2015年6月15日月曜日

フィレンツェの二つの聖堂

(サン・ロレンツォ聖堂)
透視画法の発見によって生み出された考え方が直接的に表現された建築がフィレンツェに二つある。 サン・ロレンツォ聖堂とサント・スピリト聖堂。ともにブルネレスキの設計。
 サン・ロレンツォ聖堂(図版)は1419年頃設計が完了、資金難のため工事は何度か中断し1461年になってようやっとその交差ドームが完成する。 しかし、ファサードは補修されただけの未完のまま現在に至っている。 平面図を見ると、聖堂は交差部の正方形が基本単位となり、身廊は四つの正方形、両脇の側廊はその二分の一の八つの正方形で構成されていることがわかる。
 実際の建築の交差部に立ってみる。(写真) ここでは前後左右均質に作られた透視画法の空間を真のあたりに体験させられる。 さらに、床の正方形パターンと格天井のグリッドにより透視画法の空間的座標が一層協調され、まるで自分自身が絵の中の世界に入り込んだかのような感覚にとらわれる。 事実、この時代、建築と絵画の違いは、今のような種類の違いではなく、芸術的手段の違いに他ならない。
 建築空間を体験することと絵画空間を眺めることは全く同質の空間体験と同じ。 建築空間と絵画空間どちらも共にシンボルによって生み出されたイメージ空間(虚構の空間)、建築空間をリアルな日常空間としてのみ体験し、絵画空間と同様の虚構の空間としての体験を軽視する現代の我々、建築は想像力で体験するイメージ空間であったということを忘れてしまっている。 

十五世紀の人々にとって建築空間はリアルな日常空間である以上に、想像によるイメージ空間、それが西ヨーロッパの建築空間を読み解くためには不可欠。 サン・ロレンツォ聖堂で体験者が持つイメージとは、それは合理的な人間的空間の中に位置付けられた、己の身体そのものを実感すること。 その体験は神の絶対的支配を前提として生きているこの時代の人々にとって、全く新しい世界、新しい神の発見に他ならない。 何故なら、彼らはいままでは神の国の内にのみ己の場所を見いだしていたはず、しかし、透視画法による距離、あるいは「数」という概念で神なしで生きる、自分自身の空間を発見する事が可能となった。透視画法の中の建築を体験することで「神の存在」ということより、古代ギリシャに通低する宇宙の秩序を実際に目にする。 神なくして秩序を目にすることを可能とした建築、ブルネスキはサン・ロレンツォ聖堂を作ることで透視画法の持つ意味を多くの人々に示している。
(サント・スピリト聖堂)

サント・スピリト聖堂はブルネレスキ晩年の仕事。この聖堂もまた交差部の正方形が基本単位となっている。 図面をみれば基本単位による幾何学的構成がサン・ロレンツォ聖堂より一層徹底して適用されていることがわかる。(図版) さらに特徴的なことは、この聖堂の入り口である正面部分を除けば、周囲の全ては側廊部の基本単位を直径とするニッチで囲まれている。 左右の両翼は内陣と全く同じ平面形状を持ち、バジリカ形式(長方形プラン、身廊が長く軸線をつくる)であるが故に身廊部分のみが内陣の三倍となっているが、このことを除けば、前後左右全く同型の点対称図形として構成されている。
 ブルネレスキはここでは最早、伝統的な教会建築ときっぱりと訣別した。 従来の教会とは全く異なる空間イメージの表出を試みている。 それはまるでチェス盤の上に立っているような体験。 そのイメージとは後の十六世紀の建築家パラーディオにも引き継がれるが、神を中心として序列化し、秩序づけられた空間を、敵でも味方でもない等質な空間に変質させていることだ。
サン・ロレンツォ聖堂とサント・スピリト聖堂が示す明瞭さと穏やかさ、あるいはきちんとした整合性を持った佇まいと呼べるもの、それは壮大で超越的な当時の西ヨーロッパのゴシック建築とは全く異なる建築。 透視画法から生まれるこの穏やかな知的整合性は、その後に引き継がれる多くのルネサンス建築の大事な特質となっていく。

2015年6月14日日曜日

理想都市とアルカディア


(理想都市とアルカディア)

十五世紀以降のイタリアにあって、建築・絵画・庭園・音楽等が透視画法に描いた世界は理想都市(ユートピア)と アルカディア( 理想郷)。この二つの世界は同時代の人文主義に支えられた人間が想像的に生きる理想世界を意味する。そこはまた神の国とは異なり現実世界でもあるのだ。「理想都市」とは社会的秩序、規範を体現する装置とみなされている。つまり、集団として生きる人間にとっての規範を表現するのが「理想都市」の役割。

