2015年12月14日月曜日

雪の轍

トルコのアナトリア地方、奇岩を住居とするカッパドキアの冬を背景とする人間の物語。
既に観た映画だが、休日、近所の映画館での上映、出かけることにした。
館内は満員、良い映画はやはりだれもが見逃さない。 
この映画が長いのは一人一人の言葉を忠実に話終わるまで、いや疲れるまで、留まることなく、写し取り続けるからだ。
しかし、もう一度見たいと思ったのも、この会話の数々が気になりじっくり聞いてみようと思ったからだ。
 観終わって、前回は書けなかった感想、今は書けるだろうか。
いや、再度、見たからと言って、会話の一部始終を理解したわけではない。
内容も決して、哲学的であったり、眩惑的であったりするわけではない、誰もが問題とする日常的会話だ。
しかし、よくわからない、そして、気が付いた。
この映画は人間の会話、あるいは「言葉」というもの、そのものをテーマとしているのではないか。
全ての登場人物は悉く皆、喋りすぎ。
しかし、そのお喋りからは決して、新たな関係は生まれない。
結局、お喋りは人を傷つけ、喋る自分自身が最も大きな深手を追っていく。 
この映画では、話せば話すほど人は空しくなっていく。
人は話せば話すほど、阻害され、その関係は壊れていく。
人間の関係は決して話し合ったからといって、新たな関係が生まれるものではない。
もちろん、会話や言葉に罪はない。
しかし、言葉は罪かもしれない。
人間の言葉は自分が思っているほど、正直でももちろん嘘でもない。
しかし、話せば理解してもらえるという単純なものではない。
哀しいのはそういう言葉を持ち、言葉にとらわれるのが人間だということだ。

2015年12月12日土曜日

放浪の画家ピロスマニ


ゲオルギー・シェンゲラーヤの「若き作曲家の旅」を観たのはいつだったろうか。 
広大なロシアの大地の西端にあり、コーカサスの南、さらにその南にあるトルコとともに黒海を囲むグルジア地方を旅し、その地の古い民謡を採集していく若き音楽家の旅。 
豊かな山河により添い、集い、生活する人々の古い歌声はどれもが哀愁を帯び、優しく家々や大地にこだまする。
 映画は、しかし、採集された歌声の連なりは反権力者たちの集落の連なりと見なされ、押収された作曲者の記録は官憲の手に渡り、歌声の集落は悉く暴力に侵され、破壊されていく。

 岩波ホールでの「放浪の画家ピロスマニ」はこの地に生まれ育った実在の画家(1862~1918)の物語。 
この映画は「音楽家の旅」より15年も前の作品。 
デジタルリマスターされた音と映像は、豊かな山河や集落、祭に集う人々の音楽と彼らが酒を飲み語り合う居酒屋の中の風景を美しく切り取りとっていく。 
その情景はピロスマニが描く絵画の中の世界と全く同じだ。 
実在を描く映画と映画の中のピロスマニの絵画、虚実が重ね合わされたのどかな集落はやがて、その世界から絵画を失い人々の日常も色あせていく。 
その原因は作曲家の旅を蹂躙した官憲力とは異なり、様々な人間が追い求める欲と名声と言えそうだ。
 ゲオルギー・シェンゲラーヤ歴史を超え生き続ける人間世界を、美しい音楽と絵画による風景画として描いている。

2015年11月15日日曜日

わたしの名前は


ドラマとして何かがあるというわけではないが、 この映画には言葉ではなく、映画でしか表現できない世界がある。  
フランス中西部の港町からノルマンディーの北の港町へ、 巨大なコンテナを輸送する孤独なトラック運転手と、 失業中の父親に虐待され家出した少女の物語。 物語と言っても意味深い言葉はない。 
名前もない。 あるのは、 冷たい雨に輝く夜間街灯の眩しさや雨上がりの夜明けの暖かい日差し、 小鳥の声に包まれた草の上の昼食。  

均質で形のなくなった日常生活の中に、あらたな物語を生み出そうとするかのような演出。 
この映画の監督アニエス・トゥルブルはファッション・デザイナーのアニエスベー。 
彼女の映像から生まれるその想像世界は言葉のない物語。
 現代美術家ダグラス・ゴードンがトラックの運転手、イタリアのアントニオ・ネグリが真夜中の旅人を演じるこの映画は別種のコメントを内包するエッセー集と言えるのかもしれない。

2015年11月10日火曜日

ネトレプコの「イル・トロヴァトーレ」

 

 ベリーニ、プッチーニなどオペラの大半は悲劇。ヴェルディ好きにはオテロ、アイーダ、トラヴィアータ、リゴレット、シモン・ボッカネグラ等々切りがないが、今日は珍しくイル・トロヴァトーレを聴いた。メトのライビューイング東劇だ。 

吟遊詩人とルーナ伯爵に愛される15世紀はじめのスペインアラゴン王家の宮廷女官レオノーラの物語。
彼女は愛する詩人の命を救うべく身を捧げるが、その死も報われず詩人と共にこの世を去る。
 身も蓋もないあらすじだが、このオペラの楽しみは全編につらなる悲劇的でドラマチックな歌とオーケストラにある。
どの場面も気が抜けないアリアの連続。歌手の力量が劣っていたらとても聴いていられるものではない。 

アンナ・ネトレプコのレオノーラ、吟遊詩人であるマンリーコはヨンフン・リー。ネトレプコは今や最高のディーバ、幕間に息子と戯れる映像もファンサービスとしては楽しめた。
しかし、リーはくるしい、悪くはないが、堅いし声量も音高も一杯一杯だ。中国の美男子テナー、女性ファンには受けたかもしれない。 
圧巻はやはりドローラ・ザジックのアズチェーナ。メゾフェチは毎度のことだが、彼女のアムネリスとエーボリー公女役は既に何回かブログに書いた。そして今日のジプシーの老婆、彼女の息子への愛と苦しみ、こんな悲しみはオペラだけで沢山だ。

2015年9月17日木曜日

ダニエラ・バルッチェローナの「湖上の美人」 


19世紀初めのロッシーニのオペラはその後のヴェルディーに比べ秩序観が強くバランスの良い音楽と言って良い。 
ベートーヴェン以降のロマン派音楽を聴き慣れている我々は音楽は感情表現、それに比べ、オペラはドラマティックな悲劇であることが多いが、それはヴェルディやプッチニーの世界だ。
ロッシーニの「湖上の美人」は18世紀のモーツァルトに近いがブッハでもセリアでもなく、オペラ・セミリアと言われている。 
ヨーロッパ社会がアンシャンレジームの持つ激情的・反動的な感情に満たされたとき、音楽は一気に古典派からロマン派への道を歩む、つまり、音の交響的世界による連続的感情世界。 

しかし、19世紀のはじめナポレオンの登場に呼応して、イタリアのロッシーニはむしろ前代に近い安定した秩序観を持ったオペラを作っている。 
モーツァルトに近いロッシーニのこの物語もまた王の許しで完結する愛がテーマ、後宮からの逃走によく似た構成でめでたしめでたしで幕を閉じる。 
しかし、スコットランドの王とその王に反旗を翻す高地の人々、夜明けの湖上から始まる愛と革命はウイリアム・テルに似て叙事的でもあり情感も深い、豊かなベルカントのアリアが数多く響く。
 オペラは二人のメゾソプラノと二人のテノールの競演。 
今回のメト・ライビューイングではロッシーニ・オペラには欠かせないダニエラ・バルッチェローナが圧巻だ。 
彼女の低音が効いたリズミカルなコロラットゥーラは主役のディドナートやハイCのフローレスを超え、終幕で愛を勝ち取るマルコムの歌声は気持ちよく、美しく、素晴らしい。

城 カフカ


昔もそうだが、今回もまた苦労して読んだ測量士Kの物語。 しかし、kindleは面白い。
昔は最後まで読み通せ無かったが、電子本だと何故か、途中で放り出せず、今回はなんとか読了した。 城に辿りつかないどころか、雪の中に閉じこめられた儘だった我が読書人生。 
これでようやっと「変身」から我が身に戻った気分だ。

 読み取りは様々だろうが、この物語は王のいない官僚国家。 
意味不明、コミュニケーション不在の小役人がゴロゴロする近代社会として読んでみた。
 いや、測量士という不用な秩序化を役柄とする、K自身が王である逆転した王国の物語かもしれない。 
物語は未完と言うことだが、近代は何処までも未完。 
人間不在のシステムは無用な測量図を永遠に描き続けるのではないだろうか。

2015年9月15日火曜日

バビロンの流れのほとりにて 森有正


「閉鎖した建物の中に自己を開いていくことで共同体を深く発達させたヨーロッパの人々の建築体験。
その体験はいまや光に向かい外界に向かって開かれてはいるが、しかし自己閉鎖している。
自己をめぐりまつわる閉鎖と開放とが、ある秩序を持って関連しているところに不変のヨーロッパがある。」 
有正は「バビロンの流れのほとりにて」にこんなことを書いていた。

 建築批評を見いだせない苛立ち中の学生時代のノートだが、いま読んでみて、自己閉鎖した状況はいまだ変わらず、新たな秩序を見出すこともない建築は、もはや再発見は不可能かもしれない。

 「自己を開くには思想を支える感覚と経験そして生活が必要であり、充実した壁に硬く護られた厳しい生活の観念と結合しての思想が発達したヨーロッパにおいては、自己を本質的動点に維持することは花を愛玩することとは対蹠的である。」 

ロマネスクの教会の中に一輪の花を見つけたところで、彼らの建築が理解できるわけではない。
その壁の中の感覚、経験、生活を体験しなければ、建築(=思想)を見出すことは不可能なのだ。

