2016年6月15日水曜日

虚構としての建築

建築は虚構を物語る言葉を持っている。かっては絵画彫刻音楽は建築のなかに統合されていた。建築は決して技術・工学的世界にのみにあったわけではなく、また、個人的な趣味としての美的世界や感性世界に留まるものでもなかった。建築は諸芸術をインテグレーし集団的知性に関わる人間的成果でもあったのです。

参考・中心の喪失・ゼドルマイヤー
建築のもとに統合化された芸術は中心となる目標の為に貢献した。

中心となる目標とはなんだろう。この書は美学だけをテーマとしてはいるわけではない。安易だがここでは「建築は人間が人間として生きる特別な空間」と捉えてみたい。かって、自然とは一体であった人間が、自然の脅威から身を守るだけではなく、動物とは異なる生き方を意識した時、人間は「特別な空間」を必要とした。人々は建築することで人間的エンクロージャーを生み出す必要があった。

想像し計画することから生まれる建築は音楽あるいは美術と同じように「虚構の世界」を生み出すことが可能。建築が生み出す虚構の世界、それは「特別な空間」、建築を構成する構築要素、建築のカタチは生きるべき世界を形象していた。

建築はまた「人間と世界」、「人間と人間」との関係を調整する役割も持っている。古代の神々や中世の神との関係、人間中心主義のコスモス(宇宙あるいは秩序)、啓蒙主義の自然や哲学的世界観との関係を物語り、人間と人間が交流する社交の空間をも生み出してきた。

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