2012年8月29日水曜日

「情熱と憂愁」展


白金の松岡美術館、今日が最終日というチケットをもらっていたので、「情熱と憂愁」を観る。
いいモノは逃さず観ると決めているが、この美術館はノーマークだった。
自然教育園裏の住宅地、目黒駅から10分余りの散歩はかなり暑かった。
しかし、いい美術館だ。
白井せい一の松濤美術館はお気に入りだが、隈研吾のこの美術館も見学者のことをよく考えている上手な設計だ。
1・2階とも大小いくつかの展示室はすべて中央ホールからアプローチするように作られている。
様々な作品的世界を徘徊する見学者にとって、とてもわかり易い空間構成。
都市もそうだが、レジビリティの優れた空間は見学者、体験者に親しみと安心を与え、快適な空間感覚をイメージさせる。

今日の展示はシャガール、ピカソ、モディリアーニ、藤田嗣治、ルオー、ローランサン、ユトリロという松岡翁の自信のコレクションの展示。
ボク自身はユトリロの母ヴァラドンの作品を初めて体験し感激した。
ベル・エポックといわれるこの時代は音楽家のサティも含め興味ある画家・音楽家たちが皆、自由闊達に我が道を目指していた。
そんな彼らのすべてが恋人にしたとは言わないが、親しくなったのがヴァラドン。
しかし、彼女はいつも寂しかった。
彼女の心情が今日の「コンピェーニュ近くの古びた製粉所」から生々しく伝わってくる。
決して傑作ではない。
小さな小屋の脇の物干しの白い洗濯物を丁寧に描く心情、いくつかの本を読んでいるだけに、この絵を観て素直に納得させられた。

今日の初めての松岡美術館見学でもっとも関心を持ったのは、実は二階の企画展ではなく、一階の常設展。
エトルリア、オリエント、クメール、インド、中国そしてヘンリー・ムアやジャコメッティの彫刻群だ。
この美術館の目玉は松岡翁お気に入りの陶磁器類だろうが、ボクにとってはたくましいガンダーラの彫刻群は見慣れていないだけに目を見張ってしまった。
また来よう、秋になれば庭園美術館も近いのでいい散歩コースだ。

2012年8月18日土曜日

バーン・ジョーンズ展 


日本で初めての個展と聞いて驚いた。彼はロセッティの友人、単にラファエル前派の画家と思っていたが些か間違っていたようだ。
突然、出かけた真夏の展覧会、驟雨に見舞われての午前中早々の入場だが、小さな会場はすでに満員、しかし、良かった。
明日が最終日、そのことだけが混んでる理由では無さそう、観客は皆、いつになく楽しんでいる。
連れ立った人々はひそひそ語らう、やはり、物語のある絵画の魅力だろう、感覚だけではなく、絵画から読み取る物語が多くの人々の会話を誘う。

ラファエロ前派は「主題としては中世の伝説や文学、さらに同時代の文学を題材とする」とあるが、バーン・ジョーンズはそれを超えている。
彼はオックスフォードに学び、ラスキンの指導を受け、モリスと親しかった。
ラスキンの指導はもとよりモリスと親しかったことが重要だろう。
彼は単に中世主義の画家ではなく、近代の画家。
モリスのクラフト運動と呼応する近代のライフスタイル提案に深く関わっている。
それを知ったのは今日の展覧会、圧倒的に多かったケルムスコット叢書。
展示ではジョンーズの挿絵はもとよりその叢書の美しさに驚いた。

ロンドン西郊ハムスミスに設立した私家版印刷工房は次世代を生きる人々に格好のライフスタイルの手引書。
いち早く産業革命に成功した最初の近代市民。
しかし、市民は旧態の貴族とは異なり、あるいは貴族以上に叢書を手引きとして新たな「人間としての生き方」を模索したに違いない。
ちょうど15世紀に誕生した都市市民がキリスト教中世から離れて人間主義を模索し、透視画法の中の理想都市やアルカディアを必要としたように。

今日の展示でもっとも関心を持ったのは「眠り姫」のコーナー。
静かな永遠の眠りの世界。
それは近代の始まりの情景とは大いに異なるもの。
真夏の休日、三菱1号館をさまようボクには、近代の終わりを感じさせる現代社会そのものの姿のように思えてならなかった。
バーンズの絵の表現するある種の憂鬱さは100年先を見据えていたのだろうか。