2013年3月29日金曜日

ルネサンス劇場のデザイン

演技者や音楽家にとって劇場は必ずしも必要ない。都市広場の一隅、聖なる山の裾野、いつの時代も演劇や音楽にとって必要なのは舞台であって劇場ではない。身振りと言葉だけで俳優はそこにはない空間や時間を現出すると語る現代の演劇のピーター・ブルックにとって、劇場はおろか舞台すら必要ない。劇場を必要としたのは観客だ。全員参加の古代における祝祭空間が「見る人・見られる人」に分化した時、観客が生まれ、劇場が誕生した。 ギリシャからローマ、ルネサンスから近代とヨーロッパではたくさんの劇場が作られた。しかし、ギリシャのエピダウロス劇場、ヴィチェンツァのテアトロ・オリンピコ、これらの劇場はともに演劇低迷期に建設されている。エピダウロスはアイスキュロス、ソポクレースというギリシャ悲劇の作者が活躍した百年も後の建設。テアトロ・オリンピコはヴェネツィアでモンテヴェルディのオペラが人気を博す五十年も前に建てられた。この事実は劇場は必ずしもオペラや演劇の上演ために作られたのではないことを示している。 劇場は世界を知るメディアであり、社交を生み出す装置なのだ。建築デザインの現在は、安全・便利・快適という個々人の生き方に資するもの。しかし、建築は「人と人、人と世界の関係を調整する」という集団的意味を持つメディア。劇場は演劇以前に人間と世界の関係、コスモスを示す役割を担っていた。建築家は劇場を「世界模型」として作ることで、世界の中での人間の在るべき場所を示し、世界と人間との関係を明らかにした。観客は劇場を体験することで世界に立ち、自分自身がいまどこにいるかを実感したのだ。 イタリアに近代劇場が誕生した十六世紀後半、日本でも同時期、能のための常設舞台が西本願寺に完成した。劇場建築をめぐる洋の東西の同時現象は興味深い。絶対的な宗教権力の失墜と下克上が劇場を生み出すきっかけであろうか。劇場を新たに必要とする人々、それはまごうことなく、時代の節目に現れた人間たち。清貧禁欲な宗教的価値観ではなく、現実的、合理的、あるいは多少の快楽が赦される社会に生きる新しい人々だ。 テアトロ・オリンピコという近代劇場の誕生は時代の変局点を示している。この劇場に示されたもう一つの役割。それはコミュニケーションや交歓、「人間と人間の関係を調整する」という社交空間。テアトロ・オリンピコは古代劇場、中世キリスト教会を引き継ぐ「世界劇場」であると同時に、西本願寺の「能舞台」と同様、争いを回避し、文化的資質を生み出す社交空間としてデザインされていた。 劇場を必要としたのは音楽家ではない。演劇関係者でもなく建築家だった。都市広場の一隅、聖なる山の裾野、いつの時代も演劇に必要なのは舞台であって、劇場ではない。仮設的に作られた野外の演劇の為の空間を劇場という建築の形式に変えたのは建築家であり、建築家に架せられた社会的使命です。建築家は演技によって世界が演じられる以前に、劇場という物理的架構によって世界を表現しなければならなかった。 オペラの誕生の経緯や見ると、むしろオペラの方がすでに存在している劇場の形式にあわせ、その形式を整えていったことが解る。さらにまた、19世紀のワーグナーを除いて、オペラの形式が劇場の形式を決定したということはほとんどなく、むしろオペラが劇場の形式に大きな影響を受け、その仕組みと形を変えていったと考えられる。17世紀初頭、フィレンツェのメディチ館の広間でのカメラータたちの試みは、透視図法に彩られたバロック劇場を得ることによって、視覚による知的興味と聴覚による感覚的喜びを相い和した画期的な芸術様式として花開くこととなった。

2013年3月21日木曜日

ルネサンスのメッセージ©

(理想都市とアルカディア)

十五世紀以降のイタリアにあって、建築・絵画・庭園・音楽等が透視画法に描いた世界は理想都市(ユートピア)と アルカディア( 理想郷)。この二つの世界は同時代の人文主義に支えられた人間が想像的に生きる理想世界を意味する。そこはまた神の国とは異なり現実世界でもあるのだ。「理想都市」とは社会的秩序、規範を体現する装置とみなされている。つまり、集団として生きる人間にとっての規範を表現するのが「理想都市」の役割。

「アルカディア」は生活の規範だ。ひと一人がこの世界をいかに生きるか。生きて行くための方法、約束ごとを表現するのが「アルカディア」の役割。

イタリア・ルネサンスにおける「作品的世界」の誕生は絶対的な神の力から離れ、人間自身の力によって、あるいは個々人の自由と自立によって生きることを義務づけている。それは近代社会の始まり。さらにまた、作品の誕生は作家の登場、諸芸術の「自立」をも意味し、各々は神の力無くして、各々の役割を果たさなければならない。