「アルカディア」は生活の規範だ。ひと一人がこの世界をいかに生きるか。生きて行くための方法、約束ごとを表現するのが「アルカディア」の役割。

イタリア・ルネサンスにおける「作品的世界」の誕生は絶対的な神の力から離れ、人間自身の力によって、あるいは個々人の自由と自立によって生きることを義務づけている。それは近代社会の始まり。さらにまた、作品の誕生は作家の登場、諸芸術の「自立」をも意味し、各々は神の力無くして、各々の役割を果たさなければならない。

やがて、教会という建築の中で一体化されていた絵画・彫刻と音楽は、同時代に発明されたタブロー化した印刷物同様、教会を離れ自由に飛び立って行く。そして音楽や絵画・建築は集団としての人間が生きる 作品的世界、風景の世界、オペラの世界を生み出していくのだ。

(ラファエロのアテネの学堂)

ローマのバチカン宮殿の署名の間に「アテネの学堂」と呼ばれる壁画がある。盛期ルネサンスの名作、透視画法の意味を伝える貴重な絵画。後の時代のオペラの舞台の先駆けとなる絵画だ。ラファエロ・サンティは十六世紀の初めユリウス二世の命によりこの絵を完成させた。

大きな半円形の画面のなかに、古代的建物を背景とした哲学者、科学者というギリシャの賢人たち。古代の賢人たちを演じているのは現実のルネサンスの芸術家たち。古代の哲人の衣をまとい光の中を悠然と歩く画面の中の姿から、ルネサンスの人々の持つ理想的人間像が劇場的感覚をもって迫ってくる。

 (fig46)

舞台背景となるの建築空間は厳正な左右対称の堂々たる壁面、壁龕には神話的人物の彫刻像、ヴォールト天井は角型のピラスター(半柱)で支えられ、高貴な輝きに充ち、ゆるぎない安定感を放っている。その全体は屋根のない古代建築。

透視画法で描かれたこの絵画はルネサンスの舞台構成とまったく同質のもの。絵画の中のシンボルは、この場合画面を彩る様々な人物だが、序列なく等質・等方に配置され、空間には入れ子あるいは代替可能の原則が貫かれている。

ルネサンスの舞台とは変幻自在性を持った仮構による虚構の場、その中の役者は一時的な役割を演じるシンボルにすぎない。「アテネの学堂」はまさに透視画法により構成された、ルネサンスの賢人たちが演じる壮大なオペラ空間となっている。

透視画法による序列なく等質・等方に配置されたシンボルの空間は、観客にとっては自由に想像的(イマージナル)に関われる虚構の世界。現在の私たちにとって、ルネサンスの世界が想像的自由な虚構の場であったことはとても重要ことだ。

やがて見るバロックの舞台空間、そこでの透視画法は観客の想像的自由を生み出す装置ではなく、特定の人間の操作による幻想的(イリュージュナル)な空間に変容する。

特定な人間とはバロックの君主こと。神と異なり君主には誰もが成れるのだから、ロマン主義以降の作家たちにとっては特定な「個人」と言って良いだろう。オペラはこの恣意的なイリュージュナルな空間が基盤となって生み出された作品的世界と言える。

しかし、「アテネの学堂」は幻想ではなく想像的世界。ルネサンスの透視画法は個人により恣意的に操作されるのではなく、集団としての人間に支えられる等質・等方、シンボルのみの空間であったことを忘れると、何も理解できない。

話をラファエロの絵画に戻そう。画面の中央はプラトンとアリストテレス。左側を歩くプラトンは「ティマイオス」を小脇に抱え、右手で天を差し、イディアの在り方を示す。「エティカ=倫理」を持つアリストテレスは天と地の間に右掌を広げ、イディアはそれ自身だけでは存在せず、個々の事物の姿となって存在することを示している。

そして演じるのは、レオナルド・ダ・ヴィンチがプラトン。ニコマコス倫理学書を持つアリストテレスはミケランジェロということだが、前方中央の階段下で書き物をするヘラクレイトスもまたミケランジェロ。ダヴィンチとミケランジェロ、仲の悪かったこの二人が同一の舞台上であるがため、諸説はさまざまだ。

上手(右)床の上の黒板にコンパスをあてるのはブラマンテが演じるユークリッド、その他ソクラテス、ピタゴラス、ディオゲネス、ゾロアスター、プトレマイオス、アルキメデス、エピクロス、パルメニデス、アルキピアデスと各々が様々なポーズを取っての総勢五十三人もの人物。右袖の柱の陰からわずかに顔を出すのがこの絵を描いたラファエロ自身。

