2012年6月30日土曜日

不忍池から末広町、そして蕎麦屋







芸大奏楽堂のあと、7時からの会議まで時間があったので、母校上野高校周辺を散歩した。芸大音楽部正門から右に折れ直進すれば谷中だが、上野高校はすぐに左に折れた芸大美術部の裏。護国院大黒天から清水坂、動物園裏から不忍池に降りるコースが上野公園裏の下校コース。
最初の写真は清水坂。ここはかって、ガールフレンドを追いかけた坂。図書館で居残り勉強をしていた時、窓の外を下校する彼女を見つけ、走りに走った懐かしい坂だ。
程なく先は動物園裏門、その門の前にあるそば屋は旨かった。いまや相当の老舗だろう。
上野は山だが降りると不忍池。もう蓮の花は終わり、夕暮れの陽に大きな葉っぱが水辺を覆っていた。
まだ時間があるので秋葉原まで歩くことにした。
建築の修行をした設計事務所は末広町、今の上野3丁目。理科大学を卒業し3年間、小さなビルの3階の一室で黙々と毎日図面を書き続けた。ちょうど今日の演奏者たちの年代だ。事務所移転でこの地を離れたのは何年前のことだろうか。気がついてみればそれ以来、一度も訪れたことがない。懐かしいビルはまだあるだろうか。
多少迷ったが見つけた、昔のまま、いや、外装が新しく前よりも綺麗。ボクの事務所は3階、このビルの設計者、東工大の構造の先生が4階。ボクは3階と4階の意匠と構造の4人の先生に育てられた。今日、このビルを見つけることが出来たのもお蕎麦屋さんのおかげ。二八庵は毎日通った店。そうボクは麺くい、この店のせいろやタヌキそばが昼の常食。その後、独立し自身の事務所を構えたが、その借室はいつも古い蕎麦屋が必ずあった。機会をみて訪ねてみよう、表参道、野沢、三軒茶屋、神保町、南平台のおいしいお蕎麦屋を。 

藝大のチャンバーオーケストラ

弦を聴きたいと思い、すぐに思いだし手配したのが今日のコンサート、芸大チャンバーオーケストラ第19回定期演奏会。
すでにブログには書いたが、上野の山の端、藝大とは背中合わせの場所にボクの通った高校、都立上野高校がある。
おかげで芸大や文化会館の演奏会はもっとも身近、下校後度々気軽に聴きに行くことができた。 そんな経験から上野での演奏会はいつも親近感がある、芸大のチャンバーオーケストラもすでに何回か聴いている。
学生のオーケストラだが、いつも質の高い演奏を続けている。
今日のプログラム解説で初めて知ったがこのオーケストラの創業は2003年。
芸大教授ゲルハルト・ボッセ氏の指導と指揮で毎年2回演奏会が開かれていた。

先生はドイツバロックから古典派、ロマン派が得意だったという。ボクが通い、聴かせていただいたのもハイドンが多かった。
そんなボッセ先生は本年2月1日亡くなられた。残念ながら、今日はいつもの指揮者である先生は登場しない。
演奏する学生のみのアンサンブルだが、ほとんど学生はもはや先生の指導も直接は受けていないと書かれていた。
すばらしい演奏会でした。
午後3時からの演奏会だが、終始音楽を楽しむ喜びと緊張感ある合奏、会場は弦楽好きの観客で満員。
ボクは幸い5列目中央、プログラムはJ.Sバッハとメンデルスゾーン、スークです。

演奏が始まってまだ30分、2曲目のバッハ、2つのバイオリンのための協奏曲、その第2楽章の二人の旋律が呼応し合うと突然、涙が溢れ、膝が震えはじめた。
こんな経験、しばらく忘れていた、そう、ボクの身体に音楽が戻ってきたようだ。
1曲目のブランデンブルク協奏曲第3番は誰もが知る名曲。
バイオリン、ビオラ、チェロが三人づつにコンバスとチェンバロ構成だが、その第2楽章は各々の弦が転調しながら掛け合うという展開。
演奏者は目で合図し呼応、わずかに微笑む。練習を重ねた喜びを充分に楽しんでいるかのような演奏は見ていても楽しく、この曲の持つリズムや速度を一層華やかにし、若々しい。 後半のメンデルスゾーン「弦楽のための交響曲第9番」スーク「弦楽のためのセレナード」も文句なし。2曲とも作曲者自身の10代の作品。もちろんボクにとって初めて聴く曲。前者は音楽がドラマ、後者はドラマが音楽というのがボクの感想。

