2012年7月13日金曜日

ミサ・ソレンネッレ 

先日の紀尾井ホールで紹介された今晩のコンサートはロッシーニの「ミサ・ソレンネッレ」。
オペラの作曲家ロッシーニが晩年書いた素晴らしいミサ曲の話は、かってこの作曲家に詳しい友人が教えてくれたが、全曲聴いてビックリ、こんな多彩なミサ曲は初めてだ。
日本語では「小荘厳ミサ曲」となっているが、どこが小か。
キリエからアニュス・ディまで14曲80分の大曲、小とは演奏がピアノ2台にハルモニウムというインドで生まれたオルガンだけの楽器編成だからということらしい。
ピアノが主導するので当然、教会用ではなく、オペラ同様今日のめぐろのような大ホールのために作られた曲。

今晩はコーラス・アーツ・ソサイアティ創立20周年記念演奏、男女1対2の構成の120人余りの合唱にソプラノ、アルト、テノール、バスの4人。
そして、ピアノとリードオルガン、1台づつ、まさにオペラ好きが楽しめる宗教曲演奏会と言えそうだ。
1曲めのキリエはピアノとオルガンの慎ましい合奏から、その始まりの軽やかさはいつものロッシーニの序曲。
そう、全曲聴いての感想だが、ミサとは神を崇め、神に祈ること、したがって、歌詞にもともと特別の意味があるわけではない。
つまりミサはラブソング、筋書きは聴き手が各々勝手に想像し、生み出す自由オペラと考えてよいのではないか。
(もっとも歴史から言えば、世俗に生まれたオペラは聖なる宗教的世界とは相入れないものだが)

貴重な演奏会、記憶のあるうち、聴き取った曲想だけを書き残して置こう。 
ピアノとオルガンの軽やかな絡まりから始まる第1曲のキリエは間違いなくロッシーニオペラの序曲。
2曲・3曲、グローリア・グラチウスと自己紹介のような合唱曲が続き、4曲目はドミネ・デウス。
この曲だけはyoutubeのパバロッティでよく聴いていた。
今日の歌い手、小貫岩夫氏もリズミカルで明るく楽しい。
5曲めのクイ・トリスはソプラノとアルト、宗教曲が持つ清潔感溢れる女声2重唱。
6曲目のサンクトスはバス、ドミネ・デウス同様にリズミカル、その低音は前曲2重唱を引き立てる。
バスは小松英典氏。
次の7曲めが前半の締めのようだ。
クム・サンクト・スピリトウは女声合唱を柔らかく男声合唱が包み込み、終曲のように優しく音が消えていく。

音楽の印象は男声が女声を包むように聴こえるが、配置は40人余りの男性を80人近い女声が囲んでいる、そう、空間配置と音楽の印象は逆のように感じられて面白い。
8曲目クレードはピアノだけの間奏曲的イメージ。
しかしイメージは次の9曲目のクルチフィクススで明快な形になり、ピアノ、オルガン、ソプラノによる不思議なアンサンブルが豊かになり響く。
そして10曲目のエット・レゾレクシット、合唱、ピアノ、オルガンに4人の重唱、神への祈りは、階段を駆けあがるように高まっていく。
11曲はプレリュード、ここでは多彩なピアノ独奏が高まりの中、朗々と歌う。
ロッシーニの時代はピアノの完成期、静かなモノローグのような音の連なりが印象的で美しい。
ピアノは竹村美和子さん。
12曲目のサンクトゥスはオルガンが印象的。
演奏は茂木裕子さん。
前曲との音の対比が何とも面白い。
13曲目はソプラノ独唱、オー・サルータリス・オスティア。
まさにシェーナ・カヴァティーナ・カバレッタで構成されるオペラ終幕のアリアそのもの。
ソプラノは釜洞祐子さん。
そして終曲のアニュス・デイはアルトがリード役。
歌は城守香さん。ボクの好みの音質、今日は終始素晴らしかった。
ピアノー>アルトー>合唱と曲は幾度となく回転し、繰り返される。
その中、よく響くアルトが全体を盛り上げ、息が詰まるような高まりの中、全曲は終焉する。
そして、大きく深呼吸、気がついたとき、ホールにはすでに大きな拍手が鳴り響いていた。