2015年8月30日日曜日

大衆の反逆 オルテガ・イ・ガセット


1930年代にすでにEUいやヨーロッパ合衆国を予告していたとはおもしろい。
第一次世界大戦中に書かれたショッペングラーの「西洋の没落」は18世紀以降の市民社会の崩壊を書いていた。

しかし、オルテガはヘーゲル的歴史主義、近代主義とは距離を置き、「生の哲学」を模索した。
たしかに、戦争がひとまず終結すると、その時代はアメリカと共産主義ロシアの台頭。
しかし、彼は大衆主義を単にヨーロッパの没落とは考えていない。 

オルテガ・イ・ガセットは生きることは現在の自分の繰り返しであり、自己完成に努力を払おうとしない人々の社会における危険性を「大衆の反逆」と呼んでいるが、近代は自分を完全に掌握していない人々の何を実現していいかがわからぬ時代なのだと考えている。

ヘーゲルの歴史的発展主義やその後の実存主義の誤謬を早々に懸念し、プラトンやデカルトやカントに立ち戻り「生・理性」に支えられる真の市民社会を素描しているのだ。 

アナクロニック、書いたのは哲学ではなくエッセー、それは多様なディレッタント的ノートにすぎないとの批判はヴァレリーに対するものとよく似ているが、60年代に入り、「過保護なお坊ちゃん」が「環境=文明」を空気のような自然と錯覚し始めた時、この多様な視点を持つ「大衆の反逆」は本来的意味を発揮し始めたと言えるのではないだろうか。

建築デザインの役割

吟遊詩人ホーメロスは英雄たちの世界を語った。「イーリアス」と「オデッセア」。現在の私たちにとって、この二つの物語は叙事詩、文学として残された。しかし、当時の人々にとって叙事詩は文字を「読む」文学ではなく、歌を「聴く」音楽だ。竪琴を持った詩人が語る言葉に耳を傾けるよって生み出された世界。耳で聴き、音を楽しむことから生まれた「想像的世界」です。

古代社会においては、「想像的世界」は現在の私たちの予想をはるかに超えた、リアリティ−を持っている。何故なら天変地異、季節の到来、天体の運行、それらはすべて神々のなせる技、人々は人力に勝る神の力を「耳で聴くこと」によって想像し、決して見ることの出来ない不可思議な世界を、「想像すること」によってのみ理解し把握した。

現在では、「世界は見ること・眺めること」により理解される。しかし、それはルネサンス以降のこと。15世紀の透視画法の発見が、「聴くこと」より、「見ること」の重視へと導いた。

流動的で不確かな日常世界は信頼するに足る世界ではなく、その背後に横たわる確固とした世界こそ生きるべき世界と考えていた人々にとって、絵画によって生み出される「想像的世界」は、現実世界以上に生きるに足る世界。

ダヴィンチをはじめ巨匠たちが描いたたくさんの絵画、それは見ることによって生まれる「想像的世界」だが、現代人の教養としての、あるいは茶の間の楽しみとしての絵画とは大きく異なる。ルネサンスの人々にとって、絵画的世界は現実以上に、生きるべきリアリティを持った世界だったのです。

音楽を聴き、絵画を眺め、小説を読む楽しみは、日常的世界とは異なる別種の世界を想像すること。建築を体験することもまた同じ。この世に存在しない宗教的世界、決して目にすることはできない世界の形を建築は建築自身により、そのカタチ(構造)を分かり易く説明し、人々にいま生きている世界はこんな世界とイメージさせる。つまり、建築は世界模型(世界モデル)であり世界書物、それが建築の役割です。

建築が生み出す想像的世界、それは耳をそばだてたり、眺めさえすれば良いのではなく、体験することが必要。建築物の内外を体験し動き回るにことよって、はじめて個々人の内部に、その建築が生み出す世界が、建築が発する意味の世界が立ち上がってくる。

現代建築ではデザインから生み出された居住感(安全、便利、快適)が重要視されていて、その建物が持つ「意味」という側面が見失われている。従って、建築についての話は快適な環境を作るための技術が問題。しかし、建築だけではなく、様々な分野のデザインが歴史的に果たしてきた役割を考えてみると、それは人間と人間、人間と世界との関係をいかに構築するかということにある。建築デザインもまた、この関係の構築に関わった。

建築はシェルターであり安全・便利・快適の為の装置であるばかりではなく、人々が建築を媒体とすることで、個々人の外側と様々な情報をやりとりしているという側面、つまり建築は情報媒体(メディア)という側面を忘れるわけにはいかない。

人間の外部にあって、刺激や誘導によって、人間を操作しようという装置ではなく、主体としての人間の内実に意味やイメージを発生させる装置。人間が人間として、より多くの人と共に、幸せな人生を送る、というデザインの本来の目的に対し、建築が果たさなければならない役割、そこでは個人が気持ちが良いか、居心地が良いかということより、集団にとって「意味」があるか否かのほうがはるかに重要だったのです。

2015年8月10日月曜日

建築における観念の実在化

建築は観念の世界が現実化されたもの。
感覚的に美しいか否かではなく、あるはずの世界(観念・イディア)、あるべき世界(理想)が日常世界の中に構築される。

rif.プラトンのイディア論
感覚的、現実的世界の背後の世界への信頼。その世界は理性によってのみ捉えられる。美しいか否かは感覚的世界のもの。従ってプラトンは芸術を排除した。

rif.西洋芸術の表現
感覚世界を理想的世界の目に見える世界のあらわれであると考える哲学的伝統/絵画を読む・若桑みどりp24

建築は 何を表現するかという問い
ー>合理主義的観念=建築に描かれたメッセージ=内容
ー>世界書物とコスモロジー(世界模型)
ー>人間が人間として生きる特別な場所
ー>人間が人間として生きる場所
ー>人間的エンクロージャー(都市と建築)
ー>人間と自然の分離
ー>大地からの飛翔、人間は動物とは異なる

わたしは何処にいるのかという問い
ー>コスモロジー=唯一の世界
ー>建築は世界のカタチを示す=世界模型
ー>世界劇場
ー>コスモロジー

*世界観
人間の集団に共有されている心的態度
芸術と世界の関係=世界観を媒介として結びついている

象徴的世界観ー>建築術、建築は世界のかたち=神話
記号的世界観ー>印刷術、計測、縮尺、距離、時間=記号

建築はどう表現するのかという問い
ー>建築の方法
ー>合理と秩序=人間的エンクロージャーをメッセージする方法は合理と秩序
ー>モデルは天体(コスモス)
ー>五感による経験ではなく理性、あるはずの世界をメッセージする
ー>はずの世界のモデルは天体、そこは秩序立っている、ハーモニーをもっている
ー>イディア世界は虚構、虚構を現実化、可視化するのが建築

合理とはという問い
現実の背後の想像的世界ー>イディア・理性への信頼
現実より強いリアリティを感じる
五感で感じる不確かな現実世界ではなく、その背後にある理性で把握するイディアの世界
ー>建築はこのメタフィジカルな世界と関わっている
ー>現実世界の建築がなぜ「建築」でなければならなかったのか
ー>現実と虚構、もう一つの世界を建築によって具現化
ー>合理主義と経験主義

どう表現するのかという問い=建築の方法
ー>秩序、ハーモニー(比例)を認識させる建築
ー>目にどう見えるか、耳にどう聞こえるかは後世の問題

1ー抽象的な建築の方法ー>数と幾何学
2-具体的な建築の方法ー>身体と象徴

柱ー>人間の立位ー>行動の指針
壁ー>子宮ー>洞窟
屋根ー>天体(ドーム)

広大な荒野に水平な床、垂直な柱を立てる意味は何かー>観念による人間的世界

エジプト
等質な空間の確保
人間的空間を表現する方法は何か

ギリシャ
不等質な自然界の一部としてここの場所をいかに人間化するか。
ギリシャでの建築の読解に重要なことは建築デザイン以上に建築の建つ場所が重要

秩序・ハーモニー・数と比例=音楽と同じ
ー>どう見えるか、聞こえるかではなく数と比例で作られた音楽と建築
ー>感覚的に美しいか否かは後世の問題、合理としての美とは経験(感覚)とは無関係

2015年8月5日水曜日

ルネサンスのアナザーワールド

国土の三分の二を高地と山に覆われたイタリア半島は、豊かで広大な平地が広がる地域とはいささか異なる生き方が必要とされている。イタリアの人々は地中海に突き出た地の利を活かし、東方の人々と積極的に交易し、手工業を発達させるという生き方を選択した。
西ヨーロッパの農業社会が安定した食料増産による経済的発展を迎える時、この半島の役割は、大陸にない物質資源を調達し流通させること、さらにその為の積極的な人間的交流を計ることにあった。

農業中心社会に於ける生き方では自然に従い、それを掌る神に従順であることが求められる。当然、そこでは清貧禁欲な生活を尊ぶ、キリスト教的価値観が大きな意味を持つ。しかしイタリア、特にフィレンツェでは商業や手工業の発達を促す別種の価値観が必要とされた。それは現実的、合理的な生き方を賛美し、自然より人間中心の生き方とそれを支える考え方。ルネサンス・イタリアは新しい価値観とキリストに変わる神を探していたのだ。
そんな模索から生み出されたメディア、それはアルス・ノーヴァと透視画法。

二つのメディアに期待された役割は中世的「あるはずの世界」をルネサンス的現実、「あるがままの世界」に変容することにある。
新しいメディアは超越的な神が君臨する中世キリスト教社会に変わり、現実的、快楽的、人間中心的社会に素手で関わろうとするモノ。しかし、「はずの世界」が消えたわけではない。「あるがままの世界」の世界の上にいかに「あるはずの世界」を生みだすかがテーマだろう。つまり、虚構あるいはフィクションとしての建築をいかに作るかの方法がテーマ。