終始、緩急緩と変化する中、バイオリン、ビオラ、チェロ、コンバスはその役割を決して失うことなく、質の高い合奏を聴かせてくれた。
蛇足だが、最近の演奏会の出演者は女性が多い。
最近は文学・美術、建築と芸術に関わる素晴らしい若い人は圧倒的に女性が多いように感じらる。理由を詮索してもしょうがないが、こんな質の高い演奏会のチケットがわずか1500円。学生の演奏会だからと言ってしまえばそれまでだが、一般の商業的演奏会との相違をいろいろと考えると、なんか寂しいものが見えてくる。今日は指揮者のいない合奏だが、バイオリン、ビオラ、チェロの男子学生3人がしっかりリーダーシップを発揮していた。その緊張感は客席から見ていてもよくわかる。
オペラ研修も全く同じ、練習に練習を重ねた成果、なんとか、明日以降もあり余る彼ら彼女らの力を充分に発揮できる機会を願うばかりだ。

2012年6月25日月曜日

かもめ食堂

昨晩、夜遅くpcを開けると、 全く思い掛けない人のメールがあった。 昔、フラレタ女性からだ、それも海の外から。 内容はともかく、いろいろなことを考えていた。 今日になって、こんなブログを思いだした。 彼女とは全く関係のない話しだが。
BSプレミアム「かもめ食堂」を観た。 つゆ空の毎日だが、昨晩もまた80年代(製作は2006年)の気持ちの良い、清々しい風、最近、あまり観ることのないさわやかファンタジーを見た。 決して群れない女性たちの群かたの記、作者は群ようこさん。 (ボクのだじゃれ、群ようこさんの群は旦那の群一郎さんから) マリネッコにイッタラにフリッツハンセン。 家具・インテリア好きならご存じだろう、モダンでスマート、清潔な、白夜の街ヘルシンキ。 「いやなことは、いや」「べたつかない」「ひきづらない」ボクが好むタイプの女性たちの日常だ。 しかし、「かもめ」にくるまでの彼女たち、決して軽くはなかったようだ。 太りすぎた猫を預けられたような毎日(?)から解放され、いまは淡々と水にまかせ、風を浴び、陽に輝く。 ガッチャマンはちょっと思い出したが、ムーミンとスナフキンがいとこ同士であったことは知らなかった。 おまじないのコピ・ルアッククとウォッカのようなコスケンコルヴァはTVを観ながらメモしたが、幻のコーヒーとシナモンロールの香りは残念ながら画面の中だけ、茶の間では味わえない。 素晴らしい映画です、お勧めします。

2012年6月21日木曜日

ラフマニノフの序奏と12の変奏 


芸大定期を聴く、ラフマニノフのピアノコンチェルトとシンフォニー。
重くて暗いロシアの管弦楽曲はボクの体質にあわない。
叙情的なメロディーも甘すぎる、まとわりつかれるような感覚が、帝政ロシアの建築に似て好みではない。
しかし、ラフマニノフは気に入った。パガニーニの主題による狂詩曲は1934年に作曲された曲ということだが、新しくて古いのだ。
前半のコンチェルト「序奏と24の変奏」、リズムも音色も先入観を持っていたロシアとは全く違っていた。

今日の芸大、尾高氏による定期演奏だが、幸いまだチケットあると知り、曲目も確認せず急遽出かけることにした。先週同様、すっぽりと身体を弦の空間に浸しておきたかったから。
 会場はいつものように大学構内奏楽堂、明るくニート、椅子も改善され音楽を聴くには絶好だ。江口氏のピアノは緩急、強弱、高低、この曲のスピード感ある多彩な音の変化を息を飲むような感覚で紡いでいく。
後半の交響曲第2番も素晴らしい。解説では「息の長いフレーズはときに壮大な叙事詩のようでもあり、移りゆく景色に目をやるように叙情的でもある」、全くその通り。4楽章の交響曲としてはたっぷり一時間、まさに朗々としたロシア音楽そのもの。
しかし、CDを聴き飽き、すっぽり音楽のお風呂の中に浸っていたいボクにとっては望むとおりの気分の良さ。
時々、映画音楽のようなメロディーが流れる。そう、考えてみると、ラフマニノフはオペラのプッチーニに似ているかもしれない。
音楽は判りやすい、聴く人の思いはどうであろう、すっかり乗せられる。終わってみると、涙を流した後のカタルシス、いや風呂上がりのさっぱり気分だ。

