2014年9月6日土曜日

ペトラルカー生涯と文学 近藤恒一 

キリスト教徒の王子様とイスラム教徒のお姫様、はたまた水を売り歩く貧困だが善良な小男ガリュゴと狡猾な官吏たちの騙しあい等々。
イスラム建築を調べるつもりが、思いのほか楽しい千夜一夜に迷い込んだ「アルハンブラ物語」。
さらにそれならばとジュネの「泥棒日記」の再読。結局、ここのところアンダルシアばかりさまよってしまった。それはそれで楽しかったのだが、今日は久しぶり、本題のイタリアに戻ることにした。

ダンテにアルベルティ、彼らは100年の隔たりがあるが、イタリアの個人主義・ロマン主義の始まりが気になるボクにとって決して、離れることはない二人だ。しかし、今日はさらにもう一人、重要な詩人を調べることにした。ペトラルカだ。
彼の存在は世の識者、あるいはルネサンスの研究者なら決して外すことはないのだろう、しかし、「音楽と建築」というテーマから彼に直接触れるチャンスはなかった。いや、それは大いなる間違いで、抒情詩の詩人という先入観がボクからペトラルカを遠ざけていたのかもしれない。とはいえ、考えて見れば、かのイザベラ・デステがフロットラに飽き、マドリガーレを作らせたのはペトラルカの詩に打たれたから、と音楽史にはある。ここは抒情詩の何たるかを考えて見る必要がありそうだ。

ペトラルカは「都市」と「家族」を失った詩人。しかし、その「孤独生活」は凡人が考える孤独とは全く異なる詩的世界。それが彼の抒情詩。考えてみれば、ダンテもアルベルティも ペトラルカ同様、フィレンツェから追放された人であり、あるいはそんな家族の一員。イタリア人にとって「都市」と「家族 」を喪うことはどんなに辛いことだったのだろうか。ペトラルカはその苦難を直接詩にしている。ユルスナールが書いたゼノンは最初から「都市」と「家族」に 触れる事すら許されなかった近代人だった。

ペトラルカの街、プロバンスのヴォークリューズ
La vie en Provence - Sault, Vaucluse | by © . SantiMB .

ヒューマニズムの形成にはロマンチシズムは不可欠と言って良い。今、そんな予感に捉まえられている。近代は「都市」と「家族」を失った。したがって、ヒューマニズムを支えるロマンチシズムが意味を持つ。19世紀をそう理解するコトができそうだ。
一方、近代にいう「集団」と「個人」の間にはイタリアでは現在でもいつも彼ら特有の「家族」が存在し続ける。ヴェルディのオペラはそれを感じさせるし、イギリス、フランスに比べ近代化が遅れた理由も理解できる気がする。

ダンテやペトラルカから100年後のアルベルティが20代で家族論を書き、30代で古典を読み変え「建築論」を書き、何故、イタリア中の都市の宮廷に招かれ想像としての「理想都市」を説いたのか。それがボクの「音楽と建築」の目的の一つであり、イタリア文化を検討する上で最も重要なこと。

20世紀、トマス・マンが語る芸術としての都市は解体した。したがって、新しい「都市」を想像しようするならば、この三人は当分マーク、と同時にその想像に関わろうとするならば、もはや現在の工学的建築では不可能、文学と音楽という分野の役割に違いない。この「ペトラルカー生涯と文学」は「都市と家族」、「音楽と建築」というテーマにとって不可欠、そんなことが感じられる貴重な読書時間だった。


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