アルスノヴァは三位一体化した観念的な三拍子を自然歩行に近い二拍子の音楽として解放する。透視画法は画面の中に描かれる平行線は全て一点(焦点)に集まる、この一点を中心として描かれた世界にも秩序ある統一が存在することを明らかにした。そして画家・音楽家・建築家たちは、ギリシャ以来の哲学者のイデアや神学者の神に関わることなく、「あるはずの世界」を「あるがままの世界」の中に描き出すことが可能となった。つまり、メディアによる「神話」から「風景」への変容。

新しいメディアの発見の驚きは現在の私たちの想像をはるかに超えている。透視画法は単に絵を描く為の手法ではない。神に支配されていた中世的世界を人間中心の世界に変容した。その発見は現代のコンピューターの発明にも似た新しい世界、アナザーワールドを切り開くもの。アナザーワールドとは、西欧的生き方に於いては欠くことの出来ない「生きるに確固足る世界」、その世界を「あるはずの世界」だけではなく「あるがままの世界」に有ることを示している。

ルネサンスの人々が透視画法に夢中になったのはこの一点にある。 人々はアナザーワールドを実際に「建築」を作ることなく、透視画法の中の建築的世界を描き出すことで、秩序ある世界の存在を実感している。つまり、絵画が建築に先行し、空間を表現することが可能となった。そして、絵画も音楽も教会(建築)の壁面や内陣から解放され、現実の世界に飛び立って行く。
建築家はもはや、かっての建築の持つ役割(諸芸術をインテグレートしているという役割)を失い、建築物や模型に頼ることなく、絵画によってのみ「建築」を生み出すことになる。もっと別の言い方をすれば、建築家の仕事は実際の建築を作ることではなく、作るべく建築のコンセプトを描くことがその役割。そして実際の建築はそのコンセプトに従い、職人たちの力によって建設される。つまり「建築」は物理的実体以前に、思考の経過を示すことがその重要な仕事。それはまた同時に、中世以来の学問への参加でもあった。ブルネレスキアルベルティ等ルネサンスの建築家はその役割を使命とし、自立したアナザーワールドの構築に専念する。

2015年8月2日日曜日

ゲーテが訪れたアルカディア

われもまたアルカディアに

十五世紀のイタリア・ルネサンスが生み出した新しい世界、それは透視画法の中の「理想都市そしてアルカディア」。その世界は十八世紀半ば、再び、多くの詩人・芸術家たちによって取り上げられる。

新古典主義時代の代表ゲーテは三十代の時、はじめてイタリアを訪れている。彼の「イタリア紀行」はその後、何度か改訂され、現在の我々の手元にあるのはその最終版、六十代後半の上梓されたもの。「われもまたアルカディアに」が副題、ゲーテは生涯「アルカディア」を歩き続けたのだ。


「われもまたアルカディアに」は現在ルーブル美術館に展示されているプーサンの絵画に由来する。アルカディアに生きる三人の牧童と一人の少女、彼らが見つめている墓碑にこの銘が刻まれている。テーマはメメント・モリ、理想郷にも死が存在することを強調し、人生の短さを教え、充実した人生を送るようにと、この絵画はメッセージする。ゲーテにとってのアルカディアはただいたずらな理想郷、「憧れのアルカディア」ではない、そこは古のローマの人々が「 日々をより良く生きた世界」、ゲーテはイタリアをそのように意味づけ、「イタリア紀行」の副題をプーサンの絵画から引用した。

ワイマール公国財務長官であったゲーテは1786年9月3日、その職務から逃れるかのようにブレンナー峠を越え、イタリア(アルカディア)に旅だった。この峠はフランス、ドイツ、オーストリアなどのアルプスの北の国々からイタリアへ向かう重要な山道。ルター、デュラー、モーツアルト、ホルバイン、ニーチェ、ヘッセ、マン、リルケなど、皆、若き日にこの峠を越えイタリアを訪れている。

峠を越えれば、北イタリアの空はどこまでも高く、そよ風はいつまでもさわやか。左手に越えてきたアルプスの山並みを望み、右手にヴェネトの広漠たる平野が横たわる中、まっすぐな大道を馬車に揺られ、ゲーテはやがてミニョンの故郷、ヴィチェンツァに到着する。


ミニョンの故郷

「君知るや、レモンの花咲くかの国を。

小暗き葉陰にオレンジは熟し、

そよ風は碧き空より流れきて、

ミルテはひそやかに、月桂樹は高く

君知るや、かの国、

いざかの国へ、恋人よ、

いざかの国へともにいかまし。

君知るや、かの家を。円き柱は屋根を支え、

広間は輝き、小さき部屋はほのかに光る。

また立ち並べる大理石像、われを見つめて問う、

「あわれ、いかなる事に出会いし」

君知るや、かの家、

いざかしこへ、わが守護者よ、

いざかの家へともに行かまし。

君知るや、かの山、雲の懸け橋。

騾馬は霧中に径を求め、

竜子の古きやからの棲める洞窟、

絶壁にかかる滝は飛流し

君知るや、かの山、

いざやかしこへ、われらが道は、かしこに通ず。

わが父君よ、ともにいかまし。」

ヴィルヘルム・マイスターの 修行時代新潮社


ヴィルヘルム・マイスターに登場するミニョン。彼女はヴィルヘルムをアルカディアに誘う。ゲーテはイタリアに出掛ける前年、彼自身のはやる気持ちを、イタリアへのあこがれを、ミニョンに託しこの歌を作っている。物語の中でのミニョンは演劇修業中のヴィルヘルムの旅の共をする不思議な魅力と悲しみを持つ女の子。彼女はギリシャ神話の妖精ニンフのように、そこここにと現れ、物語の進行に関わっていく。ミニョンと共に旅する竪琴弾きは人間の認識を超える不可解な力の象徴。それは演劇修行中の主人公ヴィルヘルムとはある種の対旋律の関係にある。その旋律は読み手の心のうちそとを限りなく震わしていく。

物語はヴィルヘルムという定旋律にミニョンと老竪琴弾きの三つの旋律が絡まり、ミニョンの歌にある「丸き柱は屋根をささえ、広間は輝き、小さき部屋はほのかに光るかの家」で終曲する。その家は北イタリアの小都市ヴィチェンツァ近郊に現存する。宇津井恵正氏は「ゲーテの視覚の世界」の「演劇空間としてのあの家と過去の広間」の章でヴィチェンツァのロトンダがミニョンの「かの家」であることを論証された。

その全体はアルカディアの神殿の趣、建物の名はロトンダ。ロトンダとは円形平面の部屋を持つ建築のこと。ドーム状の天井や屋根を持ち、その形状は宇宙観が表現されると共に、人間の生死とも関連し墳墓や神殿にも用いられた。

通称ロトンダだが正確にはヴィッラ・ロトンダあるいはヴィッラ・アルメリコと呼ばれた。十六世紀半ば、この小都市の建築家アンドレ・パラーディオにより建築されている。

澄んだ青空と柔らかい風に包まれ、ロトンダはまるで現実的な時間の流れを突然止めてしまうかのように建ち、あたりの空間全体は絵画的であり、まさに舞台のなかのアルカディアような世界が展開されている。そしてゲーテは次のように書く。

「私は町から三十分かかる気持ちのよい丘のうえの金殿玉楼、通称ロトンダを訪れた。上から光線を採った丸い広間を中に囲む方形の建物である。四方いずれからでも、大階段を昇れば、常に六本のコリント式円柱によって作られた玄関に達する。」イタリア紀行・上岩波文庫




 


ヴィラ・ロトンダに託された物語

ヴィッラ・ロトンダを設計したパラーディオにはアルベルティの「建築論」に倣った自著がある、「建築四書」。名前からもわかるようにアルベルティ同様、古代ローマの建築家ヴィトルヴィウスの「建築十書」をモデルとし、この書を後世に残した。建築四書は「イタリア紀行」のゲーテにとっても有効な参考書であったに違いない。ゲーテがミニョンにこの館を歌わせたのは、イタリア旅行の出発の前年こと。長編小説「修業時代」以前の「演劇的使命」の中、彼はイタリアを訪れる前に何度もこの「四書」を開き、図版を眺め想像を膨らまし、ミニョンに「かの家」を歌わせたのだ。

「四書」の中でパラーディオはヴィッラ・ロトンダをヴィッラの項ではなく「都市住宅」の項に掲載している。「この建物は町ほど近く、ほとんど町のなかにあるといってよいほどなので、私は、これをヴィッラ建築のなかに入れることが適切とは思われなかった。敷地は、考えるかぎり美しく、快適なところである。というのは、きわめて登りやすい小さな丘の上にあり、一方の側は、船が通えるバッキリオーネ川によってうるおされ、他の側は、きわめて美しい丘陵地で取り囲まれて、まるでおおきな劇場のような形になっており、また、一面耕されていて、きわめて良質の果物と、きわめてみごとなブドウの樹で充満している。それゆえ、ある方向では視界が限られ、ある方向では、より遠くまで見え、また他の方位では地平線まで見渡せるという、きわめて美しい眺望をあらゆる側から楽しめるので、四方の正面のすべてにロッジアが作られている。」パラーディオ「建築四書」注解中央公論美術出版

ヴィッラ・ロトンダの建築的特徴はその完璧な形態にある。中央の広間は正円、広間を囲む四つの正方形の内部空間、その外側は四面均等にイオニア式ゲーテはコンリント式円柱と書いているの六本の列柱が立つギリシャ神殿風のロッジアだ。ロッジアとは列柱を持つ屋根が架けられているが、外部に開放されているポーチやギャラリーのこと。