2012年6月13日水曜日

ライク・サムワン・イン・ラブ  アッバス・キアロスタミ

「桜桃の美味しさ」は食べたものにしか判らない。映画はプロセニアムアーチ(額縁)の中の「嘘」の世界。しかし、嘘の世界だからといって、「桜桃の味」を美味しいという言葉だけで、自殺願望者の自殺を思い留まらせることなどあるはずはない。「嘘」を「真」としてアーチの中に作るのが現在の映画。「桜桃の味」はそんな映画の持つ虚虚実実をひっくり返えし、観るものにリアリティある真実をプロセニアムアーチという「虚」の中で実在化したフィクション。それが10年前のキアロスタミだ。
一昨年の「トスカーナの贋作」も面白かった。何の不自由もない知的な夫婦の嘘と真をテーマとしている。誰もがあこがれるイタリアの小さなリアルな街を舞台にして。しかし描かれたドラマは画面というプロセニアムアーチのなかに留まってはいるが、観るものを、その贋作の中に取り込んでしまうという、不思議を仕組んでいる。そして今日、同じ監督キアロスタミの「ライク・サムワン・イン・ラブ」を観た。東劇3階試写室。
プロセニアムアーチとはルネサンスの人間中心主義が生み出した虚実の境界。オペラ劇場の原型となる16世紀の劇場に誕生した、透視画法によって秩序付けられた神の支配に変わる人間中心の世界。前世紀末、透視画法のカノンから逃れ、その虚実の境界となる額縁を破壊することで音楽と美術を貴族のサロンから市民社会に解放した。一方、20世紀の映画はそのアーチをそのまま利用し、大衆社会に展開される表現形式として「虚」をエンターテーメント化していく。やがて、プロセニアムアーチは映画ばかりでなく、TVやDVDへと、いつかその「虚」は「虚虚実実」となり虚実の境界を曖昧にし、我々が必要とする想像的世界を奪って行った。今、ヌーベルヴァーグの指摘に関心があるとするならば、その境界の有る無しではなく、その境界とどう関わるかがテーマとなろう。
最近、ボクのブログでも18世紀のピラネージ19世紀末のオスカー・ワイルドに触れている。それは形式を失った現代が、いかに新たな表現手法を手に入れるかに関心があるからだ。

かりそめの愛を求める年老いた元大学教授、ミステリアスな女子大生明子、その恋人、どこにでもいる切れやすい男の物語。画面の中は嘘ばかりだが、その嘘の中でフィクションとしての「虚」を描いて行く。そして、アーチの外側、客席にいる観客だけは「その嘘、つまり真実」を知っている。ドラマの進行に慣れてくると、やがて、映画を観ている客席が「虚の世界」のように思えて来る。プロセニアムアーチの中の登場人物によって客席にいる我々が眺められているような気がするのだ。つまり、アーチ(虚実)の逆転。この映画でキアロスタミは「私の映画は始まりがなく、終わりもない」と語ったそうだ。そうだろう、あの唐突のエンディングは監督自身がプロセニアムアーチを逆転させ、途切れもなく続く人生のドラマを、映画を見ているはずの我々自身に演じさせているのだから。 

2012年6月10日日曜日

恵比寿、目利きの街


雨上がりの休日、友人たちと街歩きをしました。
恵比寿・代官山地域のお店見学ですが、借り手のいなくなったオフィスや工場・倉庫、無味乾燥なトイレ台所付きアパートの一室を、売り手は自流のセンスでインテリアをデザインし、個性的なショップとして展開する、そんなお店の数々を見て歩きました。
代官山では、今を生きる若者たちのセンスとエネルギーが、恵比寿では、好不況あるいはジェネレーションに関わらないおおらかで自由なライフスタイルが感じられます。
さらに、これもまたジェントリフィケーションの一端と安易に論評する専門家的視点とは異なる、ある種の主客を逆転させる新鮮で快いイメージが湧いてくる、すてきな散歩だったのです。

