2012年6月30日土曜日

藝大のチャンバーオーケストラ

弦を聴きたいと思い、すぐに思いだし手配したのが今日のコンサート、芸大チャンバーオーケストラ第19回定期演奏会。
すでにブログには書いたが、上野の山の端、藝大とは背中合わせの場所にボクの通った高校、都立上野高校がある。
おかげで芸大や文化会館の演奏会はもっとも身近、下校後度々気軽に聴きに行くことができた。 そんな経験から上野での演奏会はいつも親近感がある、芸大のチャンバーオーケストラもすでに何回か聴いている。
学生のオーケストラだが、いつも質の高い演奏を続けている。
今日のプログラム解説で初めて知ったがこのオーケストラの創業は2003年。
芸大教授ゲルハルト・ボッセ氏の指導と指揮で毎年2回演奏会が開かれていた。

先生はドイツバロックから古典派、ロマン派が得意だったという。ボクが通い、聴かせていただいたのもハイドンが多かった。
そんなボッセ先生は本年2月1日亡くなられた。残念ながら、今日はいつもの指揮者である先生は登場しない。
演奏する学生のみのアンサンブルだが、ほとんど学生はもはや先生の指導も直接は受けていないと書かれていた。
すばらしい演奏会でした。
午後3時からの演奏会だが、終始音楽を楽しむ喜びと緊張感ある合奏、会場は弦楽好きの観客で満員。
ボクは幸い5列目中央、プログラムはJ.Sバッハとメンデルスゾーン、スークです。

演奏が始まってまだ30分、2曲目のバッハ、2つのバイオリンのための協奏曲、その第2楽章の二人の旋律が呼応し合うと突然、涙が溢れ、膝が震えはじめた。
こんな経験、しばらく忘れていた、そう、ボクの身体に音楽が戻ってきたようだ。
1曲目のブランデンブルク協奏曲第3番は誰もが知る名曲。
バイオリン、ビオラ、チェロが三人づつにコンバスとチェンバロ構成だが、その第2楽章は各々の弦が転調しながら掛け合うという展開。
演奏者は目で合図し呼応、わずかに微笑む。練習を重ねた喜びを充分に楽しんでいるかのような演奏は見ていても楽しく、この曲の持つリズムや速度を一層華やかにし、若々しい。 後半のメンデルスゾーン「弦楽のための交響曲第9番」スーク「弦楽のためのセレナード」も文句なし。2曲とも作曲者自身の10代の作品。もちろんボクにとって初めて聴く曲。前者は音楽がドラマ、後者はドラマが音楽というのがボクの感想。

終始、緩急緩と変化する中、バイオリン、ビオラ、チェロ、コンバスはその役割を決して失うことなく、質の高い合奏を聴かせてくれた。
蛇足だが、最近の演奏会の出演者は女性が多い。
最近は文学・美術、建築と芸術に関わる素晴らしい若い人は圧倒的に女性が多いように感じらる。理由を詮索してもしょうがないが、こんな質の高い演奏会のチケットがわずか1500円。学生の演奏会だからと言ってしまえばそれまでだが、一般の商業的演奏会との相違をいろいろと考えると、なんか寂しいものが見えてくる。今日は指揮者のいない合奏だが、バイオリン、ビオラ、チェロの男子学生3人がしっかりリーダーシップを発揮していた。その緊張感は客席から見ていてもよくわかる。
オペラ研修も全く同じ、練習に練習を重ねた成果、なんとか、明日以降もあり余る彼ら彼女らの力を充分に発揮できる機会を願うばかりだ。

2012年6月25日月曜日

かもめ食堂

昨晩、夜遅くpcを開けると、 全く思い掛けない人のメールがあった。 昔、フラレタ女性からだ、それも海の外から。 内容はともかく、いろいろなことを考えていた。 今日になって、こんなブログを思いだした。 彼女とは全く関係のない話しだが。
BSプレミアム「かもめ食堂」を観た。 つゆ空の毎日だが、昨晩もまた80年代(製作は2006年)の気持ちの良い、清々しい風、最近、あまり観ることのないさわやかファンタジーを見た。 決して群れない女性たちの群かたの記、作者は群ようこさん。 (ボクのだじゃれ、群ようこさんの群は旦那の群一郎さんから) マリネッコにイッタラにフリッツハンセン。 家具・インテリア好きならご存じだろう、モダンでスマート、清潔な、白夜の街ヘルシンキ。 「いやなことは、いや」「べたつかない」「ひきづらない」ボクが好むタイプの女性たちの日常だ。 しかし、「かもめ」にくるまでの彼女たち、決して軽くはなかったようだ。 太りすぎた猫を預けられたような毎日(?)から解放され、いまは淡々と水にまかせ、風を浴び、陽に輝く。 ガッチャマンはちょっと思い出したが、ムーミンとスナフキンがいとこ同士であったことは知らなかった。 おまじないのコピ・ルアッククとウォッカのようなコスケンコルヴァはTVを観ながらメモしたが、幻のコーヒーとシナモンロールの香りは残念ながら画面の中だけ、茶の間では味わえない。 素晴らしい映画です、お勧めします。

