2015年5月23日土曜日

パプーシャの黒い瞳

馬車を連ね、花吹雪の森や雪が舞う街を遍歴し生活するジプシー。
彼らにとって言葉を文字にすることは、悲しみを記憶し、禍を招くことでありタブーであった。
しかし、パプーシャは文字に惹かれ、匿った青年に惹かれ、四季折々の世界と仲間たちの喜びと悲しみを小さな紙切れに書き残して行く。
20世紀初頭から始まるパプーシャたちの終わりのない旅が、微細な光の陰と輝きの風景として記録されている。
哀愁深い音楽 に合わせ、シンプルなモノクロ映像をきめ細かに描いていくこの映画は、60年間に渡るポーランド・ジプシーの書くことが許されない叙事詩だ。

2015年5月16日土曜日

マルティン・ベック シリーズの新訳

マルティン・ベック シリーズの新訳がキンドルにアップされていた。
 翻訳ミステリーやハードボイルドはボクの好みだが、電子出版はまだまだ少ない。 
人気作家はシリーズ出版だが、最近はオカルティックやエキセントリックなミステリーが多く、一作で厭きてしまう、時代差だろうか。
40年前のマルティン・ベック主任捜査官は当時大人気の007とは大違いだが、社会性に富むミステリーとして何冊か読んだ記憶がある、人間味のある地味なミステリーだ。 
ボンドが美女と愛を交わし世界中の都市や名所を駆け巡っている頃、たまに家に帰るベック捜査官は夫婦仲の冷めたカミサンの鼾に悩まされ、風邪で咳き込みながら、降りしきる冷たい雨の中の薄暗い北欧の街を這いずり廻っている。

 格好いいボンドからは読みとれない、捜査上に現れる複雑な人間模様ときめ細かな北欧の街々の風景。 映像と写真からは見えてこない大都市の持つリアルな面白さがこのシリーズの人気の秘密かもしれない。 
マイ・シューヴァルとペール・ヴァール(二人は今で言う事実婚)はストックホルムの地味な警察官たちの日常を黙々と書き続けたのだろうが、日本ではかって何冊ぐらい翻訳されたのだろうか。
 今回の新訳企画はこのシリーズで最も有名な「笑う警官」と第一作と言われる「ロセアンナ」の二冊からスタートした。
そして、早々にキンドルで読み終わったので、その感想をブログに残すことにした。
 前書は水の街ストックホルムの観光船の中で殺され、全裸のまま閘門に放り出されたアメリカ人女性の話。 
後書は日常の市内バスの中で起こった乗客9人が全員銃殺される事件。 

現代社会ならテロと勘違いする大事件だが、アメリカのベトナム侵攻に反対する当時のストックホルムの日常が舞台となっていて、まさに40年前のアメリカ嫌いのスェーデン社会がそのまま描かれる。
 読みながら、興味を持ったのはやはり現代と異なるこの街の印象かもしれない。
 社会福祉と洒落たインテリアデザインが今のイメージだが、退廃したフリーセックスと麻薬と自殺、そしてデモと移民の街というのが当時のストックホルム。
やがては東京も、という先取り的陰鬱観がかってのボクの関心、今回、再読して、その奇妙な関心を呼び覚まされると同時に、本当の都市の魅力とはいったい何だろうということを改めて考えさせられた。
 新訳企画は「ミレニアム」人気がきっかけとあとがきにあったが、確かに、その陰鬱さと重いリアル感は共通している。
しかし、マルティン・ベックが面白いのはなんといっても都市と人間の絡まりにある。

2015年5月4日月曜日

三つのオルフェオ

(オルフェオの物語)
高山と峡谷により隔絶されたニンフと牧人が住まうのどかな理想郷。オルフェオはテッサリアの谷間、アルカディアに住んでいます。
彼はアポロンと九人のミューズ(知的活動を司る女神)の中の一人、カリオペとの間に生まれた音楽の神でした。
オルフェオは毎日、金の竪琴を弾きます。
その音と彼の歌によって鳥や獣だけでなく、木々も頭をたれ耳をすましました。
空に漂う雲も、小川のせせらぎも、彼の歌に合わせ流れたといいます。
オルフェオの最愛の妻はエウリディーチェです。
ある日、彼女は川岸を散歩して、あやまって草の中の毒蛇を踏みつけてしまいます。
毒蛇は怒り、エウリディーチェに噛みつきました。
やがて、彼女はオルフェオとの別れをおしみつつ、草の上に顔をうずめ息たえました。