(建築家の新たな役割)

絵画は虚構の空間による一遍のドラマ。かって建築の壁面にあって空間の形成に参加していた絵画は、建築とは無関係に、一個の独立した存在として、自らのうちに独自の空間を形成し始めた。それは絵画の自立を意味する。絵画のみで世界をあるいは空間を表現することが可能となったのだ。

透視画法による人間が眺める世界、風景の発見により建築は従来の役割を終え、新しい役割を課せられるようになった。空間が絵画で表現できるのなら、建築は実用的な現実世界へ、つまり、近代建築の始まり。

建築は虚構的表現の場から実体的空間としての役割を重視しなければならなくなっていく。しかし、建築家はすべて実体に関わる技術者の道を歩めば良い、という訳ではない。

空間を生み出しそのコンセプトを表現するのは透視画法だが、建築はさらに新たなテーマを発見し、自らがその問題に答えていく、という役割も浮上した。神に変わり人間自らが問題を発見し答えていく、という近代建築の持つプログレマティズムは、透視画法が開いた新たな使命、生まれたばかりの建築家が果たなければらない重要な役割だ。

透視画法が建築家を誕生させ、その彼に新たな役割を課す一方、画家と彫刻家の役割もまた明確となった。透視画法は彫刻によらなくとも三次元の立体を作り出すことが可能だ。従って、彫刻家の仕事は現実の立体を作り出すこと、画家の仕事は空間全体を描きだすことがその役割となる。

画家は人物像の周りに、建築を描き空間を生み出す。さらに、画家は空間を生み出すばかりか、部屋を取り囲む建築の壁体をも解体する。そしてついには、平な建築の天井にドーム天井を描くことで、重たい危険なドームを実際に作ることなく、天上の世界の表現が可能となった。つまり、画家は実際の建築を超え、建築家が実際の建築を作る以前に、自由に建築空間を生み出すことが出来たのです。

(マンティーニャの天井画)

ラファエロの「アテネの学堂」よりも四十年も前、マンティーニャはマントヴァのパラッツォ・ドッカーレの「夫婦の間の天井画」を完成させた。

従来、建築では主要室の天井はドームで構成される。建築は自然界から人間的世界を切取る、あるいは人間のための特別の空間を生み出す装置だ。さらに、その建築の中でも特別重要な場所にはドームが架けられ、そこはあたかも神のいる天上、あるいは宇宙そのもの、神そして宇宙の持つ秩序と一体的に調和した場所と見なされた。

実例としてはローマのパンテオン。そのメッセージは「全宇宙」。さらには大聖堂のアプス(内陣)の上のドーム天井、そこは天上に繋がる神の世界と考えればよい。そして「アテネの学堂」の屋根のないフレームだけの古代建築を描いたが、マンティーニャの「夫婦の間の天井画」は建築としては平たい天井だが、透視画法によるドームを描くことで虚構の建築を生みだし、天上に繋がる世界を表現した。

建築の外観はともかく、マンティーニャは寝室に天井に絵を描くことで、この部屋は特別な空間、建築のなかの特別な場所であることを示している。つまり、建築空間の意味は外観と内観、バラバラに二重の意味をも表現可能となったのだ。

 (fig47)

(虚実の空間という新たな虚構の世界)

建築が重たいドームを作らなくとも、透視画法を使うこと特別な空間を生み出すことが可能。平らな天井に描かれた建築空間では屋根が切り開かれ、雲がたなびき、鳥が舞い、天使や天上の人々が親しげに現実の世界に入り込んで来る。実際に建築空間を構築することなく、絵画によって天に繋がる特別な空間を生み出している。

建築空間に透視画法による絵画を描くことで、建築と絵画を一体化した全く別種の空間が生まれる。透視画法が開いた空間は実なる空間と呼応し、また新たなる虚構の空間をも生み出している。

その手法は様々に展開され、応用される。一般にはだまし絵と言われるが、そこに展開される絵画空間と実なる空間の交歓は、私たちの日常をもう一つの世界へと導いていく。その空間は人間により生み出されたもう一つの虚構の世界。その世界を通しての、出たり入ったりという想像上の自由は、自身の持つ現実世界やイメージを舞台上の世界のように客観視し、距離をおいて眺めることを可能としている。つまり、虚実相交わった建築空間は、日常世界の持つ演劇的側面を強調し、その後のオペラの舞台のように、その幻想的世界をより自由に構成することが可能となった。

