかった。

 アレヴァは今日、バクマから撤退した理由をインターネット上で簡潔に掲載している。「フクシマ事故以降のウラン価値の下落と、数カ月前からこの国で進んだ治安の悪化を理由として、2012年9月、アレヴァは中央アフリカ共和国バクマにある鉱山開発の中断を発表しました」。この鉱床の買収は実際、ウラン争奪競争の真っ最中になされた。スポット価格(直物買い)は当時最も高い値に達していた。だがその値は、もともと長期契約の取引で、当該期間においてその変動が比較的小さかったウラン市場の現実からはかけ離れていた。さらに、フクシマの原発事故よりもずっと前に、そしてアレヴァが他の鉱山(とりわけモンゴルの鉱山)やカナダのシガーレイクの大規模な開発へ投資する直前に、そのサイトの解体はすでに始まっていたのだ。

 中央アフリカ共和国はもはやアレヴァに関する資料の1枚すら保有してはいない。したがって、このフランスの企業グループに対するあらゆる現地訴訟が困難になっている。現鉱山大臣のジョゼフ・アグボ氏はこの件について「まったくの無力」だと言う。彼は事を進めようと何度も試みたが、「この場所でアレヴァの代理を担うバンギ人の公証人 」を経由しなければアレヴァと連絡を取ることはまったくできなかった。そして、そのバンギ人は喋るのが得意ではなかった。いずれにせよ、中央アフリカの労働者たちはアレヴァに対する訴訟手続きをバンギでなんとか開始し、目下進行中だという。しかし、中央アフリカ共和国の検事、ギスラン・グレゾンゲ氏はうんざりしながら「[そのような件は]まったく聞いたことがない」と話す。