2013年1月27日日曜日

ダブリンの街角で


別にこだわっているつもりはないのだが、劇場ではなく、自宅で見るレンタルDVDは「都市を舞台」とした映画が圧倒的に多いような気がする。 今、「ダブリンの街角で」を見終わって気がついたことだが、手持ちのカメラで日常を追うこんな気楽なドラマが、どうやらボクの最近の好みのようだ。 恋人と別れひとり街角でギターを弾く男と、赤い薔薇を売りピアノを弾く若い女性の恋。 特に気をてらった構成はどこにも見当たらない、ただただ気楽な会話と音楽とそして別れ。小説を読むとは異なる、映画の楽しさとは、こんなところにあるのかもしれない。
と、ここまで書いて「シルビアを探して」。 この映画も大好きだ。

2013年1月25日金曜日

ニューヨーク・オキュパイ運動とメト・オペラ サティアグラハ


昨年、東劇でみたオペラ映画「サティアグラハ」がウォール街占拠運動とこんな関係を持っていたことは知らなかった。アメリカの「オキュパイ運動」については日本のメディアも米大統領選時、次世代のオルタナティブとしての保守的な「ティーパーティ運動」と一緒に報道した。アメリカの「怒れるわか者たち、疎外された人々」のオキュパイ運動は今や、ロンドン、スペイン、チリに波及している。 かって、ヴェルディは「ナブッコ」でイタリア・リソルジメントを支援した。「サティアグラハ」は南アフリカとインドでの人種差別に非暴力で抵抗したマハトマ・ガンジーを画いたオペラだが、たしかに、19世紀の「ナブッコ」そして「ウォール街占拠」のオキュパイ運動にに直結するオペラであることは間違いない。 今頃になって「ルモンド・ディプロマティーク」をなぜアップしようと思ったか。 やはり、ずーっと気になっていたんだな。 何故なら、自民党圧勝というより民主党総崩れの選挙だが、結果、時代はまた昭和に逆戻りしているように思えてならないからだ。 >ウォール街占拠運動の中でも、12月1日にニューヨーク・オペラハウス前で行われたデモ行動は芸術と政治、身体パフォーマンスを一体化したものだった。全体集会はこの日、マハトマ・ガンディーの生涯にインスピレーションを受けたフィリップ・グラスのオペラ『サティアグラハ』の公演後に開かれることになっていた。この日の全体集会には運動を支持したオペラの作曲家も出席した。全体集会開催は、オキュパイ運動を手荒く抑圧したニューヨーク市が同時に、非暴力抗議運動を題材にしたオペラを上演するという矛盾を突くものだった。全体集会は警察官の監視下で開催され、遊歩道から一歩でも前へ進んだ者は誰でも連行された。ア全体集会の司会進行は繰り返し全員に発言する権利があるのだと力説した。「われわれの集会には進歩的なルールがあります。最初に話す者が一番力を持っているわけではない。最初に話す人たちは社会から疎外されてきた人々です」厳寒のニューヨークの夜、全体集会は何時間も続けられ、誰もが自分の境遇について語り、ウォール街占拠運動を支持する理由を語った。しかしながら、その夜、オペラハウスの前では、社会から疎外された人々の声を聞くことはほとんどできなかったが、一流の大学を卒業した後、膨大な借金(学資ローン)を抱え途方に暮れている学生や、昇級を上司に認めさせることのできない合唱団員、数百ドルのオペラのチケットが買って『サティアグラハ』を聴くことができない若い音楽愛好者の声を聞くことはできた。 世界に広がる「怒れる者たち」 ラファエル・ケンプ(RaphaelKempf), 特派員 ル・モンド・ディプロマティーク編集部

