2014年11月4日火曜日

バッハの音楽

バッハの音楽は川のせせらぎに似て、始まりもなければ終わりもない、クライ マックスない音楽です。一定の時間内にドラマが起き、完成するという西洋的な思考からみると、バッハ音楽の時間の流れはその場その場の音の世界を、ただひたすら生み出したもの、と山田雅夫さんは「渦と水の都市学」に書いている。時間はある目標を完成させるための手段ではなく、ただひたすらに経験すれば良いという視点は、西洋というより東洋的な感じがしとても興味深い観点だ。
バッハの音楽が東洋的であるかどうかはともかく、クラシック音楽を聞くうえで当たり前に思われている、クライマックスやフィナーレという見方は案外新しく特殊の考え方である、と教えてくれたのは国立音楽大学の小林緑さん。

18世紀のある音楽会のプログラムでは、まずシンフォニーの第一楽章のみが演奏される。次に続くのが全く別の器楽曲、そしてさまざまな歌手によるアリアが歌われ、最後になって再び先程のシンフォニーの第四楽章が演奏されるのだそうだ。
現在ではとても考えられないプログラムだが、これが18世紀の普通の音楽会であったそうだ。17世紀以来のオペラの人気が高い当時のヨーロッパの音楽会ではアリアが中心、器楽だけのシンフォニーは音楽会を構成する枠組の一つ、お飾りに過ぎなかったということだろう。

中世の教会から始まった音楽の歴史では、西洋の音楽は歌うことから始まっている。つまり、全員参加が音楽の前提だ。歌手の歌を聴くということが始まるのもルネサンスになってからのこと。そして、音楽がただ聞くためのものに変わるのは器楽音楽が人気となったモーツァルト以降のこと。
宮廷オペラが人気となるバロック時代だが、器楽だけの音楽はまだ貴族社会における衣食住の道具に過ぎず、日常的ななりわいの一つにほかならない。
器楽音楽は生活用品であり、衣装で身体を飾るように、日常空間を装飾していた。つまり、器楽音楽は家具のようなものなのだ。そこでの音楽は量が重要であり、豊かに沢山の器楽音楽が鳴り響いていることが空間を豊かにすること、そして、権力の高さを象徴していた。つまり器楽音楽は聴いて楽しむものではなく、荘重でも厳粛である必要もなく、ただただ聞き流すものであったのだ。

18世紀になり、聞き流していた器楽音楽を身を入れて聞くようになったことから、フィナーレ感が重視される。ここでは社会における音楽の役割の変化を考えてみる必要がある。時代は貴族社会から市民社会へ、音楽はオペラだけでなく聴いて楽しむ器楽音楽が盛んになる。そして19世紀になり、フィナーレとそれを迎えるためのクライマックスはなくてはならないものに変わった。

器楽音楽は貴族社会にあっては当初は芸術ではなく、ディリービジネス、終わりという観念もなく、風や水の流れのような存在であった。やがて、市民社会になり「音」だけを楽しむという演奏会が誕生し、初めて器楽音楽におけるフィナーレという終わりが重視される。そして、音楽は全てはじめがあり、クライマックスがあり、フィナーレがあるものとして完成していく。

器楽音楽はかって、フィナーレがなく、ただひたすらの時の流れであったということはとても重要なことを意味している。音楽は時間の中にあり、時間は何かの目標を実現するための手段ではなく、人間として生きることの全てである、という当たり前のことを改めて喚起してくれているのではないだろうか。
人間が生きる上での「時間」は東洋も西洋も変わらない、当たり前で自然なことなのだ。しかし、この当たり前の時間の流れが西洋では「音楽」となり芸術となった。西洋文化の面白さはこんなところに姿を表す。

ボクは「音楽は建築」だと考えている。歴史から見ると、建築が音楽なのだが、「人間が人間として生きる特別な空間」つまり芸術の空間はかってはすべて建築の中に統合されていた。しかし、市民社会に入り、音楽は聴くもの、絵画・彫刻は見るものとなり、全ての芸術は建築からは分離し独立してゆく。
残された建築はニュートラルな生活の容器であり道具あるいは箱に変容した。つまり建築の解体だ。美術館やコンサートホールという「建築」はもはや、美術でもなければ音楽でもないのだから。

こんなことを考えながら、バッハおよびそれ以前の「都市と建築」を体験して見る必要がある。時代が変わり、貴族社会が市民社会に変わったという事実からだけでは見えてこない、「人間が人間として生きる時間」の流れを気づかせてくれる。現在の建築からは決して体験することができない、何か大事なもの、そこには「日常的な時間」の流れと同時に、「特殊な時間」も重層して流れている。

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