これをどう説明したら良いのだろうか、まだ明快にはならないが、書き続けることにする。
思い出すのは2年前のヴェネツィア・ヴィエンナーレでの「オタク」、建物や商品が街をつくるのではなく、個々人の趣味の集積が街を生むというテーマです。
もちろん恵比寿・代官山はアキバとは異なります、当然、谷根千とも。
しかし、街を生み出す主体は、もう、投資者・計画者の戦略ではない。
ここでは、これ見よがしのチープでキッチュなものは浮き上がっていて嫌われる。
見ようとしなければ、見えないもの、見たくなければ見なくても良い、そんな、生活者の趣味・センスが主導となる街。
これが今日の恵比寿・代官山のイメージです。
ここでは多分キーとなるのは、従来の投資者・計画者ではなく、古来の目利きや旦那たち、よく生きる人達のライフスタイルではなかろうか。 

デジタルハリウッド大学院/公式

2012年6月9日土曜日

カルテット・アルモニコのクラリネット五重奏 

カルテット・アルモニコを津田ホールで聴く。
クラリネットの亀井氏との協奏。
聴きながら耳が、いや身体が戻って来た、と感じビックリした。
弦の音はほとんど聴いていなかったようだ、長い間。
ウェーバーとモーツアルトの五重奏と現代音楽のプログラムだが、 最初の弦の響きであぁーと思った。
やはり、コンサートに足を運ばなければ、身体から音楽が消えてしまう。

iTunesやYoutubeが悪い訳ではない、安くて便利しかしそこまで、 という当たり前のことに改めて気がつかされた。
良く聴くモーツアルトはゆったりと端正に四つの弦が水面のたゆたうクラリネットに絡まり大満足。
初めて聴くウェーバーは「魔弾の射手」や「オベロン」で知られるようにやはりドラマティック。
メランコリックな第二楽章はボクの好み。 ソナタ形式特有の主題と変奏がリズムをかえイメージを変え、 劇的とも言える五重奏の楽しみを味あわせる。
中間の「第一バルド」、演奏後作曲者西村氏が舞台に立たれたが、ボクはまだ現代曲を聴く耳を持っていない。
形式が見えない曲想はその音の連なりが悪い訳ではないが、押しつけられた音楽というイメージが先に立ち楽しめない。 しかし、多くの観客、、沢山の拍手。 やはり、もっともっと、コンサートに足を運ぶ必要があるようだ。

2012年6月7日木曜日

サロメ 


初台の中劇場で「サロメ」を観る。
世紀末オスカー・ワイルドの戯曲はリヒャルト・シュトラウスのオペラで度々観るが、現代演劇は全く初めてだ。
だからここでは形容詞だけの感想は書きたくない。
ただ、とても良かったと言っておこう。

最近のボクの関心は18世紀だが、ここのところまた19世紀末が気になってしょうがない。
オスカー・ワイルドとクリムトはどちらにしても外せない。
やはり、いいよねあの時代、こんな戯曲、こんな音楽が作られた時代だ。
ミッドナイト・イン・パリのアドリアナにウディ・アレンが「20年代よりベル・エポックが好き」と言わせたのもとても良くわかる。
サガンが書いた「ブラームスはお好き」の中身とも共通している。

カノンが壊れ全てが抽象的・平面的にしか捉えられなくなった近代、そのつかの間のアールヌーボ。
まさに市民の文化、オネスティ(真正さ)を探していた時代。
貴族サロンの文化から市民の都市の文化を模索した時代。
しかし、それもつかの間1914年の世界大戦で全てが消えた。
市民もオペラも戯曲も建築も。
今日の舞台で感心したのは天井に隠された鏡面(虚像)だ。

そこに写り込む「赤い海に正方形の白いテーブル、そこに横たわる官能的サロメ」は演出家亜門氏が「やった」と言いたいアイディアではないか。
赤・白・黒も判りやすいがボクにはもう一つ白いミースのバルセロナ・チェァにはやられたと思った。
ネタバレではなく勝手な妄想だが、白いテーブルとチェアはグローバリズム(帝国)の赤い海に浮かぶアーキペラゴ(群島)に思えてならない。

2012年6月5日火曜日

空間の行間の無鄰菴

面白い本を見つけた。 磯崎新と福田和也の対談「空間の行間」筑摩書房。
冒頭、福田氏は語っている。 「日本建築と同時代を担う文芸、両者を併置、対置したときに見えてくる文脈や照応を探る」。
読んでみたのは第八回無鄰庵と「五重塔」。 無鄰庵は京都の明治時代の庭園の代表格、庭師小川治兵衛が作った山県有朋の庭と聞いてボクもかって見学している。(Youtube映像)
しかし、これが明治の元勲の京都の庭か、あまりにもあっさり、何事もなく、拍子抜けした経験があったから、お二人が何を語るか興味津々。

