2014年3月1日土曜日

門 夏目漱石

順当に発展しなかった夫婦の物語。
親友の妻、恋人を奪うことはそんなに罪深いことだろうか。
宗門を叩くまでも萎縮する宗助の繊細さにボクはついていけない。 「それから」に直接繋がる物語ではないが、読み手としてはどうしても代助と宗助を対比してしまう。
しかし、二人を重ねあわせ、通時的に読むには無理がある。
状況も性格も異なる、全く別々な二人の男のエゴイズム。
「それから」の三千代と「門」の御米、各々の妻、二人の心情と振る舞いは「明暗」のお延ほどには詳細に描かれてはいない。
奪われた京大の安井もまた、京都から東京に戻った平岡ほど明確には書かれていない。
「門」の宗助をどう読んだらいいのだろうか。
彼はその罪の意識からか、なかば世間から逃れ、崖下の薄暗い貸家にひっそり住まう隠れびと。
父の死と共に財産を失い、子供もなく毎朝市電で役所に通う宗助は別種のエゴだが、漱石定番の自意識の高い高等遊民の一人と言えよう。
そのような生き方は何を意味するのだろうか。
近代を生きる様々な個々人の一人。
この、感想はうん十年前と全く変わらない。 

いや、今回はすこし変わった。虞美人草で気づいたことだが、漱石は100年前に現代人を書いていたのだ。それは西洋かぶれした日本人と言うことより、西洋の宗教主義や物質主義とは異なる日本の個人主義の問題。その将来は西洋と同じではなく、「家」や「集落」から自由になった我々は、どんな生き方を選択するか。残念ながら、漱石が100年前に書いた懸念は当たっていたかもしれない。この辺りは昔、もっとも面白いと思った「こころ」と「行人」を再読してみたいと思っている。利己主義とは異なる我々の個人主義を漱石はどう書いていたのか。

今回もまた電子ブックは無声映画を観ているような滑らかな読書体験だった。
気軽に読む楽しみの時間を感じさせる青空文庫に感謝する。