(マントヴァのマンティーニャ)

パドヴァ、ヴェローナで活躍していたアンドレア・マンティーニャは1459年、ルドヴィーコ・ゴンザーガから生活費だけでなく住まいと食事も用意され、宮廷画家として招かれた。

その年はマントヴァ公会議の開催の年。前節で触れたコルシニャーノの丘の上で教皇ピウス二世に理想都市の建設を決意させたのは、このマントヴァ公会議出席の為の旅。あるいは、ローマ、ウルビーノと忙しいアルベルティがサン・タンドレア聖堂の建設を急いでいたのもこの公会議の為だった。

この年、招かれた宮廷画家マンティーニャには小国マントヴァの文化政策、その威信の全てが懸けられていた。マンティーニャの作品の題材にはパドヴァ時代の学者たちとの親交の成果、宗教画以上に古典古代の理想郷が数多く取り上げられていた。つまり、この画家は画家であるばかりか古典学者でもあったのだ。

彼は早速、夫婦の間の壁画・天井画の制作に取りかかった。そして、ゴンザーガ家の別荘や宮殿、教会の壁画、さらに額縁画、祭壇画等、次から次へと宮廷からの注文に明け暮れこなしていく。イザベラの肖像画を残したことでも有名なレオナルドがこの宮廷に招かれたのもこの頃のこと。マンティーニャは小都市マントヴァを支えるのみならず、この都市の美術の最盛期を支えた最も重要な画家なのだ。

(ルネサンスのアルカディア)

西のアルプスから東のアドリア海まで、北イタリアを滔々と横断するポー河、その流域は全て肥沃な平野。豊かな農産物に恵まれ、音楽と建築に満たされた都市が連なる。マントヴァはその中央に位置する、古代ローマの最大の詩人ウェルギリウスが生まれたところとしても有名。

ルネサンスの人々をアルカディアに誘った長閑で甘美な牧歌や農耕詩は間違いなく、このマントヴァの風景が生み出したものだ。しかし、もともとの、あるいは現実のギリシャのアルカディアは急峻なパルナッソス山域に囲まれた荒涼地、長閑な田園とはほど遠い所。

アルカディアは古代ローマあるいはルネサンスの人々が生み出した想像上の理想郷。ギリシャの人々にとっての、「人間の生きるための規範のための舞台」としてのアルカディアは、苦難の続くルネサンス・イタリアの人々にとっては長閑な田園地帯、理想郷に変容した。

アルカディアはローマ時代の詩人テオクリストやウェルギリウスによる農耕詩や牧歌の中の世界として描かれる。ホイジンガの「中世の秋」によれば、あまりにも厳しすぎた中世末期の現実が、より美しい生活にあこがれ、理想の愛を追い求めるルネサンスを開いたとある。

凶作がつづき、二度に渡る壊滅的なペストの流行、加えて教会勢力の分裂という多難を体験したイタリアでは、十四世紀に入り、ウェルギリウスが描いたアルカディアはペトラルカ等により良い世界の象徴、理想世界、黄金郷として登場した。

列強との狭間で苦難に揺れる十五世紀末イタリア、フェラーラからマントヴァに嫁いだイザベラ・デステの同時代。アルカディアはナポリの詩人ヤコーポ・サンナローザの田園詩「アルカディア」によって、あるいはフィレンツェの詩人アンジェロ・ポリッツィアーノの牧歌劇「オルフェオ」によって再登場する。

やがて「アルカディア」は誕生期のオペラにも引き継がれる。そして十八世紀、その世界は台頭した市民社会の器楽演奏、交響曲や室内楽に取り込まれ、ヨーロッパ音楽の主要テーマとして展開されていく。

(マンティーニャのパルナッソス)

マンティーニャはこのアルカディアのようなマントヴァで十五世紀末、興味深い絵画を完成させた。「パルナッソス」、現在ルーブル美術館に展示されている。マンティーニャの「パルナッソス」は古代ギリシャのアルカディアの聖山、詩と音楽の神アポロンと九人のミューズの住むところとして描かれる。

この絵は后妃イザベラの注文により制作され、長らく彼女の書斎を飾っていた。ルドビーコ公亡き後、マントヴァ国家元首となった彼女は自分自身のための瞑想の場を必要とした。この絵はその為の主要な装置。イザベラの死後、五枚のカンバス画が書斎に残されたが、「パルナッソス」はその中の一つ。しかし、十七世紀にはルイ十四世の所有となり、以降、ルーブル美術館に保管される。

