2015年11月29日日曜日

黄金のアデーレ

「あるはずの世界」という非日常世界と関わってきたヨーロッパの音楽と建築が、その後の「あるがままの世界」つまり日常世界とどう関わり、どんな作品を生み出してきたかは、現在のボクの大きな関心事。20世紀初頭のウィーンのクリムトやシェーンベルクばかりか、トーマスマンやアドルフ・ロースの関連資料がいつもデスクを占領している。 この映画はその初頭に描かれたクリムトの「黄金のアデーレ」を20世紀末、アメリカに住むアデーレの姪のマリアとシェーンベルクの孫ランディが取り戻そうとする物語だ。物語と言っても実話だが、ウィーン・ベルヴェデーレに展示されていた「黄金のアデーレ」はもともとはユダヤ人家族ブロッホ=バウアー家邸宅のサロンを飾っていた肖像画。幸せな家族と家族の象徴を軍靴で汚し奪っていったナチス・オーストリア。奪われ、追われたマリア・アルトマンは、若き弁護士ランドル・シェーンベルクと彼の家族の助けを借り、クリムトの名画を取り戻そうと画策する。 しかし、この映画の見どころはどこまでもクリムトが描いた「黄金のアデーレ」とその絵が掛かるサロンにある。ウィーンエリザベート通りに現存するブロッホ=バウアー家邸宅は19世紀末の文化サロン。画家クリムトをはじめとして、音楽家マーラー、作家シュニッツラー、精神科医フロイト等が集まったところだ。そして、ナチス以前にクリムトが描いたアデーレだが、その表情はどこまでも「悲しい」。その「悲しみ」を取り戻すのは今を生きる、マリアとランディともう一人、この物語の貴重な伏線となっている戦時中のナチス党軍人を父に持つウィーンのジャーナリスト・フルヴェルトゥス。クリムトの「黄金のアデーレ」には後のユダヤ人家族と彼らの「悲しみ」だけが予見され描かれていたのではない、20世紀という新たな世紀、その世界に生きる人間の「悲しみ」が描かれていたのだ。

2015年11月21日土曜日

トニオ・クレーガー トマス・マン

高校時代以来の再読だ。 何処でも読めるkindleに感謝する。 この本は一気に読むほうが判りやすい。 現代の思いあがった芸術家諸氏にはぜひ読んでいただきたい。 市民生活と芸術生活、それは二律背反と考えるのは日本文学史の欠点。 もちろん、ヨーロッパの持つ理性主義と象徴主義の相克をマルクス主義に置き換える日本の知識人、その文学論にも辟易する。 トーマス・マンはもっと読まれるべき作家だ、こんな動物化した人間社会では。

2015年11月15日日曜日

わたしの名前は


ドラマとして何かがあるというわけではないが、 この映画には言葉ではなく、映画でしか表現できない世界がある。 フランス中西部の港町からノルマンディーの北の港町へ、 巨大なコンテナを輸送する孤独なトラック運転手と、 失業中の父親に虐待され家出した少女の物語。 物語と言っても意味深い言葉はない。 名前もない。 あるのは、 冷たい雨に輝く夜間街灯の眩しさや雨上がりの夜明けの暖かい日差し、 小鳥の声に包まれた草の上の昼食。 均質で形のなくなった日常生活の中に、あらたな物語を生み出そうとするかのような演出。 この映画の監督アニエス・トゥルブルはファッション・デザイナーのアニエスベー。 彼女の映像から生まれるその想像世界は言葉のない物語。 現代美術家ダグラス・ゴードンがトラックの運転手、イタリアのアントニオ・ネグリが真夜中の旅人を演じるこの映画は別種のコメントを内包するエッセー集と言えるのかもしれない。

2015年11月10日火曜日

イル・トロヴァトーレ

ベリーニ、プッチーニなどオペラの大半は悲劇。ヴェルディ好きにはオテロ、アイーダ、トラヴィアータ、リゴレット、シモン・ボッカネグラ等々切りがないが、今日は珍しくイル・トロヴァトーレを聴いた。メトのライビューイング東劇だ。 吟遊詩人とルーナ伯爵に愛される15世紀はじめのスペインアラゴン王家の宮廷女官レオノーラの物語。彼女は愛する詩人の命を救うべく身を捧げるが、その死も報われず詩人と共にこの世を去る。 身も蓋もないあらすじだが、このオペラの楽しみは全編につらなる悲劇的でドラマチックな歌とオーケストラにある。どの場面も気が抜けないアリアの連続。歌手の力量が劣っていたらとても聴いていられるものではない。 アンナ・ネトレプコのレオノーラ、吟遊詩人であるマンリーコはヨンフン・リー。ネトレプコは今や最高のディーバ、幕間に息子と戯れる映像もファンサービスとしては楽しめた。しかし、リーはくるしい、悪くはないが、堅いし声量も音高も一杯一杯だ。中国の美男子テナー、女性ファンには受けたかもしれない。 圧巻はやはりドローラ・ザジックのアズチェーナ。メゾフェチは毎度のことだが、彼女のアムネリスとエーボリー公女役は既に何回かブログに書いた。そして今日のジプシーの老婆、彼女の息子への愛と苦しみ、こんな悲しみはオペラだけで沢山だ。