エウリディーチェを失ったオルフェオは、悲しみのあまり竪琴も手にせず、歌うことも止めてしまいます。
いつもの川岸に座り、ただただ涙を流すばかりの毎日。
ある日、彼はエウリディーチェを取り戻そうと心に決めます。
エウリディーチェを探しに出かけたオルフェオは、やがて大きな黒い門の前に出ました。
そこには頭が三つの化け物のような大きな犬が番をしています。
闇の中の六つの火のような眼と歯をむき出しにして、すさまじい声で吠える化け物を前にして、オルフェオは金の竪琴を肩から降ろし、静かに弾きはじめました。
すると犬はだんだんとおとなしくなり、足下で眠ってしまいます。
もう一度オルフェオが歌を歌いはじめると、門はひとりでに開きはじめました。
死の国に着いたオルフェオは宮殿の門に立ちました。
そこにはいかめしい番兵、しかし、彼もまた竪琴の音を聴くと、おとなしくオルフェオを見送ってくれました。

広間にはハデス王、冥界の王です。
生きたままこの国にやって来たオルフェオを烈火のごとく怒鳴りつけますが、オルフェオはだまって竪琴を取り、えもいえぬ音を響かせ静かな美しい歌を聞かせました。
王の怒りはおさまり「美しい音楽を聞き、こんなにいい気持ちになったのは生まれて初めてじゃ。死してもいないのに、こんな寂しく、悲しい国にやって来たのだから、そなたにはなにか願いがあるのであろう。どんな願いか申しなさい、一つだけは叶えよう。」
オルフェオはエウリディーチェを地上に戻してくれるようにお願いしました。
死したエウリディーチェを再びこの世に返す願いに、さすがに王は渋ります。
しかし、あんな美しい音楽を奏でるものの願い、聞き届けてあげようと、エウリディーチェを黄泉の国から地上に戻すことを許しました。
ただし、二人が地上に戻るまで、どんなことがあっても、後から付いてくるエウリディーチェを振り返ってはならぬぞと、王はオルフェオに約束させるのです。

何度もエウリデーチェを見たいと思ったオルフェオですが、必死に我慢して道を進みます。
しかし、地上に戻る寸前、ついに辛抱しきれずエウリディーチェをわずかひと目と、振り向いてしまいます。
そこにはただ、なつかしい妻の声が聞こえただけ。
すべては霧の中に消えて行ってしまいます。

以上が、山村静さんのギリシャ神話(文庫)から要約できるオルフェオとエウリディーチェの物語です。
ピッティ宮殿の「エウリディーチェ」を始めとしてモンテヴェルディの「オルフェオ」、グッルクの「エウリディーチェとオルフェオ」と、この物語こそ「音楽」の底流であり、二人の作曲家はオペラ史のターニングポイントとなっています。
さらに、そのテーマを「愛と救済の物語」と敷衍させますと、モーツアルトの「魔笛」、ベートゥヴェンの「フィデリオ」もまた同じ流れの中にあります。
詩と音楽による劇という世界では、このテーマは決して消えることなく、現代に引き継がれています。

「オルフェオ」は、なぜ、オペラの底流なのでしょうか、なぜ、オペラ作家を引きつけるのでしょうか。
そこには見て聴いて楽しむだけのオペラとは異なるもう一つの「オルフェオ」があります。
それは、フィレンツェ・オペラが、その始まりに提示していた大事なこと。
オルフェオの物語にはギリシャ以来、音楽でしか表現出来ない「人間への知的関心」という大事なテーマがあるのです。

(オルフェオ・人文主義者の理想像)
フィレンツェのオペラ「ダフネ」の制作コンビは詩人オッタビオ・リヌッチーニと作曲家ヤーコポ・ペーリです。
「エウリディーチェ」もまた同じ。
どちらもメディチ家の政治的装置には違いありません。
しかし、「エウリディーチェ」は「ダフネ」ほどメディチ家の求める神話と直接的関わりを持つものではありません。
共通するのは、一つは舞台はアルカディア、ドラマの形式は当時はやりの牧歌劇であったこと。
二つ目は失われた黄金時代の牧歌的な幸せを、アポロやオルフェオの持つ力により再生しようとする願いです。
当然、このテーマはメディチ家だけのものではありません。
「オルフェオの物語」はルネサンス期、キリストに変わる新しい神のイメージです。
十六世紀には、失なわれたアルカディア(イタリア)をいかに取り戻すかが、時代のあるいは社会のテーマであり、そのイメージが「オルフェオの物語」に架せられました。

オルフェオは音楽の神です。
物語はもともと牧歌ではなく神話です。
神話であるということは、人間の持つ普遍的な問題、に関わっているということです。
オルフェオは悲しみを乗り越え、音楽の力によって死者を救い出した神。
不可能を可能とする神の持つ力、それはまた音楽に与えられた役割をも意味しています。
音楽の持つ役割とは、混沌としたカオスである自然界、人間界に秩序(コスモス)を持ち込み、神の国の似姿に変えること。
オルフェオは抒情詩人でもあり、理想的な竪琴弾き、言葉と音楽の力により、人間の生活を秩序だった世界へ、と導く神とみなされていたのです。