四面のロッジアにはどの面もまた均等に、幅一杯の階段が設置されている。中央の円形広間の中心に点を取れば、建築の全ての部分はこの点による点対象として配置される。四面の同一性を強調し、どの方向にも特定な優越性を与えない透視画法の持つ等質・等法の空間的秩序がこの建築では明解に表現されている。それは百年前のフィレンツェの二つの聖堂やウルビーノの理想都市図と全く同じ体験。そして、中心点にはアルカディアの牧神パンの顔が雨水抜きの穴飾りとしてはめ込まれている。

円形広間の中心点の床から牧神パンが見上げる天井は球形のドーム。この地点に立ち四方を眺めれば、どの視線も広間をこえ、ロッジアをこえ、九月の晴れ渡ったヴェネトの田園をこえ、無限の彼方まで突き抜けていく。まさに自分自身はアルカディアの中心に立っているのだ。

この建築の建主は「四書」によれば聖職者パオーロ・アルメーリコ、ピウス四世と五世の司法官をつとめ、その功によりローマ市民権者たることを許されたとある。しかし、行状は決してよろしくなく、ヴェネツィアの牢獄に監禁されたこともあるようで、建物は未完のまま、オドリコ・カプラに売却されていたので、ゲーテが訪れた時のロトンダは「ヴィッラ・カプラ」と呼ばれていた。

「内部は住めば住むこともできるが、住み心地がよいとは言えない。」さすがのゲーテもあこがれの「ミニョンの館」について「イタリア紀行」でこんな辛辣な書き方をしている。特異な建築形態を持つ住宅であるが故、ということなのだろうか、その運命は過酷だった。ゲーテがロトンダを訪れてまもなくカプラ家も血統が絶え、幽霊屋敷の異名を与えられた。しかし、この建築は無事、今に遺され、その独特の形態は単に明快な美しさだけでなく、「建築」について考える様々なテーマを投げかけている。

古来そして現在でも、イタリア建築の中のヴィッラは緑豊かな自然風景を長閑な人間的風景に変える空間装置。特に、ヴェネトやトスカーナを旅するとき、田園風景はヴィッラが垣間見えることによって一気に好ましさが強調され、忘れがたい景観となって記憶される。ローマの時代から郊外所有地に建つ住居がヴィッラ。都市のなかのパラッツォ(宮殿あるいは邸館)は公的な空間。都市住宅に対する田園の住居は私的な空間と意識され、本来の集団的意味を持つ「建築」とはいささか異なるものと考えられていた。ヨーロッパにおける「建築」の役割、それは過去に祝祭が持っていた役割を引き継いでいる。「建築」は労働や日常生活の場と言うより、集団としての人間の儀式・祭礼・社交の場。つまり、「建築」は祝祭そして都市を生み出す装置なのだ。従って「建築」は人間が自然や日常から離れた「特別な空間」であり、田園の民家や住居とまったく異なるものと考えられていた。

ヨーロッパの古来の「都市」と「田園」に少し触れてみたい。「都市」とは本来、集落から訣別した「特別な空間」を意味している。そこは利便や効率のための場所であることより、動物とは異なる人間が「人間として生きる特別な場所」、日常とは異なる「ハレ」の場所、社交の場のことを意味する。したがって都市(祝祭)を生み出す建築は文化的内実が備わってこそ「建築」であって、単に機能や利便に供するのみならば、それは日常的な集落の延長、住居であっても「建築」ではない。これは建物の上下の問題ではなく、我々とは異なる考え方の問題だ。

パラーディオが「四書」で強調している、都市的な生活の場であるヴィッラ・ロトンダは田園にあっても文化的世界であることが求められ、社交に供する劇場的環境に建つ作品的世界、虚構の世界でなければならない。ピエンツァのピッコロリーニ宮殿を自然に放ち、私的空間化したピウス二世への批判も同じような考え方が背後にあり、私的で個人的な趣味は「建築」ではないと見なされたのだ。

パラーディオの時代は黄昏のルネサンス期、アルベルティやピウスの時代から百年も経過し、建築の考え方も変わっては来ている。しかし、彼は現代の我々のように施主の希望や使い勝手に合わせ、ただ闇雲にヴィッラを作った訳ではない。その観点から見るとパラーディオのヴィッラはとても興味深い。本来「建築」の範疇には入らないヴィッラを集団的意味を持つ「建築」としてデザインしなければならなかったのだから。

十六世紀半ばから後半は美術史でいうマニエリスム期、パラーディオは過渡期の建築家であることは確かだ。しかし、彼はギリシャ以来の本来の「建築」からも決して逸脱することのない、まさに最後のルネサンスの建築家と言って良いのかもしれない。遅れてきたルネサンス人パラーディオはヴェネトに沢山のヴィッラとパラッツォを造っていく。彼の「建築」は初期ルネサンス同様、透視画法の持つ等質・等方、何者にも序列化されないイマージナルな秩序空間として組み立てられている。

当時の建築家の仕事は音楽家同様大半は教会にあった。しかし、パラーディオには教会の仕事は少なく、ヴィッラとパラッツォという住宅ばかりだ。パラーディオが世俗の建築家、最初の住宅建築家といわれる所以はこのあたりにある。ではパラーディオは田園に建つ住宅をどのように「建築」にしたのか。パラーディオのヴィッラはあるがままの自然、民家や農家の持つ田園的風景をメタフィジカルな理念の世界に、現実の背後にある秩序だった理性的な世界に変容している。そのために用いられたテーマが「アルカディア」だ。

「アルカディア」は貴族たちの社交には欠くことの出来ない文化装置。パラーディオは建築だけではなく田園環境も一体化し(全体はウェルギリウスやサッフォーが描いた古典主義的な田園風景)「建築」をアルカディアとして描くことで、現実の風景をメタフィジカルな理念の世界に変容している。だからこそ、彼のヴィッラは「建築」であって、単なる自然あるいは田園に建つ民家あるいは住居とは異なるもの。「四書」で都市住宅の項に掲載した所以となる。

ヴィッラ・ロトンダはアルカディアとして作られた劇場的世界。その世界は等質・等方なルネサンスの舞台空間。そして舞台に配されるシンボル、それは「建築四書」にも書かれている古代神話に由来する彫像の数々。四つのペディメントロッジアの三角形の破風端部には3体ずつ12体。階段の上がり口には2体ずつ8体の等身大の彫刻像。それらは個々に神話から由来するアレゴリー(寓喩)、円形広間の中央水抜孔の牧神パンを始めとしてアポロンやヴィーナス、ジュピター等々に飾られている。

その全体はアルカディアに隠棲する「ミダス王の物語」と言われる。ヴァネツィアに捕らえられたこの建築の施主であるアルメリコはミダス王と同じように、アルカディアの住人となって故郷ヴィチェンツァ隠棲する、それがヴィッラ・ロトンダに託された物語だ。

ミダス王とは「王様の耳はロバの耳」、あの誰もが知る欲張り王のお話。王はバッカスにねだり「手に触れるものなんでも黄金にして下さい」とねだる。願いは叶えられるが、食事の際の食べ物・飲み物、すべてが黄金に変わりミダス王は飢えと乾きに苦しめられる。再びバッカスのところにゆき、神の言いつけ通り、パクトロス川ロトンダの前にはバッキリオーネ川が流れているで身を洗い、黄金の地獄からは救われる。

そんなミダス王はある時、アポロンとパーンの音楽家としての腕比べの審査を引き受ける。彼は素朴なあし笛のほうがアポロンの銀の竪琴より響きが良いと気に入り、パーンロトンダの中心の雨落ち孔の勝ちにした。しかし、アポロンその彫像はロトンダでは裏側となる南西のメディメント頂部は怒り「お前の耳はばかな耳だ、そんな耳はロバの耳になるがいい」と言い、ミダス王の耳は毛むくじゃらの耳に変えてしまった。

ミダス王は恥ずかしがり、特別仕立ての帽子をいつもかぶっていたが、床屋にだけは隠せない。王は床屋に「秘密をもらしたら命はない」と厳命するが、耐えきれなくなった床屋は野原に出て穴を掘り、その穴の中へ「王様の耳はロバの耳」と言って、また穴を埋める。やがて、春になりあしが生えた。そのあしは風が吹くとささやいた、「王様の耳はロバの耳」と。王様の秘密は風に乗り世界中に広まって行く。

山室静氏の「ギリシャ神話教養文庫」の「ミダス王」からの簡約。改めてこの物語からヴィッラ・ロトンダに戻ると、「建築」とはつくづく面白い存在であることを教えてくれる。

この「建築」はまず十五世紀のヒューマニズムの体現装置透である視画法の空間、と同時に十六世紀の「アルカディア」。ヴィッラ・ロトンダは建築とリアルな環境とが一体化された劇場的世界として作られた。

その後、ヴィッラ・ロトンダは「幽霊屋敷」とも言われ荒廃に荒廃を重ねる。しかし、結果としては、今に残された。「建築」を残すもの、それは「何」なのか。決して個人的な趣味や利便ではないだろう。「建築」は物語であり「メッセージ」。「建築」への考えかたが変わり「時代」が変わっても、建築に託された「言葉」は何時までも生き続ける。そしてまた、あしに吹く風は永遠に「王様の耳はロバの耳」とささやき続けるのだ。


ゲーテの建築術

九月の晴れ渡った日の午後、ヴィラ・ロトンダを訪れた時、ミニョンがそこここに佇み、追い掛けてくるような世界を体験した。その世界はゲーテとパラーディオの描く二つの虚構が相和し、鳴動した<作品的的世界>。建築が<作品的><観念的>世界にも実在しうることを実感したのは、この時初めてだが、ゲーテはこの旅行の後、つぎのような建築論を書いている。手近な目的、より高い目的、最高の目的と建築の目的は三段階あるというのがゲーテの認識。

