2015年7月30日木曜日

都市革命

「特別の空間」とは、あるがままの自然空間の中に人間が生み出した建築空間、人間により構築された想像的世界だ。その始まりは「大地からの飛翔」、広大な荒野に水平な床を設え、垂直な柱を建て、時に天との間に覆いをかけることだった。そこは日常世界を生きる住処とは異なり共に生きる人間のための世界。物理的生存の場というより、別種の人間的世界として作られた。

「都市」の始まりもまた自然との決別にあった。都市建設を支えるものは、集団による効率化にあるのではなく、人間的世界を確保することにある。文明化された人間の象徴として彼らは複雑で入り組んだ構築物による都市を持つことで、日常的な自然とは一線を画したハレの場を確保した。
都市は非日常のハレの場、祭祀が中心となる祝祭空間から始まっている。祝祭はテンポラリーだが神と交流する場。日本での祝祭は神が降臨する場をヒモロギと称し、取り壊し可能の一時的装置によって「特別の空間」を創出している。しかし、ヨーロッパでは恒久的な「建築」を作ることによって、祝祭空間を「都市」として変容していく。

新石器革命、それは人間と自然との基本的な関係の変化を意味する。生活が狩猟のみではなく、定地的な食料生産へと移行していく時、人間的世界の境界を明確に設置し、モニュメントも築き、エンクロージャーを生み出していく。エンクロージャーとしての村落は食料生産を活発化し、交易という組織的合理化や潅漑という技術的効率化を生み、多くの余剰を生みだす役割を果たしてきた。
しかし、それが都市のすべてであるなら都市革命は存在せず、新石器革命のみが洗練され、村落は活発化するが都市は必要とされなかったであろう。人間として生きることを自覚した人間が最も必要としたもの、それは生き抜くための食料ではなく、共に生きる人間だったのだ。

都市革命の本質は「都市」を村落から切り離し、「人間と人間の関係」を意識的に生み出すことにある。共に生きる人間にとって、社交あるいはコミュニケーションの場は不可欠だ。建築と都市は文明が実体化したカタチに他ならない。つまり、自然空間であるあるがままの世界にカタチとして実体化された想像的世界。それは箱でもモノでもなく、情報あるいは言葉のような世界。建築と都市は「人間が人間として生きる世界」というメッセージの形象化にほかならない。

rif:「都市の文化」ルイス・マンフォード・鹿島出版会
都市を村落から分別させるものは何か、あるいは村落の消極的な農業体制を、都市の積極的な制度に変えた原因は何か。
人口規模や経済資源の拡大ばかりでなく、もっと動的な原因は人間どうしのコミュニケションや交歓拡大への要求である狩りから農業への変化による人口増加が都市化を促し、通商路の拡大と職業の多様化がそれを助長した。しかしその要因は経済的視点にのみ求めるべきではない。都市は何よりも集団的人間の生活の現れであり、合目的的な社会的複合体なのだから。

2015年7月28日火曜日

建築は「特別の空間」

人間の歴史は段階的ではあるが、自然から人間をいかに開放するかの闘いであったと考えられる。
人間は自然の脅威から身を守るだけでなく、動物とは異なる「人間としての生き方」も意識していたからだ。
自然と共にある人間が、自然そして動物との訣別を決意し、人間が人間として生きる「特別の空間」を必要とした。
そしてそのとき建築は始まった。

建築とは自然空間のなかに作り出された「特別の空間」を意味している。
その空間を人々が体験するとき、空間は想像力によって読み取られる、メタフジカルな空間だ。
「特別の空間」は個々人のものではなく共同体が必要とする集団的なもの。
建築とは共同体の誰もが体験する、現実世界に作られた虚構的、想像的世界なのだ。

建築の始まりはいつだろうか。「特別の空間」の必要が文明の始まり。
人々は生きるべき現実の世界とは別種に、人間として生きられる安定したコスモス、「あるはずの世界」を想像した。
建築によって生み出されたコスモスのなかで、人間は自然を神に置き換え、自らの生き方を模索した。

やがて人間は神による支配がなくても「人間が人間として生きるべき世界」を「あるべき世界」として構築している。
人間中心主義といわれるルネサンス期、人々はキリスト教とは距離を取り、新たなコスモスを建築化し、「特別の空間」を生み出してきた。

18世紀、人間は新しい哲学に支えられた科学文明により、自然が持つ現実的な脅威だけでなく、そこにある神的な力をも排除し、自然との分離を完成させた。
しかし、この段階になるともはや、人間は「特別な空間」としての建築を必要とすることなく、建築は想像的世界という役割を失っていく。

