2016年5月19日木曜日

建築が生み出す想像世界

吟遊詩人ホーメロスは英雄たちの世界を語った。「イーリアス」と「オデッセア」です。現在の私たちにとって、この二つの物語は叙事詩として書物化された文学となり残されている。しかし、当時の人々にとって叙事詩は文字を「読む」文学ではなく、歌を「聴く」音楽だった。竪琴を持った詩人が語る言葉に耳を傾けるよって生み出された世界。耳で聴き、音を楽しむことから生まれた「想像的世界」です。

その世界は人々にとって、現実以上に重要な意味も持っていた。古代社会においては、「想像的世界」は現在の私たちの予想をはるかに超えた、リアリティ−を持っていた世界。何故なら天変地異、季節の到来、天体の運行、それらはすべて神々のなせる技、人々は人力に勝る神の力を「耳で聴くこと」によって想像し、決して見ることの出来ない不可思議な世界を、「想像すること」によってのみ理解し把握しようとしている。

現在では、「世界は見ること・眺めること」により把握される。しかし、それはルネサンス以降のこと。15世紀の透視画法の発見が、「聴くこと」より、「見ること」の重視へと導いた。人々は建築物に描かれた壁画の世界に、現実の世界では味わえないリアリティを感じていたのだ。

流動的で不確かな日常世界は信頼するに足る世界ではなく、その背後に横たわる確固とした世界こそ生きるの足る世界と考えていた彼らにとって、絵画によって生み出される「想像的世界」は、現実世界以上に安心して生きることが出来る世界。

ダヴィンチをはじめ巨匠たちが描いたたくさんの絵画、それは見ることによってのみ生まれる「想像的世界」だが、現代人の教養としての、あるいは茶の間の楽しみとしての絵画とは大きく異なる。ルネサンスの人々にとって、絵画的世界は現実以上に、生きるべきリアリティを持った世界だったのです。

音楽を聴き、絵画を眺め、小説を読む楽しみは、日常的世界とは異なる別種の世界を想像すること。建築を体験することもまた同じ。この世に存在しない宗教的世界、決して目にすることはできない世界の形を建築は建築自身により、その構造をも分かり易く説明し、人々にいま生きている世界はこんな世界とイメージさせる。つまり、建築は世界模型(世界モデル)。それが古来からの建築の役割です。

建築が生み出す想像的世界、それは耳をそばだてたり、眺めさえすれば良いのではなく、体験することが必要。建築物の内外を体験し動き回るにことよって、はじめて個々人の内部に、その建築が生み出す世界が、建築は発する意味の世界が立ち上がってくるのです。

現代建築ではデザインから生み出された居住感(安全、便利、快適)が重要視されていて、その建物が持つ「意味」という側面が見失われている。従って、建築についての話は快適な環境を作るための技術が問題。しかし、建築だけではなく、様々な分野のデザインが歴史的に果たしてきた役割を考えてみると、それは人間と人間、人間と世界との関係をいかに構築するかということにある。建築デザインもまた、この関係の構築に関わったメディアだったのだ。

建築はシェルターであり安全・便利・快適の為の装置であるばかりではなく、人々が建築を媒体とすることで、個々人の外側と様々な情報をやりとりしているという側面、つまり建築は情報媒体という役割も持っていたとい側面を忘れるわけにはいかない。

人間の外部にあって、刺激や誘導によって、人間を操作しようという装置ではなく、主体としての人間の内実に意味やイメージを発生させる装置という側面。人間が人間として、より多くの人と共に、幸せな人生を送る、というデザインの本来の目的に対し、建築が果たさなければならない役割、そこでは個人が気持ちが良いか、居心地が良いかということより、集団にとって「意味」があるか否かのほうがはるかに重要だったのです。

2016年5月4日水曜日

記憶装置としての音楽と建築

自然界に充ちあふれる音、その音はどんなに美しくとも反復することはない。
録音技術がなければ繰り返し聞くことはできないからだ。
しかし、人間が作った「音楽」は再現可能。繰り返し聞くことが出来ることから、「音楽」は人類最初の記憶装置となった。
人間は頭脳を持ち、自分たちの生きる糧とそれを得るための情報、あるいは人間として生きていくための知識を頭の中に収納している。
しかし、集団で生きる人間は、知識や情報を仲間たちと共有することが不可欠。
そのために人間はどの文明期においても、頭脳以外の外部記憶装置を必要としてきた。
人類最初の記憶装置は「歌」つまり「音楽」であったのです。
人間は様々知識や情報を「歌」に仕込み記憶し保存してきた。
私たちは愛の告白、神への祈願、心に秘めた胸の内を「歌」に託す。「歌」は古来から感情を伝える有効な媒体といって良い。
しかし、集団で生きる人間にとって、感情媒体ではあるが「歌」は知識や情報を保存し共有する、生きる上に不可欠な記憶装置、情報媒体でもあったのです。