 (fig48)

この頃すでにフィレンツェでは新プラトン主義者たちの思想を反映したボッティチェリの「プリマベーラ」や「ヴィーナスの誕生」が完成していた。人文主義的教養も深いイザベラ、フィレンツェへの対抗心を充分に秘め、この部屋の構想を練ったに違いない。

ルネサンスの作品は、どの分野でも、個性の表出が目的となることはない。作品が作家の個性に結びつけられ解釈されたのは十九世紀以降のことだ。この時代の作品は全て、使用目的に合わせ、あるいは集団的要請に従い制作された。題材は画家が自由に選ぶのではなく注文主が決める。画家は題材に従い作品の持つ意味を的確に表現することが求められた。

イザベラはマンティーニャの「パルナッソス」に何を要求していたのだろうか。美術史家によれば、この絵は様々な解釈があるようだ。以下は長いが、当時の人々の「アルカディア」が垣間見えとても面白いので引用する。

「踊っている女性たちがミューズの神々であることは、その数が九人であることや、画面左上に崩れ落ちる山が描かれていることから、確かである。というのは伝承によれば、芸術の創造における霊感の女神たちの歌は火山の噴火や天変地異を引き起こし、ペガサスがひづめで大地をふみならしてこれらの天災を終わらせるからである。実際画面右手には宝石で飾られた有翼の馬がいて、神意によってしきりに地面をひずめで何度も掻いている。そのそばにメリクリウスがいるのは、彼がウェヌスス(ヴィーナス)とマルスの愛人関係に介入し、画面左端のアポロとともに不義のウェヌススをかばうことになっているからである。二人の愛人はベッドに置かれたパルナッソスの山頂から見下ろすように立っている。左に裏切られた夫、ウェウカヌスが仕事場である鍛冶場の洞穴から出て、不貞を働いた二人(ヴィーナスとマルス)に向かって怒鳴っている。彼の背後にかかっているブドウはたぶん力と不節制の象徴であろう。アポロはその下の方に座り、手にリラ(竪琴)を持っている。1542年に作成されたマントヴァのパラッツォ・ドゥカーレの財産目録では、このアポロがオルフェウスと記されており、またアポロは普通ミューズたちの間に交じっているものなのだが、これをオルフェウスと見なしたところで、その絵の内容をいたずらに混乱させてしまうだけだろう。・・・連作全体が教訓を目的としたものであったことは疑いないことである。それゆえ、パルナッソスにはマルスとウェヌススの不貞な結びつきに対するミューズたちの強い非難をはっきりと読みとることができるのである。とはいうもののマントヴァ宮廷の知識人たちがその裏切りを非難したとは思われない。」(マンティーニャ:東京書籍)

(ラファエロのパルナッソス)

マンティーニャの「パルナッソス」に比べればラファエロの「パルナッソス」は判りやすい。「アテネの学堂」と同じ、バチカン宮殿の署名の間の壁画だ。山上の月桂樹の下に座り九人のミューズに囲まれ、リラ・ダ・ブラッチョを弾くアポロン。

画面は左から右へと壁画の円弧に合わせるように流れ詩人たちが配列される。ここでも描かれた人々はまるで舞台を飾る俳優たちのようだ。「アテネの学堂」と同じように登場人物は寓意ではなく実在の人たち、すべてギリシャ・ローマそして同時代に活躍した詩人たちが舞台を飾る。

彼らは桂冠をかぶりアポロンに敬意を表すためにパルナッソスに集まった。左下で巻物を持ち座っている女性がギリシャの抒情詩人サッフォー、その前に立つ三人目の詩人がペトラルカ。山上で詩を吟じる盲目のホメロスとその左手に座り耳を傾けメモを取るラテン詩の父エンニウス。ホメロスの背後ではダンテとウェルギリウスが「神曲」の場面のように視線を交わし話し合っている。右下でサッフォーに対応するかのように腰掛けているのがウェルギリウスと同時代の抒情詩人ホラティウス。その他アリオスト、ボッカチオ、サンナローザに変身物語を書いたオウディウスという詩人たちが舞台を飾る。

 (fig49)

アルカディアの情景のなかで芸術の擬人化であるミューズに囲まれた古今の詩人たち。この絵画のテーマは古今の「詩学」、あるいは「美」の象徴であることがよく解る。興味深いのはアポロンの持つ楽器、彼がいつも持つアトリビュート(象徴的持ち物)の竪琴を隣に座る青衣のミューズが持ち、アポロンはルネサンス時代のリラ・ダ・ブラッチョを持っている。ラファエロは詩を永遠の価値のシンボルとして、あえてルネサンス時代の楽器をアポロンに持たせたのだと言われている。ラファエロらしいユーモアだ。

