2015年7月9日木曜日

「特別の空間」と「日常の空間」

古代社会において、生活のための集落や民家とは異なる建物(=建築)が登場したとき、それは都市と建築そして文明の誕生。人間が自然とは異なる「人間」を対象化して捉えたとき建築が必要とされた。建築は「大地からの飛翔」を意味していた。
人間はその誕生以来、自然と一体化した、様々な住処あるいは住宅をつくってきた、しかしそれらは建築(アーキテクチャー)とは言わなかった。都市と建築は非日常(ハレの空間=虚構)場であり、住居は日常(ケ=現実)の場にあるものだから。

住居が建築になったのは十六世紀のパッラーディオの時代以降のこと。この時代、田園に作られたヴィッラもまた文化的装置の一つとして認められ建築となった。
パッラーディオは最初の住宅建築家。彼は「田園にあるヴィッラ」を現実的世界(あるがままの世界 )に建つ虚構の空間(あるはずの世界)としてヴェネツィア貴族のために構築した。

近代の工業化社会にあって、「機能的なものは美しい」と宣言され、あらゆる建物(民家・倉庫・工場・車庫)と建築との区別はなくなった。
工業化社会以前、その実用的価値とは異なり、時代のあるいは社会の建築の対象となり得るものが建築であった。
二十世紀になり建築は「機能的なモノは美しい」と認められ、住宅も工場等すべての日常な建物は、機能的であれば建築と見なされた。建築は市民的・道徳的であることが優先され虚構の空間はすべて「あるがままの世界」の中に埋没していく。

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