2014年12月20日土曜日

誰よりも狙われた男 ジョン・ル・カレ

「誰よりも狙われた男」 ジョン・ル・カレ
「誰よりも狙われた男」もまた悲しい男たちのドラマ。
冷戦時代のスマイリーに代わりテロにまみえるゼロ年代のエスピオナージ、まさに時代はビッグ・ブラザーからリトル・ピープルへというところだ。
スパイなどという前世紀のヒーローはもはやどこにも登場しない。
登場する誰もがみんな、どこにでもいる小粒な組織人間。
何のためか、誰のためか、主義も目的もなく、いや対する敵すら誰なのかも想像出来ない男たち(一人女性がいたCIAだ)のドラマ。
そんなエージェントたちはただただ弱いものを追いつめていく。
映画を観て後の小説の読書は、映画ではカットされている部分もきめ細かく描かれていて、やはりル・カレの世界は小説の方が一枚上だ。
しかし、この映画ではほぼ全編、省くことなく映像化されていたと思う。
物語はドイツのハンブルグだが、この都市はル・カレの60年代べストセラー「スマイリーと仲間たち」の舞台でもあった。
ル・カレは作家になる前、この都市のイギリス領事館に努めていた。
だから、何処でも起こり得るこの悲劇にハンブルグが選ばれたのだ。
彼の小説は特にそうだが、エスピオナージでは、登場人物のキャラとドラマの舞台となる場所(時間・空間)が特に大事だ。
人間の悲喜はすべて舞台となる都市風景と親密にシンクロするのだから。
しかし、この映画の悲劇はもはや世界中のピップな都市なら何処でも起こるだろう。
集団的自衛権や特定秘密保護法を持つ東京や大阪でも。
グローバル/ネットワーク時代、いまやテロリストは誰かは問題ではない。
見えないテロに右往左往するリトルな人間たちが都市を走り回る恐怖(テロリズム)だ。

疲弊していた造船の街ナントの創生文化都市として再生

疲弊していた造船の街ナントの創生文化都市として再生
青柳正規文化庁長官の話を聞く、日仏会館創立90周年記念講演。
テーマはcreative city network。
造船で繁栄していたフランスのナント市だが重厚長大 化による疲弊で衰退していた。
しかし近年、市長を中心となっての地域おこし、その目論見はもののみごとに花と咲き、市民創生文化都市として再生した。
このナントをモデルに現在、ビルバオ、グラスゴー等が文化芸術を手掛かりに、地域文化の再生に取り組んでいる。
ポイントになることは決して単なる観光化ではない。
生活の質の向上を目標とする文化都市をいかに建設するか。
ここでいう文化とは決して難しいことではない。
いかに市民一人一人がより良い生活を確保しようとするか。
そして、その生活を支えるもの、それは人間と人間、人間と環境との関係への配慮ということ。
日本でもいま全国各地で生活文化向上をテーマにした、
新たな地域づくりへの取り組みがはじまった。
その数は青柳氏の説明では、現在28都市に広がったという。
具体的には島根県金沢市、兵庫県豊岡市、兵庫県篠山市、富山県八尾市、徳島県神山町等々。
講演ではその再生活動が詳細に報告され、その活動の活性化のために、
いかに、新たなネットワーク作りが有効かを説明された。

2014年12月18日木曜日

ゴーン・ガール

サウンドが気になり今回はシネマズ日劇で観た「ゴーン・ガール」。やはり音楽は面白い。結婚5年目のライター夫婦、一見セレブだが、共にライターだけにドラマは虚々実々。リトルピープル時代のリトルな人たちのサスペンスだ。

2014年12月5日金曜日

いつも手遅れ アントニオ・タブッキ

書簡体小説として書かれているのはすべて記憶の世界の物語だからであろう。作者はクレタ、プロバンス、パリ、ロンドン、ポルト、テッサロニキというかっての訪れた町の記憶を頼りに別れた女性に手紙を書く。語り手は全て男性、相手は同一人物ではないが全て女性。返事は一度もない、読まれているかも定かではない。書き手も相手もバラバラ、書かれているのは町の記憶につながる思い出ばかりと言って良い。