2013年1月22日火曜日

ビューティフル

映画「ビューティフル」、良い映画です。 感動的というより、悲惨の中に情感漂う音と音楽が印象的。 ジュネの「泥棒日記」を思い出させる、バルセロナのアウトローな世界が舞台。 末期癌の主人公と情緒不安定な妻、そして彼らの娘と息子。 不法滞在するセネガルの若い夫婦と中国からの不法労働者たちと乳飲み子の子供。 彼らを食いものにする、不法警官や麻薬密売者たち。 どこまでもこの映画には希望がない。 父親が子供に残すもっとも大切なモノ、それは小さな黒い石二つ。 いやもう一つ、主人公ウスバルの父がウスバルを身ごもる母に贈ったダイヤの指輪。 ウスバルは一度も父と会うことも無く、ダイヤを母から譲り受け、 そのダイヤをウスバルは娘アンに託す。 そしてウスバルは冒頭に画かれた海の底、雪の樹林へ導かれる。 そこにはまた海の音。 ダイヤは本物と信じないアンの母は、海の音を知らない、いや聴こえない。 画面は暗転し、樹林の風の音、いや海の音は静かなピアノの音に引き継がれる。 その音楽はラベルのピアノ・コンチェルトの第二楽章。

カリンダとリスベット

BSプレミアム番組、グッドワイフを見ている。 インド系美人リサーチャーのカリンダが素晴らしい、彼女の頭脳と行動。見終わって気がついた、なんでこの連続ドラマの脇役に共感するのか。 それは先週読んだミレニアムのリスベット・サランデルへの共感が重なったからだろう。 現代社会の非人間的部分を赤裸々に暴き、推理サスペンスとしたドラマ化されたスエーデンのベストセラー小説。 映画では視覚的なエキセントリックがまさり、ドラゴン・タトゥーを背中に彫ったリスベットという女性像がやや掴みにくかったが、小説ではその知力、行動力、ハッカーであると同時に特殊な映像認識力を持ち、やや変わった人生観を持つ彼女の存在は大きな魅力となっている。 今、見ているカリンダはまさにTV版のリスペット。 クールで男っぽいスタイルと行動。レスであるが故の行動か、どんな男にもべたつかず、騒がず、いつも対等。 しかし、時にバーの片隅でグラスを傾ける彼女特有の孤独感。 日本ならすぐスピンオフさせ、彼女のドラマが生まれても良いぐらい、魅力たっぷり。

2013年1月19日土曜日

書棚のイディア

書院造りに見るように、西洋も日本も書籍に囲まれた空間が「接客空間」の原点。 事実、近しい友人のお宅に招かれた時の最大の楽しみは書斎での語らい。 あるいは住宅設計の相談はほとんど施主の書斎と言って良い。 思わず目に入る「背表紙」がより深くその人の好ましい人となりを伝えてくれるばかりか、「背表紙」が楽しい会話を生み出してくれるからだ。 最近届いたメルマガだが、この写真展は「達人の博物館」と言えるようだ。 >「書棚」という写真展(新宿・ペンタックスフォーラム)を見てきました。撮影者は、昨秋まで松岡正剛さんが、東京の丸善・丸の内本店でプロデュースしていた実験的ショップインショップ「松丸本舗」の全容を写真に収めた薈田(わいだ)純一さんです。  書店内の65坪のスペースに、700の書棚を迷路のように配した空間構成と、選書、棚づくり、接客方法などに従来の書店常識をくつがえすようなさまざまな実験を取り入れて、人と本をつなぐ新たな書店像を先取りしようとした試みでした。その「松丸棚」のたたずまいをできる限り忠実に、具体的には「5万冊の本の背表紙が全部読めるように」という条件のもとで、撮影を託されたのが薈田さんでした。  普通に書棚を撮ったのでは、判読できる書名の数は限られてしまいます。そこで、棚を一つずつ丹念に撮影し、それを後から毛抜きあわせのように組み上げて、書棚の全体像を作品化しました。前に立つと、本の背表紙が一斉に押し寄せてくるような迫力を感じます。 「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず) 写真提供・薈田純一

