2014年3月20日木曜日

バッハの教会

中世初期、ロマネスク教会では、聖歌は単旋律で歌われていた。

単旋律のグレゴリア聖歌はモノトーンでお経のような音楽。しかし、唱和され聖歌は堅い石の壁とボールト天井に反響し、次々に重なりあい教会内は独特のハーモニーで満たされる。

結果、その音響は決して単純かつ質素なものではない。体 感的には、その後のヨーロッパ音楽の特徴である旋律的、和声的な音楽のすべてはこのロマネスク教会の単旋律音楽が始まりと考えて良いようだ。

石で囲まれたロマネスクの教会では、神父の普通の話し声はとても聞き取りにくい。それは子どもの頃、洞窟やトンネルで騒いだ体験があれば容易に理解できることだろう。

音はウヮンウヮンと響いてしまい、多くの人に解るように大きな声を出せば出すほど、シラブルは長い間反響し言葉の意味はますます聞取りにくくなる。

ロマネスクやゴシック教会での神父の話が全て音楽のように聞こえるのは、朗誦の部分もリズムをとり、前のシラブルが消え、次のシラブルは抑揚を変えるなどして音の重なり合いを起さないように語られているからだ。

16世紀の宗教改革後のルター派教会では従来のカソリック教会に比べ、聖書講読することや説教を聴かせる事がその大きな役割となった。プロテスタント教会の牧師にとって最も重要なことは聖歌を歌うこと以上に聖書の中の物語を普通の話し声で教徒たちに語ることと言って良い。

新しく聖書講読用に造られた教会は別にして、古いドイツの教会では、この目的に叶うため、内装上の幾つかの改修が必要とされた。ライプチッヒの聖トーマス教会はバッハの宗教上の名曲が数多く生まれた教会として有名だが、この教会はプロテスタントのために改修された教会として知られている。

今年も年末を迎えると、ロ短調ミサ、マタイ受難曲・・・・は、あちこちの教会や大学あるいはコンサート会場で演奏される。現在ボクたちの誰もが親しめ、楽しめるこの名曲は牧師の言葉が明瞭に聞こえる、改修されたばかりの聖トーマス教会から生まれていることり留意する必要がある。

聖トーマス教会に施された改修とは、ひだのついた垂れ幕を石の教会内にたくさん施し、木製バルコニーを導入し、音を分散させ、残響時間を1.6秒程にまで押さえたことにある。石に囲まれた残響が長い音響空間ではなく、人の話が明瞭に聞こえる野外や木造の祈祷室(オラトリオ)のような空間はまさにバッハ音楽のために用意された音楽空間と言って良い。

つまり話は逆なのです。プロテスタントであったバッハは話し声という精妙・微細な音も明瞭に聞こえる音響空間を得たことで、以前の石の教会の音楽家ではなし得なかった、弦のパートが明瞭に響き、きびきびしたテンポ、複雑な音型とハーモニーの素早い展開を持ち、早いリズムのメロディーを、雪解けの水の流れのように軽やかに奏でていく名曲の数々を、作曲することが可能となったのです。

バッハの後に生まれたモーツアルトはカソリックの教徒です。彼の宗教音楽は決して多くはないが、その中の一つ有名なレクイエムを聴いてみると面白い。そして、バッハのロ短調ミサ曲と聴き比べてみる。同じ、宗教音楽でもその音楽の響きかたが大きく違うことに気がつくだろう。

音楽は名曲であるかあらぬか以前に、音楽が生み出される、あるいは奏でられる空間の違いによって、全く異なる世界を生み出していることが実感されるはずだ。

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