2015年8月30日日曜日

大衆の反逆 オルテガ・イ・ガセット


1930年代にすでにEUいやヨーロッパ合衆国を予告していたとはおもしろい。
第一次世界大戦中に書かれたショッペングラーの「西洋の没落」は18世紀以降の市民社会の崩壊を書いていた。

しかし、オルテガはヘーゲル的歴史主義、近代主義とは距離を置き、「生の哲学」を模索した。
たしかに、戦争がひとまず終結すると、その時代はアメリカと共産主義ロシアの台頭。
しかし、彼は大衆主義を単にヨーロッパの没落とは考えていない。 

オルテガ・イ・ガセットは生きることは現在の自分の繰り返しであり、自己完成に努力を払おうとしない人々の社会における危険性を「大衆の反逆」と呼んでいるが、近代は自分を完全に掌握していない人々の何を実現していいかがわからぬ時代なのだと考えている。

ヘーゲルの歴史的発展主義やその後の実存主義の誤謬を早々に懸念し、プラトンやデカルトやカントに立ち戻り「生・理性」に支えられる真の市民社会を素描しているのだ。 

アナクロニック、書いたのは哲学ではなくエッセー、それは多様なディレッタント的ノートにすぎないとの批判はヴァレリーに対するものとよく似ているが、60年代に入り、「過保護なお坊ちゃん」が「環境=文明」を空気のような自然と錯覚し始めた時、この多様な視点を持つ「大衆の反逆」は本来的意味を発揮し始めたと言えるのではないだろうか。

2015年8月9日日曜日

あるがままの世界の建築

古代社会において、生活のための集落や民家とは異なる建物(=建築)が登場したとき、それは都市と建築そして文明の誕生。人間が自然とは異なる「人間」を対象化して捉えたとき建築が必要とされた。建築は「大地からの飛翔」を意味していた。
人間はその誕生以来、自然と一体化した、様々な住処あるいは住宅をつくってきた、しかしそれらは建築(アーキテクチャー)とは言わなかった。都市と建築は非日常(ハレの空間=虚構)場であり、住居は日常(ケ=現実)の場にあるものだから。

住居が建築になったのは十六世紀のパッラーディオの時代以降のこと。この時代、田園に作られたヴィッラもまた文化的装置の一つとして認められ建築となった。
パッラーディオは最初の住宅建築家。彼は「田園にあるヴィッラ」を現実的世界(あるがままの世界 )に建つ虚構の空間(あるはずの世界)としてヴェネツィア貴族のために構築した。

近代の工業化社会にあって、「機能的なものは美しい」と宣言され、あらゆる建物(民家・倉庫・工場・車庫)と建築との区別はなくなった。
工業化社会以前、その実用的価値とは異なり、時代のあるいは社会の建築の対象となり得るものが建築であった。
二十世紀になり建築は「機能的なモノは美しい」と認められ、住宅も工場等すべての日常な建物は、機能的であれば建築と見なされた。建築は市民的・道徳的であることが優先され虚構の空間はすべて「あるがままの世界」の中に埋没していく。

2015年8月5日水曜日

風景としての世界、あるがままの世界

国土の3分の2を高地と山に覆われたイタリア半島は、豊かで広大な平地が広がるアルプスの北とはいささか異なる生き方が必要とされている。イタリアの人々は地中海に突き出た地の利を活かし、東方の人々と積極的に交易し、手工業を発達させるという生き方を選択した。
大陸の西、農業社会が安定した食料増産による経済的発展を迎える時、この半島の役割は、ヨーロッパ大陸にない物質資源を調達し流通させること、さらにその為の積極的な人間的交流を計ることにあった。

農業中心社会に於ける生き方では自然に従い、それを掌る神に従順であることが求められる。当然、そこでは清貧禁欲な生活を尊ぶ、キリスト教的価値観が大きな意味を持つ。
しかしイタリア、特にフィレンツェでは商業や手工業の発達を促す別種の価値観が必要とされた。それは現実的、合理的な生き方を賛美し、多少の快楽が許され、自然よりも人間を中心とする考え方。
十五世紀のイタリアでは新しい価値観とキリストに変わる新しい神が求められていたのだ。そんな彼らが新たな「人間と世界、人間と人間」の関係の構築に役立てようと生み出したモノ、それがアルス・ノヴァと透視画法。音楽におけるアルス・ノヴァ、絵画における透視画法、この二つは新しい生き方、新しい神に関わるためのメディアとなった。

そのメディアに期待された役割、それは神の啓示による中世的「あるはずの世界」をルネサンス的現実、人間が眺める「あるがままの世界」に変容すること。超越的な神が君臨する中世キリスト教社会とは異なる、現実的、快楽的、人間的社会を賛美する神を描くことにあった。
透視画法の役割は、神の介入無くしても存在しうる、秩序ある統一世界を生み出すこと。画面の中に描かれる平行線は全て一点(焦点)に集まる。この一点を中心として描かれた世界には秩序ある統一が存在するとみなし、画家たちは、哲学者のイディアや神学者の神に関わることなく「生きるに足る確かな世界」を描く方法を発見した。

