2014年5月9日金曜日

シャーの「愛の妙薬」

今年のライブビューイングの始まりは「愛の妙薬」。
演出はバートレット・シャー、「ホフマン物語」でボクを魅了した人。
その面白さはすでに触れたが、今日は加えて大好きなドニゼッティのオペラ。
シャーの演出は彼の独自性の発揮にある。

前回のホフマンは決して孤独ではなかった。
ロマン主義いや個人主義の詩人ホフマンだが、彼にはいつもミューズであるニクラウスがついていた。
そんな舞台にすっかり魅せられ、時々DVDを聴く。

今日の「愛の妙薬」、幕間でシャーはドタバタ喜劇では終わらせず、人間ドラマとしてできるだけリアルに描いた、と解説している。
しかし、今日は、気に入らない。

確かに、気に入っているグライドボーン、あるいはYouTubeにもアップされているウィーンのシュタッドオパーとは大きく異なり、リアルな人間の物語。
というよりつきなみのよくある三角関係の物語に終わってしまった。
そう現代風に二人は互いにリアルに相手の愛を探り合う、わかりやすいがどこに面白みがあるのか。

もともとこの物語は第一幕でアディーナがトリスタンとイゾルデやマルスとヴィーナスの物語を語るように、中世の騎士物語やギリシャ神話の三角関係を下敷きにした喜劇。
そもそも、恋する男はいつの時代も、ホンモノであればあるほど喜劇的。
だからこそ、このオペラの面白さはドタバタにあり、二幕の「人知れぬ涙」が際立って真実味をおび心を打つ。
ネモリーノが垣間見たアディーナの涙。
男が知る愛の喜びは何故あれほど悲しみ持って歌わなければならないのか。
ドタバタでしか説明できない恋をした男の琴線だ。

シャーの演出ではこの喜劇のもっとも重要な役割を果たすはずのキューピット、そう、惚れ薬売りのドゥルカーマラが今日のオペラではまったく生きてこない。
それは歌手のアンブロージュ・マエストリの責任ではなくシャーの演出にある。

シャーはドラマの現実感を強めるために舞台背景は逆に奥行きを消し絵画的、2D化したと語っている。
なるほど、映画でオペラを観る観客を充分に意識した演出。

そして相変わらず2Dしか聴いていないネトレプコだが、今日も文句なしのディーバ、いや今日の役は神話の中のヴィーナスと言って良かろう。
奔放自在、シャーの演出を超え、男だったら誰でも惚れる魅力たっぷりのアディーナを歌い続けてくれた。

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