2012年6月21日木曜日

ラフマニノフの序奏と12の変奏 


芸大定期を聴く、ラフマニノフのピアノコンチェルトとシンフォニー。
重くて暗いロシアの管弦楽曲はボクの体質にあわない。
叙情的なメロディーも甘すぎる、まとわりつかれるような感覚が、帝政ロシアの建築に似て好みではない。
しかし、ラフマニノフは気に入った。パガニーニの主題による狂詩曲は1934年に作曲された曲ということだが、新しくて古いのだ。
前半のコンチェルト「序奏と24の変奏」、リズムも音色も先入観を持っていたロシアとは全く違っていた。

今日の芸大、尾高氏による定期演奏だが、幸いまだチケットあると知り、曲目も確認せず急遽出かけることにした。先週同様、すっぽりと身体を弦の空間に浸しておきたかったから。
 会場はいつものように大学構内奏楽堂、明るくニート、椅子も改善され音楽を聴くには絶好だ。江口氏のピアノは緩急、強弱、高低、この曲のスピード感ある多彩な音の変化を息を飲むような感覚で紡いでいく。
後半の交響曲第2番も素晴らしい。解説では「息の長いフレーズはときに壮大な叙事詩のようでもあり、移りゆく景色に目をやるように叙情的でもある」、全くその通り。4楽章の交響曲としてはたっぷり一時間、まさに朗々としたロシア音楽そのもの。
しかし、CDを聴き飽き、すっぽり音楽のお風呂の中に浸っていたいボクにとっては望むとおりの気分の良さ。
時々、映画音楽のようなメロディーが流れる。そう、考えてみると、ラフマニノフはオペラのプッチーニに似ているかもしれない。
音楽は判りやすい、聴く人の思いはどうであろう、すっかり乗せられる。終わってみると、涙を流した後のカタルシス、いや風呂上がりのさっぱり気分だ。

2012年6月18日月曜日

劇場を必要とした建築家

 劇場を必要としたのは音楽家ではありません。演劇関係者でもなく建築家だったのです。都市広場の一隅、聖なる山の裾野、いつの時代も演劇に必要なのは舞台であって、劇場ではありません。仮設的に作られた野外の演劇の為の空間を劇場という建築の形式に変えたのは建築家であり、建築家に架せられた社会的使命です。建築家は演技によって世界が演じられる以前に、劇場という物理的架構によって世界を表現しなければならなかったからです。
 
しかし、オペラの誕生の経緯や見ると、むしろオペラの方がすでに存在している劇場の形式にあわせ、その形式を整えていったことが解ります。さらにまた、19世紀のワーグナーを除いて、オペラの形式が劇場の形式を決定したということはほとんどなく、むしろオペラが劇場の形式に大きな影響を受け、その仕組みと形を変えていったと考えられます。17世紀初頭、フィレンツェのメディチ館の広間でのカメラータたちの試みは、透視図法に彩られたバロック劇場を得ることによって、視覚による知的興味と聴覚による感覚的喜びを相い和した画期的な芸術様式として花開くこととなったのです。
 

2012年6月15日金曜日

ゲーテのテアトロ・オリンピコ

 

 イタリア紀行のゲーテがヴィチェンツァに到着するや否やテアトロ・オリンピコを訪れたことは既に触れたが、彼はその時の体験を次のように書いている。
「・・・それゆえ私はパラーディオを評して言う、彼は真に内面的にしてかつ内部から偉大性を発揮した人物であったと。この人が近代のすべての建築家と同じく征服しなければならなかった最高の困難は、市民的建築術における柱列の適正なる応用である。なぜなら円柱と囲壁とを結合することは、なんといっても矛盾であるからである。しかるに彼はどんなにこの両者をうまく調和せしめたか、また彼はどんなにその作品の現前の姿によって人を讃歎せしめ、彼が単に巧みに説伏しているのだということを忘れさせているか。実際彼の設計の中にある神的なものが存している。それは虚実皮膜の間から第三の物を造り出し、それの仮の存在を持ってわれわれを魅了し去る大詩人の通力と全く同じ物だ。」
(イタリア紀行:相良守峯訳:岩浪文庫p74)

合理主義的利便だけでは到達できない建築の価値、建築の持つ詩的側面である「虚構として建築」の価値を、ゲーテの目は明確に見据えて記述している。そしてその手法は矛盾である柱列と囲壁の巧みな説伏にあると書いている。
ローマ建築の手法は日常的利便に供する空間を壁により生みだし、その壁にギリシャ的な柱列空間を巧みに付加することで、建築の目的である用と美を生み出そうとするものだが、イタリア・ルネサンスの建築家たちの関心もまた同じ手法にある。