現在の我々は、人間は自然と一体であったことを痛烈に意識させられている。
自然との分離に成功はしたが「人間が人間として生きるべき世界」を見失い、その機械的環境の殺伐さに圧倒させられているからだ。

建築はもはや「あるはずの世界」でも「あるべき世界」でもない。
我々の建築的世界はメタフジカルな想像的世界とは決別し、現実的世界と一体化した「あるがままの世界」として立ち現われている。

rif:「感性の覚醒」中村雄二郎・岩波書店p108

現在われわれ人間は、自分たちが自然の一部であったことを、あらためて痛切に感じさせられてきている。この痛切さは一度自然から離れてしまったことによるものである。・・・・
すべてが自然であり人間がそのなかに包まれていたとき、人間が人間として明確に自覚されなかったように、自然は自然として人間から区別してとらえられることも、対象化してとらえられることもなかったのであった。・・・・
文明の発達は人間を自然の脅威から次第に解き放って行くとともに、人間を自然から引き離すことになった。そのような自然からの人間の解放は多くの段階を経て行われたが、もっとも決定的な段階を劃したのはやはり近代科学文明の成立であろう。

2015年7月16日木曜日

村野藤吾建築展 

建築好きの方は必見、目黒美術館の「模型が語る豊穣の世界」は素晴らしかった。
建築家村野藤吾さん作品は模型で見るだけでも感激。
京都工芸繊維大学松隈研究室が制作し、四つのカテゴリー分けられ、彼のほとんど全作品が制作展示されている。
これだけ壮観な模型展、所蔵が京都だけに東京の学生には欠かせないチャンスと言える。
行きの目黒の権太坂では台風余波の激しい雨風に閉じ込められた。
しかし、いまはもう、雨も上がり爽やかな目黒川沿いの散歩道。
真っ白で静かな模型群の見学は、最近の鬱屈していた気分転換には最適な時間となってくれた。

2015年7月15日水曜日

どうだい銃声の音が聞こえるかい?


西洋音楽を聖なる教会から俗なる社会に転撤したのが14世紀、ギョーム・ド・マショーのアルスノーヴァ。 その音楽を市民社会の基盤としたのが16世紀末のオペラの誕生。 そして18世紀、モーツアルトのピアノソナタは近代市民社会を切り開いた。 20世紀、市民社会は大衆社会へ向かう。 イタリア未来派は音楽の大衆化を目論んだ。 もっとも未来派の運動は音楽のみならず建築も美術も文学も一体としての大衆社会への対応ではあったが。 未来派の活動はカテゴライズ化された、あるいはクラスファイした19世紀の文化活動全域へのアンチテーゼと言える。 その活動は、シュールレアリストや構成主義、モダニストに受けつがれるが、21世紀の今日、未来派のコンセプトを超えるものはまだ生み出されてはいない。 20世紀の音楽家サティやケージの活動、彼らの音楽が確実に基盤となって、最近ユニークな環境デザインが注目され始めた。 1960年代後半、米国全体がベトナム戦争に揺れ、不幸な事件が相次ぐ。 ケントステイト大学ではヴェトナム派兵に反対した学生たちが図書館が望めるキャンパスの丘に州兵によって追いつめられ、4人の学生が銃弾によって死亡した。 大学は早速、死亡した学生の追悼モニュメントのコンペを実施する。 その佳作が「どうだい、銃声が聞こえるかい?」という作品。 デザインされたものは4人が死んだキャンパスの丘に至る4本の小道。 大理石の彫刻や構築されたヴィジュアルなモニュメントではない。 4本の小道は事件を抽象化して「かたち」として表すという手法ではなく、モニュメントの体現者に過去の出来事を方法的に「経験してもらう装置」としてデザインされた。 樹林の中の4本の小道は銃火を避けるために逃げまどった学生たちの乱れた足跡を辿っている。 学生たちが追いつめられ最後に見たであろう青空、その青空が広がる小さな三角形の広場まで小道は続いている、垣間見える直線路の前方には大学の象徴である図書館。 そしてデザイナーは「どうだい、銃声が聞こえるかい?」と私たちに呼びかけた。(参考文献:都市環境デザイン/学芸出版) ニューヨーク・マンハッタン高層建築群の一角に12m*70m四方のナラの林がある。 アラン・ゾンフィスト作「タイム・ランドスケープ=時の風景」。 ゾンフィストは空き地にナラを移植することで空間の作品化を試みた。 木を移植した林だけで作品だと言うのはどういうことだろうか。 これは「時間の仕掛け」をデザインした作品。 デザイナーは樹齢数百年の立派な木を植え、完成された公園を作るのではなく、若木がそよぐ昔のまんまの風景を作り出すことによって、体現者に200年前のマンハッタンを経験させている。 ここでもまた彫刻という視覚装置ではなく、林の中の風や小鳥の声、かいま見られる青空によって過去の出来事を「経験してもらう装置」が試みられている。(参考文献:平安京 音の宇宙/平凡社) 騒音を出すことを音楽だと宣い、ピアノを前に座っているだけ、時にはピアノそのものを破壊することこそ音楽だ、という未来派等の活動は何を意味していたのか。 「はず」の世界から「あるがまま」の世界を開いたマショウやモーツアルトの音楽、しかし、その音楽的想像世界は19世紀には額縁(プロセ二アムアーチ)の中の「見せ物」「聞く物」に転化してしまった。 未来派の人々は視覚や聴覚だけでは決して捉えることが出来ない、人間の持つリアリティを再登場させようと試みたのだ。 そして彼らの活動がいま、都市や自然環境が持つ経験的側面を明確に浮かび上がらせるきっかけとなっている。 どの時代もデザインを支える基盤は想像力にある。 テーマパーク化していく都市、商品化していく建築、デザイン時代はかえってデザインを矮小化し、電脳箱の中に閉じ込めていく傾向にある。 未来派の活動そしてサティやケージの音楽について、今、再び検討する必要があるようです。