2012年7月9日月曜日

皮膚/表象としての建築/ファシズム

今年の表象文化論学会賞を受賞した「イタリア・ファシズムの芸術政治」「都市の解剖」の著者鯖江秀樹さん、小沢京子さん、そして東大の田中純氏、京大の多賀茂氏によるパネル・ディスカッションの情報をネットで見つけ参加した。前書は1900年代初期、後書は1700年代中期の芸術と政治と文化をテーマとしたもの。ボク自身最近、興味を持っている近世イタリアのカプリッチョというべき芸術現象に言及した二人の著書はすでに買い求めていたことでもあり、この会の日時はしっかりメモっておいた。しかし、相変わらずの積読のままでは意味が無いのだが、表象文化論というこれまた聞き慣れない学会の存在も気になり、休日の午後、駒場キャンパスに出かけた。たまたま、グランドでは東大と九大のラグビーの試合。早く着いたので時間待ち、両校の熱い戦いを眺めていて気がついたらもう2時。あわてて会場である教室に入ると、小さな教室はほぼ満員。ここもすでに若い熱気に満ちていた。 ディスカスは田中氏と多賀氏が著作の内容に対し用意した質問をし、それに対し受賞者である若き二人が回答をするという形式。田中氏の質問は「イタリア・ファシズムの芸術政治」の「の」の意味するものは何か等、同時代の芸術/文化の根本に触れたもの。それはファシズムの運動から体制への変化という時期を美術・建築側としてどう捉えるか、というボク自身の関心と一致する。ファシズムをいかに拒否するかは学んだが、そのファシズムの中に近代建築は生まれてきたという事実、そして安易に拒否するのではなく克服すべきものは何か、つまり、芸術/政治、芸術政治をどう捉えるかと言う事柄に繋がっている。多賀氏の質問はユートピアと対立するフーコのいうヘテロトピアは18世紀の建築のカプリッチョとどう関わるかというもの。質問の記述はボクのメモ筆記、田中氏、多賀氏の本来の質問内容とは異なっていたかもしれない。さらに、この学会のポイントは「作品はいかに語られるか」であって、建築そのものに対する論や批評がテーマではない。加えて、鯖江氏の研究は主に絵画作品としての表象、小沢氏もピラネージ、ルドゥ、ルクーの紙上の建築が分析対象、従って二人の回答はボクが求めたい内容とはかけ離れているのは致しかたないこと。ともあれ、とても有意義だった。「建築以前の建築のディスクリプションの存在」「模倣をどう使うのか、古典主義美学と近代美学の違い」「文化財と野蛮」「建築と暴力」そして「皮膚としてのファシズム」等々メモ帳に沢山おみやげをいただいた2時間だった。