16世紀パラーディオの時代には、神殿や教会という聖なる建築のためばかりではなく、住宅や市民会館という世俗の建築に対して、この手法をいかに反映させるかがデザインの課題。従って、ゲーテが言う円柱と囲壁とを結合することの矛盾、それは相異なる二つの構築的要素で一つの建築を作ることの矛盾ということなのだが、それはローマ建築以来の手法であって、パラーディオの建築にのみ帰する表現手法ではないことは、今の我々ならすぐに判る。
しかし、ゲーテはその巧みな使い手である建築家を虚実皮膜の間から第三の物を造り出す、大詩人であると絶賛しているだ。

ゲーテはこの紀行の後、1795年に建築の虚構について触れた「建築術」を書いているが、そのテーマとなる「虚構としての建築」の着想はこのテアトロ・オリンピコから得たと考えて間違いない。
パラーディオの手法は「柱列と囲壁」という構築的要素のだけでなく、「光や色彩」さらに非古典的モチーフも同等の建築的要素として取り上げられ、巧みに建築の中に折り込んでいくところにある。
それは大詩人であるゲーテが言う「大詩人の通力」なのです。

16世紀のパラーディオはまさに大詩人と呼んで間違いない建築家。そんな、ゲーテは面白いことに、「イタリア紀行」を読む限りフィレンツェは素通りしている。ブルネレスキやアルベルティのルネサンス初期の建築には全く触れていないのだ。
ゲーテは決してフィレンツェの二人の偉大な建築家を無視したわけではないのだろうが。しかし、15世紀はまだ古典・古代を想像していた時代。18世紀のゲーテの時代にはルネサンス以来のローマの遺跡の発掘が完了し、古代ローマそのものが遺物や文献をもって最も研究されている。
ルネサンス初期の建築はゲーテにとって古典世界とは異なるもの、ゲーテのイメージする古典世界はこのパラーディオの建築から始まると考えていたのではないだろうか。
だからこそ、彼はイタリアに、あるいはヴィチェンツァに到着するや否やこのテアトロ・オリンピコを訪れたのだ。



(via YouTube by Teatro Olimpico - Vicenza Italy - fotografie di Paola Furlan)

2012年6月10日日曜日

ゲーテとパッラーディオのアルカディア

ヴィルヘルム・マイスターに登場するミニョン。彼女はヴィルヘルムをアルカディアに誘う。ゲーテはイタリアに出掛ける前年、彼自身のはやる気持ちを、イタリアへのあこがれを、ミニョンに託しこの歌を作っている。

物語の中でのミニョンは演劇修業中のヴィルヘルムの旅の共をする不思議な魅力と悲しみを持つ女の子。彼女はギリシャ神話の妖精ニンフのように、そこここにと現れ、物語の進行に関わっていく。ミニョンと共に旅する竪琴弾きは人間の認識を超える不可解な力の象徴。それは演劇修行中の主人公ヴィルヘルムとはある種の対旋律の関係にある。その旋律は読み手の心のうちそとを限りなく震わしていく。

物語はヴィルヘルムという定旋律にミニョンと老竪琴弾きの三つの旋律が絡まり、ミニョンの歌にある「丸き柱は屋根をささえ、広間は輝き、小さき部屋はほのかに光るかの家」で終曲する。

その家は北イタリアの小都市ヴィチェンツァ近郊に現存する。宇津井恵正氏は「ゲーテの視覚の世界」の「演劇空間としてのあの家と過去の広間」の章でヴィチェンツァのロトンダがミニョンの「かの家」であることを論証された。

その全体はアルカディアの神殿の趣、建物の名はロトンダ。ロトンダとは円形平面の部屋を持つ建築のこと。ドーム状の天井や屋根を持ち、その形状は宇宙観が表現されると共に、人間の生死とも関連し墳墓や神殿にも用いられた。

通称ロトンダだが正確にはヴィッラ・ロトンダあるいはヴィラ・アルメリコと呼ばれた。十六世紀半ば、この小都市の建築家アンドレ・パラーディオにより建築されている。

 (fig52)

澄んだ青空と柔らかい風に包まれ、ロトンダはまるで現実的な時間の流れを突然止めてしまうかのように建ち、あたりの空間全体は絵画的であり、まさに舞台のなかのアルカディアような世界が展開されている。

ゲーテは次のように書く。「私は町から三十分かかる気持ちのよい丘のうえの金殿玉楼、通称ロトンダを訪れた。上から光線を採った丸い広間を中に囲む方形の建物である。四方いずれからでも、大階段を昇れば、常に六本のコリント式円柱によって作られた玄関に達する。」(イタリア紀行・上:岩波文庫)

(建築四書の中のヴィッラ・ロトンダ)

ヴィラ・ロトンダを設計したパラーディオにはアルベルティの「建築論」に倣った自著がある、「建築四書」。名前からもわかるようにアルベルティ同様、古代ローマの建築家ヴィトルヴィウスの「建築十書」をモデルとし、この書を後世に残した。

