2014年3月25日火曜日

リソルジメント・ローマに描かれる「アイーダ」

アイーダ・オペラ座ライブビューイング
先週末のオペラ、 アイーダ・オペラ座ライブビューイング もまた、とても興味深い内容。

古代のエジプトとエチオピアの話しのはずだが、どうやら今日のオペラは19世紀と現代ローマが重ね合わされた演出。そして、筋立てには関係なく「 ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂」が炎上する。

ビックリ続きの「アイーダ」だが昨晩、「評伝ヴェルデイ:草思社」を読み返して見て少し理解できた。正当なファンはともかくとして、ディレッタント好みのボクにとっては大満足の演出だった。


演出家であるオリビエ・ピ氏の目論みは権力と宗教に蹂躙されたリソルジメント・ローマの炎上にある。つまり、彼は作曲中のヴェルディの怒りをこの「アイーダ」の上演に被せたのだ。


序曲が終わるとイタリア国旗が振られ、19世紀の士官服と現代のソルジャーの迷彩服を着た軍人たちが登場する。

舞台背景は黄金の三段のコリドール。その高みに立つのはエジプト王と神官、いや、エマヌエーレ二世とローマ法王だ。舞台は回転し、権力の象徴となるメタリックな黄金の宮殿が度々現れては消える。

国家統一期のイタリア、ヴェルディはリソルジメントのさなかに多数の傑作オペラを作り続けるのだが、市民派の彼は同時代の権力と宗教、ゲルマン権力やイタリアのエマヌエーレ、ローマ法王は大嫌い。普仏戦争でフランスが負け、 エマヌエーレが強引にローマを併合し首都にしたことは許し難かったのだ。


このオペラはスエズ運河開通を祝う祝典オペラとして作曲されている。時のシャリフの依頼、初演はエジプトのカイロ劇場。ヴェルディはワーグナーに対抗し古代エジプトを題材とし、エキゾチックなオペラをつくる。

将軍ラダメスと女奴隷アイーダの恋に、エジプト王女アムネリスの嫉妬の炎と、敵国の王でアイーダの父アモナズロの計略が絡んで壮大なオペラとして展開されるが、最もヴェルディが力を入れたのは4幕だ。


専門家には批判されたが彼は音楽だけではない、詩まで書いている。またこの幕はワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」にも比較される。ヴェルディはイタリアの永遠の「愛と死」を描いている、「ダンテとベアトリーチェ」のような。


メトロポリタンに引き続きパリ・オペラ座もライブビューイングを始めた。今年の最初の公演が「アイーダ」。そして、このオペラ上映が出来たてのTOHOシネマズ日本橋と知り、早速、出かけることとした。


シネマズの「アイーダ」はスクリーン4。190席の館内は横幅一杯の大画面と天井にまでしこまれたスピーカー。館内が震えるほどの大音響。アイーダのようなドラマチックなオペラの上映にはピッタリ。H2という壁側スロープ後方に席を占めたが、まだオープン5日目では空調の調整が悪く、風音は無いが暑かったり寒かったり、空調屋さんは音響さんのようには調整が出来てはいない。


そんなことはともかくオペラに戻る。ウクライナの美女ソプラノのオクサナ・ディカがアイーダ、アルゼンチンの人気テノールのマルセロ・アルバレスがラダメス、そして、今日のボクのお目当ては実力派メゾ、ルチアーナ・ディンティーノのアムネリス。


ヴェローナのような野外劇場では実物の馬まで登場するスペクタクルで壮大な「アイーダ」だが、このオペラには随所に繊細な呻吟や心理的格闘が絡んでいる。聴きどころは何と言っても終幕の重唱。ラダメスとアイーダの永遠の愛に重なって響くアムネリスの嘆き。アムネリスはドラマチックであり恐ろしく繊細、それを表現するのがイタリアのディンティーノ。「ドン・カルロ」がお気に入りでDVD(youtubeにはアップされない)で彼女が歌う「エーボリ公女 」はまさに大事な作品。そんな彼女がドラマチックにそして繊細に歌う「アムネリス」が今日の最大のお目当てだったのです。

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2014年3月19日水曜日

額縁のなかの幻想都市「死の都」

楽しみにしていたコルンゴルトの「死の都」をオペラパレスで聴く。 

最近、劇場で聴きたいと思うオペラは20世紀の作品が多い。 オペラ・ファンは急激に増加している、イタリア中心の名作以外の作品に多くの人の関心が移ったということだろうか。 しかし、今日の満足感高いオペラ聴いていて、理由はそんなことでは無いような気がした。 ポイントはウイキの作品解説にある。

「 「喪失感(愛するものを喪ったという感覚)の克服」という《死の都》のテーマは、1920年代においては、先の大戦で痛恨のトラウマを味わった当時の聴衆に共感をもって迎え入れられ、このオペラの人気に火を点けた。《死の都》は、1920年代で最大のヒット作のひとつとなった。初演から2年のうちに、ウイーンでは60回以上も上演され、ハンス・クナッパーツブッシュによるミュンヘン上演、ジョージ・セルによるベルリン上演など隣国ドイツにも迎えられ、さらに世界中を駆け巡り、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場においてさえ数回の上演が行われたほどである。 」