2013年1月9日水曜日

ショーシャンクの空に

年末に借りておいたTSUTAYAのDVD「ショーシャンクの空に」を見る。文句無し、誰が見てもいい映画だ。 不倫の妻とその愛人を射殺したという罪で終身刑となり、ショーシャンク刑務所に送られたアンディ。 優れたバンカーであった彼はその悲惨で残酷、地獄のような世界を自らが持つ裸の能力と不屈な精神力で生き抜いていく。 ドラマは実話だということだが、この映画を単に英雄と友情のドラマと言いきり、感動したで終わるのはなんとも惜しい。 この映画の感動と感想は、どんな非人間的世界にあっても人間は生き抜くことが可能、という強い確信を与えてくれたということにある。 抽象的な言い方だが、ボクたちは平々凡々とした毎日の日常的世界を余りにも無知、無自覚、非人間的に生きてはいないか、と反省させられる。 いつでも誰でも出来ることを、いつも、誰も、やろうとしない毎日。 ルールと脅し、日常化した暴力的権力に立ち向かい、変革しなければならないという意欲も能力も発揮しようとしない集団的人間生活。 このドラマはそんな日常、非人間的世界を告発する。

2013年1月5日土曜日

筑波山麓の長屋門

土浦を訪れ、古地図マップを手に街を歩くと、100年前、江戸やヴェネツィアと同じ「水の街」であったことが想像されてくる。 同行した友人の話では25年前は現在の川越のような見せ蔵が立ち並んでいたということだ。 水の街を陸の街に変えたのが鉄道。 かっての運河の名残とおぼしき小さな川の脇に筑波鉄道のプラットフォーム、高さ60cm幅1m長さ6mほどの石列が残されていた。 明治末期に開設された舟運に変わる鉄道だが、昭和70年代、この街の見世蔵とともに列島改造に沸くバブルの中に沈んでしまった。 友人に誘われ、この鉄道に沿い、筑波山麓の街を走ることとした。 土浦から北条、神郡、東山、上大島。 長閑な春の陽の中のドライブは快適。 訪れた街々はどこも大きな長屋門の家々が、まだ健在であることを知り大いに驚く。 長屋門は武家屋敷には欠かせないもの。 しかし、苗字帯刀を許された富裕農家、さらに明治期には富農の家屋敷はどこでも長屋門を作った。 日本の集落に見る長屋門は、一面ではこの国のかっての繁栄の証と言って良い。 震災で訪れた東北の集落でも、半壊した長屋門の幾つかを見かけることがあったが、100年余り前の関東平野の農家がいかに裕福であったか、改めて教えられた。 横浜の瀬谷には長屋門公園が整備されているので、訪れた人も多いだろうが、ここ、筑波山麓の街々もまた沢山の門と屋敷、どこも原形を崩すことなく残されていて、かっての繁栄を固持しようとする意思のようなものが感じられ、教えられるばかりか深く考えさせられた。
話しは変わるが、高校時代、音楽部に誘われ、文化祭で「真間の手古奈」の畦彦を歌った。 万葉集を題材にしたオペラだが、その中で真間の村人が常陸の国から都へ向かう畦彦の噂をし、「常陸というのはどこ」という手古奈の問いに「筑波の山のあるところ、水のきれいなところだとよ」と応える歌がある。 今日、走った、豊かな平地がまさに万葉集にある常陸の国。 北条から神郡に向かう途中に「平沢官衛遺跡」が整備されていた。 この遺跡は畦彦の時代のもの、ゆるやかな草丘に平城時代の高床の官舎3棟が建つ。 クルマの中からの見学だが、まさに手古奈の畦彦を恋う歌が聞こえるような風景だ。 ほどなく走った街なかで、今度は手古奈の世代の女の子のグループに出会った。 大正の建設だろうか、小さな木造洋風建築、檜の床がピカピカな喫茶店。 スコーンとアールグレーを所望し、しばし、彼女たちのボーイフレンド談義に聞き耳を立てる。 彼女たちのかしましい笑い声。 今の世の常陸の国にはまだ沢山の畦彦がいて、 彼らはこの街に恋人を残し、ほどなく都へ旅立つようだ。