(ユリウス二世のメッセージ)

ラファエロの絵画の読み取りは面白いが、「パルナッソス」と「アテネの学堂」を壁画とした「署名の間」全体の意味付けもまたとても興味深い。ユリウス二世はミケランジェロにシスティーナ礼拝堂の壁画・天井画を任せ、聖なる空間の創出を計った。

ミケランジェロの聖に対し、ラファエロには俗。「署名の間」は教皇の俗権の行使の場に見合うもの、つまり聖を象徴するシスティーナ礼拝堂に対し「署名の間」は世俗の人々のためのより調和ある世界の象徴として位置づけた。

教皇はミケランジェロとラファエロの力を借り、全世界に対する権力を与えられ、聖と俗、どちらの権威をも仲介する教会そのものの役割を強調しようとしているのだ。

「署名の間」は従って、当時の人文主義とキリスト教を統合した装飾計画により俗権の強調がテーマとなるが、具体的には啓示による真理としての神、そして理性による真理としての真・善・美、つまり、神学・哲学・詩学・法学という四つの徳と精神活動を壁画と天井画によって表現している。

そして「アテネの学堂」は哲学であり真、「パルナッソス」は詩学であり美がテーマ。すでに触れたように、ラファエロは寓意ではなく、実在の人物によって、それも舞台構成のような堂々とした建築や自然空間のなかに表現していく。その構成は大変解りやすく、完成されるや否やローマ中を熱狂させ、あらゆる人たちがその壮大さの前に立ち尽くし賛同したと言われている。

2015年6月10日水曜日

アルス・ノーヴァと透視画法

国土の三分の二を高地と山に覆われたイタリア半島は、豊かで広大な平地が広がる地域とはいささか異なる生き方が必要とされている。イタリアの人々は地中海に突き出た地の利を活かし、東方の人々と積極的に交易し、手工業を発達させるという生き方を選択した。
西ヨーロッパの農業社会が安定した食料増産による経済的発展を迎える時、この半島の役割は、大陸にない物質資源を調達し流通させること、さらにその為の積極的な人間的交流を計ることにあったからだ。

農業中心社会に於ける生き方では自然に従い、それを掌る神に従順であることが求められる。当然、そこでは清貧禁欲な生活を尊ぶ、キリスト教的価値観が大きな意味を持つ。しかしイタリア、特にフィレンツェでは商業や手工業の発達を促す別種の価値観が必要とされた。それは現実的、合理的な生き方を賛美し、自然より人間中心の生き方とそれを支える考え方。ルネサンスのイタリアは新しい価値観とキリストに変わる新しい神を探していたと言えるようだ。

商業や手工芸に携わる人々から新たに生み出されたモノ、それはアルス・ノーヴァ透視画法。二つは新しい生き方、神に関わるためのメディアです。ルネサンスの音楽と絵画・建築に期待された役割、それは「あるはずの世界」を「あるがままの世界」に変容することにある。超越的な神が君臨する中世キリスト教社会ではなく現実的、快楽的、人間中心的社会を賛美する世界を描くことにあった。

透視画法の役割は、神の介入無くしても存在しうる、秩序ある統一世界を生み出すこと。画面の中に描かれる平行線は全て一点(焦点)に集まる、この一点を中心として描かれた世界には秩序ある統一が存在すると考えられた。そして建築家や画家たちは、ギリシャ以来の哲学者のイデアや神学者の神に関わることなく、「生きるに足る確かなる世界」を透視画法の画面の中に発見したのだ。

透視画法の発見はコンピューターの発明にも似た新しい世界、アナザーワールドを切り開くものと考えられる。アナザーワールドとは、西欧的生き方に於いては欠くことの出来ない「あるはずの世界」ではなく、誰もが生きる「あるがままの世界」。ルネサンスの人々が透視画法に夢中になったのはこの一点にある。

人々はアナザーワールドを実際に「建築」を作ることなく、透視画法の中の建築的世界を生み出すことで、秩序ある世界の存在を実感した。つまり絵画が建築に先行し、空間を表現することが可能となったのです。
建築家はもはや、建築物や模型に頼ることなく、絵画によって「建築」を生み出すことになる。もっと別の言い方をすれば、建築家の仕事は実際の建築を作ることではなく、作るべく建築のコンセプトを描くことに変わっていく。そして建築はそのコンセプトに従い、職人たちの力によって建設される。
つまり「建築」は物理的実体以前に、思考の経過を示すことが重要な役割となった。それは中世以来の学問への参加、ブルネレスキやアルベルティに示される、近代建築家としての新たな使命、アナザーワールドの構築ということだろう。