一方、救い出した愛する妻エウリディーチェをひと目みたい。
ハデス王との固い約束にも関わらず、どうしても振り向かざるを得なかったオルフェオは、神というより人間の姿そのものでもあります。
ルネサンス期の人々にとって、オルフェオは徳に無関心な石のような人間、身体的快楽にのみ狂気した人間を、音楽によって文明生活へ導く人でもあったのです。
従って、人間性に溢れた市民へと教化するオルフェオは、まさに同時代の人文主義者(ユマニスト)の理想像でもありました。

音楽によって人々の獸的な状態から文明人へ変える教育者、神の言葉を伝える詩人、雄弁を備えるオルフェオはフィレンツェのカメラータたちにとって、その姿は自分たちの存在の証しでもありましょう。
十六世紀末のカメラータによるピッティ宮殿での上演は、その役割を失いつつあるアカデミヤの顕在化作業に他なりません。
オルフェオを最も必要としたのは、その制作を担当したカメラータ自身であったと言えるのではないでしょうか。

ピッティ宮殿でのオルフェオがどんなに多くの人を魅了したとは言え、そのままの音楽では現在のオペラのような発展はありません。
事実、その後のメディチ家での祝宴は相変わらず、オペラよりインテルメディオの方が盛んであったと言われています。
モノディ様式による話す代わりに歌うという音楽劇は言葉よりも音楽が重要です。
オペラは劇を動かすことが出来るドラマティックな音楽を得て、はじめてオペラの道を発見するのです。
その道はピッティ宮殿の「エウリディーチェ」の上演から7年後、マントヴァにおけるモンテヴェルディの「オルフェオ」が切り開いていきました。

マントヴァでは、タッソの牧歌劇「アミンタ」がフェラーラに登場する100年も前に、オルフェオが上演されていました。
1480年、アンジェロ・ポリッツィアーノ作の「オルフェオ寓話劇」です。
ウェルギリウスが生まれたマントヴァは、イタリアにおけるアルカディアであるといわれています。
つまり、ここはオルフェオの誕生の地としてはもっともふさわしい都市です。
牧歌劇の初期の例となった「オルフェオ寓話劇」の上演には、多少の独唱曲や合唱曲が使われていますが、歌が登場人物の台詞であることはなく、音楽は情景を表す道具の一つにすぎませんでした。
つまり、音楽によってドラマが動くということはまだまだ思いもつかぬこと。
しかし、この上演は大きな評判を得ることになりました。
ポリッツィアーノの「オルフェオ寓話劇」はマントヴァ以降、数々の都市で再演されておりますが、ミラノではレオナルド・ダ・ヴィンチがその舞台装置を作ったとも言われているます。

オルフェオがマントヴァ宮殿で、モンテヴェルディ以前に登場していたことはオペラ以前の「オルフェオ」を考える上でとても重要です。
世界の中央から片隅に追いやられつつあるイタリア半島、かっての理想郷を芸術の力によって再び取り戻そうという物語は本来、十五世紀にこそ必要とされたテーマなのです。
十六世紀後半のイタリアでは、もはや理想郷は彼岸のものとなってしまいました。
そこで必要とされたものはもはや、再生の為の理念ではなく、インテルメディオに見られるある種の享楽でしょう。
つまり、テアトロ・オリンピコの理想都市と同様に、フィレンツェのカメラータによる「エウリディチェ」(オルフェオの物語)の上演は、すでに時代遅れのテーマであったことは免れません。
しかし、すでにアナクロニックであった「オルフェオ」を同時代の音楽劇として再登場させ大評判となったのもまたマントヴァ、モンテヴェルディの力です。

彼はフィレンツェとは全く異なる「オペラ」を生み出したのです。
モンテヴェルディの「オルフェオ」は新様式のモノディであり、あるいは牧歌劇を越えたドラマであるということでしょうが、何よりも新しい音楽であったことが重要なのです。

モンテヴェルディの台本はアレッサンドロ・ストリッジョ、彼はマントヴァ宮殿の秘書官、人文主義者でもあった人です。
その台本をよく読みますと、その全体は音楽賛歌となっていることがよくわかります。
プロローグはインテルメディオ風であり舞台はアルカディアの情景です。
牧歌劇同様、寓喩としての「音楽」が登場し、そして歌います。

私は「音楽」、柔らかな調べで
どんな乱れた心も鎮めることができます。
そして、ときには高潔な怒りにより、またときには愛によって、
どんな冷たい心でも燃え上がらせることができます。

フィレンツェのオルフェオのプロローグは「悲劇」ですが、マントヴァのオルフェオは「音楽」によって語られ、ドラマが始まるのです。
そして、興味深いのは四幕のクライマックス。
黄泉の国からエウリディーチェを連れ帰ることを許されたオルフェオ、そこで歌われるのは愛する妻への愛情ではなく、竪琴への賛歌なのです。