恋文ではない、何の為の手紙。この短編集の面白さは、すでに書いたが、物語と言うより、「記憶」を形として残しておこうと言う、建築デザインのような内容にある。

旅をテーマとし、その記憶を物語にする小説は少なくない、どれもボクの好みの小説ばかり。 (オウィデウス、アラベールとエロイーズ、ルソー、カフカ)ゲーテのイタリア紀行から始まり、ユルスナール、辻邦生、須賀敦子、堀江敏幸、・・・きりがない。タブッキの小説はすべて紀行文ではないが、いつも訪れた街とその街の人々が克明に描かれる。

本書の解説にタブッキはこの小説を契機に「記憶」から「時間」に転じたという。なるほど、空間を語るあるいは発見すると言うことは、時間を見ることなのだろう。

2014年11月27日木曜日

シャトーブリアンからの手紙

見るつもりはなかった。 見なければならないと思った。 見て良かった。 人間の尊厳を見た。 罪を犯すのは権力という抽象ではない、人間個々人という具体だ。 戦争、収容所、処刑、それは余りにも身近な存在だ。 処刑されるシャトーブリアンの人々。 ドラマではない実話だ。 製作はフランスではないドイツ。 この事実を知り見たいと思った。 監督は「ブリキの太鼓」のフォルカー・シュレンドルフ。

2014年11月21日金曜日

ダゴベルト・フライとジェームス・ファーガソン

19世紀ウィーンのダゴベルト・フライは演劇の現実性に関する考察を展開し、「建築は私の生活空間に所属する」と言っている。
当たり前と思うが「模写的絵画や彫刻では、作品と観照者である自分との間には、時間的・空間的な隔たりや境界があるが、建築ではそのような隔たりがなく、作品と私は同一の時空を共有する」(建築美学・中央公論美術出版)と書かれるとややややと思う。

つまり、一般美学では建築は絵画や彫刻と同じように自然をある種の幻影として表現することがあるが、建築では現実性として表現しなければならない。しかし、実用性がそのまま美となることもなく、建築は芸術的に形成された現実性であるというのだ。
これは現代都市にこそ相応しい言及、彼の「観客と舞台」はちょっと気になる論文だ。

ジェームス・ファーガソンは、宗教改革期以降の西洋建築は全て模倣様式と言い放ち、19世紀イギリスの建設ブームの真っ最中にあって折衷主義建築を鋭く批判した人として有名だ。
その彼がさらに面白いのは、まだ見ぬ近代建築を、野獣によって表現されるほどの喜びや悲しみしか表現できない建築と語っていることだ。
人間の術としての建築は初歩的な技術段階、感性的美術段階、そして最後に言語を用い知性に訴える音声術段階の三段階あるとするのがファーガソンの論だが、20世紀の建築からは形態の持つ人間的意味情報はすべて消去されうると予測していたのだ。

2014年11月15日土曜日

0.5ミリ

安藤桃子、安藤サクラという興味深い姉妹が作った評判映画。 昨晩、有楽町スバル座で見た。 期待通りとてもおもしろい映画だ。 プロクセミクスという言葉を思い出した、「かくれた次元」だ。 人間も一個の生物である限り様々な個体間距離を持っている。 著者であるエドモンド・ホールは「人間が空間をどのように利用しているか」をプロクセミクスと名づけ、密接距離(45cm)、個体距離(45cm-120cm)、社会距離(120cm-360cm)、公衆距離(360cm以上)の4つの距離帯を区別した。 サクラは独居老人といい加減な大人と捨てられた子どもの間を風のように吹き抜けて行く。桃子はそんな映画を都会でもない、田舎でも郊外でもなく、高知という古い街で作った。