2012年7月8日日曜日

テオ・アンゲロプロス アレクサンダー大王

観たい映画が見つからないとブログに書いたら「ルアーブルの靴磨きは面白かった」というメールを貰った。昨日も夜更かし、起床が遅く朝食も取らず出かけたのだが、エレベーターを降りたのが12時30分近く。チケットを買おうとしたら、「ユーロスペースは三階、ここはオーディトリウム渋谷です」と言われた。エッと思って壁面を見ると「テオ・アンゲロプロス追悼週間」(http://a-shibuya.jp/archives/3300)の張り紙、そして、この二階では「アレグサンダー大王」がすぐにも始まることが判った。(http://leporello.exblog.jp/17961354/)観たいと思ってはいたが、叶わなかった映画が突然始まる、さぁどうしよう。結局「ルアーブルの靴磨き」は明日以降とし、チケットを買い二階の客席へ。 「アレグサンダー大王」は予告編もなく、すぐに始まった。なんか、何も準備もないままアンゲロプロスの世界に飛び込んでしまったようだ。何となく落ち着かない、空腹でもあったが、直ぐに気がつく、間違いなくアンゲロプロスだ。彼はこの1月交通事故で他界。しかし、1980年ヴェネツィア映画祭グランプリの作品は生きている。映像は変質し、音響は歪んではいるが、いつも通り完璧な構図の静止画のような長回しに環境音が響く。始まりは20世紀の始まりのシーン、アテネのイギリス大使館での年越しパーティーから。パーティーから抜け出した若き貴族たちはスニオン岬のポセイドン神殿へ馬車を連ねる。ボクも知るこの岬の朝日夕日は絶景だ。貴族たちがやってくるのは、この神殿の柱間から登る初日を愛でるバイロンの詩を吟じるため。(http://sadohara.blogspot.jp/2012/01/blog-post.html)一方、アテネの監獄を脱走するアレクサンダーを名乗る囚人とその仲間、そう異民族の侵略から古代ギリシャを救った伝説の大王の登場だ。ドラマはポセイドン神殿でアレクサンダー一味がイギリス貴族を誘拐し、いよいよ佳境となる。一味は誘拐した貴族を連れて彼の娘と孫が住む村へ、そこはイギリス利権の有力鉱山開発地。村は一人のリーダーの指導でのどかに生きる共産村(アルカディア)。しかし、今イギリスの利権の元破壊されようとしている。この場所、この村がこの映画の舞台。渓流となる川が流れるが荒涼とした岩ばかりの寒村。石組の家々は朝日、夕日の輝き、雨と雪に埋まりどこまでも美しい。スニオン岬のあるアッティカ半島ではなさそうだ、どこだろう、アテネからも遠い北ギリシャのどこかだろう。アンゲロプロスのロケ地はみな美しく印象的。調べてみたが判らない。映画はギリシャ悲劇。いやこのアルカディアで展開されるから喜劇。悲劇・喜劇と言うよりむしろ神話劇。「権力」と「財産」という20世紀の神々に翻弄されるギリシャの人々、グローバリズム・ユーロに翻弄される20世紀ギリシャ。いや、「空腹」という神に4時過ぎまで釘付けにされたボク自身の悲劇だ。

2012年7月7日土曜日

ヴィラ・ロトンダとアテネの学堂

(ヴィッラ・ロトンダとアテネの学堂)

「パラーディオはラファエロが古代ギリシャを描いた絵に表明した理想に相通じるものを現実に作り出そうとした」(都市と建築:東京大学出版)と北欧の現代建築家ラスムッセンは書いている。パラーディオのヴィラ・ロトンダとラファエロの描く「アテネの学堂」はドーム広場を中心とし、その前後に同型の広間を配置している。大きさと構造、その空間構成は全く同相にあると指摘しているのだ。

「アテネの学堂」と「ヴィラ・ロトンダ」の違いは、絵画にあっては全体が一目で見渡せるが、建築においてはその歩みによってしか体験できないことの違いだけ。ブルネレスキのサン・ロレンツォ聖堂は建築体験は絵画を眺めることと同質であると示していたが、ラスムッセンは逆に絵画を眺めることは建築体験と同質と言っている。つまり、「アテネの学堂」という絵画の中に「ヴィラ・ロトンダ」の建築体験が描かれているのだ。

前述したが、絵画と建築の違いは種類の違いではなく手段の違いだ。一見、当たり前の話のようだが、重要な指摘。このことは、ルネサンスの透視画法は等質・等方な空間の中にシンボルを配置することから生まれる、全く新たなイマージナルな空間、ということに立ち戻らなければ理解出来ない。

手段は異なるが、建築も絵画も透視画法の空間にシンボルを配置することから生まれる虚構の空間に他ならない。

立ち戻れば、ルネサンスの画家や彫刻家を夢中にさせた透視画法の空間は神の絶対的支配を逃れた人間中心の空間。その空間の発見によって、絵画はシンボルを配置することで、実際の建築以前に空間を体験させることが可能となった。絵画は建築同様空間を生み出す。あるいは絵画は建築することなく建築を生み出す。

