2016年8月10日水曜日

ガラスの街 ポール・オースター

真夜中の間違い電話から始まる友人も妻子も持たない探偵作家のニューヨーク彷徨の物語。
中世の多声音楽に似て、様々な旋律が絡まる小説。「エレガントな前衛」と言われたポール・オースターの初期の「ガラスの街」はまさに多旋律であり、モダニズムの持つユートピアが知的透明さを持って崩壊していく。
彼の小説はどれも、一つの小説の中に幾つかの物語が流れるように折り重なっている。ロマネスク音楽はグレゴリオ聖歌がベースとなる多声歌曲だが、「ガラスの街」ではエデンの楽園とバベルの塔が主旋律となり、メタフィジカルなニューヨークが詳細に描かれる。

「ガラスの街」の主人公は作家であるダニエル・クイン。彼はウィリアム・ウィルソンというペンネームでマックス・ワークを主人公とする探偵小説を書いている。そんなクインの部屋に真夜中、探偵のポール・オースターさんですか、という電話が掛かってくる。間違い電話は毎夜繰り返され、三度目の夜、クインはポール・オースターとなり電話を受ける。
物語はこうして始まるが、その内容は間違い電話を掛けてきたヴァージニア・スティルマンと彼女の夫ピーターの依頼によりピーターの父親、昔コロンビア大学の教授であった、息子と同名のピーター・スティルマンを尾行することにあった。
そして物語の終わりだが、ピーター・スティルマンが消え、神託となっていた話し中の電話トーンに従い依頼者であるスティルマン夫妻をビル街の隙間、裏側の路地から2ヶ月あまり見守り続けるが、彼らの世界であった二人のアパートメントの白い透明なユートピアも消える。空っぽになったユートピアの部屋の真ん中にはクインの尾行記録である赤いノートだけが残された。

物語は神託の導きなのか、言葉によって生きる人間の運命にあるのか、あるいは渡らなければならない橋なのか、ボードレールのいうどこでもいい、この世界の外に出ることなのか。
オースターの物語はいつも虚構と虚構が重層するような構成だが、その内容のすべては正確な場所と時間に枠どられたリアリティある現実世界のなかで展開される。
「ガラスの街」の舞台はニューヨーク、その大半はセントラルパークとコロンビア大学周辺。日時、時間、地名、通り名、建物名はすべて克明に、あるがままの日常として描がかれている。しかし、その世界は形のない、透明なガラスという像のみが浮遊するメタフィジカルな「ガラスの街」。その街はドン・キホーテであるピーター・スティルマンが朝早く彷徨し、鍵のかかった部屋の鍵を探した街。

オースターは現代社会の孤独・寂寥・消滅・空白を描く作家だが、読み終わるといつも「だまされても面白いならだまされても良い。」と彼のドン・キホーテ論の一部分が思い出される。透明で乾いている、抽象的だが、決して難しくはない。
この小説は最も初期、彼を作家として世に出したニューヨーク三部作のひとつ。
まさに、彼の小説を貫くもの、ドン・キホーテはこの初期作品を縁の下からしっかり支えている。

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