やがて、教会という建築の中で一体化されていた絵画・彫刻と音楽は、同時代に発明されたタブロー化した印刷物同様、教会を離れ自由に飛び立って行く。そして音楽や絵画・建築は集団としての人間が生きる 作品的世界、風景の世界、オペラの世界を生み出していくのだ。


(ラファエロのアテネの学堂)

ローマのバチカン宮殿の署名の間に「アテネの学堂」と呼ばれる壁画がある。盛期ルネサンスの名作、透視画法の意味を伝える貴重な絵画。後の時代のオペラの舞台の先駆けとなる絵画だ。ラファエロ・サンティは十六世紀の初めユリウス二世の命によりこの絵を完成させた。

大きな半円形の画面のなかに、古代的建物を背景とした哲学者、科学者というギリシャの賢人たち。古代の賢人たちを演じているのは現実のルネサンスの芸術家たち。古代の哲人の衣をまとい光の中を悠然と歩く画面の中の姿から、ルネサンスの人々の持つ理想的人間像が劇場的感覚をもって迫ってくる。

舞台背景となるの建築空間は厳正な左右対称の堂々たる壁面、壁龕には神話的人物の彫刻像、ヴォールト天井は角型のピラスター(半柱)で支えられ、高貴な輝きに充ち、ゆるぎない安定感を放っている。その全体は屋根のない古代建築。

透視画法で描かれたこの絵画はルネサンスの舞台構成とまったく同質のもの。絵画の中のシンボルは、この場合画面を彩る様々な人物だが、序列なく等質・等方に配置され、空間には入れ子あるいは代替可能の原則が貫かれている。

ルネサンスの舞台とは変幻自在性を持った仮構による虚構の場、その中の役者は一時的な役割を演じるシンボルにすぎない。「アテネの学堂」はまさに透視画法により構成された、ルネサンスの賢人たちが演じる壮大なオペラ空間となっている。

透視画法による序列なく等質・等方に配置されたシンボルの空間は、観客にとっては自由に想像的(イマージナル)に関われる虚構の世界。現在の私たちにとって、ルネサンスの世界が想像的自由な虚構の場であったことはとても重要ことだ。

やがて見るバロックの舞台空間、そこでの透視画法は観客の想像的自由を生み出す装置ではなく、特定の人間の操作による幻想的(イリュージュナル)な空間に変容する。

特定な人間とはバロックの君主こと。神と異なり君主には誰もが成れるのだから、ロマン主義以降の作家たちにとっては特定な「個人」と言って良いだろう。オペラはこの恣意的なイリュージュナルな空間が基盤となって生み出された作品的世界と言える。

しかし、「アテネの学堂」は幻想ではなく想像的世界。ルネサンスの透視画法は個人により恣意的に操作されるのではなく、集団としての人間に支えられる等質・等方、シンボルのみの空間であったことを忘れると、何も理解できない。

話をラファエロの絵画に戻そう。画面の中央はプラトンとアリストテレス。左側を歩くプラトンは「ティマイオス」を小脇に抱え、右手で天を差し、イディアの在り方を示す。「エティカ=倫理」を持つアリストテレスは天と地の間に右掌を広げ、イディアはそれ自身だけでは存在せず、個々の事物の姿となって存在することを示している。

そして演じるのは、レオナルド・ダ・ヴィンチがプラトン。ニコマコス倫理学書を持つアリストテレスはミケランジェロということだが、前方中央の階段下で書き物をするヘラクレイトスもまたミケランジェロ。ダヴィンチとミケランジェロ、仲の悪かったこの二人が同一の舞台上であるがため、諸説はさまざまだ。

上手(右)床の上の黒板にコンパスをあてるのはブラマンテが演じるユークリッド、その他ソクラテス、ピタゴラス、ディオゲネス、ゾロアスター、プトレマイオス、アルキメデス、エピクロス、パルメニデス、アルキピアデスと各々が様々なポーズを取っての総勢五十三人もの人物。右袖の柱の陰からわずかに顔を出すのがこの絵を描いたラファエロ自身。


(建築家の新たな役割)

絵画は虚構の空間による一遍のドラマ。かって建築の壁面にあって空間の形成に参加していた絵画は、建築とは無関係に、一個の独立した存在として、自らのうちに独自の空間を形成し始めた。それは絵画の自立を意味する。絵画のみで世界をあるいは空間を表現することが可能となったのだ。

透視画法による人間が眺める世界、風景の発見により建築は従来の役割を終え、新しい役割を課せられるようになった。空間が絵画で表現できるのなら、建築は実用的な現実世界へ、つまり、近代建築の始まり。