ラスムッセンはラファエロの絵画空間からパラーディオの建築空間が読み取れると書き、ブルネレスキは建築空間を透視画法の絵画として作った。理解を複雑にしているのは、我々はルネサンスの透視画法の空間を理解せず、ルネサンス以降の舞台背景を含め、絵画的なイリュージュナル(幻想的)な空間のみを透視画法の空間あるいは絵画空間とみなしていることにあるのだ。

(想像的空間と幻想的空間)

イマージナルな空間とイリュージュナルな空間、どちらも虚構の空間であることは変わらない。しかし、前者は想像的自由な空間、後者は人為的に生み出された幻想的な空間だ。後者だけを絵画空間とする現代人はルネサンスの絵画と建築は表現手段が違うだけで、全く同相にあることを理解しない。

透視画法の空間はブルネレスキからベルニーニに至る二百年の間に大きく変わる。それはルネサンスとバロック、美術史を理解する主要テーマだが、ここでは前述したイマージナルな空間がイリュージュナルな空間へと変容していく。つまり、ルネサンス絵画とバロック絵画、その二つの空間は全く違うもの、と考えれば容易にラスムッセンの説明が理解できるだろう。

中世における絶対的神の世界の揉縛から逃れ、人間中心の世界を標榜したルネッサンス人の賛歌である「アテネの学堂」がヴィラ・ロトンダの直接のモデルであったかどうかは「建築四書」からはうかがえない。しかし、署名の間を飾る「アテネの学堂」が円形に縁取られたプロセニアム・アーチ(舞台に設置された額縁)の中の演劇的構成を持っているように、ヴィラ・ロトンダもまた劇場のような敷地環境の中にあって、舞台背景となるように設計されたことだけは間違いない。

(アルカディアとしてのヴィッラ)

当時の建築家の仕事は音楽家同様大半は教会にあった。しかし、パラーディオには教会の仕事は少なく、ヴィッラとパラッツォという住宅ばかりだ。パラーディオが世俗の建築家、最初の住宅建築家といわれる所以はこのあたりにある。

ではパラーディオは田園に建つ住宅をどのように「建築」にしたのか。パラーディオのヴィッラはあるがままの自然、民家や農家の持つ田園的風景をメタフィジカルな理念の世界に、現実の背後にある秩序だった理性的な世界に変容している。そのために用いられたテーマは「アルカディア」。

「アルカディア」は貴族たちの社交には欠くことの出来ない文化装置でもあった。パラーディオは建築だけではなく田園環境も一体化し、全体をウェルギリウスやサッフォーが描いた古典主義的な田園風景、「建築」をアルカディアとして描くことで、現実の風景をメタフィジカルな理念の世界に変容している。だからこそ、彼のヴィッラは「建築」であって、単なる自然あるいは田園に建つ民家や住居ではないのだ。


時雨の記  中里 恒子

渋谷で3時間半の長時間映画を観て帰宅、夕刊を見るとTVで「時雨の記」の放映。もういない友人だが昔、二人だけで飲んでいた時、彼は突然この映画の話をした。10年後、友人はこの世を去った。

そしてさらに10年、文庫は買っていたが本は読んでいなかった。たった今、この映画を見終わって、初めて気がついた。あの時何故、彼が突然「時雨の記」の話をしたのか。
そういえば彼は柔道が強かった。高校時代からともに京都が好きで、一緒によく嵯峨野・大原を歩き回った。
彼は「明月記」が好きだった。ボクは張り合って「山家集」だった。
大学時代、竹(尺八)を修行した彼は夏休みは南禅寺で合宿、建築に進んだボクは西ノ京・斑鳩・飛鳥を歩いていた。しかし、彼が何故あの時「時雨の記」だったのか。