透視画法の発見は人間の視野を哲学者の偏見からの解放であったと書いたのはゲーザ・サモシ(時間と空間の誕生:青土社)。彼によれば十四世紀の「アルス・ノヴァ」は概念的ではない音楽観を提示し、音楽の可能性を広げ、一世紀後の「透視画法」はルネサンスの画家が世界を見える「あるはずの世界」ではなく、実際に見られるもの、「あるがままの世界」として描き始める道を開いていった。
ラファエロやレオナルド・ダ・ヴィンチの描く世界は美しい絵画である以前にまず「あるがままという理念」として見なければならない。 ルネサンスの人々を魅了した透視画法は神に変わる秩序を人間によって生み出し得ることを可能としたのだ。その世界は神のいる世界ではなく、神のいる世界を眺めた世界。そしてルネサンス以降「音楽と建築」は「神話」や「聖書」に変わる「風景の世界」に関わることで、新たなデザインの道を開いていくことになる。

2015年8月1日土曜日

「あるはずの世界」と「あるがままの世界」


(合理主義)

ヨーロッパでは古代から合理主義への信頼が高い。それは「全ての事柄は理論理性で説明がつく」と硬く信じているからだ。
ギリシャのイディアや中世の神に対する信頼は彼らの理性への信頼が生み出したもの。
合理主義では現実的経験より、理性による思考が重視されている。
逆に、現実的世界への信頼が高い場合はその思考は経験主義となる。
「事柄の理解は全て経験の結果」という考え方であり、理性より経験が先行する我々東洋人は世界の有り様をこのように考えてきた。

人間の五感は不完全なものであり、そこでの経験は信頼できるものではない、と考えるヨーロッパの人々にとって、現実世界はどこまでも不確かなもの。むしろその背後にこそ確かな世界があり、その世界だけが信頼するに足るもの。だからこそ芸術は模倣であり現実とはみなしていない。
つまり、現実にではなく、現実の背後に存在するものへの信頼が、ヨーロッパの人々が考える世界の有り様、それが合理主義。
このような合理主義から見れば、世界は「あるがまま」のモノではなく、このように見える「はず」のモノに他ならない。中世の教会の中の絵画や音楽には、この「はず」の世界が表現されている。中世絵画では現実世界をそのままリアルに描くのではなく、現実の背後の世界を理性的思考あるいは想像の結果として、観念的に描くことが必要だった。

(アルス・ノーヴァ)

「あるはずの世界」を「あるがままの世界」に変えたのは透視画法。
透視画法の発見は「人間の視野を哲学者の偏見からの解放」であったと書いたのはゲーザ・サモシ(時間と空間の誕生:青土社)。しかし、今やこの偏見の方が貴重かもしれない。何故なら、あるがままの世界を「あるがまま」見ようとしなかった古代そして中世という時代の音楽と建築、そこにはヨーロッパの本来の合理主義に繋がる計り知れないものが隠されているからだ。

十五世紀のブルネレスキの発明、アルベルティの理論化でルネサンスの画家たちを魅了した透視画法は世界を観念ではなく、実際に見ることが出来るモノとして描く方法を開いてきた。しかし、透視画法の発見以前に「あるはずの世界」を「あるがままの世界」に変えたのは 中世音楽における アルス・ノーヴァ。 それは観念や理念先行であった世界を実在の道に導いた音楽運動。アルス・ノーヴァは原則や正当性という理論重視の音楽を、新鮮な響きの世界へと開いていった。

アルスの開発により十三世紀も後半になると、自由なリズムを表記する試みが活発化し、音楽のスタイルは大きく変化し始めたのだ。
1322年頃に音楽の理論書、フィリップ・ド・ヴィトリの「アルス・ノーヴァ」(新技法)が登場した。ヴィトリは詩人であり、数学者、音楽の理論家であり作曲家。ペトラルカの友人でもあった彼はまさにルネサンス人の先駆けと考えられる人。この理論書は、音符の持つ時間の長さを多様化したことが重要です。多様化とは、本来は一対三という完全分割しか許されていないキリスト教音楽の記譜法に、一対二という不完全分割をも認められるようにしたことにある。つまり、三拍子系のリズムでしか表記できなかった音楽が、二拍子系でも表現が可能となった。 従来のキリスト教の中の「三位一体」という理念から、許されなかった二拍子系のリズムの応用がアルス・ノーヴァという運動により、論理的に許されることになる。結果、音楽はやがて、現在の我々にとっても聞きやすい、滑らかで自由なリズムと旋律の道を開いていく。