2017年2月3日金曜日

風景としての都市

ヨーロッパ社会はイディアやコスモロジーを具現化した都市にささえられていた。人々は都市を生み出す「建築」を詩や文学と見立て、人間としての生き方(ライフスタイル)のあるべき舞台としてかたちにしている。それが西欧の歴史文化の総体と言って良い。

19世紀という産業市民社会においては、観念としての理想都市は日常生活の場として風景化されていく。しかし、風景としての都市もまた沢山の市民文学を生み出した。韻文、散文に関わらず、市民社会のライフスタイルは視覚化されていく。そんな19世紀の都市の姿をベンヤミンはパサージュ論の中に収集した。ここでいう風景とは写生された自然ではなく、人間の風景。祝祭の持つ共同体・集団性とは異なる個人的世界の集合、人間の持つ夢想と欲望の弁証法によって形づくられた都市。

21世紀はさらに細分化した個人主義。グローバリズムの世界にあって、表象としての都市は可能だろうか?都市はどのようかたちづくられるのだろうか。見えない都市が今、いろいろのところで取り沙汰されている。

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