あの頃、彼は・・・・・湖が望める山の一角に土地を買い、ここにセカンドハウス建てるから設計しろ、といった意味も氷解した。それはサイレント・キラーを恐れていたかもしれないが(彼も心臓が弱かった)、そのことでない。
彼にはうらやましい、美しい中学時代からの友達がいた。高校時代の文化祭ではよく一緒に遊んだが、彼女は体が弱く、病院に閉じこめられ、卒業と同時に二人は別れた。
ボクが知るのはそこまでだったが、彼女は元気になったのだろう。何も聞いていない。
そして彼はガンで死んだ。気が利かないボクは何も知らず、何も聞かないまま、セカンドハウスのスケッチだけが残っている。

2012年7月5日木曜日

楊家将  北方謙三

ここのところ観たい映画が見つからない、その代わりということになるが、よく本を読むようになった、かって、宮城谷昌光の「重耳」から始まる古代中国の歴史物語や司馬遼は出張の時の必需品だった。行き帰りの新幹線やエアーの機内、製図台につながれるまでの寸暇の時間、持ち込んだ文庫本を読み飛ばしていた。
今のメトロで毎日見るスマホファンの光景と全く同じだ。どうやら、ボク自身は最近、スマホやパソコン遊びに飽きたのだろう。と気がついたら、文庫の読み飛ばしの癖が復活した。
今読んでいたのは北方謙三、「楊家将」「新楊家将」の全四冊はとても面白い。 三国志、水滸伝はすでに読んでいる。しかし、あのハードボイルド作家が三国志を越える物語を書いていたとは知らなかった。

解説によると「楊家将」は中国では三国志、水滸伝と並ぶ人気の物語。日本ではほとんど知られていなかったが、中国人が彼の「楊家将」を読み中国の「楊家将演義」より面白いと絶賛したとのこと。
確かに面白い。すべては英雄の物語だが、吉川英治の三国志や水滸伝は上に立つ人間の思惑と孔明たち軍師の謀の面白さ、宮城谷の「重耳」「介子推」「楽毅」は君主に使えるが、多くの部下を従える男たちの人間的格闘の物語。 
しかし、「楊家将」も確かに英雄だが、戦いばかりの物語。とまぁ、最初は思っていた。ところがだ、ボクの知る北方謙三は「眠りなき夜」「友よ、静かに冥れ」日本では得難いハードボイルド作家。

4冊目の「新楊家将の下」にはいるともう間違いなく彼の本領発揮。タイトルも「血涙」だ。石幻果、休哥と英雄であった父を失った楊家の兄弟姉妹たち、そこはもうメロメロにボイルドされた世界、北方ならではのエンターテイメントが展開される。彼もまた三国志や水滸伝も書いている。 どうやら当分、パソコン遊びには戻れそうにない。「必要としなければ必要なし」(あたりまえか?!)今度はじめて知ったが、中国の歴史物語は春秋戦国ばかりではない、楊家将の時代、10世紀の遼・宋の時代も目が離せない。

