2016年5月4日水曜日

情報としての音楽と建築

自然界に充ちあふれる音、その音はどんなに美しくとも反復することはない。
録音技術がなければ繰り返し聞くことはできないからだ。
しかし、人間が作った「音楽」は再現可能。繰り返し聞くことが出来ることから、「音楽」は人類最初の記憶装置となった。
人間は頭脳を持ち、自分たちの生きる糧とそれを得るための情報、あるいは人間として生きていくための知識を頭の中に収納している。
しかし、集団で生きる人間は、知識や情報を仲間たちと共有することが不可欠。
そのために人間はどの文明期においても、頭脳以外の外部記憶装置を必要としてきた。
人類最初の記憶装置は「歌」つまり「音楽」であったのです。
人間は様々知識や情報を「歌」に仕込み記憶し保存してきた。
私たちは愛の告白、神への祈願、心に秘めた胸の内を「歌」に託す。「歌」は古来から感情を伝える有効な媒体といって良い。
しかし、集団で生きる人間にとって、感情媒体ではあるが「歌」は知識や情報を保存し共有する、生きる上に不可欠な記憶装置、情報媒体でもあったのです。

古代の人々は石や羊皮紙に「文字」を刻んでいる。
文字こそ最初の情報媒体、記憶装置と考えられる。
しかし「文字」は古代社会では権力者やエリートの専有物、 彼らの権力装置、呪力装置だった。 ワーグナーのオペラ「ニーベルングの指輪」のヴォータンはルーン文字を彫った槍を持ち、神の力を示している。
槍に刻まれた「文字」そのものが、呪力的パワーを発揮しジークフリートを助けるという場面はこのオペラでは極めて重要。
しかし、ここでは「文字」は権力者の力であり、情報装置ではない。
「歌」こそは誰もが共有する記憶装置となっている。

古代社会において、「歌」と同様もう一つ、権力者やエリートだけでなく、誰もが自由に利用できる記憶装置があった。
それが「建築」です。
ギリシャの神殿、古代ローマ広場の風の塔あるいは中世の教会。
建築はただ使用や利用に役立つだけが目的で作られたものではない。
「建築」は権力装置でもあるが、誰もが共有する情報媒体であると言えます。
「建築」には様々な物語が託されていた。
物語は「建築」が人々に体験され、読み取られることで伝達される。
「建築」は神々の世界を伝え、目に見えない歴史を語り、夢と現実を想像させる媒体としての役割を果してきたのです。

現在「建築」では、デザインから生み出された居住感(安全、便利、快適)が重要視されていて、媒体という側面はほとんど見失われている。
しかし、本来の「建築」が果たしてきた役割、それは「人間と世界」、「人間と人間」、「人間とモノ」との関係をいかに構築するかにあったと考えれば、媒体であることが極めて重要であったと理解できる。
「建築」はシェルターであり快適に生活し、仕事をする為の装置ではあるが、人々が「建築」を媒体とすることで、様々なメッセージをやりとりするという側面。
情報媒体、意味発生装置という役割も持っていたことは、「建築」を理解する上で忘れるわけにはいかない。
「建築」は人間の外部にあって、刺激や誘導によって我々を操作する装置であることより、主体としての人間の内実に意味やイメージを発生させる役割を持っていた。
人間が人間として、より多くの人と共に、幸せな人生を送る、というデザインの本来の目的に対し、「建築」が果たさなければならない役割、そこでは個人が気持ちよいか、居心地がよいかということより、集団にとって、私たち人間にとってその「建築」が「意味」があるか否かの方が、はるかに重要であったのです。

音楽を聴き、絵画を観る楽しみは、日常的世界とは異なる別種の世界を体験し想像することと言える。
建築の体験も同じ。
この世に存在しない宗教的世界を体験したり、決して目にすることはできない世界の形を建築は建築自身により、その構造をも分かり易く説明してきた。
建築が生み出す想像的世界、それは耳をそばだてたり、眺めさえすれば良いのではなく、体験することが必要となる。
建築物の内外を動き回ることによって、はじめて個々人の内部にその意味が立ち上がってくる。
音楽と建築が一体となった想像的世界、その世界がいつの時代も「人間として生きる」意味や方法を、あるいは「人と共にある生き方」を私たちに教え続けてくれたのです。

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