建築四書は「イタリア紀行」のゲーテにとっても有効な参考書であったに違いない。ゲーテがミニョンにこの館を歌わせたのは、イタリア旅行の出発の前年こと。長編小説「修業時代」以前の「演劇的使命」の中、彼はイタリアを訪れる前に何度もこの「四書」を開き、図版を眺め想像を膨らまし、ミニョンに「かの家」を歌わせたのだ。

 (fig53)

「四書」の中でパラーディオはヴィラ・ロトンダをヴィッラの項ではなく「都市住宅」の項に掲載している。「この建物は町ほど近く、ほとんど町のなかにあるといってよいほどなので、私は、これをヴィッラ建築のなかに入れることが適切とは思われなかった。敷地は、考えるかぎり美しく、快適なところである。というのは、きわめて登りやすい小さな丘の上にあり、一方の側は、船が通えるバッキリオーネ川によってうるおされ、他の側は、きわめて美しい丘陵地で取り囲まれて、まるでおおきな劇場のような形になっており、また、一面耕されていて、きわめて良質の果物と、きわめてみごとなブドウの樹で充満している。それゆえ、ある方向では視界が限られ、ある方向では、より遠くまで見え、また他の方位では地平線まで見渡せるという、きわめて美しい眺望をあらゆる側から楽しめるので、四方の正面のすべてにロッジアが作られている。」(パラーディオ「建築四書」注解:中央公論美術出版)

ヴィラ・ロトンダの建築的特徴はその完璧な形態にある。中央の広間は正円、広間を囲む四つの正方形の内部空間、その外側は四面均等にイオニア式(ゲーテはコンリント式円柱と書いている)の六本の列柱が立つギリシャ神殿風のロッジアだ。ロッジアとは列柱を持つ屋根が架けられているが、外部に開放されているポーチやギャラリーのこと。

四面のロッジアにはどの面もまた均等に、幅一杯の階段が設置されている。中央の円形広間の中心に点を取れば、建築の全ての部分はこの点による点対象として配置される。四面の同一性を強調し、どの方向にも特定な優越性を与えない透視画法の持つ等質・等法の空間的秩序がこの建築では明解に表現されている。

それは百年前のフィレンツェの二つの聖堂やウルビーノの理想都市図と全く同じ体験だ。そして、この中心点にはアルカディアの牧神パンの顔が雨水抜きの穴飾りとしてはめ込まれている。

円形広間の中心点の床から牧神パンが見上げる天井は球形のドーム。この地点に立ち四方を眺めれば、どの視線も広間をこえ、ロッジアをこえ、九月の晴れ渡ったヴェネトの田園をこえ、無限の彼方まで突き抜けていく。まさに自分自身はアルカディアの中心に立っているのだ。

 (fig54)

この建築の建主は「四書」によれば聖職者パオーロ・アルメーリコ、ピウス四世と五世の司法官をつとめ、その功によりローマ市民権者たることを許されたとある。しかし、行状は決してよろしくなく、ヴェネツィアの牢獄に監禁されたこともあるようで、建物は未完のまま、オドリコ・カプラに売却されていたので、ゲーテが訪れた時のロトンダは「ヴィラ・カプラ」と呼ばれていた。

「内部は住めば住むこともできるが、住み心地がよいとは言えない。」さすがのゲーテもあこがれの「ミニョンの館」について「イタリア紀行」でこんな辛辣な書き方をしている。

特異な建築形態を持つ住宅であるが故、ということなのだろうか、その運命は過酷だった。ゲーテがロトンダを訪れてまもなくカプラ家も血統が絶え、幽霊屋敷の異名を与えられた時代もあったようだ。しかし、この建築は無事、今に遺され、その独特の形態は単に明快な美しさだけでなく、「建築」について考える様々なテーマを投げかけている。

(ヴィッラとパラッツォ)

古来そして現在でも、イタリア建築の中のヴィッラは緑豊かな自然風景を長閑な人間的風景に変える空間装置。特に、ヴェネトやトスカーナを旅するとき、田園風景はヴィラが垣間見えることによって一気に好ましさが強調され、忘れがたい景観となって記憶される。

ローマの時代から郊外所有地に建つ住居がヴィッラだが、都市のなかのパラッツォ(宮殿あるいは邸館、公的な空間、都市住宅)に対する田園の住居、それは私的な空間と意識され本来の集団的意味を持つ「建築」とはいささか異なるものと考えられていた。

ヨーロッパにおける「建築」の役割、それは過去に祝祭が持っていた役割を引き継いでいる。「建築」は労働や日常生活の場と言うより、集団としての人間の儀式・祭礼・社交の場。つまり、「建築」は祝祭そして都市を生み出す装置なのだ。従って「建築」は人間が自然や日常から離れた「特別な空間」であり、田園の民家や住居とまったく異なるものと考えられている。