東京周辺でも、ちょっとした邸宅ならどこでも見かけた変哲のない日本の庭。 縁先から視線の最遠方に小山を築き、そこからの流水を床下までゆったり導き、溜まり池にする。
読んで判った、この変哲もないことが大変なことだったのだ。 ここで解説を追うつもりはないが、出てくる出てくる、お雇い外国人、江戸と明治の技術者、軍人、哲学者、政治家、文学者、画家に俳人・・・・。
ヴァザーリやブルネレスキ、ギルベルティまで出てきたが、日本の建築家は一人も登場しない。 やはり、デザインや文学が面白いのは時代の狭間ということだろう。 そしてWTCは近代のダークサイド。 しかし、「その後、どうしたらいいのか、まだだれも納得できる見通しを出していない。」で終わっている。

2012年6月4日月曜日

ブラームス全集  ブルーノ・ワルター

中学に入学し、高音で歌えたことから先生に誘われ音楽部員になった。
男子生徒用には吹奏楽部があり、スーザの行進曲ばかりだったが、ドラムとクラリネットとトロンボーンでを担当した。
この体験がボクとクラシック音楽との出会い。
それはLPがステレオになった頃のこと。
音楽的関心のない父親だったが、好奇心から高価な音響装置を購入。
なにもわからないまま、レコード屋でボクが見つけたのが「コロンビア交響楽団のブルノ・ワルター指揮、ブラームス全集」。
しかし、この四曲はボクとはすこぶる相性が良かったようだ。
いまから思うと、ワルターのリズムはボクにピッタリ、弦だけでなく、管が朗々と響くのも気に入っていた。
そして、その後感じることだが、ブラームスはやはりロマンティックで音感のスケールが大きい。
その後、モーツアルトやハイドンに目覚め、聴くことが減って行ったが、 今日はYoutubeで全曲(モノだが)見つけたのでブログにアップすることにした。
いまなら、四曲中どれを聴く、やはり、2番と4番かな?

2012年6月2日土曜日

かわごえ


蔵の町川越は1893年(明治26年)の大火を経験し、現在の独特の町並みを生み出して来た。 しかし、初めてこの街を訪れた頃はまだ戦後の看板、パラペットがその蔵の姿を隠していた。 その後、街の活性化プロジェクトで川越は趣は変えていく。 明治期の町並みを隠していた看板がすっかり取り払われ、現在の蔵の街川越が生まれたのだ。 
やがて蔵の街かわごえは再生され、週末には沢山の人びとが訪れ、クルマが制限された街路は趣のある散策路。この街にならい多くの江戸・明治・大正・昭和の歴史ある町並みが各地で復活して行く。 小江戸かわごえがモデルとなり多くの街の活性化に貢献した。
この日 川越を訪ねたのは久し振り、ひとひと人の賑わい、聞いてはいたが、ただただビックリ。 
この街の魅力は蔵だけではない。 荒川と入間川の合流点あるこの地は平安時代からの舟運の要衝。 江戸期に入ると幕府の北の守りの拠点でもあり、大藩の格式を持った重臣たちがこの地を納めている。 そんなことから、神社仏閣旧跡や歴史的建造物は鎌倉や日光に負けていないということだが、今回はこの街のそんな魅力(中院・喜多院・東照宮・五百羅漢)をアップすることにした。

日の名残り カズオイシグロ

留守録しておいた「日の名残り」を観る。 知ってはいたが、いままで観るチャンスがなかった。 誰もが良かったという通り、本当に素晴らしい映画だ。 読んでから観る、というのがボクの習慣だが、この小説もまた映画化されていることを長らく知らなかった。 
昨年の「わたしを離さないで」も実はまだ観ていない。 この映画の面白さを話してくれた友人はカズオ・イシグロは前の「日の名残り」も良かったが、「わたしを離さないで」が好き、と話してくれた。 
そうか、「わたしを離さないで」はそんなに良いのか。 「日の名残り」も映画化されていたんだ、とその時ようやっと知った。 

