2016年9月16日金曜日

アルジェの戦い

もう、50年も前となる1967年、 まだ子供だったが、 ヌーベルバーグやイタリア映画は好きでたくさん観ている。しかしこの年、ヴェネツィア映画祭金獅子賞が「アルジェの戦い」であったことは全く知らなかった。「気狂いピエロ」や「欲望」を押さえ受賞したこの映画を映画美学校で、今日はじめて観たが、映画の50年間のギャップはどこにもない。映像も内容もまるで昨日のニュースを観ている体験、まさに今の我々の日常世界が2時間に渡ってリアリスティック展開されている。
独立を求めるアルジェの市民とブランス空挺師団の銃弾と爆弾の応酬。歴史的迷路、都市アルジェのカスバを舞台としてのテロリズムはアラブ人、フランス人、どちらにとっても絶望的悲劇だ。拷問と銃弾とカスバの住居爆破、ネズミと言われアラブ人たちは虫けらのように殺される。一方、カスバの決死の女性たちによって持ち込まれた時限爆弾の犠牲になる、広場の夕涼みの酒とダンスに興じる若いフランス人たち。映画は「犠牲者も死刑執行人もどちらもノン、大切なのは人命の救助のみ」と主張する、1960年代のカミュに近く、テロはどちらにとっても悲惨、意味も救いの無いものとして描かれている。
金獅子賞を受賞後のヴェネツィアではこの映画は反仏映画とみなされ、フランソワ・トリフォーを除き映画祭のフランス代表団の全員が退席したといわれている。この映画の上映の意味はこの辺りにもあるのかもしれない。どのような主義主張がなされるとしても、先ずは人命尊重、双方にとって総てのテロはノン、爆撃と銃撃を直ぐに止めなければならい。このテロと戦争は歴史的には撤退を決意したドゴール大統領のOASによる暗殺未遂事件が記録されてはいるが、植民地支配したフランスがまずは爆破・銃撃を止め、さらにアルジェリア臨時政府を支援し被害者、難民の救済にあたったことで集結した。アルジェリア生まれのフランス人、アルベール・カミュの不条理を理解するなら、双方全てのテロはノンである。このことこそ、この映画のメッセージ。50年前のアルジェリア人とフランス人の悲惨と困難を克服した勇気を、今こそ思い出さなければならない。