2012年11月26日月曜日

藝大のハイドン・シリーズ 

1999年からの芸大ハイドン・シリーズは今年で終わり、11月30日のチェンバーオーケストラのシンフォニー「奇跡」で幕を閉じるようです。毎年楽しませていただいたハイドンファンにとっては寂しいかぎりです。しかし、最終曲がシンフォニー第96番とは面白い。ハイドンは30年も仕えたエステルハージを離れ、初めてのロンドン。そこではこの曲が初演され大喝采。初演時にシャンデリアが落下する事故が起こるが、幸い観客にけが人が出ず、奇跡と名付けられたという逸話まで生まれた。ロンドンで奇跡を演奏したハイドンは再びオーストリアにもどっている。つまり芸大のハイドンも一旦ロンドン・セットで幕を閉じ、再び遠からず復活させるつもりのようだ。

今日は最終回の初日、全曲カルテットのプログラム。芸大卒業生のセノーテ・カルテットとウィーンで学び活躍しているポーランド出身の若手男性アポロン・ミューザゲート・カルテットの競演。なんとも贅沢な演奏会でした。さらに贅沢だったのは、オーストリアの歴史と美学の研究者ハーラルト・ハースルマイア氏のお話が聞けたこと。彼はハイドンによる古典主義の始まりについて簡明に話された。プロテスタント・ドイツと異なるカソリック・ハプスブルグの啓蒙時代にあっていかにハイドンの音楽が重要であったかと言う内容。修辞学から音楽の言語へ、一方的な宇宙の秩序原理から離れ、いかに現実を捉え人間の判断・言葉として世界を切り開くか。意訳すれば韻文の時代から散文の時代への狭間としてのハイドン音楽の役割。それはボクの大学での講義テーマ、16世紀イタリアの建築の役割に共通する内容だった。思い返せば、11月は毎年ハイドンの月。この月だけはオペラやカンタータより、カルテットやシンフォニーのソナタを聞く機会が多かった気がする。原因はこの芸大のハイドン・シリーズにあったのかもしれない。今年も30日と1日は津田ホール、ハイドンはまだまだ続く。

2012年11月12日月曜日

アイロンと朝の詩人 堀江敏幸


「雪あかり日記」と「せせらぎ日記」を書いた建築家谷口吉郎の建築作品、馬籠の「藤村記念堂」のことを作家堀江敏幸が「ほの明るさの記」と題したアンソロジーにまとめ「アイロンと朝の詩人」に載せている。 

建築は戦後まもない頃の貧しい寒村、その地の出身者のために、この地に住まう村人の手で、まるで中世の僧院を建てるがごとく建設されている。 美濃と木曾の境にある馬籠は藤村の誕生の地、美濃に生まれた堀江はこどもの頃、なに知ることなくこの建築に触れている。そしてその時の印象を以下のように書いている。 

「四角い敷地の一片だけに伸びた、かろうじて通路とは呼ぶことができてもそれ以上はどのような用途があるのかまことに曖昧な、小屋でも家でもないその空間が、ほんのちょっと怖かったのだ。気味が悪かった、と言ってもいい。どこへ通じているのか、わくわくすると同時に、足をすくませるなにかがそこにはあった。庭と呼びうる内側はあるのに、その表がない。閉じる装置はあるのに、まんなかがぼっこりと口を開けていてほの明るく、ほんとうの闇が降ってこない。それでいながら、なぜか本質的な暗さが偏在し、同時にその暗さを砕く明るさもあるといったぐあいなのだ。」「ほの明るさの記」からの引用。

 実は先々月の末、40年ぶりにこの建築を訪ねたので、その建築経験を一文の感想としてブログにしたいと思っていた。 
しかし、どうしてもこの「ほの明るさの記」が頭をよぎる。 当たり前といえば当たり前、若くして数々の文学賞を取っている名文家の力。 
しかし、建築の持つ面白さ、美しさはこのような想像力を掻き立てる文章でいつも読んでみたい思っている。 
さらにまた引用だが、堀江氏はこの建築について、いや建築の持つ本来の意味について以下のように書いている。 
「多くの評者が指摘するとおり、なにもなくなった地点から空間をたちあげて、建物ではなく「場」の形成をもくろむ試みとも解釈しうるものだった。」