2012年6月9日土曜日

カルテット・アルモニコのクラリネット五重奏 

カルテット・アルモニコを津田ホールで聴く。
クラリネットの亀井氏との協奏。
聴きながら耳が、いや身体が戻って来た、と感じビックリした。
弦の音はほとんど聴いていなかったようだ、長い間。
ウェーバーとモーツアルトの五重奏と現代音楽のプログラムだが、 最初の弦の響きであぁーと思った。
やはり、コンサートに足を運ばなければ、身体から音楽が消えてしまう。

iTunesやYoutubeが悪い訳ではない、安くて便利しかしそこまで、 という当たり前のことに改めて気がつかされた。
良く聴くモーツアルトはゆったりと端正に四つの弦が水面のたゆたうクラリネットに絡まり大満足。
初めて聴くウェーバーは「魔弾の射手」や「オベロン」で知られるようにやはりドラマティック。
メランコリックな第二楽章はボクの好み。 ソナタ形式特有の主題と変奏がリズムをかえイメージを変え、 劇的とも言える五重奏の楽しみを味あわせる。
中間の「第一バルド」、演奏後作曲者西村氏が舞台に立たれたが、ボクはまだ現代曲を聴く耳を持っていない。
形式が見えない曲想はその音の連なりが悪い訳ではないが、押しつけられた音楽というイメージが先に立ち楽しめない。 しかし、多くの観客、、沢山の拍手。 やはり、もっともっと、コンサートに足を運ぶ必要があるようだ。

2012年6月8日金曜日

パッラーディオの建築四書

(建築四書の中のヴィッラ・ロトンダ)

ヴィッラ・ロトンダを設計したパラーディオにはアルベルティの「建築論」に倣った自著がある、「建築四書」。名前からもわかるようにアルベルティ同様、古代ローマの建築家ヴィトルヴィウスの「建築十書」をモデルとし、この書を後世に残した。

建築四書は「イタリア紀行」のゲーテにとっても有効な参考書であったに違いない。ゲーテがミニョンにこの館を歌わせたのは、イタリア旅行の出発の前年こと。長編小説「修業時代」以前の「演劇的使命」の中、彼はイタリアを訪れる前に何度もこの「四書」を開き、図版を眺め想像を膨らまし、ミニョンに「かの家」を歌わせたのだ。

 (fig53)

「四書」の中でパラーディオはヴィッラ・ロトンダをヴィッラの項ではなく「都市住宅」の項に掲載している。「この建物は町ほど近く、ほとんど町のなかにあるといってよいほどなので、私は、これをヴィッラ建築のなかに入れることが適切とは思われなかった。敷地は、考えるかぎり美しく、快適なところである。というのは、きわめて登りやすい小さな丘の上にあり、一方の側は、船が通えるバッキリオーネ川によってうるおされ、他の側は、きわめて美しい丘陵地で取り囲まれて、まるでおおきな劇場のような形になっており、また、一面耕されていて、きわめて良質の果物と、きわめてみごとなブドウの樹で充満している。それゆえ、ある方向では視界が限られ、ある方向では、より遠くまで見え、また他の方位では地平線まで見渡せるという、きわめて美しい眺望をあらゆる側から楽しめるので、四方の正面のすべてにロッジアが作られている。」(パラーディオ「建築四書」注解:中央公論美術出版)

ヴィッラ・ロトンダの建築的特徴はその完璧な形態にある。中央の広間は正円、広間を囲む四つの正方形の内部空間、その外側は四面均等にイオニア式(ゲーテはコンリント式円柱と書いている)の六本の列柱が立つギリシャ神殿風のロッジアだ。ロッジアとは列柱を持つ屋根が架けられているが、外部に開放されているポーチやギャラリーのこと。

四面のロッジアにはどの面もまた均等に、幅一杯の階段が設置されている。中央の円形広間の中心に点を取れば、建築の全ての部分はこの点による点対象として配置される。四面の同一性を強調し、どの方向にも特定な優越性を与えない透視画法の持つ等質・等法の空間的秩序がこの建築では明解に表現されている。

それは百年前のフィレンツェの二つの聖堂やウルビーノの理想都市図と全く同じ体験だ。そして、この中心点にはアルカディアの牧神パンの顔が雨水抜きの穴飾りとしてはめ込まれている。

円形広間の中心点の床から牧神パンが見上げる天井は球形のドーム。この地点に立ち四方を眺めれば、どの視線も広間をこえ、ロッジアをこえ、九月の晴れ渡ったヴェネトの田園をこえ、無限の彼方まで突き抜けていく。まさに自分自身はアルカディアの中心に立っているのだ。

 (fig54)

この建築の建主は「四書」によれば聖職者パオーロ・アルメーリコ、ピウス四世と五世の司法官をつとめ、その功によりローマ市民権者たることを許されたとある。しかし、行状は決してよろしくなく、ヴェネツィアの牢獄に監禁されたこともあるようで、建物は未完のまま、オドリコ・カプラに売却されていたので、ゲーテが訪れた時のロトンダは「ヴィッラ・カプラ」と呼ばれていた。

