2014年1月25日土曜日

リーガル・マインド

今日の試写会もまた女性が主人公。 一人の女性の思考と心情と行動を描いたドラマと言ってしまえば、先週のハンナ・アーレントと全く共通している。 舞台もまた法廷だ。 しかし、今日はアメリカ、子育て中の弁護士ケイトが二つの冤罪に関わる物語。 彼女はかって黒人冤罪被害者を刑務所送りにしてしまったという苦い経験を持つ。 そのストレスからかアルコール依存症、そして夫との離婚、一人娘の養育権も失う。 どん底のケイトは冤罪を訴える同世代の女性受刑者の訴えに瞬順する。

しかし、弁護士としての再起と養育権を取り戻すべく困難な法定に立つ。 真実と虚偽、正義と事実、さらに仕事と子育て、いくつもの狭間をいかに生きるか、テーマは普遍的だ。 ケイトの良き理解者である先輩弁護士ブリッツの言葉がこの映画では大きな意味を持つ。 「あまりにも自分中心すぎるのではないか」。

彼は決してケイトが自己中だと言っているわけではない。 狭間にある時、真実や正義を見極める為には「内なる他者の言葉を聴け」ということだろう。 ブリッツは知っている、ケイトは決して投げない女性であることを。 醜い人間の格闘劇だが、見終われば爽やか。 それはこんな素晴らしい友人の存在があるからだ。 Google Keepから共有

2014年1月18日土曜日

ハンナ・アーレント

昨秋、岩波で公開されたが、中高年には大ヒットだと知り、なんとなく躊躇していた。 今日、渋谷に出かけた、若い人も多くほぼ満員だ。 当然だろう、素晴らしい映画、いつになく充実した時間。 公開から日が経っていたぶん、この映画だけは事前にレヴューを含め、いくつかの紹介記事をよく読んでいた。 どれも丁寧に正確に書かれていて、改めてブログの良さを知る。 テーマの大半は「8分間のスピーチ」に集約されるだろう。

「悪の凡庸さ」 思考するから人間であって、しなければ人間ではない。 思考を放棄すれば、誰もがアイヒマンになる。 非人間のアイヒマンは悪ではない。 思考停止人間を生み出すのがナチズムの悪。 ナチズムは加害者となる思考停止人間を量産した。 ナチズムはまた被害者の思考も停止し、人間の持つモラルを崩壊させ、ナチに協力するユダヤ人を生み出した。 この、ナチに協力したユダヤ人に言及したことから、 ハンナは多くの人々に批判される。 批判はされたが、批評がないまま、親しい同胞との友情も亀裂する。 ハンナは一人、人間の悪とは何か問い続ける。 思考停止させるのはナチズムだけでは無い。 今や、思考を停止した非人間はいくらでもいる。 思考は人間としての自らを裏切らないと同時に、 自らに誠実であることの困難さをも示しているからだ。

嫌いな人の真実より、好きな人の嘘がいい。 テーマから外れるが、ハンナとハイデカーとの関係がどう描かれるかに、今日は観る前から興味を持っていた。 あるブログに書かれていた。 ハンナがハイデガーに送らなかった詩。

信頼する友よ、 あなたにわたしは誠実でありつづけ そして不実でもありました、 どちらも愛のゆえに

映画では直接的には描かれていない二人の関係。 いや、描かれていた、白樺の樹林でのハイデカーの言葉。 それは「 思考は風」。 やはり、テーマは哲学だ。 思考し続ける人間でありたいとつくづく思う、 愛も悪も持つ「人間」であり続けるために。 Google Keepから共有

2014年1月16日木曜日

まちや紳士録

いい映画だ。町の再生はやはり「人間」だ。 「柳川堀割物語」を思い出した。 あの時の柳川市職員広松伝氏に代わり、今日は北島力さん。 彼は元市職員で退職後、八女町家再生応援団の代表として空き家の再活用に取りくんでいる。 福岡県八女市福島地区は県南部のかっての城下町。 廃城後も周辺の町の商業的中心地、その歴史的町並みは現在もまだ白壁の伝統家屋を数多く残している。 しかし、高度成長後の少子高齢化とバブルの崩壊、人口の減少から始まる、伝統手工芸や町並みの喪失は、いまや中間山村だけではなく、日本中どこの都市でも起こっている問題だ。

記録映画化された八女市福島地区もまたグローバリゼーションの波と自然災害により古くからの町並みが日に日に壊されていった。 奮起した北島さんは「このままではいけない」と町の建築家中島孝行さんと手を組み、伝統的建造物の再活用をめざす。 空き家活用の取り組みのポイントは様々の分野の移住希望者を集めることであろう。 そして、大工、左官、瓦や塗装・・・・伝統技術を若い居住者に引き継いながら、競争無縁社会を「つくろいなおす」営みが映画の中に克明に描かれていく。 この映画を作れた監督の伊藤有紀さんもまた、この地に最近、越して来られた家族。 さらに、都会のマンション生活を切上げ、子どもの為の本や八女の伝統手工芸品の販売促進に関わろうとする家族。 あるいは原発事故で汚染された地を見限り、この地で新たに宅老所を運営されようとされる家族。 みなさん、若い方々だ。

これから始まるであろうヒト・モノ・コトのつながりは、この町の伝統継承。 目を見張る即席の屋台の建設と「燈籠人形」の上演。 そして公演後はまた来年のため解体が始まる。 毎年毎年、3日間だけの3層の屋台の建設と解体に象徴される映画は80分で終わる。 いや、生き続ける人と街は終わることはない。 配布された試写会用の作品紹介パンフのなかには 「町並みと伝統を守ってきたこの地での命をつなぐ営みの記録」と書かれている。 Google Keepから共有

2014年1月10日金曜日

イタリア現代思想への招待

もっぱら現在と未来だけに目を向けて生きている日本人やアメリカ人。しかし、イタリア人にとって、過去を現在という時間と切り離しては考えることが出来ない。と岡田氏が「イタリア現代思想への招待:講談社」の序文に書いている。建築や美術の世界から批評が消えてしまった最近、読んでいるのはイタリアやフランスが多いのだが、特にネグリやアガンベンは良い刺激になっている。現代イタリアのどこに関心が向くのか。決して十分に読取れているわけでは無いのだが、彼らの思考にはやはり「美学」という支えがあるからだろう。古典的な美学は個人的な感性とは無関係、こんな欲望だけに支えられる都市や建築ではなく、集団的意味を持った世界を、ボクは夢見ている。 Google Keepから共有