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2015年6月4日木曜日

ルネサンスの透視画法

(透視画法の発見)

透視画法を発見したのはブルネレスキです。 フィレンツェの花の聖母大聖堂(サンタ・マリア・デル・フィオーレ)の献堂式の記録を残したマネッティによれば、幕開けはフィレンツェのサン・ジョヴァンニ洗礼堂を描いたパネル画にあった。

洗礼堂が克明に描かれたパネルの空の部分には銀箔が張られている。そのパネル画の中央には小さな穴が開けられていた。パネルはそのまま手に取って眺めるのではなく、片手に鏡を持ち、もう一方の手にこのパネルを持つ。眺めるときはこのパネルの穴からパネルに描かれた洗礼堂を鏡に写しこんで眺める。

この動作を実際の洗礼堂の前、定められた広場の一点で鏡の中の鏡像と実際の洗礼堂を同時に眺める。鏡の中に再現されたものは現実の洗礼堂とは区別がつかない、現実性を持ったパネル画と実際の洗礼堂の姿だ。

ブルネレスキは何故、このようなことを試みたのか。彼の関心は絵の描きかたではなく都市にあった。都市における建物の配置方法への関心が透視画法を発見させている。

中世以来のシニョリーナ広場には、様々な記念建造物が巧みに配置されている。ブルネレスキの時代、この広場の構成はまさしく共和国の中での市民と聖職者の秩序だった関係の象徴と見なされていた。

この秩序を生み出すもの、それは当然、当時の考え方では、神の力によるものであったのだが、ブルネレスキはそのような構成を神の力に寄らずして人間の力で、客観的で科学的な根拠のある方法で生み出し得ると考えた。そして単一の視点より見ることから生まれる幾何学に基づいた一点透視画法を発見したのだ。

神の力に頼らずに秩序を生み出す方法の発見のためのヒントは古代ローマの宇宙論にある。かってのローマ全盛の時代には、宇宙も人体もともに秩序立った世界、コスモスだ。前者はマクロコスモス(大宇宙)、後者をミクロコスモス(小宇宙)。 図で描けば大円である宇宙と人体は一致する。(アントロポモルフィズム=レオナルド・ダ・ヴィンチ図) さらに各々はともに深い関係にあり、二つのコスモスは正確な比例関係を持つものとみなされていた。

 (fig21)

この考え方は十五世紀になると復活し、大宇宙=小宇宙の原理に基づく空間概念が後に、新しい建築の原理となり、比例を通じて表現された諸部分の調和ということに関心が持たれるようになる。

ルネサンス建築の特徴とされるのは、アプリオリの全体ではなく部分を重視する視点。全体はその部分の集積として改めて規定されるものという考え方。あるいは部分と全体は決してバラバラにあるのではなく空間的には一体化、統一化されている。この考え方はローマ以来の大宇宙=小宇宙の原理に基づくもの。ブルネレスキは同じ原理に励まされ、サン・ジョヴァンニ洗礼堂のパネル画の実験を試みるのだ。

(透視画法の原理はヒューマニズム)

ブルネレスキの一点透視画法の発見が当時の知識人たち、人文学者や建築家たちの最大の関心事となったのは、大宇宙=小宇宙の原理の強調や部分・全体の考え方を透視画法が理論づけていたからだ。空間が中心から発する光線によって理論的にも実際的にも把握されることに気が付いたブルネレスキは、目とモノとの間に置かれた画面は視覚錘体の断面を構成していることを示した。つまり、どんな部分も全体とは比例関係にあり、その部分と全体の関係は大宇宙=小宇宙を示している。

それはまた秩序ある都市の配列を導くもの。実際はともかくブルネレスキはシニョリーナ広場における様々な記念建造物の巧みな配置はこのような原理に基づくことを証明しようと考えた。

さらにもうひとつ、一点透視画法の発見がもたらした大事な考え方がある。それは世界を支配し、自然を変革するのは神のみではなく、人間もまた自然と法則を知ることで、世界を有効に支配できるという考え方。

世界は神ではなく、人間が人間のために計画的に支配出来るという確信が、人間が中心となった世界観を生み出す。つまり、人間中心主義というルネサンスのヒューマニズムは透視画法の原理そのものでもあったのです。