2014年11月13日木曜日

供述によるとペレイラは・・・・ アントニオ・タブッキ

「ペレイラ」はポルトガル語では西洋梨の木。
もともとはヘレニズム語で果実をつける木を意味する。
タブッキはポルトガルの歴史の中で不当な仕打ちを受けた民を敬愛し、この小説の主人公をペレイラと名づけた。
夢と現実が錯綜し時間も後戻りする、曖昧と混乱の中に幻想的な物語を構成するタブッキだが、今回は1938年の夏というリアルな時間の中で順当に推移するまるで映画のような物語を読んだ。事実、この小説は1995年マルチェッロ・マストロヤンニがペレイラを演じ映画化されたという。

小説の中のペレイラは妻を失った「リシュボア」新聞の文芸面編集長。
すでに老成した彼は静かな安定した毎日を仕事面でも休暇面でも楽しんでいる。
1938年とはサラザール独裁政権下のリスボンが秘密警察の横暴と言論封じ等の圧政で第二次世界大戦前夜の悲劇に直面している時、同時代の日本と同様多くの市民は政府の意のまま、抵抗もままならず苦しんでいる、ペレイラもまたそんな市民の一人であった。

7月のある日、ペレイラが文芸欄の編集上必要としたことだが、リスボン大学哲学科を優等で卒業したフランシスコ・モンティロを見習い記者として雇うことから物語が始まる。
読み終わる以前の予測どおり、ペラエイラはポルトガル、スペインのレジスタンス活動に賭ける若者を支援するようになる、そして、モンティロはその活動の犠牲となりこの世を去る。

しかし、物語は歴史に対する抵抗運動の話ではない。老成し安定した日常生活を送るペレイラの内面世界が描かれている。もちろん小説ではモンティロの死はショックだが、小説はそこにいたる歴史の過酷さと人間の義務がテーマとなっている。
休養と体力調整のために滞在したパレーデの海洋療法クリニックのカルドーソ医師がペレイラに語る。

「大事なのは、疑いはじめたことです。もし若者が正しかったら・・・。」と医師はペレイラの人間としての内面に深く関わる。
「個人としての規範となる常態、それは決して結果ではなく、自らが課した主導的エゴに統括されているに過ぎない。問題はさらに強いもう一つのエゴが登場した時、あなたはその新たな主導的エゴのもと生きることができるか否かだ。」

ペレイラは若者たちの意見と行動とは隔たってはいるが、自己の内面にある新たな主導的エゴには忠実、そして彼らの活動を支援する。
物語は長い間培かってきた人格や信念というものをも、必要と考えれば変えられるかどうかがポイントだ。
つまり、この物語は現実を生きる人間として写実的に描き、主人公の生き方を問い、市民としてのあるべき姿を真正面から取り上げた小説と言ってよい。

Google Keepから共有

2014年11月12日水曜日

バッハとトーマス教会

中世初期、ロマネスク教会では、聖歌は単旋律で歌われていた。

単旋律のグレゴリア聖歌はモノトーンでお経のような音楽。しかし、唱和され聖歌は堅い石の壁とボールト天井に反響し、次々に重なりあい教会内は独特のハーモニーで満たされる。

結果、その音響は決して単純かつ質素なものではない。体 感的には、その後のヨーロッパ音楽の特徴である旋律的、和声的な音楽のすべてはこのロマネスク教会の単旋律音楽が始まりと考えて良いようだ。

石で囲まれたロマネスクの教会では、神父の普通の話し声はとても聞き取りにくい。それは子どもの頃、洞窟やトンネルで騒いだ体験があれば容易に理解できることだろう。

音はウヮンウヮンと響いてしまい、多くの人に解るように大きな声を出せば出すほど、シラブルは長い間反響し言葉の意味はますます聞取りにくくなる。

ロマネスクやゴシック教会での神父の話が全て音楽のように聞こえるのは、朗誦の部分もリズムをとり、前のシラブルが消え、次のシラブルは抑揚を変えるなどして音の重なり合いを起さないように語られているからだ。