2015年7月9日木曜日

「特別の空間」と「日常の空間」

古代社会において、生活のための集落や民家とは異なる建物(=建築)が登場したとき、それは都市と建築そして文明の誕生。人間が自然とは異なる「人間」を対象化して捉えたとき建築が必要とされた。建築は「大地からの飛翔」を意味していた。
人間はその誕生以来、自然と一体化した、様々な住処あるいは住宅をつくってきた、しかしそれらは建築(アーキテクチャー)とは言わなかった。都市と建築は非日常(ハレの空間=虚構)場であり、住居は日常(ケ=現実)の場にあるものだから。

住居が建築になったのは十六世紀のパッラーディオの時代以降のこと。この時代、田園に作られたヴィッラもまた文化的装置の一つとして認められ建築となった。
パッラーディオは最初の住宅建築家。彼は「田園にあるヴィッラ」を現実的世界(あるがままの世界 )に建つ虚構の空間(あるはずの世界)としてヴェネツィア貴族のために構築した。

近代の工業化社会にあって、「機能的なものは美しい」と宣言され、あらゆる建物(民家・倉庫・工場・車庫)と建築との区別はなくなった。
工業化社会以前、その実用的価値とは異なり、時代のあるいは社会の建築の対象となり得るものが建築であった。
二十世紀になり建築は「機能的なモノは美しい」と認められ、住宅も工場等すべての日常な建物は、機能的であれば建築と見なされた。建築は市民的・道徳的であることが優先され虚構の空間はすべて「あるがままの世界」の中に埋没していく。

2015年7月8日水曜日

マリア・カラスの真実


映画は実写を取り入れたドキュメンタリー。みすず書房の「マリア・カラス」を読み、彼女の生涯を多少でも知るものにとって、この映画は映像ゆえに悲壮だ。

オペラは音楽とドラマが相和したフィクション、その両面を完璧にこなすこは大変に難しい、マリアは歌によってドラマが演じられる数少ないオペラ歌手。生涯を音楽とドラマに捧げ続けた彼女の姿勢はまさに20世紀のディーヴァそのものと言える。生涯におけるたった一つの恋と言われるオナシスとの関係は痛々しい。カルメンではなくヴィオレッタが好きとインタヴューアーに語る表情はまるで少女そのものと感じられた。

映画ではマリアを殺したのはジェット機であり、テレビだとコメントされる。たしかに、多くのファンのためスピードある移動により沢山の演奏をこなせざるをえない現代のオペラ歌手は体調管理は並大抵ではない。上演を減らすか、拒否するしか方法がない。

マリアのスキャンダラスなドタキャンはファンが許してくれない。マリアは舞台ではなく実人生においてもヴィオレッタであり、トスカであり、ノルマであった。しかし、その生涯が悲壮と感じられるのはオペラのヒロインとはことなり、彼女の死のみがたった一人であったことだ。

そんなマリア・カラスを今の若い人達はどう見るのだろうか、かってのディーヴァの人生を。マリアの時代は映像文化以前、彼女の上演舞台はほとんど映像として残されていない。この映画でも録音された歌ははともかく舞台映像は少ない。しかし、それでも、DVDが出たら買うつもりだ、書棚飾りの一つであってもいいではないか。