プロセニアムアーチの中に一つ現実が画かれ 、その現実の中にいくつかのフィクションが描かれると言うのがオペラのパターンだが、このオペラは額縁のなかの世界は全て「幻想」だ。

終始、豊かで美しい音楽と舞台が描く幻想の中の幻想。 妻を喪った「喪失感」は舞台上のパウルのものだけではない。 大戦後の20年代、市民社会を喪ったヨーロッパ人のものだ。 そして、現在、民主主義を喪いつつある我々の感情と幻想。

舞台構成は巧みだ。 原作は読んでいないが、ベルギー象徴主義詩人ジョルジョ・ロダンバックの「死都ブリュージュ」。

本当に喪ったものは「都市」なのだ。
資本主義と市民主義、そして近代都市の始まりは16世紀、血みどろな宗教争いの中の美しい水の都ブリュージュだった。 14年からの大戦により中世都市ブリュージュは破壊され、そして今、我々は完全に「人間都市」を失った。 Google Keepから共有

2014年3月5日水曜日

モダニズムの「ナクソス島のアリアドネ」

ナクソス島のアリアドネ オペラ研修所公演

真っ白なミース・ファン・デル・ローエのバロセロナ・チェアに座り、ペットボトルをラッパ飲みするアリアドネのシーンはなんとも魅力的だ。

伯爵のわがままから、悲劇と喜劇を同時に重ねあわせて公演する、十八世紀の宮廷を舞台とした不思議なオペラ劇。

歌とダンスと笑いを誘う演技、多人数で様々なキャラクターを必要とする「ナクソス島のアリアドネ 」は研修所の公演にはピッタリ、リヒャルト・シュトラウスの世界をタップリ味わった。

ドタバタの楽屋劇という見立てだが、全体は調和の取れた多元的イメージを持つ興味深い傑作オペラだ。

シュトラウスは前作「薔薇の騎士」同様、複数のプリマドンナのアリアと重唱がリードするオペラを、なんと第一次世界大戦のさ中に生み出した。

ミノタウロスを退治しアテネへ帰還するテーセウスはクレタの姫アリアドネを絶海の孤島に置き去りにする。

残された彼女の失望と孤独を慰めるのは木と水の精だけ。

その哀しみはエコーとなって洞窟に谺し消えていく。

ある時、海上に恋人テーセウスの船。

いや、アリアドネを助け出すのは酒神のバッカスだ。

この神話ではバッカスの存在は意味深い。

バッカスによる救助は何を意味するのか、それは悲劇に重ね合わされた喜劇の中、ツェルビネッタを追う道化たちの歌とダンスに表される。

今日の公演、彼らの歌とダンスとファッションは現代的で格好良く華やか、その躍動感はこのオペラの魅力を増幅している。

冒頭に書いた真っ白なミース・ファン・デル・ローエのバロセロナ・チェアもこのシーンで意味を持つ。

失望と孤独の持つ人間的多元性をシュトラウスは画期的なドタバタ劇としてオペラにした。

まさに、世界大戦が持つ、様々な民族主義と民主的と言われるドグマの格闘をシュトラウスはオペラに引用しているかのようだ。

当日の座席は中劇場中央の最後尾という特等席。

座席の後ろは後日放映のためのビデオカメラ。

放送日はマークし、必ずやもう一度聴いてみたい。

2014年3月1日土曜日

門 夏目漱石

順当に発展しなかった夫婦の物語。
親友の妻、恋人を奪うことはそんなに罪深いことだろうか。
宗門を叩くまでも萎縮する宗助の繊細さにボクはついていけない。 「それから」に直接繋がる物語ではないが、読み手としてはどうしても代助と宗助を対比してしまう。
しかし、二人を重ねあわせ、通時的に読むには無理がある。
状況も性格も異なる、全く別々な二人の男のエゴイズム。
「それから」の三千代と「門」の御米、各々の妻、二人の心情と振る舞いは「明暗」のお延ほどには詳細に描かれてはいない。
奪われた京大の安井もまた、京都から東京に戻った平岡ほど明確には書かれていない。
「門」の宗助をどう読んだらいいのだろうか。
彼はその罪の意識からか、なかば世間から逃れ、崖下の薄暗い貸家にひっそり住まう隠れびと。
父の死と共に財産を失い、子供もなく毎朝市電で役所に通う宗助は別種のエゴだが、漱石定番の自意識の高い高等遊民の一人と言えよう。
そのような生き方は何を意味するのだろうか。
近代を生きる様々な個々人の一人。
この、感想はうん十年前と全く変わらない。 

いや、今回はすこし変わった。虞美人草で気づいたことだが、漱石は100年前に現代人を書いていたのだ。それは西洋かぶれした日本人と言うことより、西洋の宗教主義や物質主義とは異なる日本の個人主義の問題。その将来は西洋と同じではなく、「家」や「集落」から自由になった我々は、どんな生き方を選択するか。残念ながら、漱石が100年前に書いた懸念は当たっていたかもしれない。この辺りは昔、もっとも面白いと思った「こころ」と「行人」を再読してみたいと思っている。利己主義とは異なる我々の個人主義を漱石はどう書いていたのか。

今回もまた電子ブックは無声映画を観ているような滑らかな読書体験だった。
気軽に読む楽しみの時間を感じさせる青空文庫に感謝する。