2013年1月4日金曜日

旅芸人の記録 テオ・アンゲロプロス

旅芸人の記録 テオ・アンゲロプロス
暮れに観るつもりが、今日になったテオ・アンゲロプロスの「旅芸人の記録」、キネカ大森。
1975年カンヌで大賞受賞というからもう40年も前の映画。
しかし、いいものはいい。
音質は硬いが、カラー画面は覚悟していた以上には痛んでいない。
終始アコーディオンのメロディーが物語をリードする現代のギリシャ悲劇。
アンゲロプロス・ファンとしては一度は観ておきたい貴重な作品。
ストーリーはウィキペディアが詳しいので、ここでは感想だけ。
アンゲロプロスが使う音楽は罪深い、いや罪は音楽ではない。
音楽を必要とするのは人間、人間はいつでもどこでも罪深い。
罪深い人間による悲劇は古代そして現代へと引き継がれる。
音楽は感情、感情は人間を鼓舞し類を固める、しかし時に対立をも強調する。
音楽が強調する対立はやがて武器による悲劇へと引きつがれる。
ウィキにあるように「旅芸人の記録」はギリシャ神話の「アトレウス王家のアガメムノン」が引用されている。
物語はファシズム・イタリア、ナチズム・ドイツの侵略を受ける20世紀のギリシャ、その小国ギリシャが戦後、米ソの対立に巻き込まれる現代史の悲劇。
現代ギリシャの悲劇はアガメムノンを座長とする旅芸人一族に象徴され、旅から旅の一族は音楽を奏で、ダンスを踊り、小舟のように翻弄される。
限りなく引き継がれるギリシャの悲劇、しかしアンゲロプロスはこの映画でギリシャを救う。
神話ではオレステスはエレクトラに救われミュケナイの王となる。
しかし「旅芸人の記録」のオレストスは密通するクリュスタイメストラとアイギストスを射殺するが、新政府に帰順しないパルチザン捕虜として殺されてしまう。
クリュソテミスの息子は母と米兵との結婚式の際、重要な無言の抵抗をする。
祝宴のテーブルクロスを引き剥がすという抵抗だが、アンゲロプロスはそのシーンを夕焼け空のもとの美しい海岸での小さな響きとして表現する。
砂の上の真っ白なテーブルクロスの中の食器が奏でる小さな響き。
それは列強に抵抗する小国ギリシャの再生を象徴する音楽だ。
バラバラとなった一座を再興するのはエレクトラ。
死んだオレストスが演じていたタソスを演じるのはクリュソテミスの息子。
メーキャップを手伝うエレクトラは思わず彼をオレストスと呼んでしまう。

2013年1月4日
by Quovadis

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2013年1月1日火曜日

海の仙人

「ファンタジー」と旅する話を読んでいたら年が明け「春」が来た。 絲山秋子の短編「海の仙人」。 白いローブを着た「ファンタジー」とオレンジ色のダットサン・ピックアップに乗る男、カーキー色のジープと真っ赤なアルファロメオGTVに乗るふたりの女の物語。 全く音色が異なる四人、群れない、セックスレスな弦楽四重奏というところだろうか。 「孤独ってえのがそもそも、心の輪郭なんじゃないか?外との関係じゃなくて自分のあり方だよ。背負っていかなくちゃいけない最低限の荷物」・・・うぅうーん、いい音色だ! この短編にはいい音がたくさんある。 宝くじに当たり日本中を旅し、もっとも良いところと住み着き、離れられなくなった原発銀座の敦賀。 美浜原電の眠そうな姿が見える水晶浜で出会った白いローブの「ファンタジー」。 都合のいい神ではない、奇跡だって上手くない、孤独な者と語り合うだけのきまぐれの神だがカレーが好きな「ファンタジー」。 砂を敷き詰めた部屋の窓から遠くイカ釣り船の灯が見えた、という幻想的なインテリア。 中村かりんという名の「部長」というあざなの恋人。 オカヤドカリを飼い雷が怖いイナズマン、本当はイタリアの卑語でカッツォ・コーノ。 セロ弾きのゴーシュ、よだかの星の市蔵と夏目漱石と「恋はあせらず」。 題名どおり「海の仙人」と「ファンタジー」の話だが、どこにでもあるリアルで日常的な普通の話だから恐ろしい。 ボクは「ファンタジー」に会いたくない。 ・・・TV「イルマーレ」が始まった、これもまた好きなアメリカ映画だ!