2017年7月28日金曜日

建築は「特別の空間」

人間の歴史は段階的ではあるが、自然から人間をいかに開放するかの闘いであったと考えられる。
人間は自然の脅威から身を守るだけでなく、動物とは異なる「人間としての生き方」も意識していたからだ。
自然と共にある人間が、自然そして動物との訣別を決意し、人間が人間として生きる「特別の空間」を必要とした。
そしてそのとき建築は始まった。

建築とは自然空間のなかに作り出された「特別の空間」を意味している。
その空間を人々が体験するとき、空間は想像力によって読み取られる、メタフジカルな空間だ。
「特別の空間」は個々人のものではなく共同体が必要とする集団的なもの。
建築とは共同体の誰もが体験する、現実世界に作られた虚構的、想像的世界なのだ。

建築の始まりはいつだろうか。「特別の空間」の必要が文明の始まり。
人々は生きるべき現実の世界とは別種に、人間として生きられる安定したコスモス、「あるはずの世界」を想像した。
建築によって生み出されたコスモスのなかで、人間は自然を神に置き換え、自らの生き方を模索した。

やがて人間は神による支配がなくても「人間が人間として生きるべき世界」を「あるべき世界」として構築している。
人間中心主義といわれるルネサンス期、人々はキリスト教とは距離を取り、新たなコスモスを建築化し、「特別の空間」を生み出してきた。

18世紀、人間は新しい哲学に支えられた科学文明により、自然が持つ現実的な脅威だけでなく、そこにある神的な力をも排除し、自然との分離を完成させた。
しかし、この段階になるともはや、人間は「特別な空間」としての建築を必要とすることなく、建築は想像的世界という役割を失っていく。

現在の我々は、人間は自然と一体であったことを痛烈に意識させられている。
自然との分離に成功はしたが「人間が人間として生きるべき世界」を見失い、その機械的環境の殺伐さに圧倒させられているからだ。

建築はもはや「あるはずの世界」でも「あるべき世界」でもない。
我々の建築的世界はメタフジカルな想像的世界とは決別し、現実的世界と一体化した「あるがままの世界」として立ち現われている。

rif:「感性の覚醒」中村雄二郎・岩波書店p108

現在われわれ人間は、自分たちが自然の一部であったことを、あらためて痛切に感じさせられてきている。この痛切さは一度自然から離れてしまったことによるものである。・・・・
すべてが自然であり人間がそのなかに包まれていたとき、人間が人間として明確に自覚されなかったように、自然は自然として人間から区別してとらえられることも、対象化してとらえられることもなかったのであった。・・・・
文明の発達は人間を自然の脅威から次第に解き放って行くとともに、人間を自然から引き離すことになった。そのような自然からの人間の解放は多くの段階を経て行われたが、もっとも決定的な段階を劃したのはやはり近代科学文明の成立であろう。

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