2012年7月4日水曜日

時は老いをいそぐ アントニオ・タブッキ

時は老いをいそぐ アントニオ・タブッキ
アントニオ・タブッキの「インド夜想曲」を読んだのは昨年の10月、その後、思い出し図書館で「時は老いをいそぐ」の貸し出し手続きを取ると、なんと6人待ちと言われた。買えば、とも考えたが、まぁ急ぐ理由もないので、とお願いした。
そんなタブッキがこの月初め、ようやっとやって来た、すっかり忘れていた今になって。長らく待たされたのには理由があるようだ。
あのころ、タブッキが亡くなり、一気に関心が高まったのだろう。
しかし、借りだした本は以外に綺麗、多くの人に借り出された割には栞紐も使われておらず頁を繰ったあとも薄い。
どうでもよいことだが、読みだしてみると「インド夜想曲」同様とても読みやすい。
読み終わるのは明け方になったが、たった一日の一気読みで読了した。
綺麗な原因はこの辺りだろうか。
イタリアの現代文学といえばイタロ・カルヴィーノが有名だ。
彼の「蜘蛛の巣小道」は内容の割には明るくユーモラスで清々しかった。
そんな経験から「まっぷたつ男爵」「見えない都市」等はボクのお気に入りは多い。
もう一人は誰もがよく知るエーコ。
映画にもなった「薔薇の名前」はともかく、「フーコの振り子」「前日島」と評判になった作品はすべて積読状態、10年以上もボクの書棚の肥やしとなっている。
そんな経験からタブッキにはなかなか手が出なかった。
たまたま、須賀敦子訳が目に入り読み始めてみたら、これはいい。
その感想はすでにブログに書いた。それは今思うと彼が亡くなる5ヶ月前のこと。
「時は老いをいそぐ」は2009年の出版、(日本では2012年3月)タブッキが67歳の時の作品。
詩人でもある彼は自らの記憶と感情をわかりやすい言葉で素直に綴っている短編集。
全体はまるでバルトークの音楽のよう。
実際にその音楽が登場する「将軍たちの再会」はこの書の中央、使われた形跡のない栞紐が掛かった頁に書かれていた。
読書中のボクにとっても、インド夜想曲に引き継きタブッキの物語の全体が音楽となって歌われ、もっとも豊かに響いていた時間、もっとも印象深い掌編だ。
そう、9つの短編集はまた前作同様、今度も音楽なのだ。
思い出してみるとカズオ・イシグロの短編集「夜想曲」も音楽だった。
どうやら最近のボクの好みは明白、堀江敏幸、カズオ・イシグロ、アントニオ・タブッキ、表現と内容は全く異なる3人だが、その印象は皆、音楽のようなアンソロジーといえそうだ。
「時を老いをいそぐ」とはクリティアスのエピグラムだそうだ。
「影を追いかければ、時は老いをいそぐ」、追いかければ失うという繰り返しの中にしか「時」は貌をあらわさない。
しかし、その「時」をいやはっきり「記憶」と言っていいのではないかと思うが、内在化した感情は影を追うことで初めて本来の貌を描くのではなかろうか。
ボクはタブッキの短編をそう読んでみた。
9編はすべてイタリアからは東方の物語。
ザンクト・ガレンからはじまり、ブカレスト、ブダベスト、ワルシャワ、テル・アヴィブ、クロアチア、イラクリオン・・・・。大好きな映画監督ギリシャのアンゲロプロスに似て東方は静かな弦楽カルテットがふさわしい。
先ほどこの書をブックポストに返したが、この書の中の印象的ないくつかのフレーズをメモっておいたので、このブログに残しておきたい。

「無から、その感情がやってきたのは無からだ、それは自分の記憶と同じ、ほんとうの記憶ではなく人から聞いた記憶と同じで、まだ感情といえるほどのものではなく、むしろ感情の動き、実際には感情の動きですらなく、幼いころから耳にしてきた他人の記憶をたよりに想像で作り上げたイメージでしかないのだったが」

「遊びはいいことだなんて決していわなかった。遊びはすごくいいことだと言っていた。カラーの本を買ってくれないが、とてもカラフルな本を買ってくれるのだ。そして空が真っ青の日となれば散歩に行くのが当たり前だった。」

「ポタ、ポト、ポッタン、ポットン、ポタ、ポト、ポッタン、ポットン。音は頭骸骨の中まで届いたが響くことはなかった。脳にぶつかってはくるが、こだましないのだ。一つ一つがそっくりで、ピチョンとはじけて消えて次のピチョンのためにすぐに場所を空けるているとき、一見前のピチョンと同じ音だが、実は違う音色をしているみたいだ、ちょうど湖の岸に雨が降りはじめたときに耳を傾ける雨粒一つ一つに様々な音の種類があることに気がつくように。・・・」

