2014年1月18日土曜日

ハンナ・アーレント

昨秋、岩波で公開されたが、中高年には大ヒットだと知り、なんとなく躊躇していた。 今日、渋谷に出かけた、若い人も多くほぼ満員だ。 当然だろう、素晴らしい映画、いつになく充実した時間。 公開から日が経っていたぶん、この映画だけは事前にレヴューを含め、いくつかの紹介記事をよく読んでいた。 どれも丁寧に正確に書かれていて、改めてブログの良さを知る。 テーマの大半は「8分間のスピーチ」に集約されるだろう。

「悪の凡庸さ」 思考するから人間であって、しなければ人間ではない。 思考を放棄すれば、誰もがアイヒマンになる。 非人間のアイヒマンは悪ではない。 思考停止人間を生み出すのがナチズムの悪。 ナチズムは加害者となる思考停止人間を量産した。 ナチズムはまた被害者の思考も停止し、人間の持つモラルを崩壊させ、ナチに協力するユダヤ人を生み出した。 この、ナチに協力したユダヤ人に言及したことから、 ハンナは多くの人々に批判される。 批判はされたが、批評がないまま、親しい同胞との友情も亀裂する。 ハンナは一人、人間の悪とは何か問い続ける。 思考停止させるのはナチズムだけでは無い。 今や、思考を停止した非人間はいくらでもいる。 思考は人間としての自らを裏切らないと同時に、 自らに誠実であることの困難さをも示しているからだ。

嫌いな人の真実より、好きな人の嘘がいい。 テーマから外れるが、ハンナとハイデカーとの関係がどう描かれるかに、今日は観る前から興味を持っていた。 あるブログに書かれていた。 ハンナがハイデガーに送らなかった詩。

信頼する友よ、 あなたにわたしは誠実でありつづけ そして不実でもありました、 どちらも愛のゆえに

映画では直接的には描かれていない二人の関係。 いや、描かれていた、白樺の樹林でのハイデカーの言葉。 それは「 思考は風」。 やはり、テーマは哲学だ。 思考し続ける人間でありたいとつくづく思う、 愛も悪も持つ「人間」であり続けるために。 Google Keepから共有