どんな名誉がお前にふさわしいだろう、
私の全能のリラよ、
お前は黄泉の王国で
どんなかたくなな心をも靡かせたのだ。
お前は天上のもっとも美しいもののあいだに、座を占め、
お前の音に合わせて星くずが、
緩やかに、あるいは速く輪になって踊るだろう。
お前のお陰で私は幸せが一杯で、
愛する女の俤を見、妻の白く清らかな胸に
きょう抱かれるだろう。

フィレンツェのオルフェオはユマニスト(人文主義者)としての役割が託せられている、と書くのは「ドラマとしてのオペラ」のジョーゼス・カーマンです。
しかし、モンテヴェルディにとってのオルフェオはどこまでも音楽の神。
オルフェオを詩や劇の支配下に置くのではなく、どこまでも音楽として解放することがモンテヴェルディの試みです。
オルフェオは神であるからこそ、ドラマの中で語るよりも歌うことが許されています。
散文や詩よりも、音楽そのものが神の言葉としてもっとも正当であり納得のできるものであったからです。
モンテヴェルディはそのことに特に意を尽くし、後世の人もまねできない絶妙なレチタティーボをオルフェオに与えました。

一度失った愛する妻を音楽の力によって取り返すという、あり得ないことをあり得る現実として一挙に形式化してしまう劇の持つ力に慄然としたモンテヴェルディは、フィレンツェで始まった音楽形式の中に、今までの音楽では達成できない「音楽の力」を発見しています。
つまり「オルフェオ」は音楽であるとともに、音楽を救い、人々を救うものです。
モンテヴェルディにとって「オルフェオ」は作品であると同時に、自分自身の可能性そのものであったのかもしれません。

モンテヴェルディが示す新しい音楽の力はレチタティーボにあります。
後世に見られるアリアとアリアを繋ぐだけの叙唱ではなく、通奏低音に支えられ感情を持った生の朗唱。
あるいはアリオーソと呼ばれるアリアに近い独唱です。
マドリガーレに示されるように、音楽の役割が雰囲気や場のイメージを描くことであったこの時代、オルフェオは人間の声による感情表現をはじめて音楽によっておこなったのではないでしょうか。
「オルフェオ」ではまだ後世のオペラのようにドラマの中の登場人物が一人一人的確に描き出されてはいませんが、場面場面で示される感情の変化はコルネットやヴァイオリン、ハープによるリトルネッロで巧みに調整され叙情的な音楽となって表現されています。
牧歌劇が音楽劇として変容したのはこの時なのです。
悲劇、喜劇、そのどちらでもない第三の劇としての牧歌劇がここではじめて音楽の劇へと変容した、それが後世に引き継がれるオペラの誕生にほかなりません。

(啓蒙的人間としてのオルフェオ)
自らが持つ竪琴によって野獣をおとなしくさせ、岩や木を動かし、嵐を静めることが出来るギリシャ神話の中のオルフェオを、フィレンツェでは徳に無関心で現実的な凶器じみた快楽にのみ関心を抱く人々を、詩や音楽によって、文明生活へと導くこうとする、人文主義の理想像とみなしていました。
フィレンツェのオルフェオは人の生きる道を伝える人文主義者そのものの姿。オペラを生み出した人々にとっては、オルフェオは彼ら自身の鏡です。

マントヴァのオルフェオは、どこまでも音楽の神。語ることより歌うことが許されたオルフェオは、詩を吟じ竪琴を奏でることで、不可能を可能とした神 でた。
しかし、その神もまた最終的には、エウリディーチェを救い出すことには失敗します。
モンテヴェルディのオルフェオは主知主義的なフィレンツェとは異なり、生の情熱を持ち懇願し哀切に泣く人間の姿オルフェオでもあります。
そして音楽家オルフェオは芸術の上では成功しますが、エウリディーチェとの現世的な愛を取り戻すという人生の上では失敗したのです。
音楽家としては成功しますが、マントヴァ宮殿では妻子との生活もままならない、不遇なモンテヴェルディそのものです。

十八世紀ウィーンに再び画期的なオルフェオが誕生します。
詩人ラニエロ・カルッツァピージの台本とクリストフ・ウィリバルド・グルックの作曲による「オルフェオとエウリディーチェ」です。
1762年10月、オーストリア女帝マリア・テレージャの夫君はトスカーナ大公フランツ一世と命名されることになり、その祝賀の祝典オペラとしてウィーン宮廷劇場で初演されました。
マントヴァにオルフェオが登場してすでに155年、新古典主義の真っただなかの時代です。
新古典主義では、前代のバロックに代わり、自由で、素朴、自然で、わざとらしくない人間感情の表現が大事にされます。
その表現ための形式は規律と秩序を原理とするルネサンス同様、再び静でバランスの良い古典古代の規範が求められました。