「内部は住めば住むこともできるが、住み心地がよいとは言えない。」さすがのゲーテもあこがれの「ミニョンの館」について「イタリア紀行」でこんな辛辣な書き方をしている。

特異な建築形態を持つ住宅であるが故、ということなのだろうか、その運命は過酷だった。ゲーテがロトンダを訪れてまもなくカプラ家も血統が絶え、幽霊屋敷の異名を与えられた時代もあったようだ。しかし、この建築は無事、今に遺され、その独特の形態は単に明快な美しさだけでなく、「建築」について考える様々なテーマを投げかけている。

(ヴィッラとパラッツォ)

古来そして現在でも、イタリア建築の中のヴィッラは緑豊かな自然風景を長閑な人間的風景に変える空間装置。特に、ヴェネトやトスカーナを旅するとき、田園風景はヴィッラが垣間見えることによって一気に好ましさが強調され、忘れがたい景観となって記憶される。

ローマの時代から郊外所有地に建つ住居がヴィッラだが、都市のなかのパラッツォ(宮殿あるいは邸館、公的な空間、都市住宅)に対する田園の住居、それは私的な空間と意識され本来の集団的意味を持つ「建築」とはいささか異なるものと考えられていた。

ヨーロッパにおける「建築」の役割、それは過去に祝祭が持っていた役割を引き継いでいる。「建築」は労働や日常生活の場と言うより、集団としての人間の儀式・祭礼・社交の場。つまり、「建築」は祝祭そして都市を生み出す装置なのだ。従って「建築」は人間が自然や日常から離れた「特別な空間」であり、田園の民家や住居とまったく異なるものと考えられている。

(都市と田園)

ヨーロッパの古来の「都市」と「田園」に少し触れてみたい。「都市」とは本来、集落から訣別した「特別な空間」を意味している。そこは利便や効率のための場所であることより、動物とは異なる人間が「人間として生きる特別な場所」、つまり、日常とは異なる「ハレ」の場所、社交の場のことなのだ。

そのような都市に建つ建築は文化的内実が備わってこそ「建築」であって、単に機能や利便に供するのみならば、それは日常的な集落の延長、住居であっても「建築」ではない。これは建物の上下の問題ではなく、我々とは異なる考え方の問題。

従って、パラーディオが「四書」で強調している、都市的な生活の場であるヴィッラ・ロトンダは田園にあっても文化的世界であることが求められ、社交に供する劇場的環境に建つ作品的世界、虚構の世界でなければならなかった。

ピエンツァのピッコロリーニ宮殿を自然に放ち、私的空間化したピウス二世への批判も同じような考え方が背後にあり、私的で個人的な趣味は「建築」ではないと見なされたのだ。

パラーディオの時代は黄昏のルネサンス期、アルベルティやピウスの時代から百年も経過し、建築の考え方も変わっては来ている。しかし、彼は現代の我々のように施主の希望や使い勝手に合わせ、ただ闇雲にヴィッラを作った訳ではない。その観点から見るとパラーディオのヴィッラはとても興味深い。本来「建築」の範疇には入らないヴィッラを集団的意味を持つ「建築」としてデザインしなければならなかったのだから。

十六世紀半ばから後半は美術史でいうマニエリスム期、パラーディオは過渡期の建築家であることは確かだ。しかし、彼はギリシャ以来の本来の「建築」からも決して逸脱することのない、まさに最後のルネサンスの建築家と言って良い。

遅れてきたルネサンス人パラーディオはヴェネトに沢山のヴィッラとパラッツォを造っていく。彼の「建築」は初期ルネサンス同様、透視画法の持つ等質・等方、何者にも序列化されないイマージナルな秩序空間として組み立てられていることを決して見逃してはならない。


2012年6月7日木曜日

サロメ 


初台の中劇場で「サロメ」を観る。
世紀末オスカー・ワイルドの戯曲はリヒャルト・シュトラウスのオペラで度々観るが、現代演劇は全く初めてだ。
だからここでは形容詞だけの感想は書きたくない。
ただ、とても良かったと言っておこう。

最近のボクの関心は18世紀だが、ここのところまた19世紀末が気になってしょうがない。
オスカー・ワイルドとクリムトはどちらにしても外せない。
やはり、いいよねあの時代、こんな戯曲、こんな音楽が作られた時代だ。
ミッドナイト・イン・パリのアドリアナにウディ・アレンが「20年代よりベル・エポックが好き」と言わせたのもとても良くわかる。
サガンが書いた「ブラームスはお好き」の中身とも共通している。