古代の人々は石や羊皮紙に「文字」を刻んでいる。
文字こそ最初の情報媒体、記憶装置と考えられる。
しかし「文字」は古代社会では権力者やエリートの専有物、 彼らの権力装置、呪力装置だった。 ワーグナーのオペラ「ニーベルングの指輪」のヴォータンはルーン文字を彫った槍を持ち、神の力を示している。
槍に刻まれた「文字」そのものが、呪力的パワーを発揮しジークフリートを助けるという場面はこのオペラでは極めて重要。
しかし、ここでは「文字」は権力者の力であり、情報装置ではない。
「歌」こそは誰もが共有する記憶装置となっている。

古代社会において、「歌」と同様もう一つ、権力者やエリートだけでなく、誰もが自由に利用できる記憶装置があった。
それが「建築」です。
ギリシャの神殿、古代ローマ広場の風の塔あるいは中世の教会。
建築はただ使用や利用に役立つだけが目的で作られたものではない。
「建築」は権力装置でもあるが、誰もが共有する情報媒体であると言えます。
「建築」には様々な物語が託されていた。
物語は「建築」が人々に体験され、読み取られることで伝達される。
「建築」は神々の世界を伝え、目に見えない歴史を語り、夢と現実を想像させる媒体としての役割を果してきたのです。

現在「建築」では、デザインから生み出された居住感(安全、便利、快適)が重要視されていて、媒体という側面はほとんど見失われている。
しかし、本来の「建築」が果たしてきた役割、それは「人間と世界」、「人間と人間」、「人間とモノ」との関係をいかに構築するかにあったと考えれば、媒体であることが極めて重要であったと理解できる。
「建築」はシェルターであり快適に生活し、仕事をする為の装置ではあるが、人々が「建築」を媒体とすることで、様々なメッセージをやりとりするという側面。
情報媒体、意味発生装置という役割も持っていたことは、「建築」を理解する上で忘れるわけにはいかない。
「建築」は人間の外部にあって、刺激や誘導によって我々を操作する装置であることより、主体としての人間の内実に意味やイメージを発生させる役割を持っていた。
人間が人間として、より多くの人と共に、幸せな人生を送る、というデザインの本来の目的に対し、「建築」が果たさなければならない役割、そこでは個人が気持ちよいか、居心地がよいかということより、集団にとって、私たち人間にとってその「建築」が「意味」があるか否かの方が、はるかに重要であったのです。

音楽を聴き、絵画を観る楽しみは、日常的世界とは異なる別種の世界を体験し想像することと言える。
建築の体験も同じ。
この世に存在しない宗教的世界を体験したり、決して目にすることはできない世界の形を建築は建築自身により、その構造をも分かり易く説明してきた。
建築が生み出す想像的世界、それは耳をそばだてたり、眺めさえすれば良いのではなく、体験することが必要となる。
建築物の内外を動き回ることによって、はじめて個々人の内部にその意味が立ち上がってくる。
音楽と建築が一体となった想像的世界、その世界がいつの時代も「人間として生きる」意味や方法を、あるいは「人と共にある生き方」を私たちに教え続けてくれたのです。

2016年5月3日火曜日

都市とインテリア

最近の都市と建築、そのデザインはどこかイタリア・バロックに似て、外部空間の内部化、いや、内部空間の外部化ではないだろうか。

チェーン店が連続する商店街は最近ますますショッピングセンターのモールのような様相を呈ししつつある。その外部空間は色とりどりではあるが、どこの商店街もどことなく画一的な街路。その印象は駅のコンコースや大きなショッピングセンターのモールと変わらずインテリアデザイン化された街路なのだ。

都市を構成する新たな高層建築のデザインもまたしかり。様々なかたちで構成される建築は、デザインコンセプトが不明のまま、薄い石やガラスやパネルで被覆されるばかりでどことなく画一的。一方、単調なショッピングモールに時に、目立ちたがり屋のショップが奇抜なデザインで自己主張するように、新しさなどはどこにもなく、これが建築かと驚かされる奇抜な形態で一体感ある街路の雰囲気を乱している。

外部空間の内部化、内部空間の外部化は本来は手法の良し悪しではなく、方法の問題だ。キリスト教聖堂の内部空間である身廊はミケランジェロによりカンピドリオ広場のデザインコンセプトとなっている。この広場は内部空間が外部化され造られたもの。ベルニーニのサンビエトロ広場もまた屋根のない大聖堂の内陣として作られた。さらに、白と黒で塗り分けられた18世紀のノッリのローマ地図を見ると都市広場も街路も聖堂の内部空間もすべて白抜きで示される。バロック都市ローマは、建築を構成する壁や柱やアーチは内部と外部どちらも同じ形状でデザインされ、すべてが公共空間であることが示される。

最近の都市と建築のデザインは商業主義を勝ち抜くための差別化の手段。そこにはデザインの基盤となるテーマもコンセプトもあるのだろうが、商業主義と人間主義では方法が異なる。巨大モールや都市広場のインテリア化、あるいはインテリア空間の都市化・広場化の評価はまず、享受する我々がそのデザインのコンセプトが何であるかを読み取ることから始まる。デザイナーが何をかたり、何をメッセージしているか、そのコンセプトが示されないデザインは、仮に個人的には好みであったとしても評価の対象とはならない。