新古典主義の「オルフェオ」を作ったグルック。
彼はオペラ改革の人とも言われます。
音楽劇であることより歌唱中心、あるいは歌手が重視される歌の饗宴のようであった、当時のバロック・オペラに対し、グルックは再び演劇性を取り戻し、詩と音楽の有機的な結びつきによる音楽劇の制作をめざしました。

生み出されたオペラはいたって簡潔です。
グルックはフィレンツェやマントヴァと同じ「オルフェオの物語」を枠組みとしていますが、全く新たな人間像の構築を試みました。

グルックのオペラ「オルフェオとエウリディチェ」はもはや牧歌劇ではありません。
寓意によるプロローグ、「音楽」も「悲劇」も登場することなく、音楽が始まるとすぐにドラマの核心に入ります。
幕が上がると、エウリディーチェの死を嘆く合唱が流れます。
そして悲痛なオルフェオのアリアが続きます。
愛神アモールはオルフェオに冥界に行き、愛する妻を取り戻すよう勧めます。
冥府への入口では、復讐の女神たちの拒否の合唱、オルフェオはその合唱に対し静かな竪琴の調べと愛の歌声で呼び掛けます。
やがて、入場が許されとそこは、一転して輝かしく平和、やさしさと静かさで幸福な気分に満たされたワルツが奏でられる淨福の世界。
まるで天国かアルカディアに昇り着いたかの趣きの世界です。
ここまでの全体はつつましく、端正で、静かで、緩やか、バロックの狂騒とは程遠い優雅な新古典的世界が展開されます。

しかし、ドラマの核心は第三幕にあります。
そこからは一転して人間的葛藤が始まるのです。
オルフェオとエウリディーチェのレチタティーボがオペラの核心です。
振り向いてもくれないオルフェオへのエウリディーチェの嘆きと懇願。
神との約束と愛する妻の苦しみの板挟みに耐えかねるオルフェオ。
それはモンテヴェルディが示す情熱とは全く異なる十八世紀の、いや現代の私たち誰もが経験する人間的葛藤です。

エウリディーチェが歌います。
私を抱いてくださらないの?話して下さらないの?
せめて私を見て下さい!
言って下さい、私は以前のように
まだ美しいですか? 
見てください、私の顔のバラ色はあせてしまったのじゃないかしら?
言って下さい、あなたが愛し、
そして優しく呼んだ
私のまなざしの輝きは
暗くなってしまったのじゃないかしら?

オルフェオが歌います。
行こう、私のいとしいエウリディーチェ!
今は愛撫をしている
時ではない、
遅れてしまうことはわれわれにとっては致命的なことだ!

(エウリディーチェ)
でも一目だけでも!
(オルフェオ)
君を見てしまうと運命の終わりなのだ。
(エウリディーチェ)
ああ、不実な方!
これがあなたの歓迎なのですね!
私を一目見ることも拒絶なさる、
いとしい恋人から
優しい花婿から
抱擁と接吻を
期待できるはずの時に。
(オルフェオ)
さあ、黙っておいで!
(エウリディーチェ)
黙っているんですって!もっと
苦しまなければならないのですか?
それではあなたは
思い出も、愛情も、
貞節も、忠誠もなくしてしまったのですか?
愛と神と結婚の神の
あのように優しい、つつましやかな灯りを
あなたは消してしまったからには、
なぜ私の快い眠りを覚ましたのですか!答えてください、裏切り者!
(グルック・リブレット対訳:名作オペラブックス:音楽之友社)

このエウリディーチェの懇願に抗せる人はどこにもいないでしょう。
「何という苦しさ!ああ、胸が引き裂かれるようだ!もはや耐えられない・・・・・・」と歌い激しい勢いで振り向き、ついにエウリディーチェを見てしまうオルフェオ。
そして終幕です。

愛神アモールの戒めを守れず、振り返ってしまったオルフェオはエウリディーチェを再び失い、自殺まで試みます。
しかし、愛神アモールは「愛は世界中を幸福にする」と歌い、エウリディーチェをオルフェオのもとに戻してオペラは終わります。

モンテヴェルディのオルフェオはエウリディーチェが本当に自分について来てくれるか不安になり、振り返ってしまいます。
つまり、芸術家としての理想像であったオルフェオですが、救い出した妻が黙って自分に付いてきてくれているかどうか、人間としての自分自身には自信がないオルフェオの姿です。
結果として、オルフェオはその自信のなさから妻を失ってしまいます。

グルックのオルフェオはもはや神話ではありません。
そこは日常の我々と同じ、人間の世界です。
グルックのオルフェオは「愛しているなら私を見て」という懇願に負け、振り向かざるを得なかったのです。
それは人間としての憐憫の情、徳を持つ人間なら、もはや振り向かざるを得ない、と思わせるのがグルックのオルフェオです。

