2017年1月19日木曜日

ルネサンスの3人の建築家

13世紀、西欧の諸芸術は建築と共に聖堂や教会のなかにあった。15世紀、絵画・彫刻は教会の壁から世俗世界の芸術品となって飛び立っていく。残された建築も古典的装飾を身にまとい美術史の一端を担う芸術となる。しかし、20世紀、建築は権力のプロパガンダとして批判され、機能主義という観念(イディオローグ)に支えられた実用的でニュートラルな箱となる。

初期ルネサンスの3人の建築家は、古典主義を切り開いた建築家として知られている。しかし、彼らは美術とは異なる別種の建築世界を模索していた。
3人の建築家はブルネッレスキ、アルベルティ、ブラマンテ。彼らは様式、つまりスタイルに関わる古典主義の建築家とするのが大半の西洋の様式建築史。しかし、prof.Fは彼らはスタイル(様式)ではなくタイプを模索した建築家という観点から、その建築を説明している。中央公論出版の「イタリア・ルネサンス建築史ノート」全3冊はお薦めだ。

イタリア・ルネサンス建築史ノートから読み取れる最も重要な点は、美術・装飾とは異なる建築のみが持つ空間表象としての意味。それはパトロネージの権威付けでも、社会的要請への呼応でもなく、建築のみが可能なメッセージを発するという使命。
様式主義建築は為政者の権力装置のプロパガンダの役割を担い、西洋建築史をリードしていく、しかし、市民主義から民主主義を迎え、建築は機能主義や経済社会からの要請に準じざるを得ず、やがて、形を失い、差別化だけを目的とする建築に変わっていく。
お薦めの3冊の建築家は建築の始まりとも言える15世紀、彼らはその後の美術様式論の建築とは異なる修辞論としての建築を生み出していた。

最近になって、E・ガレンの「ルネサンス文化史 ある史的肖像」(平凡社)を再読した。E・ガレンはイタリア人、定番となっている19世紀のヤーコブ・ブルクハルトの「イタリア・ルネサンスの文化」やピーター・バークの「イタリア・ルネサンスの文化と社会」(岩波書店)からは読み取れない別種の建築を模索する文化状況を解説している。そこでポイントとなるのは、ルネサンスを主導したのは美術史にある絵画ではなく、悲劇的な旧代を乗り越える新しく生きる価値に触れる著作物にあった。3人の建築家が美術ではなく、修辞論としての建築に関わるのは当然だろう。母語、ラテン語、ギリシャ語が日常化しているベトラルカに始まる知識人社会にあって、絵を描かない建築家アルベルティは建築によって同時代の悲劇性を乗り越え、反時代性、批評性に触れたメッセージを発信し続けたのだ。

E・ガレンの「ルネサンス文化史」の冒頭を以下に引用する。
「当時のイタリアは経済的活力を消失しており、政治的混乱は極めていたので、文化同様にルネサンス期が歴史的事象全般にわたって活況を呈していたわけではない。絵画、建築、そして彫刻が花開き、文学作品もますます洗練度を増し、稀に見る高さの教育理念が表明される一方、都市の経済はすべて壊滅状態で諸産業は衰弱してほぼ封建的性格と言ってよい農業に回帰しており、都市の自治も揺れ動きコムネーの自由も霧散し、教会も腐敗の度合いをさらに深めていた。・・・人間の偉大さが大変豊富なあの1400年代「クワットロチェント」、生活と歴史は戦争で荒らされ、また陰謀で流血状態のイタリアは真に悲劇的であった。」
そして、人文主義を以下のように書く。
「人文主義は、ブルクハルト的な表現による<人間の再発見>であるよりもむしろ、人間が固有の自律的創造力を獲得し肯定するための手立てとなる。」