何年前ことだろうか、「日の名残り」は出版当初、連載を担当していた建築雑誌(今は廃刊)のコラムに感想を載せさせていただいた。 そして、たった今、ビデオを観終り、掲載のコラムを読みビックリ。 なんだこの感想は、「日の名残り」が全然読めていなかったではないか。
 カズオ・イシグロは小説も良いが、映画も素晴らしい。 それが彼を良く知る友人の言だが、全くその通りだ。 早速、「わたしを離さないで」を読み、ビデオを探したいと思う。

 「日の名残り」は本の印象がそのまま、いあやそれ以上に詳細に映像化されている。 ある意味では言葉以上に映像が細かく語っている。 そう、観ていて判ったんだ「THE REMAINS OF THE DAY」の本当の意味が。 カズオ・イシグロ当然、「建築」を書きたかったのではない、描いたのは「人間」だ。
しかし、 「建築」は全てを知るが何も答えることはない。 「執事」もまた同じなんだ、答えるのではなく、理解すること。 「建築」は全てを記憶している。 「執事」もまた全てを記憶している。 カズオ・イシグロはその記憶を言葉に代えた。 そして「建築」でも「執事」でもなく、あの「中国人形」に語らせた。 
ラストのスティーブンスの瞳の奥は見逃せない。 飛び立つ鳩を追う、あの瞳の奥。

 以下は建築雑誌に掲載した「日の名残り」のコラム記事。
 A−イギリス・オックスフォードシャーにダーリントン・ホールという、大きなカントリーハウスがある。と言ってもこれは小説の中の話しなんだが。 
B−何ですか突然、小説の話しとは A−いや、カントリーハウスの建築については、様々な本があるが、そこでの生活については全く知らなかったと気づかされたんだ。 
B−カントリーハウスですか、映画では時々出てきますよね、礼儀作法が滅法厳しい慇懃な執事とか。 
A−ぼくが面白いと思ったのは、その役割なんだ。貴族の生活の場、自然をエンジョイする別荘という単純なものではない。一人の執事を中心として沢山の使用人たちによって維持される、一つの都市のようなものなんだ。国際的な政治交渉の場であり、秘密会談の場、事業の場、情報交換の場、そしてホテルであり、そこを訪れる人々、あるいは使用人として生活する人たちが様々な恋や人生を育む舞台のような場なんだ。建築写真や映画からは見えてこない、生きた世界がこの本には描かれている。 
B−カントリーハウスの生活とはどのようなものなのですか。 
A−大阪市立大学の福田晴虔氏の「パッラーディオ」(鹿島出版会)の中で、かれの建築を読み解く重要な鍵として「貴族の責務ーノブレス・オブリジェ」が挙げられている。この小説では1920年代のカントリーハウスが舞台だが、そこでの生活も、16世紀イタリアの同様、この責務が基盤となっている。責務を全うするダーリントン卿、執事職という役割から懸命に「主」の選択を信じ支えるミスター・スチーブンス。その役割は建築物同様あるいはそれと一体化し、ある種の品格を醸し出すものなのだ。
小説は一時代の役割を終えたダーリントン・ホールの執事が美しいコンウェール地方をドライブしながら、かっての「主」との生活を回顧する形になっているが、テーマは偉大なイギリスの風景、イギリス貴族、そして豪壮な邸宅を語り、それを支える人々の役割と生き様を描くことにあるようだ。「うねりながらどこまでもつづくイギリスの田園風景、大聖堂でも華やかな景観でもない、偉大な大地、表面的なドラマやアクションとは異なる美しさを持つ慎ましさと偉大さ、この偉大さこそ大きな屋敷に使える執事の目標となるものである」と主人公の執事、ミスター・スチーブンスは語る。 
B−「貴族の責務」ですか、それが建築にとって、どんな意味を持つのですか
A−住宅にしろ公共建築にしろ、建築である限り「主」がいるのが当然だ。しかし、その「主」は現代における施主とは些かニュアンスが異なり、どの時代でも、社会的、時代的責務に支えられた存在であったことが大事なんだ。その責務とは中世においては、日本も同様、宗教的精神の反映であったし、宗教改革以降のヨーロッパにおいては「貴族の責務」が基盤だったのだ。ダーリントン・ホールは執事共々アメリカの事業家を「主]として迎える、そして、ミスター・スチーブンスは新たな「責務」を持つアメリカ人を信じ、執事職を建築物と共に継続しようと決意するんだ。