ドラマの筋立てには無理はありません。
愛ある人間であるなら誰も同じです。
理知的、啓蒙的に成熟している人間であるなら当然の姿なのです。
つまり、グルックは感情を持った啓蒙的人間としてのオルフェオ、道徳的モデルとしてのオルフェオを表現したのです。
そういう人間であるオルフェオだからこそ、愛神アモールは彼の気高い愛を賛美し、「愛は世界中を幸せにする」と歌い、エウリディーチェを現世に戻す、というエンディングにも私たちな納得してしまうのです。
つまり、ドラマの結末もすこぶる合理的。
十八世紀のグルックは人間オルフェオに相応しい「愛の賛歌としてのオペラ」を完成させた、と言って良いのではないでしょうか。

十八世紀の新古典主義、それを支えたのは旧来の貴族ではなく、台頭しつつある市民たちです。
彼らのオルフェオは理知的で勇気と憐憫の情を持った道徳的人間に他なりません。
グルックの30年後、モーツアルトは「摩笛」に、50年後、ベートゥヴェンは「フィデリオ」に同じテーマ、愛と救出の物語をオペラ化し、音楽によって新しい市民像のモデルを示しています。
つまり近代市民社会を迎え、オルフェオは神話的アルカディアから人間的市民社会に降り立った、と言えるのではないでしょうか。

(「オルフェオの世界」の終焉)
「ドラマとしてのオペラ」の著者ジョーゼフ・カーマンは「バロック時代の本質をなす芸術形式、神々や英雄を題材にしたオペラは、モンテヴェルディがその形式の価値を突然示したときに始まった。この偉大な伝統は、グルックがそれを独自に変形したときに終わった。だからオルフェオは、いわば一つの時代を始め、また終えたのである。」(p71)と書いています。
「オルフェオの終焉」です。

当然のこと、オペラの世界が終わった訳ではありません。
人文主義者でもなければ、音楽家でもない、私たち自身が歌う妻への愛と哀れみ、そして悲しみ。
「悲劇」「音楽」という寓喩が歌う神話的世界のオペラは人間的世界のオペラへと変容しました。
そして、グルック以降のオペラは等身大の人間が折りなす音楽によるドラマとなります。

そこはもはや「オルフェオとエウリディーチェ」のような2人だけの世界ではなく、大勢の登場人物の情実や感情が折り重なって進行する世界です。
登場人物がたとえ神話や歴史物語から選びだされたとしても、彼らはここではもう普遍的な人間ではなく、個々の役割と感情を秘めた一人一人の人間たち。
音楽はその登場人物の持つ個々の役割と感情を的確に描き出し、重ね合わせドラマを動かす。
これがグリュック以降の近代市民社会のオペラなのです。

話をその後「オペラの世界」から「オルフェオの終焉」に戻しましょう。
オルフェオは貴族や上級階級の人々に育まれ、築き上げられたものと言えます。
市民革命を待つまでもなく、「オルフェオの終焉」は彼ら特権階級の解体を意味しています。
しかし、ここで重要なのは歴史ではなく文化の変容にあります。
集団に支えられていた「作品の世界」が個人による個性の表出の世界に変容した、という事実を確認することにあります。

精霊に導かれ神から授かった言葉や音楽が人間による作品に変わるのはルネサンス。
しかし、ここから始まる「作品の世界」はすべて社会あるいは時代の要請に結びついていました。
「オルフェオの終焉」とは、作品がその依頼者の装飾やプロパガンダであったとしても、その世界は集団的意味の顕現の場あって、個人的世界の表出ではなかった、という「作品の世界」の終焉です。

オルフェオの持つ神話性の解体とは、作品がライフスタイルのナビゲーターや社会秩序のシンボルであることより、個々人の人間性の高揚に、その役割が移ったことを意味しています。
つまり、十八世紀グルックは、「オペラ」を集団の為の構築物ではなく、個人的生き方、感情に関わる「構築物」に変容させたと言って良いでしょう。

「オルフェオの終焉」は「ヨーロッパの音楽と建築」の大きな変局点、その変容を理解する大事な糸口です。
そして、ボクたちは今、相も変わらず、「建築の変容」を追っています。
この変局点を「音楽」のように乗り越えられなかったのが「建築」です。
何故なら、「建築」は18世紀以降の個人的世界にあっても、集団的意味を持った「作品の世界」からは逃れられない人間が生み出す最大な「構築物」だからです。

同じテーマをイーフー・トゥアンは「個人主義空間の誕生」で追いかけています。
それは「劇場」をキーワードとした、ヨーロッパの空間の変容。
あるいは西洋における個人主義の発生と環境の分節化の重なり合い、を書いています。
アナクロニックにかっての共同体に依存することなく、何を創るのか?
そして、かれは最終頁で次のように書いています。
伝統的な共同体では、客観的な価値が昔のまま残っている。物事や人々の活動の意味は明白である。意味はひとつの観点でも、個人的な情熱を傾けた結果でもないのだ。人はある役割を受け持つ。なぜならそれはそこにあるかである。(個人空間の誕生/p279)