建築は虚構的表現の場から実体的空間としての役割を重視しなければならなくなっていく。しかし、建築家はすべて実体に関わる技術者の道を歩めば良い、という訳ではない。

空間を生み出しそのコンセプトを表現するのは透視画法だが、建築はさらに新たなテーマを発見し、自らがその問題に答えていく、という役割も浮上した。神に変わり人間自らが問題を発見し答えていく、という近代建築の持つプログレマティズムは、透視画法が開いた新たな使命、生まれたばかりの建築家が果たなければらない重要な役割だ。

透視画法が建築家を誕生させ、その彼に新たな役割を課す一方、画家と彫刻家の役割もまた明確となった。透視画法は彫刻によらなくとも三次元の立体を作り出すことが可能だ。従って、彫刻家の仕事は現実の立体を作り出すこと、画家の仕事は空間全体を描きだすことがその役割となる。

画家は人物像の周りに、建築を描き空間を生み出す。さらに、画家は空間を生み出すばかりか、部屋を取り囲む建築の壁体をも解体する。そしてついには、平な建築の天井にドーム天井を描くことで、重たい危険なドームを実際に作ることなく、天上の世界の表現が可能となった。つまり、画家は実際の建築を超え、建築家が実際の建築を作る以前に、自由に建築空間を生み出すことが出来たのです。


(ルネサンスのアルカディア)

西のアルプスから東のアドリア海まで、北イタリアを滔々と横断するポー河、その流域は全て肥沃な平野。豊かな農産物に恵まれ、音楽と建築に満たされた都市が連なる。マントヴァはその中央に位置する、古代ローマの最大の詩人ウェルギリウスが生まれたところとしても有名。

ルネサンスの人々をアルカディアに誘った長閑で甘美な牧歌や農耕詩は間違いなく、このマントヴァの風景が生み出したものだ。しかし、もともとの、あるいは現実のギリシャのアルカディアは急峻なパルナッソス山域に囲まれた荒涼地、長閑な田園とはほど遠い所。

アルカディアは古代ローマあるいはルネサンスの人々が生み出した想像上の理想郷。ギリシャの人々にとっての、「人間の生きるための規範のための舞台」としてのアルカディアは、苦難の続くルネサンス・イタリアの人々にとっては長閑な田園地帯、理想郷に変容した。

アルカディアはローマ時代の詩人テオクリストやウェルギリウスによる農耕詩や牧歌の中の世界として描かれる。ホイジンガの「中世の秋」によれば、あまりにも厳しすぎた中世末期の現実が、より美しい生活にあこがれ、理想の愛を追い求めるルネサンスを開いたとある。

凶作がつづき、二度に渡る壊滅的なペストの流行、加えて教会勢力の分裂という多難を体験したイタリアでは、十四世紀に入り、ウェルギリウスが描いたアルカディアはペトラルカ等により良い世界の象徴、理想世界、黄金郷として登場した。

列強との狭間で苦難に揺れる十五世紀末イタリア、フェラーラからマントヴァに嫁いだイザベラ・デステの同時代。アルカディアはナポリの詩人ヤコーポ・サンナローザの田園詩「アルカディア」によって、あるいはフィレンツェの詩人アンジェロ・ポリッツィアーノの牧歌劇「オルフェオ」によって再登場する。

やがて「アルカディア」は誕生期のオペラにも引き継がれる。そして十八世紀、その世界は台頭した市民社会の器楽演奏、交響曲や室内楽に取り込まれ、ヨーロッパ音楽の主要テーマとして展開されていく。


(ユリウス二世のメッセージ)

ラファエロの絵画の読み取りは面白いが、「パルナッソス」と「アテネの学堂」を壁画とした「署名の間」全体の意味付けもまたとても興味深い。ユリウス二世はミケランジェロにシスティーナ礼拝堂の壁画・天井画を任せ、聖なる空間の創出を計った。

ミケランジェロの聖に対し、ラファエロには俗。「署名の間」は教皇の俗権の行使の場に見合うもの、つまり聖を象徴するシスティーナ礼拝堂に対し「署名の間」は世俗の人々のためのより調和ある世界の象徴として位置づけた。

教皇はミケランジェロとラファエロの力を借り、全世界に対する権力を与えられ、聖と俗、どちらの権威をも仲介する教会そのものの役割を強調しようとしているのだ。

「署名の間」は従って、当時の人文主義とキリスト教を統合した装飾計画により俗権の強調がテーマとなるが、具体的には啓示による真理としての神、そして理性による真理としての真・善・美、つまり、神学・哲学・詩学・法学という四つの徳と精神活動を壁画と天井画によって表現している。

そして「アテネの学堂」は哲学であり真、「パルナッソス」は詩学であり美がテーマ。すでに触れたように、ラファエロは寓意ではなく、実在の人物によって、それも舞台構成のような堂々とした建築や自然空間のなかに表現していく。その構成は大変解りやすく、完成されるや否やローマ中を熱狂させ、あらゆる人たちがその壮大さの前に立ち尽くし賛同したと言われている。