2014年7月6日日曜日

黒の過程 マルグリット・ユルスナール

久しぶりに重量感溢れる小説だった。
ユルスナールは広くて深い、前回の「ハドリアヌス帝の回想」で感じたことだが、普遍的に生きようとする近代人間の孤独と悲しみを克明に描いている。
この小説もまた長編ではあるが、大作と呼ぶものとは異なる愉しみを持っている。それは主人公ひとりの内側と外側のすべてが描かれているからだ。つまり、時代や社会や人間、ありとあらゆるものを描くのではなく、ゼノンという独りの人間を語り続ける。
中世から近世へと、激しく流れる時間とじっととどまる都市と建築の空間。
そんな外側に吹き飛ばされ、懸命にしがみつき、ゼノンは近代を生きる自分自身を省察する。
読んでは戻り、ページを繰っては考えさせられる。読み終わることを恐れているような、不思議な重みのある読書体験だった。


16世紀宗教改革に揺れる西ヨーロッパ。
その世界はプロテスタントとカソリックの争いと括りがちだが、それはこの小説が描きたかった世界の姿ではない。
描かれた世界は、唯物的、物質的、現実的、背教的に生きざる得ない主人公ゼノンの、つまり、近代的人間に課せられた生き様の模索と言って良い。
「ペストは別段足を速める様子もなく、皇紀のように鐘の音をともなって旅を続けた。飲んだくれのコップをのぞき込み、本に囲まれて腰を下ろしている学者の蝋燭を吹き消し、司祭のあげるミサに仕え、蚤のように娼婦の下着にひそみ、ペストはあらゆる人間の生活に、無礼きわまりない平等の要素をもたらし、荒々しく危険な冒険の酵母を混ぜ込んだ。」(p108)
ユルスナールが描きたかった人間の悲しみがここにある。
近代を生きる喜びは、この「平等そして均質の中に」こそあるはずだったのに、ゼノンがその中に見たものはペストだけだった。

ゼノンの父親アルコベリコ・デ=ヌミはフィレンツェの大商人の息子。
ジュリアーノ・ファルネーゼの友人であり、ジョヴァンニ・デ・メディチと従兄弟だが、歴史上のジョヴァンニと同じようにデ=ヌミは従兄弟のジュリオ・デ・メディチに殺される。
母親はフランドル、ブリュージュの大商人を兄に持つ敬虔な女性イルゾンド。
しかし、未婚の母から生まれたゼノンはフィレンツェにもブリュージュにも生きる場はなく生涯、孤独と放浪の旅を続ける。
無神論者の彼は錬金術師(黒の課程とは錬金術においての化金石にいたる最も困難な段階)、それはつまり、医者であり科学者、物事をすべて合理的に思考する人。そして、彼はまさに前代との狭間を生きた最初の近代人だったのだ。
描かれた孤独と放浪と悲しみは現代人の持つ心象風景、ゼノンはその後の全ての人間を象徴した人。

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