(Gluck - Orfeo ed Euridice - Dance of the Blessed Spirits from BachnerTrpt on YouTube)

2015年5月2日土曜日

オペラの誕生

オペラの誕生は瓢箪から駒と言われる。
生み出されたきっかけと生まれでた結果が著しく異なるからだ。
16世紀後半、フィレンツェのサンタ・クローチェ教会の近くのジョバンニ・バルディ伯の館ではユマニストの集まりがあった。
彼らの集まりをアカデミーと言いうが、テーマは音楽を古代ギリシャの理想に則し再発見することにあった。

ギリシャの音楽は言葉と旋律が一致している。
言葉が全体を支配し音楽がそれに従う、それが彼らが考えたギリシャの音楽です。

テキストがはっきりと理解できるように簡単な伴奏の上に載ったソロの形が望ましい。当時流行のポリフォニー音楽は知性に対し訴えるものがなく、感覚的な耳の刺激にすぎない。
そのように考えていたユマニストは、複雑な音の綾織りを嫌悪している。
そして和声的感覚の上になり立つソロの歌にこだわった。
それはゴシック様式がイタリア人に嫌われ、明快なルネッサンス建築を生み出したのに似ている。
彼らは曖昧さのない知的構築物を求めていたのだ。

ユマニストたちは1594年田園劇「ダフネ」を完成させる。
さらに1600年10月6日、トスカーナ大公の娘の婚儀には「エウリディーチェ」をパラッツォ・ピッティで上演した。
レスタティーボだけの音楽劇は今の私たちには、結婚式用の華やかなイメージとはほど遠いもののように思える。

演奏された「エウリディーチェ」は結婚式の催しものとはいえ、美しいメロディや華々しい音響効果が必要であったのではない。
詩の意味、言葉の中身をいかに的確に伝えるかが大事だったのです。

誕生期のオペラは現在の娯楽とはほど遠く、恐ろしく教養主義的な趣を持っていたことがわかる。
しかし、その後のオペラにとって重要なことは、ソロの確立や音の綾織りの嫌悪ではない。
音楽によってドラマが進行するという形式、ドラマ的な音楽を生み出すための基礎が作られたことにある。
この形式はブルネレスキやアルベルティの建築から遅れること100年あまり、しかし同じフィレンツェの地で誕生したことは重要だ。

2015年5月1日金曜日

アラヤシキの住人たち

自由学園の宮島真一郎先生が始められた共同学舎はもう40年も経過していた。
ボク自身も一度は訪れてみたいと思いつつ、その世界を体験する事もなく、時は過ぎ去っていた。
しかし今回、本橋さんの映画のおかげでその実体に少し触れることができた。
残念ながら、先生は完成を待たずして亡くなられてしまったのだが。
2年ほど前の6月、写真家本橋成一の「上野駅」の再版を機会とした個展を見に行った。
久しぶりにお会いした彼もまたすっかり白髪。
しかし、話は終始撮影中のアラヤシキの話ばかり。
彼が夢中になる世界は、映画を観た今はとてもよく判る。
今回もまたナージャやアレクセイを引き継ぐ、彼自身による映画製作、モトハシ・ワールドだ。
彼の話す真木の面白さは、映画が始まり、すぐ気がついた。
この世界は決してドラマではない。
ドキュメンタリーでも記録映画でもない。
出産はあるが死はない、夜明けのラジオ体操はあるが就寝はない。
何事も決して声高に語ることなく、ただただ真木の里の時間が流れる。
六本木で会ったのだが、彼はそのとき、すっかりアラヤシキの住人だったのだ。
「いま撮影中だから見においでよ、しばらくあそこにいると、もうぜんぜん時間が違うんだよね」。
いろんな人がいろんなことをつぶやき、いろんなことに夢中になる。
決して、各々は理解し、つながっているわけではない。
人と人とのコミュニケーションとは必ずしも言葉のことではない。
人々は、自分を人に伝え、人を知るため、ともに食べ、ともに働く。
強制するものは何もなく、あるのはただただ流れる時間、住人たちはその時間に身を任せ共に生きている。
そう、この世界はまさに桃源郷、いや違うな、それは「音楽の世界」と言って良いのかもしれない。
熊よけのカウベルを鳴らしながら山道を1時間半、人里から離れた小さな窪地では犬が吠え、山羊が鳴き、風が流れ、アラヤシキが建つ。
白馬連邦の山並みに囲まれた小さな集落。
かっての小谷村真木の住人たちは今は里に下り、共同学舎にその地を委ねた。
現在、この真木の外、全国5カ所に拠点を持つ学舎は、知的障害や精神的障害を持つ人々を含め、農事に関心を持ち働ける人を誰をも受け入れ、共同で生活している。
誤解されては困る、ここはコミューンでもサティアンでもない。
「競争社会ではなく、協力社会を」宮島先生の呼びかけに応じて参加した人たちは、あるひとときを米や野菜をつくり、山羊を飼い、チーズやソーセージ、菓子やパンをつくり、そしていつか山を下りていく。
真木は音楽のような世界と感じたのは、描かれた時間の流れにリズムがあり、メロディーがあるからだ。
ひとりひとりがいて、ともにある世界、さまざまな声、さまざまな音、さまざまな思いがさまざまに錯綜するが、雨と風と雪の世界に響く、食事を知らせる板木の音だけが生々しく、毎日、その世界を秩序づけている。
音楽の世界とは人間がいきる秩序だった世界のことだ。
宮島先生は「あなたという人は地球始まって以来、絶対にいなかったはず、あなたという人は地球が滅びるまで出てこないはず」と語っている。
バラバラで各々個性を持つ一音一音は決して誰からも強制されることなく、しかし、ともにあるためのハーモニー(秩序)を持ちリズムを刻む。
そんな世界がモトハシ・ワールド、雪を戴くアルカディアの山懐に住むミューズたちの「音楽の世界」。