「最高の目的は、あえていうなら感覚を溢れんばかりに満たすことを企て、教養ある精神を驚嘆と恍惚にまで高める。・・・これは建築術の詩的部分であり、本来ここに働くものは虚構である。・・・しかし、近代人は肝心かなめの点で最も立ち後れている。彼らは、それが最も必要なものであるのに、虚構の本来の姿、模倣の適切性をほとんど理解しなかった。彼らはこれまで寺院や公共の建物にのみ属していたものを個人の住居に持ち込み、そこに荘麗な外観を与えたのである。こうして近代では二重の虚構と二重の模倣が生まれ、そのため適用に際しても評価に際しても精神と感覚が要求されているということができる。この点においてパラーディオを凌駕した者はいない。彼はこの軌道において最も自由な活動を示した。そして彼がその限界を踏み越えた場合でも、人々は彼に非難すべき点に関してつねに寛大である。虚構とその精神的法則に関するこの理論は、建築術においていっさいを散文化したがる一種の国語浄化主義者たちに対抗するために必要である。」(ゲーテ全集第13巻:潮出版:p127)

このゲーテの建築術に触発され、実用実利中心の散文化した建築界ではほとんど見つけることが出来なくなった「虚構としての建築」をもう一つ、ゲーテに従い見学してみる必要がある。


イタリア紀行のゲーテがヴィチェンツァに到着するや否やテアトロ・オリンピコを訪れている。彼はその時の体験を次のように書いている。
「・・・それゆえ私はパラーディオを評して言う、彼は真に内面的にしてかつ内部から偉大性を発揮した人物であったと。この人が近代のすべての建築家と同じく征服しなければならなかった最高の困難は、市民的建築術における柱列の適正なる応用である。なぜなら円柱と囲壁とを結合することは、なんといっても矛盾であるからである。しかるに彼はどんなにこの両者をうまく調和せしめたか、また彼はどんなにその作品の現前の姿によって人を讃歎せしめ、彼が単に巧みに説伏しているのだということを忘れさせているか。実際彼の設計の中にある神的なものが存している。それは虚実皮膜の間から第三の物を造り出し、それの仮の存在を持ってわれわれを魅了し去る大詩人の通力と全く同じ物だ。」
(イタリア紀行:相良守峯訳:岩浪文庫p74)

合理主義的利便だけでは到達できない建築の価値、建築の持つ詩的側面である「虚構として建築」の価値を、ゲーテの目は明確に見据えて記述している。そしてその手法は矛盾である柱列と囲壁の巧みな説伏にあると書いている。
ローマ建築の手法は日常的利便に供する空間を壁により生みだし、その壁にギリシャ的な柱列空間を巧みに付加することで、建築の目的である用と美を生み出そうとするものだが、イタリア・ルネサンスの建築家たちの関心もまた同じ手法にあった。

16世紀パラーディオの時代には、神殿や教会という聖なる建築のためばかりではなく、住宅や市民会館という世俗の建築に対して、この手法をいかに反映させるかがデザインの課題。従って、ゲーテが言う円柱と囲壁とを結合することの矛盾、それは相異なる二つの構築的要素で一つの建築を作ることの矛盾ということなのだが、それはローマ建築以来の手法であって、パラーディオの建築にのみ帰する表現手法ではないことは、すでにローマ建築がよく知られている、今の我々ならすぐに判ること。
しかし、ゲーテはその巧みな使い手である建築家を虚実皮膜の間から第三の物を造り出す、大詩人であると絶賛しているだ。と同時にゲーテのイタリア紀行の目的はルネサンスではなく、ローマにあったが読み取れる。

ゲーテはこの紀行の後、1795年に建築の虚構について触れた「建築術」を書いているが、そのテーマとなる「虚構としての建築」の着想はこのテアトロ・オリンピコから得たと考えて間違いない。
パラーディオの手法は「柱列と囲壁」という構築的要素のだけでなく、「光や色彩」さらに非古典的モチーフも同等の建築的要素として取り上げられ、巧みに建築の中に折り込んでいくところにある。
それは大詩人であるゲーテが言う「大詩人の通力」。
16世紀のパラーディオはまさに大詩人と呼んで間違いない建築家とゲーテは認識した。そんな、ゲーテは面白いことに、「イタリア紀行」を読む限りフィレンツェは素通りしている。ブルネレスキやアルベルティのルネサンスの建築には全く触れていないのだ。
ゲーテは決してフィレンツェの二人の偉大な建築家を無視したわけではないのだろう。しかし、15世紀は古典・古代を想像していた時代であって、ローマ建築を再建した時代ではない。
18世紀のゲーテの時代にはルネサンス以来のローマの遺跡の発掘が完了し、古代ローマそのものが遺物や文献をもって最も研究されている。ルネサンス初期の建築はゲーテにとって古典世界とは異なるもの、ゲーテのイメージする古典世界はこのパラーディオの建築にあると考えていたのではないだろうか。だからこそ、彼はイタリアに、あるいはヴィチェンツァに到着するや否やこのテアトロ・オリンピコを訪れたのだ。



(via YouTube by Teatro Olimpico - Vicenza Italy - fotografie di Paola Furlan)

2015年8月1日土曜日

建築の変容


現代社会はデザインの時代、その言葉は多様だが、デザインの本来の目的は「人間と社会の開発」、その役割は「人間と世界、人間と人間の関係を調整する」ことにある。従って建築は古来からこの問題に関わってきた。では具体的にどのようにデザインしてきたのか、当然ながら時代の変容に応じ、人間と世界の関係は変わっていく。

デザインの変容(建築の持つ意味の変容)とは「関係構造の変化」を問うことになる。現代建築はもはや技術や芸術の統合者ではなくなったが、建築は人々の生活を豊かに心地よく、美しいものにするためのものであることは変わらない。人間と世界の関係構造が変化のなかの建築デザインの変化、その意味の変容を概観する。

文化史は建築術・印刷術・電悩術の歴史と捉えられる、あるいはデザインの変容は、この三つの「術」の歴史でもある。

前3000年以前~狩猟採集期あるいは前文明期、ここでは住処はあっても建築は存在しない。
前3000年~紀元1500年の4500年間が「建築術」の時代、あるいは農業文明期と見なしうる。つまり、建築の誕生期=コスモロジーとしての建築の時代。
1500年~2000年が「印刷術」の時代、あるいは科学文明期、それは近代建築の時代であり、建築はコスモロジーからランドスケープに変容する。
2000年以降が「電悩術」の時代、情報文明期あるいは前代を工業文明時代と呼べば生命または環境文明時代だ。
  
建築術・印刷術・電脳術に置き換えて、建築の役割を整理してみる。

1)建築術の時代
コスモロジーにより人間は世界を把握する。
建築は体験することによってはじめて存在した。
世界認識を得ることは建築体験をすること、すなわち建築(情報・装置)は体験と一致していた。
建築は自然空間に実体化されたもの、建築空間は人間が人間として生きる空間(芸術空間)。
大地から飛翔した人間は建築をメディアとして神(自然)との関係構築をはかった 。
ギリシャからローマそして中世ヨーロッパ社会は農業の時代・建築術の時代だ。
建築は最大のマルチメディア、同時に建築は世界認識の方法を具体化するメッセージでもあった。
建築は世界を認識するメディア=「世界書物」であり、劇場は人間世界を実感する「世界劇場」。
建築は内在化した知を喚起する装置(ディスクドライブ=記憶術)でもある。
建築はいつでも誰でもアクセス可能な記憶装置。
ギリシャの都市は街全体がメディアシステム、情報交換、情報発信装置。
パルテノン神殿は神との情報交換の場、情報センターとしての役割を担った。
世界認識を得ることは建築体験をすること、すなわち建築(情報・装置)は体験と一致していた。
建築は観るものではなく、体験することによってはじめて存在した。
人間は劇場空間を通し、自分自身がいま世界の何処にいるか、広大の宇宙の何処にいるのかを知ろうとした。
あるいは劇場空間を通し人間は、自分自身の拠って立つ場所を意味づけた(言語構築した=概念化した)。
その場所とは世界の中心(聖地)との関連を持った一義的な場所であり、象徴的世界像に意味づけられた場所でもある 。=世界劇場

2)印刷術の時代
コスモロジーの解体、記号化、視覚化、概念化によって世界を把握する。
ルネッサンス=都市の時代であり、印刷術が主なるメディアとなる。
15世紀の印刷術を含むコミュニケーション手段の発達が、建築を諸技術、芸術の統合者の役割から放擲され建築は解体された。
建築は「世界書物」の役割を「書物」に譲る。
建築は実用的な建物、付加的メッセージのためのメディアとなる。
建築体験は世界認識のための所作ではなく、建築と体験は分離する。
分離された建築は建物となり、現世的快楽のための道具、あるいは世俗的価値を象徴するメディアとなる。
キリスト教的世界観が揺らいだルネッサンス期、画家と建築家は透視画法を駆使し賢明に新しい空間(人間が人間として生きる空間)を模索した。
レオナルドの時代、美術空間は人間が生きる空間として明確に存在していた、決して装飾品ではなかった。
象徴論的世界像に代わり記号論的あるいは絵画論的世界像が人間と世界との関係を取り結すび始めた。
この新たな世界像は印刷術の発明というメディア改革を契機として登場する、と同時に透視画法による世界像といえる。
透視画法の持つ記号性、抽象性、視覚性は従来の体験的世界観を解体し、視覚的世界感。
世界観はコスモロジーからランドスケープへの変容する。=風景としての建築
風景化した世界の中での重要な問題は、神(自然)と人間という絶対的関係ではなく、人間と人間の関係、人間社会の秩序化が最も重要な問題となる。
その時代にあって劇場は人間と人間の関係の構築の場であり、人間的社会構造の把握の場であり、人間と人間の社交の場。
印刷術の時代はオペラと劇場の時代でもある。
 