(透視画法が開いた世界)

ルネサンス建築の考え方を支配したのは透視画法。透視画法とは自分の目の前に一枚の透明なガラス板を置き、そのガラス板越しに見える世界をガラスの面に正確になぞって書くことだ。結果、目の前の世界は一つの秩序、まとまりを持った表現が可能となる。

そのまとまりは、人の目に「見えるまま」に表現された世界。つまり、ガラスという画面は「あるがままの世界」を写し取る装置。ここで重要なことは、画面に描かれた世界、あるいは空間の中にあるものは、宗教的観点から眺めたものではなく、人間の目が眺めた世界、人間の見た目が意義を持つ。

中世的絵画において、空間にあるものを画面の中に描こうとする時、描かれたものの大きさは宗教上序列、あるいは世俗の世界における階層を表すものに他ならない。つまり、空間は「あるがままの世界」ではなく、神によって秩序付けられ、序列化された世界、「あるはずの世界」なのだ。

 (fug22)

ガラス越しに見るという透視画法の中にあっては大きさの違いは距離を示すに過ぎない。中世的絵画にあっては、神は大きく中央に描かれ、序列の下位のものは外側あるいは小さく描かれている。いうならば描かれる前に、描かれる方法は決められていて、描かれる世界は序列化されたシンボルによる寓意の空間、それが中世の絵画空間だ。

透視画法では神ではなく人間の見ための現実が全てに優先される。そこでもっとも重要なことは、透視画法の中の消失点(焦点)や水平線が示していることは、モノや空間が無いのではなく、あるのに見えないだけだと認識させたこと。視覚によって見ることできる現実世界の限界はあっても、その限界は人間の住む世界の限界ではない、ことを透視画法は明らかにした。このことから、空間は誰の支配も受けない自由な広がりと見なされる。空間は特定な性格や好みも持たない等質で等方なもの、平準で均質なものと考えられた。

もはや空間は神が支配するものではなく、あるいはある種の質感をもった物体が外側にひろがって行くものではなく、その中にモノがあろうが空っぽであろうが、いつでも人間の力で計測・計画出来るものとなったのだ。

空間がこのように認識されることで、建築を支える考え方も大きく変わった。建築は自然を越えるという想像上のものではなく、あるいは目に見えない世界構造を示すというものでもなく、視覚で測定でき、規則的に表現できるある法則に基づいた機械のようなものとなった。

さらに、あらたな建築が生み出す空間のイメージとは、それは神が支配するものとしてアプリオリに限定されているのではなく、人がモノや記号を人為的に配列にすることによって生み出されるもの。詩人が言葉の配列によって生み出す空間と同様、シンボルの空間とみなされようになる。つまり、空間はあるいは世界は、神により生み出されるものではなく、詩人による制作、画家や建築家による「作品」となったのだ。

(シンボル配置の方法)

描かれている世界はいかに写実的であっても、絵画空間を構成するのはシンボル。シンボルはいかにありのままの表現であったとしても、それは音楽と同じように、実在物の似姿に過ぎない。

絵画は平な画面のなかに様々なシンボルを配置し、意味ある世界を表現したもの。そのシンボルを徹底した写実で表すか、あるいは別の意図を持って象徴的に表すかは、その絵画が描かれた時代の考え方の反映と言って良い。

写実性を生み出すことに熱心であったルネサンス、そこにはギリシャ・ローマと同じ様な自然を客観的に眺める時代精神が色濃く反映されている。反リアリズムであった古代エジプトや中世キリスト教社会、そこでは客観的に眺める以上に、「目に見えない世界」をいかに具体的に表現するかに関心が持たれた。中世社会では「あるはずの世界」が象徴的、超越的に表現されていたのだ。

ローマ時代のポンペイの家のいくつかには写実的な壁画が残されている。しかし、このような描きかたはキリスト教社会の中ではまったく消えている。十四世紀、音楽においてギョーム・ド・マショーがアルスを駆使し世俗音楽を作曲する頃、同じフランドルの画家ファン・アイクやイタリアのジョットが驚くほど写実的な絵画を描くようになった。しかし、彼らは後の透視画法のような奥行きを持った空間を描く技法を持ちえていたわけではない。ただひたすらだった自然観察がこれらの写実性を導き出していたのだ。

音楽におけるアルスへの関わりが「作品」と「作曲」、そしてその研究が音楽の革新となるアルス・ノヴァを生み出したように、十五世紀の透視画法の研究が画家と建築家を誕生させ、新しい人間と世界の関係を生み出す方法を開いていった。