2011年11月21日月曜日

君主の祝祭と宮廷劇場

ルネサンスの祝祭もまた音楽と建築によって支えられました。

祝祭を必要としたのは君主です。

君主の正当性を人々にしらしめるため、そのイメージの正当化と強調は絶えずなされなければならなかったのは中世と同じです。

しかし、絶対化された宗教的権威とはいささかの距離を保ちながらの正当性の強調、これがルネサンスの特徴です。

特に、16世紀イタリア半島は共和制から君主制への移行期、貴族諸侯の間から抜きん出たメディチ家のような新興君主にとって、新たな手法によるイメージの強調がその存続のための条件でもあったのです。

教会的権威と距離をおいたままの新たな君主を強調する手法とは、それは失われた歴史あるいは隠された知恵の復興、つまり古代社会の寓意(アレゴリー)による劇的情景の創出です。

祝祭を象徴的なアレゴリーによる視覚像の集合とする、その視覚像によって君主の権威を意識づけました。

そしてここでもまた、¥uf801祝祭を支えたのは音楽と建築です。音楽と建築は一体となって劇的情景を生み出してゆきました。

さらにまた君主たるもの、その地位を確保し、存続するためには宮殿における祝宴も不可決です。

アレゴリーによる劇的情景の創出は都市における祝祭以上に、広間における祝宴のほう有利です。

アレゴリー化された情景は広間において凝縮され、洗練を繰り返してゆきました。

ルネサンスの後期、イタリアの諸都市はスペイン、フランス、神聖ローマ帝国という3大勢力の覇権争いに翻弄されます。

君主たちは生き残りの道を画策し、政略的結婚の祝宴や外交上の祝祭を盛んに催す必要がありました。

都市の広場での祝祭は君主館の広間や中庭にまで持ち込まれ、そこには仮設舞台も設置されることになりました。

17世紀に入ると、仮設舞台は常設化され、劇場は君主たちの権勢を誇示する格好の舞台となります、そして豪奢を極めた宮廷劇場が建てられてゆきました。

劇場空間は透視画法により生み出されたアルカディアです、時には君主や貴族たちもニンフやパンとともい踊ります。

祝宴を開き、政略的結婚をことほぎ、外交交渉を重ねる宮廷劇場は娯楽の場ではありますが、イタリア半島に分立した諸都市にとっては生き残りを賭た政治的装置でもあったのです。

 

 

2ー劇場空間の意味と役割

音楽そしてドラマ、どちらもオペラにとって不可欠です。

しかし、演劇の上演にあたって音楽が必要とされたのはオペラだけではありません、受難劇やオラトリオも同様です。

オペラそのものの特質は演じられる場、劇場にあります。宗教改革に揺れる16世紀、教会と劇場は反目します。

オペラは教会とは異なる<劇場>を得たことで、その後に連なる大いなる展開の糸口をつかんだのです。

舞台の中に作られた幻想の世界、その世界で進行する歌に託されたドラマ。

オペラは最高の娯楽であると同時に極めて意識的な作りものです。

オペラではそこがどんなにリアリティある叙事的な世界であっても、現実とは異なる虚構の世界であるという意識を決して奪い取ることはありません。

オペラは豊かなメロディによって人の魂を遊ばせる一方、それは極めて意識的な産物であるということを忘れさせません。

この酔わせながらもすべてを奪い取らない、オペラと言う作品の持つ自意識性、都会性は理性を尊ぶルネサンスならではの主意的成果なのでしょうか。

劇場を必要としなかった中世に変わって、ルネサンス以降の祝祭空間は作家と作品によって支えられた時代です。

都市広場から離れた祝祭空間、それはまさしくオペラと劇場となって花開くのですが、そのことは同時に、本来一体であった祝祭が音楽と建築に分離した事を意味します。

市民階級の台頭という共通の社会的基盤にたち、新たな祝祭空間と意味づけらたオペラと劇場は、一体であることよりもむしろ、各々に課せられた問題意識を設定し、独自の展開を図ることが義務づけられていたと考えられます。音楽と建築は生まれつつある世俗文化の担い手として、各々別々の社会的使命を持ち、役割を果たさなければならなかったからです。

ルネッサンス後期、ギリシャ悲劇の再生としてオペラはフィレンツェに生まれ、同じ時代、古代ローマ劇場にならったテアトロ・オリンピコ(現存する最古の近代劇場)がヴィチェンツァに誕生します。