3)電脳術の時代
環境文明による世界の統合化がテーマとなる。
19世紀の情報環境の成立により、人々は世界を知の構成と編集により知り得た。
しかし、情報から得られるその世界は人間が生きる「世界」ではなく、世界のシュミレーションあるいは世界をめぐる複雑さの把握。
 1960年代は情報化社会の始まり=情報時代(地球共生時代・生命文化時代)・電脳術
この時代はニューメディアによる情報がこれまでになく人々の生活に浸透し始める。
広告、量産品、写真、テレビなどのマスメディアのイコンが巷に氾濫し、社会は産業化から情報化へ変換し始めた。
アーキグラムー>インスタントシティー  /ビートルズー>イエローサブマリーン
実体的な建築空間より、可変的なイメージ空間の方がリアリティーを持つのだろうか。
プランニングや建築構造の問題ではなく、エクィップメント(設備)とパフォーマンス(性能)の問題=形より力、パフォーマンスが建築の役割となる。
バロック都市は建築によってインテリア化されたが、現代都市は建物の中、インテリア空間として装置化されている。=風景としての世界観の変化と継続。

2015年7月30日木曜日

都市革命

「特別の空間」とは、あるがままの自然空間の中に人間が生み出した建築空間、人間により構築された想像的世界だ。その始まりは「大地からの飛翔」、広大な荒野に水平な床を設え、垂直な柱を建て、時に天との間に覆いをかけることだった。そこは日常世界を生きる住処とは異なり共に生きる人間のための世界。物理的生存の場というより、別種の人間的世界として作られた。

「都市」の始まりもまた自然との決別にあった。都市建設を支えるものは、集団による効率化にあるのではなく、人間的世界を確保することにある。文明化された人間の象徴として彼らは複雑で入り組んだ構築物による都市を持つことで、日常的な自然とは一線を画したハレの場を確保した。
都市は非日常のハレの場、祭祀が中心となる祝祭空間から始まっている。祝祭はテンポラリーだが神と交流する場。日本での祝祭は神が降臨する場をヒモロギと称し、取り壊し可能の一時的装置によって「特別の空間」を創出している。しかし、ヨーロッパでは恒久的な「建築」を作ることによって、祝祭空間を「都市」として変容していく。

新石器革命、それは人間と自然との基本的な関係の変化を意味する。生活が狩猟のみではなく、定地的な食料生産へと移行していく時、人間的世界の境界を明確に設置し、モニュメントも築き、エンクロージャーを生み出していく。エンクロージャーとしての村落は食料生産を活発化し、交易という組織的合理化や潅漑という技術的効率化を生み、多くの余剰を生みだす役割を果たしてきた。
しかし、それが都市のすべてであるなら都市革命は存在せず、新石器革命のみが洗練され、村落は活発化するが都市は必要とされなかったであろう。人間として生きることを自覚した人間が最も必要としたもの、それは生き抜くための食料ではなく、共に生きる人間だったのだ。

都市革命の本質は「都市」を村落から切り離し、「人間と人間の関係」を意識的に生み出すことにある。共に生きる人間にとって、社交あるいはコミュニケーションの場は不可欠だ。建築と都市は文明が実体化したカタチに他ならない。つまり、自然空間であるあるがままの世界にカタチとして実体化された想像的世界。それは箱でもモノでもなく、情報あるいは言葉のような世界。建築と都市は「人間が人間として生きる世界」というメッセージの形象化にほかならない。

rif:「都市の文化」ルイス・マンフォード・鹿島出版会
都市を村落から分別させるものは何か、あるいは村落の消極的な農業体制を、都市の積極的な制度に変えた原因は何か。
人口規模や経済資源の拡大ばかりでなく、もっと動的な原因は人間どうしのコミュニケションや交歓拡大への要求である狩りから農業への変化による人口増加が都市化を促し、通商路の拡大と職業の多様化がそれを助長した。しかしその要因は経済的視点にのみ求めるべきではない。都市は何よりも集団的人間の生活の現れであり、合目的的な社会的複合体なのだから。

2015年7月28日火曜日

建築は「特別の空間」

人間の歴史は段階的ではあるが、自然から人間をいかに開放するかの闘いであったと考えられる。
人間は自然の脅威から身を守るだけでなく、動物とは異なる「人間としての生き方」も意識していたからだ。
自然と共にある人間が、自然そして動物との訣別を決意し、人間が人間として生きる「特別の空間」を必要とした。
そしてそのとき建築は始まった。

建築とは自然空間のなかに作り出された「特別の空間」を意味している。
その空間を人々が体験するとき、空間は想像力によって読み取られる、メタフジカルな空間だ。
「特別の空間」は個々人のものではなく共同体が必要とする集団的なもの。
建築とは共同体の誰もが体験する、現実世界に作られた虚構的、想像的世界なのだ。

建築の始まりはいつだろうか。「特別の空間」の必要が文明の始まり。
人々は生きるべき現実の世界とは別種に、人間として生きられる安定したコスモス、「あるはずの世界」を想像した。
建築によって生み出されたコスモスのなかで、人間は自然を神に置き換え、自らの生き方を模索した。

やがて人間は神による支配がなくても「人間が人間として生きるべき世界」を「あるべき世界」として構築している。
人間中心主義といわれるルネサンス期、人々はキリスト教とは距離を取り、新たなコスモスを建築化し、「特別の空間」を生み出してきた。

18世紀、人間は新しい哲学に支えられた科学文明により、自然が持つ現実的な脅威だけでなく、そこにある神的な力をも排除し、自然との分離を完成させた。
しかし、この段階になるともはや、人間は「特別な空間」としての建築を必要とすることなく、建築は想像的世界という役割を失っていく。

現在の我々は、人間は自然と一体であったことを痛烈に意識させられている。
自然との分離に成功はしたが「人間が人間として生きるべき世界」を見失い、その機械的環境の殺伐さに圧倒させられているからだ。

建築はもはや「あるはずの世界」でも「あるべき世界」でもない。
我々の建築的世界はメタフジカルな想像的世界とは決別し、現実的世界と一体化した「あるがままの世界」として立ち現われている。

rif:「感性の覚醒」中村雄二郎・岩波書店p108

現在われわれ人間は、自分たちが自然の一部であったことを、あらためて痛切に感じさせられてきている。この痛切さは一度自然から離れてしまったことによるものである。・・・・
すべてが自然であり人間がそのなかに包まれていたとき、人間が人間として明確に自覚されなかったように、自然は自然として人間から区別してとらえられることも、対象化してとらえられることもなかったのであった。・・・・
文明の発達は人間を自然の脅威から次第に解き放って行くとともに、人間を自然から引き離すことになった。そのような自然からの人間の解放は多くの段階を経て行われたが、もっとも決定的な段階を劃したのはやはり近代科学文明の成立であろう。

2015年7月16日木曜日

村野藤吾建築展 

建築好きの方は必見、目黒美術館の「模型が語る豊穣の世界」は素晴らしかった。
建築家村野藤吾さん作品は模型で見るだけでも感激。
京都工芸繊維大学松隈研究室が制作し、四つのカテゴリー分けられ、彼のほとんど全作品が制作展示されている。
これだけ壮観な模型展、所蔵が京都だけに東京の学生には欠かせないチャンスと言える。
行きの目黒の権太坂では台風余波の激しい雨風に閉じ込められた。
しかし、いまはもう、雨も上がり爽やかな目黒川沿いの散歩道。
真っ白で静かな模型群の見学は、最近の鬱屈していた気分転換には最適な時間となってくれた。

2015年7月15日水曜日

どうだい銃声の音が聞こえるかい?


