2014年8月27日水曜日

藤村の散文をめぐって

藤村は若菜集からスタートした詩人、やがて破戒、春、家、夜明け前等の長編作家と目されるが、実は沢山の短編・中編も書いている。
早くから英語もフランス語もマスターし、漢籍にも関心が高く、五七調の詩を書き、散文の世界にも関わっている。
その経緯はふるいものを壊し、新しい言葉を新たに作っていく。その時全てを壊すのではなく、いいものは残す。
藤村の方法はまさに、言葉の「継立て」と言えるようだ。

継立てとは 「夜明け前」にも度々登場する言葉。
街道において「宿」から「宿」へと「ひと」「もの」「情報」を 継立てていく。
この日、堀江敏幸氏の講演は「継立て」に視点を置いての藤村文学の話しと言ってよい。

藤村の故郷は美濃と木曾の境界にあり、中山道の宿、馬籠。そこは文字通り継立ての場。その文学もまた明治と大正の狭間、同時代、表現された言葉も文語と口語を継立てている。
藤村は言葉を「継立て」ることで、自らの文学を留まらせることなく、新たな表現を模索し、人間世界への洞察を深めていく。
藤村がもつ文章を書き続けていくことのしぶとさはこの「継立て」にあったようだ。

講演の後半で具体的に触れた作品は「柳橋スケッチ」の中の「海岸」。
「柳橋スケッチ」自体が5つの短編で作られているが、その中の一つの短編「海岸」は4部に分かれている。
内容は一文一文、時間が行ったり来たりする複雑な構成。
それは時間のズレを読者と共有しようとするもので、まさに柳橋の下を流れる水のように、絶えず揺れ動いている文章だ。
藤村は小さな短編を書いているのだが、それは大きな長編小説と全く変わることはない。
だからこそ、彼はその全体を「スケッチ」と呼んだのであろう。

「柳橋スケッチ」を一度も読んだことの無いボクにとって、堀江氏の言わんとするところを百パーセント理解できたわけではない。
しかし、メモ帳に残された走り書きはどれもこれも興味ある事柄ばかり。
すでに講演から1週間も経ってしまったが、幸い 「柳橋スケッチ」を電子ブックで見つけることが出来たのでメモ帳を片手に読んでみた。

「柳橋スケッチ」は柳並木、柳橋、神田川の岸、日光、海岸という5つの短編の一群とした中編小説。
明治から大正という狭間の時代に書かれている。
それは藤村自身が3人の子を失い、妻を失い、こま子との関係に懊悩している時。
そして彼がまさに自らの「新生」に向かおうとする象徴となる作品と言える。

特徴的なのは前半3部が川、藤村の日常生活の場である柳橋、神田川での考察、そして後半は海への思考。
この川から海への展開の「継立て」になるのがワイルドの「獄中記」であり、藤村を「新生」に導く。

川と海は死と再生のイメージを喚起し、生きる上での新たな活力を感じさせる。
その各々はバラバラなアンソロジーだが、全体は一つの長編のような構成。
事実、川部分の3部は長編小説の「新生」そのものと言える。
私とK君の川岸での出会いに始まり、静思、自省、停滞、澱み、理由のない寂寥感が描かれている。

転機を描く「日光」の編。
「私」という人間を規定している肉体的苦痛から旅行へを導くもの、それは獄中記への親近感と苦痛から遊離した虚構の持つ霊的な力と言えるようだ。

「彼(ワイルド)の「新生」とは人生を持って芸術の形式となすにあった。かくして始まる芸術的生活は結局一種の作り物語であろうと思うけれど、彼のいわゆる知力的勇桿には動かされる。」そして、「心がかわいてきたーどれ、日光を浴びようか」 (「日光」から引用) と藤村自身の「新生」への継立てを宣言する。

最後の編、「海岸」は今日の講演の堀江氏自身の継立てでもあるようだ。
藤村の特別な研究者でもない堀江氏が坪内祐三氏に請われ「明治の文学」の編集に関わったことからこの「海岸」に出会っている。
この短編は明治期に書かれ大正期に出版された。
文体には時代の気風が反映されるので、よくあることだが、書かれた時と校正し出版された時とのタイムラグはそのままズレとなって文章にはあらわれる。

「上総の海、とうとうこの海岸の漁村へ来た」 (「海岸」から引用) 、
今までの文体と異なり、まるで前代の雅文のような調子で藤村は「海岸」を書き始める。
つまり古い文体だが新しい精神を表現する。

中盤では海を写生する画学生の絵に現実の海にはない船が描かれていることから、無為、空虚、平凡な日常を引き吊り旅に出た自分だが、ごくわずかな間、 画学生の考えによって日常の海を「永遠」そのものとして見る海に、「なめらかな波の背、波のしわ、うず、日光の反射、透きとおるような海の色、それらのものが集まって自分のほうへはいってくる印象はあざやかに生き生きと感ぜられる。」海に、変わると藤村は書く。 (「海岸」から引用)
つまりここもまた、ワイルドが言う虚構が持つ霊的な力の再確認。

時制を含み、この短編の複雑な構成はすでに触れたが、藤村は最終節で70歳に近い、目の見えない老婦を登場させ、彼女の子供の頃、やがて大人になり、そして今はその人の最後を見る思いを感じさせる文章だと堀江氏は語っている。

「この宿に一人のおばあさんがある。七十近い、目の見えない老婦だ。その年まで生き延びたら、食うという欲よりほかに残らない人で、あてがわれたわんを大事にしては、食事の時間でなくともガツガツ震えている。暗い部屋《へや》にひとりで引きこもっていて、かみさんの足音を聞きつけるたびに、例のわんをさしつけて拝むようにする。
「おばあさん、朝の御飯がすんだばかりだよ……そんなに食べたがって、また腹下しするよ……。」かみさんにしかられては、おばあさんは、子供のようにわんを引きこます。わたしは思いがけない所で、人の一生の最後を見る気がした。
 わたしはよく年ごろな婦人やかわいらしい娘などを見るたびに、その人たちの子供の時の容貌《ようぼう》や、それから年をとっての、姿などを思い比べることがある。
「わたしたちがずっと年をとったら、どんなふうになるんでしょうねえ。」とある娘が言ったが、わたしは今、あの娘の言ったことを思い出した。おそらくわたしが東京へ帰って、この漁村で見たおばあさんの話をしたら、どうかしてそんなになりたくないものだと、あの娘などは言うかもしれない。」(「海岸」から引用)

それはあの娘、新生の節子、実の姪のこま子へと引き継がれる想像的世界、この小さな短編は壮大な長編をその内に秘めていると堀江氏は読み取っている。

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