演劇を上演する事だけが目的ならば宮廷の庭園か広間があれば十分、劇場など必要ではありません、つまり演劇家や音楽家は劇場など不要なのです。

ではヴィチェンツァの劇場は何故生まれたのでしょうか、劇場を必要としたのは建築家です。音楽と建築に分離してしまった祝祭空間、建築家は建築により祝祭空間は生み出さなければならなかったからです。

ギリシャからローマ、そしてルネサンスから近代とヨーロッパではたくさんの劇場が作られます。

しかし、ギリシャのエピダウロス劇場、北イタリアのテアトロ・オリンピコ、これらの劇場はともに演劇低迷期に建設されています。

エピダウロスはアイスキュロス、ソポクレースというギリシャ悲劇の作者が活躍した100年も後の建設です、テアトロ・オリンピコはヴェネツィアでモンテヴェルディのオペラが人気を博す50年も前に建てられています。

この事実は劇場はオペラや演劇のために必要とされたのではないということを示しています。

つまり建築家は上演のためだけに劇場を作ったのではなく、外の役割も劇場にかせられていたのです。

いつの時代も建築の役割は、人間の生活のための安全で便利・快適な空間を作ることにあるのですが、必ずしもそれだけが全てではありません¥uf801。建築は人と人、人と世界の関係を調整するという役割を持っていました。

エピダウロス劇場やテアトロ・オリンピコ、そこではまずドラマが始まる以前に、建築自身によってドラマが演じられるのです。

劇場建築はその物理的構成によって、世界そのものを示しておりました。

つまり劇場建築は人と世界の関係を示した実物模型、物理的配置がすでに世界を表現しています。

建築家は劇場空間全体を「世界のかたち」、「世界模型」として作ることで、世界の中での人間のあるべき場所を示し、世界と人間との関係を明らかにしました。劇場を訪れる観衆一人一人が劇場を体験することで「世界のかたち」そのものを知り、自分自身がいま「世界」のどこにいるかを実感出来るようにする。建築家はそのための装置として劇場を作る必要があったのです。

 

 近代劇場と社交

古代ギリシャ同様、近代劇場も市民という観客が誕生してはじめてその存在理由を明確にしました。

????マントバの宮廷楽長だったたからです。

17世紀、フィレンツェの宮廷から誕生したオペラはヴェネツィアの公共劇場へと開催の場を広げて行きました。

ヴェネツィアはグランドツァーの目的地、ヨーロッパ各地からやってくる台頭してきた市民たち、ヴェネツィアの公共劇場は彼らにとって必要不可欠な祝祭空間となるのです。

劇場をめぐって音楽家と建築家はいつも言い争います、「この劇場は使いにくい、音楽のためにならない」と音楽家が言えば建築家は「劇場は音楽のためにあるのではない、観客のためにあるのだ」。

現代社会ではオペラ劇場はオペラ上演のために建設されるのですから、建築家はこの批判には十分に対処しなければなりません。

しかしオペラ劇場の定型である¥uf801多層の馬蹄形桟敷席、その平面形は音楽を聞き舞台を眺める為に生まれたのではなく、むしろ観客の社交のためのものであったのです。

祭りから発生した都市と劇場、ヨーロッパの都市の存在基盤は社交にあります。

日常的集落では生まれ得ない、人と人とのコミュニケーション。

つまり社交は祝祭空間の目的、そして都市を存続させる基盤でもあるのです。

従って建築家たちが意図していた劇場それは都市と同様、いかに人間と人間の関係(社交)を生み出すかがテーマであったのです。

しかし、19世期、¥uf801建築家は偉大な音楽家(ワーグナー)に屈服します、劇場は社交のためではなく、音楽のためにのみ作られるのです(バイロイト祝祭劇場)。

音楽のための、音楽を聴くためのだけの装置となった劇場はやがて、その存在基盤であった社会的集団的意味を失い、個人の趣味に支えられた音響のための箱に転化するのことにつながります。

祝祭から誕生した音楽と建築が、その本来が合わせもつ社会的役割「人と人をつなぐもの」、その役割がオペラ劇場から喪失される時、音楽と建築、あるいは都市と劇場は「生活の装飾品、贅沢品、人生の飾りもの、お茶の間の楽しみ」という個人の趣味的生活を飾る付属物へと向かってしまうのでしょうか。

 

 

コメントを投稿