西洋音楽を聖なる教会から俗なる社会に転撤したのが14世紀、ギョーム・ド・マショーのアルスノーヴァ。 その音楽を市民社会の基盤としたのが16世紀末のオペラの誕生。 そして18世紀、モーツアルトのピアノソナタは近代市民社会を切り開いた。 20世紀、市民社会は大衆社会へ向かう。 イタリア未来派は音楽の大衆化を目論んだ。 もっとも未来派の運動は音楽のみならず建築も美術も文学も一体としての大衆社会への対応ではあったが。 未来派の活動はカテゴライズ化された、あるいはクラスファイした19世紀の文化活動全域へのアンチテーゼと言える。 その活動は、シュールレアリストや構成主義、モダニストに受けつがれるが、21世紀の今日、未来派のコンセプトを超えるものはまだ生み出されてはいない。 20世紀の音楽家サティやケージの活動、彼らの音楽が確実に基盤となって、最近ユニークな環境デザインが注目され始めた。 1960年代後半、米国全体がベトナム戦争に揺れ、不幸な事件が相次ぐ。 ケントステイト大学ではヴェトナム派兵に反対した学生たちが図書館が望めるキャンパスの丘に州兵によって追いつめられ、4人の学生が銃弾によって死亡した。 大学は早速、死亡した学生の追悼モニュメントのコンペを実施する。 その佳作が「どうだい、銃声が聞こえるかい?」という作品。 デザインされたものは4人が死んだキャンパスの丘に至る4本の小道。 大理石の彫刻や構築されたヴィジュアルなモニュメントではない。 4本の小道は事件を抽象化して「かたち」として表すという手法ではなく、モニュメントの体現者に過去の出来事を方法的に「経験してもらう装置」としてデザインされた。 樹林の中の4本の小道は銃火を避けるために逃げまどった学生たちの乱れた足跡を辿っている。 学生たちが追いつめられ最後に見たであろう青空、その青空が広がる小さな三角形の広場まで小道は続いている、垣間見える直線路の前方には大学の象徴である図書館。 そしてデザイナーは「どうだい、銃声が聞こえるかい?」と私たちに呼びかけた。(参考文献:都市環境デザイン/学芸出版) ニューヨーク・マンハッタン高層建築群の一角に12m*70m四方のナラの林がある。 アラン・ゾンフィスト作「タイム・ランドスケープ=時の風景」。 ゾンフィストは空き地にナラを移植することで空間の作品化を試みた。 木を移植した林だけで作品だと言うのはどういうことだろうか。 これは「時間の仕掛け」をデザインした作品。 デザイナーは樹齢数百年の立派な木を植え、完成された公園を作るのではなく、若木がそよぐ昔のまんまの風景を作り出すことによって、体現者に200年前のマンハッタンを経験させている。 ここでもまた彫刻という視覚装置ではなく、林の中の風や小鳥の声、かいま見られる青空によって過去の出来事を「経験してもらう装置」が試みられている。(参考文献:平安京 音の宇宙/平凡社) 騒音を出すことを音楽だと宣い、ピアノを前に座っているだけ、時にはピアノそのものを破壊することこそ音楽だ、という未来派等の活動は何を意味していたのか。 「はず」の世界から「あるがまま」の世界を開いたマショウやモーツアルトの音楽、しかし、その音楽的想像世界は19世紀には額縁(プロセ二アムアーチ)の中の「見せ物」「聞く物」に転化してしまった。 未来派の人々は視覚や聴覚だけでは決して捉えることが出来ない、人間の持つリアリティを再登場させようと試みたのだ。 そして彼らの活動がいま、都市や自然環境が持つ経験的側面を明確に浮かび上がらせるきっかけとなっている。 どの時代もデザインを支える基盤は想像力にある。 テーマパーク化していく都市、商品化していく建築、デザイン時代はかえってデザインを矮小化し、電脳箱の中に閉じ込めていく傾向にある。 未来派の活動そしてサティやケージの音楽について、今、再び検討する必要があるようです。

2015年7月9日木曜日

「特別の空間」と「日常の空間」

古代社会において、生活のための集落や民家とは異なる建物(=建築)が登場したとき、それは都市と建築そして文明の誕生。人間が自然とは異なる「人間」を対象化して捉えたとき建築が必要とされた。建築は「大地からの飛翔」を意味していた。
人間はその誕生以来、自然と一体化した、様々な住処あるいは住宅をつくってきた、しかしそれらは建築(アーキテクチャー)とは言わなかった。都市と建築は非日常(ハレの空間=虚構)場であり、住居は日常(ケ=現実)の場にあるものだから。

住居が建築になったのは十六世紀のパッラーディオの時代以降のこと。この時代、田園に作られたヴィッラもまた文化的装置の一つとして認められ建築となった。
パッラーディオは最初の住宅建築家。彼は「田園にあるヴィッラ」を現実的世界(あるがままの世界 )に建つ虚構の空間(あるはずの世界)としてヴェネツィア貴族のために構築した。

近代の工業化社会にあって、「機能的なものは美しい」と宣言され、あらゆる建物(民家・倉庫・工場・車庫)と建築との区別はなくなった。
工業化社会以前、その実用的価値とは異なり、時代のあるいは社会の建築の対象となり得るものが建築であった。
二十世紀になり建築は「機能的なモノは美しい」と認められ、住宅も工場等すべての日常な建物は、機能的であれば建築と見なされた。建築は市民的・道徳的であることが優先され虚構の空間はすべて「あるがままの世界」の中に埋没していく。

2015年7月8日水曜日

マリア・カラスの真実


映画は実写を取り入れたドキュメンタリー。みすず書房の「マリア・カラス」を読み、彼女の生涯を多少でも知るものにとって、この映画は映像ゆえに悲壮だ。

オペラは音楽とドラマが相和したフィクション、その両面を完璧にこなすこは大変に難しい、マリアは歌によってドラマが演じられる数少ないオペラ歌手。生涯を音楽とドラマに捧げ続けた彼女の姿勢はまさに20世紀のディーヴァそのものと言える。生涯におけるたった一つの恋と言われるオナシスとの関係は痛々しい。カルメンではなくヴィオレッタが好きとインタヴューアーに語る表情はまるで少女そのものと感じられた。

映画ではマリアを殺したのはジェット機であり、テレビだとコメントされる。たしかに、多くのファンのためスピードある移動により沢山の演奏をこなせざるをえない現代のオペラ歌手は体調管理は並大抵ではない。上演を減らすか、拒否するしか方法がない。

マリアのスキャンダラスなドタキャンはファンが許してくれない。マリアは舞台ではなく実人生においてもヴィオレッタであり、トスカであり、ノルマであった。しかし、その生涯が悲壮と感じられるのはオペラのヒロインとはことなり、彼女の死のみがたった一人であったことだ。

そんなマリア・カラスを今の若い人達はどう見るのだろうか、かってのディーヴァの人生を。マリアの時代は映像文化以前、彼女の上演舞台はほとんど映像として残されていない。この映画でも録音された歌ははともかく舞台映像は少ない。しかし、それでも、DVDが出たら買うつもりだ、書棚飾りの一つであってもいいではないか。 

2015年5月23日土曜日

パプーシャの黒い瞳

馬車を連ね、花吹雪の森や雪が舞う街を遍歴し生活するジプシー。
彼らにとって言葉を文字にすることは、悲しみを記憶し、禍を招くことでありタブーであった。
しかし、パプーシャは文字に惹かれ、匿った青年に惹かれ、四季折々の世界と仲間たちの喜びと悲しみを小さな紙切れに書き残して行く。
20世紀初頭から始まるパプーシャたちの終わりのない旅が、微細な光の陰と輝きの風景として記録されている。
哀愁深い音楽 に合わせ、シンプルなモノクロ映像をきめ細かに描いていくこの映画は、60年間に渡るポーランド・ジプシーの書くことが許されない叙事詩だ。

2015年5月16日土曜日

マルティン・ベック シリーズの新訳

マルティン・ベック シリーズの新訳がキンドルにアップされていた。
 翻訳ミステリーやハードボイルドはボクの好みだが、電子出版はまだまだ少ない。 
人気作家はシリーズ出版だが、最近はオカルティックやエキセントリックなミステリーが多く、一作で厭きてしまう、時代差だろうか。
40年前のマルティン・ベック主任捜査官は当時大人気の007とは大違いだが、社会性に富むミステリーとして何冊か読んだ記憶がある、人間味のある地味なミステリーだ。 
ボンドが美女と愛を交わし世界中の都市や名所を駆け巡っている頃、たまに家に帰るベック捜査官は夫婦仲の冷めたカミサンの鼾に悩まされ、風邪で咳き込みながら、降りしきる冷たい雨の中の薄暗い北欧の街を這いずり廻っている。

 格好いいボンドからは読みとれない、捜査上に現れる複雑な人間模様ときめ細かな北欧の街々の風景。 映像と写真からは見えてこない大都市の持つリアルな面白さがこのシリーズの人気の秘密かもしれない。 
マイ・シューヴァルとペール・ヴァール(二人は今で言う事実婚)はストックホルムの地味な警察官たちの日常を黙々と書き続けたのだろうが、日本ではかって何冊ぐらい翻訳されたのだろうか。
 今回の新訳企画はこのシリーズで最も有名な「笑う警官」と第一作と言われる「ロセアンナ」の二冊からスタートした。
そして、早々にキンドルで読み終わったので、その感想をブログに残すことにした。
 前書は水の街ストックホルムの観光船の中で殺され、全裸のまま閘門に放り出されたアメリカ人女性の話。 
後書は日常の市内バスの中で起こった乗客9人が全員銃殺される事件。 

現代社会ならテロと勘違いする大事件だが、アメリカのベトナム侵攻に反対する当時のストックホルムの日常が舞台となっていて、まさに40年前のアメリカ嫌いのスェーデン社会がそのまま描かれる。
 読みながら、興味を持ったのはやはり現代と異なるこの街の印象かもしれない。
 社会福祉と洒落たインテリアデザインが今のイメージだが、退廃したフリーセックスと麻薬と自殺、そしてデモと移民の街というのが当時のストックホルム。
やがては東京も、という先取り的陰鬱観がかってのボクの関心、今回、再読して、その奇妙な関心を呼び覚まされると同時に、本当の都市の魅力とはいったい何だろうということを改めて考えさせられた。
 新訳企画は「ミレニアム」人気がきっかけとあとがきにあったが、確かに、その陰鬱さと重いリアル感は共通している。
しかし、マルティン・ベックが面白いのはなんといっても都市と人間の絡まりにある。