「もしもホメロスがオデュッセウスに出会っていたりしたら、さぞつまらない男に見えたにちがいない。・・・」

「風に恋したわたし、ひとりの女の風に、女が風であるならば、わたしはたたずむ、かぜとともに。男は地面に滑り降りて仰向けに壁によりかかると、上をみつめた。空の碧が一角にのぞいた隙間を埋めていた。男は口を開けると、その碧を水根で呑み込むみたいにしてから、両手で抱きかかえるようにして胸に引き寄せた。口からは歌声が。風が風を運び去り、風が風を運び去り、その足の運びの速さに、娘と話すことさえかなわなかった、スカート上を巻き上げるようにして、風が娘を抱きしめる」このフレイズはこの書のffフォルテです。
フェスティバルはタブッキがカンヌ映画祭の審査員をつとめた経験からということだが、ちょっと毛色が異なり人を喰った物語。「今夜眠らずのいればいつもと違った魚が釣れる」

「その記憶はあくまでもおまえの記憶だし、おまえの記憶でしかあり得ない。他人に語り伝えたからと言って、おまえの記憶が他人の記憶になることはない。思い出を語ることはできても、その思い出を他人に移すことはできない。・・・」

「夢というのは、人生にあったことではなくて、人生にあったことを体験するなかで感じたものを表しているのだから。・・・それは感情というものが説明し得ないものだからだ。説明を可能にするためには、感情は意識に変化する必要がある、・・・・感情を意識に変えるのに夢は都合のよい環境ではない。」

と、まぁ切りがなくなってきた。
いま、アマゾンからの写真をリンクしたが、やはり、手元の書棚にこの書キープすことにし、ぽちっておいた。
よく見ると表紙のもなかなか良いではないか、画像はマグナムからだろう、三人の群れない男の貌が何ともかっこ良い、いや、右はじはもっと美しい、そう、群れない馬だ!

モーツァルトの弦楽アンサンブル 


紀国坂の紀尾井ホール。カザルスホールなき後、ここは貴重な室内楽の殿堂。このホールがある限りボクの身体から音楽が消えることはない。外壕散歩コースの途中にあるこのホール、奏楽堂以上に近いこともあり、演奏会のあるなしに関わらず時々訪れる。しかし、外観はともかくインテリアは正直のところボクの好みではない。ホールの形状はハイドンのエステルハーザ以来のシューボックス。ウィーンの楽友協会がその象徴だが、そのスタイルは音楽だけでなく、洗練された社交が貴族のサロンから市民世界に広がるきざはしとなった形状。そのインテリアは繊細な弦の響きを隅々に浸透たせるためだけにあるのではなく、様々な形式を複合化させ、建築が語るオブリージが体現できるようにデザインされている。紀尾井ホールのインテリアはそのウィーンをそのまま移入しようと心がけようとしたものであることはよく判る、しかし、似てはいるが形式がない。木製の壁面、その凹凸は音を聞かせるのは最適かもしれないが、形が生み出すアンサンブルは理解不能な装飾ばかり、ボクにはノイズとしか見えないのだ。

今日のブログはインテリア批判が目的ではない、アンサンブルofトウキョウを楽しんだからだ。先日の芸大のチェンバーの教師クラスがこのアンサンブルのメンバー。プログラムはモーツァルトばかりという豪華版。なぜ豪華かというと、弦が四つにピアノ、クラリネット、オーボエ、ファゴット、ホルン、その独奏者による「弦楽四重奏17番kv458」「ピアノと管楽のための五重奏kv452」「クラリネット五重奏kv581」。ケッへル番号から判るようにモーツアルトの最盛期のハイドンセットと発達しつつあった管のみの絡まりで構成された実験的成果、そして、最晩年の五重奏曲。一度にこの三曲、この殿堂でのいいとこ取りのモーツァルトはなんとも贅沢。外は放射能汚染や政治・経済不安等々イヤなことばかりの時代だが、ホールの中はモーツアルトのアルカディア。一瞬の至福の時間を体現した後、真っ暗な外壕の木々の中を帰宅したが、200年あまり前のモーツアルトの時代はもっともっと大きな社会不安に見回れていたことを思い出した。