カノンが壊れ全てが抽象的・平面的にしか捉えられなくなった近代、そのつかの間のアールヌーボ。
まさに市民の文化、オネスティ(真正さ)を探していた時代。
貴族サロンの文化から市民の都市の文化を模索した時代。
しかし、それもつかの間1914年の世界大戦で全てが消えた。
市民もオペラも戯曲も建築も。
今日の舞台で感心したのは天井に隠された鏡面(虚像)だ。

そこに写り込む「赤い海に正方形の白いテーブル、そこに横たわる官能的サロメ」は演出家亜門氏が「やった」と言いたいアイディアではないか。
赤・白・黒も判りやすいがボクにはもう一つ白いミースのバルセロナ・チェァにはやられたと思った。
ネタバレではなく勝手な妄想だが、白いテーブルとチェアはグローバリズム(帝国)の赤い海に浮かぶアーキペラゴ(群島)に思えてならない。

2012年6月5日火曜日

空間の行間の無鄰菴

面白い本を見つけた。 磯崎新と福田和也の対談「空間の行間」筑摩書房。
冒頭、福田氏は語っている。 「日本建築と同時代を担う文芸、両者を併置、対置したときに見えてくる文脈や照応を探る」。
読んでみたのは第八回無鄰庵と「五重塔」。 無鄰庵は京都の明治時代の庭園の代表格、庭師小川治兵衛が作った山県有朋の庭と聞いてボクもかって見学している。(Youtube映像)
しかし、これが明治の元勲の京都の庭か、あまりにもあっさり、何事もなく、拍子抜けした経験があったから、お二人が何を語るか興味津々。

東京周辺でも、ちょっとした邸宅ならどこでも見かけた変哲のない日本の庭。 縁先から視線の最遠方に小山を築き、そこからの流水を床下までゆったり導き、溜まり池にする。
読んで判った、この変哲もないことが大変なことだったのだ。 ここで解説を追うつもりはないが、出てくる出てくる、お雇い外国人、江戸と明治の技術者、軍人、哲学者、政治家、文学者、画家に俳人・・・・。
ヴァザーリやブルネレスキ、ギルベルティまで出てきたが、日本の建築家は一人も登場しない。 やはり、デザインや文学が面白いのは時代の狭間ということだろう。 そしてWTCは近代のダークサイド。 しかし、「その後、どうしたらいいのか、まだだれも納得できる見通しを出していない。」で終わっている。

2012年6月4日月曜日

ブラームス全集  ブルーノ・ワルター

中学に入学し、高音で歌えたことから先生に誘われ音楽部員になった。
男子生徒用には吹奏楽部があり、スーザの行進曲ばかりだったが、ドラムとクラリネットとトロンボーンでを担当した。
この体験がボクとクラシック音楽との出会い。
それはLPがステレオになった頃のこと。
音楽的関心のない父親だったが、好奇心から高価な音響装置を購入。
なにもわからないまま、レコード屋でボクが見つけたのが「コロンビア交響楽団のブルノ・ワルター指揮、ブラームス全集」。
しかし、この四曲はボクとはすこぶる相性が良かったようだ。
いまから思うと、ワルターのリズムはボクにピッタリ、弦だけでなく、管が朗々と響くのも気に入っていた。
そして、その後感じることだが、ブラームスはやはりロマンティックで音感のスケールが大きい。
その後、モーツアルトやハイドンに目覚め、聴くことが減って行ったが、 今日はYoutubeで全曲(モノだが)見つけたのでブログにアップすることにした。
いまなら、四曲中どれを聴く、やはり、2番と4番かな?

2012年6月2日土曜日

かわごえ


蔵の町川越は1893年(明治26年)の大火を経験し、現在の独特の町並みを生み出して来た。 しかし、初めてこの街を訪れた頃はまだ戦後の看板、パラペットがその蔵の姿を隠していた。 その後、街の活性化プロジェクトで川越は趣は変えていく。 明治期の町並みを隠していた看板がすっかり取り払われ、現在の蔵の街川越が生まれたのだ。 
やがて蔵の街かわごえは再生され、週末には沢山の人びとが訪れ、クルマが制限された街路は趣のある散策路。この街にならい多くの江戸・明治・大正・昭和の歴史ある町並みが各地で復活して行く。 小江戸かわごえがモデルとなり多くの街の活性化に貢献した。
この日 川越を訪ねたのは久し振り、ひとひと人の賑わい、聞いてはいたが、ただただビックリ。 
この街の魅力は蔵だけではない。 荒川と入間川の合流点あるこの地は平安時代からの舟運の要衝。 江戸期に入ると幕府の北の守りの拠点でもあり、大藩の格式を持った重臣たちがこの地を納めている。 そんなことから、神社仏閣旧跡や歴史的建造物は鎌倉や日光に負けていないということだが、今回はこの街のそんな魅力(中院・喜多院・東照宮・五百羅漢)をアップすることにした。

