2017年3月27日月曜日

ポリモルフィック・ネットワーキング

ポリモルフィックネットワーキングのシンポジウムに行く。IoT*AI技術の将来を見据え、あるべき都市のコンセプトの検討しようとするもの。ポリモルフィックとは多彩な知能化技術によって、様々な部分が多形的につながり合い、全体として協調と秩序を持ったあるべき姿を生み出そうとすることにある。
多彩なあらゆる部分の合理的な調和から、新しい秩序ある全体を生み出す方法とは、ルネサンス期の建築家アルベルティ、彼が建築論で示した「コンキンニタス」とよく似ている。しかし、コンキンニタスは、いわゆる美術研究家が問題にするデコルムが生み出す調和ある全体像ではなく、個々の充実した部分が先行し、その部分による結果としての調和ある全体が意味されている。

アルベルティのコンキンニタスはモノや材料に直接関わらない、リネアメントウムという想像上のカタチの検討をその方法としている。リネアメントウムは「モノ」ではなく「カタチ」の検討。単なる美しい部分の集合としての実体ではなく、充実した部分のみの持つカタチ、その線画を検討することにより、材料や技術という外づけの理由や事象には関わらない、全体を生み出すという方法の検討としての建築論。つまり、技術の持つ通念的な意味づけを別物に読み替え、試行を繰り返すことで調和ある全体に関わっていこうとするもの。

今日のシンポジウムは開発されつつある先端技術の可能性の追求に関わるものでコンセプトではない。そして、IoTとAIを同列で掛け合わせることで、まさに多元的な知能化技術を我々は持つことができると同時に、使い方を間違えると社会に大きなリスクをもたらすことが示めされた。

ルネサンスが切り開いた神に依存しない、人間による都市・建築時代だが、その実態は物理的にも観念的にもクラウド情報に一元的に管理されたフラットな人間世界に至っているのが現代社会。それはアルベルティのいうコンキンニタスとは程遠い世界となっている。さらに、身近な懸念ではAIロボットによる人間の仕事の消滅が取り沙汰されているのはルネサンス期の錬金術から科学への移行、新時代が生み出す近代機械への懸念と全く同相だが、それは一重に「人間と技術」の問題に尽きる。なぜなら、ルネサンス以降、西欧社会が500年間、いつも人間の外部にあるモノやイデオロギーに弾き飛ばされてきたテーマがここにあるからだ。

シンポジウムの感想としてアルベルティのコンキンニタスを思い出した理由も「技術と人間」にある。スマートと名を変えた都市が安易に人間に関われるとはとても思えない。都市という全体を生み出すのは部分としての人間に他ならない。アルベルティは方法論をモノから離れたリネアメントウムを検討することで示したが、その後の都市と建築はモノに拘った様式論とイデオロギーに終始し、人間は益々阻害されてしまった。そして現在、最も懸念するのは先端技術の名を借りた安易な自然主義と人間主義である。

今後、このシンポジウムがどのような方向に進むのかとても興味深い。しかし、今日のシンポで示された60年代のメダボリズム論や数学者クリストファー・アレグサンダーのセミ・ラチス論の安易な引用は、益々、人間不在の技術論や様式論に追いやりがちと感じてしまった。何故なら、 確かに、自然や水に準えるメタボリ技術や多様な人間集団を捉えるセミ・ラチス構造は魅力あるコンセプトだが、個々の部分としての人間の充実はどこに担保されるのであろうか。 外づけの時間と言語は立ち止まることが無く、いつも流れていくのだ。

IoT*AIはモノやイデオロギーから一度キッパリ縁を切り、その技術を様々な多元的な人間環境に投げ渡し、新たな自立状況を検討すべきではないだろうか。ここで求められるのは設計者やデザイナーの持つ合理主義や経済主義ではなく、人間個々人が持つ充実、そのリネアメントウムの模索ではないかと考えている。

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