オルフェオの世界

舞台の中の幻想の世界、その世界の中で進行する歌に託されたドラマ。 オペラは最高の娯楽であると同時に、極めて意識的な作りもの。 
演じられている場がどんなにリアリティを持っていても、オペラはそこが現実とは異なる虚構の世界であることを忘れさせない。 
豊かなメロディによって人の魂を遊ばせる一方、極めて意識的な作りものであることを自覚させる。
 この酔わせながらも、すべてを奪い取らないオペラの持つ自意識性、虚構性は理性を尊ぶイタリア・ルネサンスの特徴と言えるのではないだろうか。 

キリスト教が中心であった中世社会に代わり、神に依存しない「人間を中心」とした新しいライフスタイルを模索始めた時、 彼らは神によって作られた「自然的世界」と同時に、人間によって生み出される「作品的世界(オペラ)」に関心を示した。
  神の世界と人間の世界、それは自然的世界と作品的世界、人々は想像としての二つの世界に住んでいた。 

その二つの世界を橋渡しをしたのは「オルフェオ」です。 
オルフェオは竪琴を弾き、言葉を音楽に載せることで無秩序な動物的世界を秩序だった人間的世界に変える音楽の「神」。 
あるいはまた、抒情詩人として言葉を歌によって話すことが許された唯一の「人間」でもあったのです。

 「ギリシャ神話」に始まり、ローマ時代の「変身物語」に引き継がれる「オルフェオの物語」はオペラの題材としてはしばしば登場する。 フィレンツェに生まれる最古のオペラを始めとして、その数は30を超え、やがてオルフェオはオペラのみならず、あらゆる「作品的世界」のテーマともなっていく。

 オペラ作品としての「オルフェオの物語」。 その中で最も良く知られているのがモンテヴェルディとグルック。 
前者は十七世紀の始め、オペラの誕生期の作品、後者はその転換期、十八世紀半ばに作られている。 
二つのオルフェオはオペラ作品として重要だが、オルフェオとオルフエオの間の150年間もまた極めて興味深い時代。
 モンテヴェルディのオルフェオの初演はローマ、サン・ピエトロ大聖堂の大ドームの完成の時期に一致する。 
それは美術史に言うバロック時代の始まり。 二つのオルフェオの間、バロック時代はオペラのみならず、建築、絵画、彫刻と人間による沢山の作品が作られた時代でもあったのです。 

 オペラの誕生を準備するルネサンス、そしてオルフェオとオルフェオの間のバロック。
 どちらの時代の作品も旺盛な想像力に満ち、知的好奇心を刺激する複雑多彩な虚構性を秘め、作り上げようとする人間の意志と想像力が満ちていた。 
現代にない豊穣な形態を持ち、多義的であり饒舌、豪華多彩、物語性に富み、祝祭的感覚で私たちを圧倒する、 この時代の建築は音のないオペラ(作品)といえる。
 一方、数多くの名歌手と演奏者、豪奢な衣装とスペクタクルな舞台構成、演じられるものは話す代わりに歌うという、 極めて非現実的なドラマであるオペラ。 
それは理性と享楽という、あい反する趣味を合わせ持った、人間が生み出す最大の「構築物」でもあったのです。 

「オルフェオの世界」の「音楽と建築」、それはともに装飾的、複合的、力動的、厚みのある「作品的世界」だ。 
「音楽と建築」の世界に同時に踏み込みたいとする試みは、人間の意識によって作られた世界、作品の持つ<虚構の世界>への関心にある。 
そこには「人間が人間として生きる」というヨーロッパ文化の持つ伝統が色濃く刻まれているからだ。