日の名残り カズオイシグロ

留守録しておいた「日の名残り」を観る。 知ってはいたが、いままで観るチャンスがなかった。 誰もが良かったという通り、本当に素晴らしい映画だ。 読んでから観る、というのがボクの習慣だが、この小説もまた映画化されていることを長らく知らなかった。 
昨年の「わたしを離さないで」も実はまだ観ていない。 この映画の面白さを話してくれた友人はカズオ・イシグロは前の「日の名残り」も良かったが、「わたしを離さないで」が好き、と話してくれた。 
そうか、「わたしを離さないで」はそんなに良いのか。 「日の名残り」も映画化されていたんだ、とその時ようやっと知った。 

何年前ことだろうか、「日の名残り」は出版当初、連載を担当していた建築雑誌(今は廃刊)のコラムに感想を載せさせていただいた。 そして、たった今、ビデオを観終り、掲載のコラムを読みビックリ。 なんだこの感想は、「日の名残り」が全然読めていなかったではないか。
 カズオ・イシグロは小説も良いが、映画も素晴らしい。 それが彼を良く知る友人の言だが、全くその通りだ。 早速、「わたしを離さないで」を読み、ビデオを探したいと思う。

 「日の名残り」は本の印象がそのまま、いあやそれ以上に詳細に映像化されている。 ある意味では言葉以上に映像が細かく語っている。 そう、観ていて判ったんだ「THE REMAINS OF THE DAY」の本当の意味が。 カズオ・イシグロ当然、「建築」を書きたかったのではない、描いたのは「人間」だ。
しかし、 「建築」は全てを知るが何も答えることはない。 「執事」もまた同じなんだ、答えるのではなく、理解すること。 「建築」は全てを記憶している。 「執事」もまた全てを記憶している。 カズオ・イシグロはその記憶を言葉に代えた。 そして「建築」でも「執事」でもなく、あの「中国人形」に語らせた。 
ラストのスティーブンスの瞳の奥は見逃せない。 飛び立つ鳩を追う、あの瞳の奥。

 以下は建築雑誌に掲載した「日の名残り」のコラム記事。
 A−イギリス・オックスフォードシャーにダーリントン・ホールという、大きなカントリーハウスがある。と言ってもこれは小説の中の話しなんだが。 
B−何ですか突然、小説の話しとは A−いや、カントリーハウスの建築については、様々な本があるが、そこでの生活については全く知らなかったと気づかされたんだ。 
B−カントリーハウスですか、映画では時々出てきますよね、礼儀作法が滅法厳しい慇懃な執事とか。 
A−ぼくが面白いと思ったのは、その役割なんだ。貴族の生活の場、自然をエンジョイする別荘という単純なものではない。一人の執事を中心として沢山の使用人たちによって維持される、一つの都市のようなものなんだ。国際的な政治交渉の場であり、秘密会談の場、事業の場、情報交換の場、そしてホテルであり、そこを訪れる人々、あるいは使用人として生活する人たちが様々な恋や人生を育む舞台のような場なんだ。建築写真や映画からは見えてこない、生きた世界がこの本には描かれている。 
B−カントリーハウスの生活とはどのようなものなのですか。 
A−大阪市立大学の福田晴虔氏の「パッラーディオ」(鹿島出版会)の中で、かれの建築を読み解く重要な鍵として「貴族の責務ーノブレス・オブリジェ」が挙げられている。この小説では1920年代のカントリーハウスが舞台だが、そこでの生活も、16世紀イタリアの同様、この責務が基盤となっている。責務を全うするダーリントン卿、執事職という役割から懸命に「主」の選択を信じ支えるミスター・スチーブンス。その役割は建築物同様あるいはそれと一体化し、ある種の品格を醸し出すものなのだ。
小説は一時代の役割を終えたダーリントン・ホールの執事が美しいコンウェール地方をドライブしながら、かっての「主」との生活を回顧する形になっているが、テーマは偉大なイギリスの風景、イギリス貴族、そして豪壮な邸宅を語り、それを支える人々の役割と生き様を描くことにあるようだ。「うねりながらどこまでもつづくイギリスの田園風景、大聖堂でも華やかな景観でもない、偉大な大地、表面的なドラマやアクションとは異なる美しさを持つ慎ましさと偉大さ、この偉大さこそ大きな屋敷に使える執事の目標となるものである」と主人公の執事、ミスター・スチーブンスは語る。 
B−「貴族の責務」ですか、それが建築にとって、どんな意味を持つのですか
A−住宅にしろ公共建築にしろ、建築である限り「主」がいるのが当然だ。しかし、その「主」は現代における施主とは些かニュアンスが異なり、どの時代でも、社会的、時代的責務に支えられた存在であったことが大事なんだ。その責務とは中世においては、日本も同様、宗教的精神の反映であったし、宗教改革以降のヨーロッパにおいては「貴族の責務」が基盤だったのだ。ダーリントン・ホールは執事共々アメリカの事業家を「主]として迎える、そして、ミスター・スチーブンスは新たな「責務」を持つアメリカ人を信じ、執事職を建築物と共に継続しようと決意するんだ。