2015年5月1日金曜日

アラヤシキの住人たち

自由学園の宮島真一郎先生が始められた共同学舎はもう40年も経過していた。
ボク自身も一度は訪れてみたいと思いつつ、その世界を体験する事もなく、時は過ぎ去っていた。
しかし今回、本橋さんの映画のおかげでその実体に少し触れることができた。
残念ながら、先生は完成を待たずして亡くなられてしまったのだが。
2年ほど前の6月、写真家本橋成一の「上野駅」の再版を機会とした個展を見に行った。
久しぶりにお会いした彼もまたすっかり白髪。
しかし、話は終始撮影中のアラヤシキの話ばかり。
彼が夢中になる世界は、映画を観た今はとてもよく判る。
今回もまたナージャやアレクセイを引き継ぐ、彼自身による映画製作、モトハシ・ワールドだ。
彼の話す真木の面白さは、映画が始まり、すぐ気がついた。
この世界は決してドラマではない。
ドキュメンタリーでも記録映画でもない。
出産はあるが死はない、夜明けのラジオ体操はあるが就寝はない。
何事も決して声高に語ることなく、ただただ真木の里の時間が流れる。
六本木で会ったのだが、彼はそのとき、すっかりアラヤシキの住人だったのだ。
「いま撮影中だから見においでよ、しばらくあそこにいると、もうぜんぜん時間が違うんだよね」。
いろんな人がいろんなことをつぶやき、いろんなことに夢中になる。
決して、各々は理解し、つながっているわけではない。
人と人とのコミュニケーションとは必ずしも言葉のことではない。
人々は、自分を人に伝え、人を知るため、ともに食べ、ともに働く。
強制するものは何もなく、あるのはただただ流れる時間、住人たちはその時間に身を任せ共に生きている。
そう、この世界はまさに桃源郷、いや違うな、それは「音楽の世界」と言って良いのかもしれない。
熊よけのカウベルを鳴らしながら山道を1時間半、人里から離れた小さな窪地では犬が吠え、山羊が鳴き、風が流れ、アラヤシキが建つ。
白馬連邦の山並みに囲まれた小さな集落。
かっての小谷村真木の住人たちは今は里に下り、共同学舎にその地を委ねた。
現在、この真木の外、全国5カ所に拠点を持つ学舎は、知的障害や精神的障害を持つ人々を含め、農事に関心を持ち働ける人を誰をも受け入れ、共同で生活している。
誤解されては困る、ここはコミューンでもサティアンでもない。
「競争社会ではなく、協力社会を」宮島先生の呼びかけに応じて参加した人たちは、あるひとときを米や野菜をつくり、山羊を飼い、チーズやソーセージ、菓子やパンをつくり、そしていつか山を下りていく。
真木は音楽のような世界と感じたのは、描かれた時間の流れにリズムがあり、メロディーがあるからだ。
ひとりひとりがいて、ともにある世界、さまざまな声、さまざまな音、さまざまな思いがさまざまに錯綜するが、雨と風と雪の世界に響く、食事を知らせる板木の音だけが生々しく、毎日、その世界を秩序づけている。
音楽の世界とは人間がいきる秩序だった世界のことだ。
宮島先生は「あなたという人は地球始まって以来、絶対にいなかったはず、あなたという人は地球が滅びるまで出てこないはず」と語っている。
バラバラで各々個性を持つ一音一音は決して誰からも強制されることなく、しかし、ともにあるためのハーモニー(秩序)を持ちリズムを刻む。
そんな世界がモトハシ・ワールド、雪を戴くアルカディアの山懐に住むミューズたちの「音楽の世界」。


2015年4月30日木曜日

現代音楽の夕べ 

90年代生まれの芸大生2人と彼らの教授的立場にある2人の作曲家、2対2、4人の4曲の現代音楽コンサートはどこまでも新鮮で、素晴らしく楽しい時間だった。
前半の若手2人の曲はもう演奏のための舞台は不要と思ってしまう。
響き渡る音響はどこからということより、会場全体が大きな音空間となっているような拡がりが感じられる。
しかし、実際は指揮者がオーケストラと対峙する舞台の上での従来通りの演奏形式だ。
音源も電子音はということもなく、ヴァイオリン、ビオラ、チェロ、木管、金管・・・という、いつものと変わらないインストゥルメントによるオーケストレーション。
音楽はもう、メロディーはいらないのかもしれない。
多彩な音響による時間と空間の伸縮と強弱、その空間の振動と重合。 自由なリズムを刻むパッカーションが華々しく、表に出たり、陰に回ったり、あるいは消えていくような空間をいつまでも持続させるようと静かにとどまり続ける。
パンフレットの解説によるとオープニングはMultilubricity。
作曲者自身は、高密度な情報に疲弊した人類が作り出す音楽は「音楽」を放棄し究極の音素材であるインパルスのような音に還元される、と考えている。
ここでいうインパルスとは無限に短い時間と無限に高い音高を持つパルスのこと。
そして、その音響をどう受け止め、どうインテグレートするかは聴き手の自由ということだろう。
作曲者は物理モデリングシンセシスの模倣とピグミーの定旋律を下敷きにし全体をまとめたようだが、解説からは想像できない、全く異種の音空間が生み出されていることは事実だ。
さらに、二曲目の解説は作曲者によるとチェロが表現する音響そのもののミメーシス(隠蔽擬態)。
生物環境の中の微細な変容を音空間化しているようだが、そのイメージは音響が鳴り響く会場全体を微細な森の中の小さな葉と土塊の世界に変容していくように感じられた。
休憩後は野平氏と南氏のまさに20世紀の音楽だ。
それは従来の音楽的世界が解体されていく中、十二音技法という純粋で無記名な音の操作により新たな音楽的世界を生み出そうとされている。
しかし、そのイメージはまさに現代都市における建築デザインに似て、カタチがあるのかないのか、紡ぎだされるメロディーは、何かを語っているのだろうが、ナニモノも視覚化されなれない。
南氏のピアノ協奏曲は極めて興味深かった。
ナニモノも視覚化されないイメージの中、ピアノ音だけが終始、空間のどこかで響き渡り、消えていくのか、大きく踊り上がるのか、その息詰まるような音の持続は会場を後にしてもいつまでも鳴りやまない。

2015年4月28日火曜日

スイス、バーゼルのヴィッラのつづき

スイス、バーゼルに事務所を構える、クリスト・アンド・ガンテンバイン(70年代前半の生まれ)。
彼らの設計意図はコンテクストに真摯に向き合うことで建築を作り出すということのようだ。
つまり、周辺が中世のヴィッラやパラッツォであるならばそのコンテクストに、周辺がありふれた産業建築であるならば、その周辺から何を読みとり何を語るか。
彼らの世界観は灰色、グローバル・ローカルあるいは前衛や土着という二項対立ではなく普遍性を見出すことにある。
そこにはロシアの思想家ミハイル・バフチンのいう「クロノトープ」が見えてくる。
すなわち、時間はもはや一直線には進まない、一つの空間に二つの時間が併置される。
建築の歴史性は根拠を失った、いかに、従来の建築に対抗し迎合するかだ。
したがって、過去の建築をレファレンスとして設計、しかし、歴史の賞賛としてではなく、普遍的な問題をいかに取り出すかがテーマとなる現実社会の需要とどう向き合うか。
建築とは要求された需要をすべて受動的に実行するのではなく、また設計者独自のアイディアを過激に主張して生まれるものではない。 現実的な力を意識すること、しかし、ただただフラットに関わるのではなく、向き合っていく。
その道徳的とでもいえる態度はモダニズムをも勤勉に引き継いでいると言って良い。
アーレスハイムの住宅増築
掲載写真を見る限り上の言説との若干のずれを感じる。
既存の建築に増設された建築だが、そのスタイリッシュな現状に対し、あたかも、逆らうかのように不正形な平面系と波形の外壁で構成している。
どうやら不正形な平面系はいくつものボリュームが捩れたままの括れとして接続されていて、その形態は図形として選ばれるのではなく、敷地形態や高低という外部的要請に答えたもののようだ。
様式の規範は教わったが、コンセプトを絶対視するほどコンセプチュアリストでもない。
フォルムを吟味する余裕はなかった、経済的にも時間的にもと彼らは言う。
だったら普遍的な五角形にしようと悩まずに決まった。
五角形は正方形のように完成されておらず、非対称。
不合理な判断だが、やがて設計のテーマになっていったとのこと。
プロジェクトの決定的な瞬間というものは決して目に見えるものではない。
建築はそうした闇から生まれる。
現実のフォルムがどうであれ、 フォルムのおかげで建築家の自律性もいくらか回復できる。
フォルムの問題に触れずに政治的なレトリックを弄したり、ボトムアップの方策を講じたりするのは懐疑的。
フォルムを語らずして一体何を語るのか。
つまり、彼らには建築である以上フォルムこそ重要なのだ。

スイス、バーゼルのヴィッラ

安くて便利なコンビニ建築とチェーン店モールのインテリアばかりと思っていた最近の建築雑誌だが、よく見ると決してそんなことはない。 a+u534の表紙はスイス・バーゼルの要塞のような住宅だ。 矩系の壁面を縦長で縁なしのガラス窓が完璧な対称形に穿っていく。 対称が面白いのではなく、まるで古典主義建築のような重々しい外観を生み出しているのがなんとも奇妙だ。 四面の外壁面とその壁面にはめ込まれた縦長両開き扉の板戸は屋根材に使う砂付きルーフィングで覆われている。 この奇妙な住宅の平面図は完璧な古典主義建築の対称形で構成されている。 その単純矩形は大と大の間に二つの小が重ね合わされる四つのスペース。 しかし、よく見れば平面形も外装も現代の住宅の流行そのまま、まるでプアで簡素という他はない。 だが、写真で見る限りインテリアはリッチだ。 光沢のある透明なオリーヴ・グリーンで塗られた重厚で厚みが感じられる木板の壁面と同材の床面を手製の刺繍カーペットが覆い、その空間は昔のヴィッラの趣といって良い。 事実ガラス窓を壁面に引き込み、内部扉がキッチンとバスを覆えば、全体はかっての貴族のサロンに変身する。 人々が着飾り、集い、談笑し、音楽を聴き、ダンスを踊る。 それが住宅とはいえ往時のヴィラやパラッツォのスタイル。 紹介記事ではパヴィリオンと記されているが、この建築は貴族時代のオマージュとして作られている。 立地は30年代のヴィラが広々とした緑豊かな庭園に立ち並ぶかってのブルジョワ階級の住宅地。 こんな場所であるからこそ、奇妙でプアな外観とリッチな内観が多くを語り、黙することなく、本来のヨーロッパ建築の役割を再確認しようとしているかのようだ。 つまり、「建築」はどこまでも想像的世界、非日常的空間であるということ。