16世紀の宗教改革後のルター派教会では従来のカソリック教会に比べ、聖書講読することや説教を聴かせる事がその大きな役割となった。プロテスタント教会の牧師にとって最も重要なことは聖歌を歌うこと以上に聖書の中の物語を普通の話し声で教徒たちに語ることと言って良い。

新しく聖書講読用に造られた教会は別にして、古いドイツの教会では、この目的に叶うため、内装上の幾つかの改修が必要とされた。ライプチッヒの聖トーマス教会はバッハの宗教上の名曲が数多く生まれた教会として有名だが、この教会はプロテスタントのために改修された教会として知られている。

今年も年末を迎えると、ロ短調ミサ、マタイ受難曲・・・・は、あちこちの教会や大学あるいはコンサート会場で演奏される。現在ボクたちの誰もが親しめ、楽しめるこの名曲は牧師の言葉が明瞭に聞こえる、改修されたばかりの聖トーマス教会から生まれていることり留意する必要がある。

聖トーマス教会に施された改修とは、ひだのついた垂れ幕を石の教会内にたくさん施し、木製バルコニーを導入し、音を分散させ、残響時間を1.6秒程にまで押さえたことにある。石に囲まれた残響が長い音響空間ではなく、人の話が明瞭に聞こえる野外や木造の祈祷室(オラトリオ)のような空間はまさにバッハ音楽のために用意された音楽空間と言って良い。

つまり話は逆なのです。プロテスタントであったバッハは話し声という精妙・微細な音も明瞭に聞こえる音響空間を得たことで、以前の石の教会の音楽家ではなし得なかった、弦のパートが明瞭に響き、きびきびしたテンポ、複雑な音型とハーモニーの素早い展開を持ち、早いリズムのメロディーを、雪解けの水の流れのように軽やかに奏でていく名曲の数々を、作曲することが可能となったのです。

バッハの後に生まれたモーツアルトはカソリックの教徒です。彼の宗教音楽は決して多くはないが、その中の一つ有名なレクイエムを聴いてみると面白い。そして、バッハのロ短調ミサ曲と聴き比べてみる。同じ、宗教音楽でもその音楽の響きかたが大きく違うことに気がつくだろう。

音楽は名曲であるかあらぬか以前に、音楽が生み出される、あるいは奏でられる空間の違いによって、全く異なる世界を生み出していることが実感されるはずだ。

Google Keepから共有

2014年11月4日火曜日

バッハ音楽を聴きながら考えていたこと

バッハの音楽は川のせせらぎに似て、始まりもなければ終わりもない、クライ マックスない音楽です。一定の時間内にドラマが起き、完成するという西洋的な思考からみると、バッハ音楽の時間の流れはその場その場の音の世界を、ただひたすら生み出したもの、と山田雅夫さんは「渦と水の都市学」に書いている。時間はある目標を完成させるための手段ではなく、ただひたすらに経験すれば良いという視点は、西洋というより東洋的な感じがしとても興味深い観点だ。
バッハの音楽が東洋的であるかどうかはともかく、クラシック音楽を聞くうえで当たり前に思われている、クライマックスやフィナーレという見方は案外新しく特殊の考え方である、と教えてくれたのは国立音楽大学の小林緑さん。

18世紀のある音楽会のプログラムでは、まずシンフォニーの第一楽章のみが演奏される。次に続くのが全く別の器楽曲、そしてさまざまな歌手によるアリアが歌われ、最後になって再び先程のシンフォニーの第四楽章が演奏されるのだそうだ。
現在ではとても考えられないプログラムだが、これが18世紀の普通の音楽会であったそうだ。17世紀以来のオペラの人気が高い当時のヨーロッパの音楽会ではアリアが中心、器楽だけのシンフォニーは音楽会を構成する枠組の一つ、お飾りに過ぎなかったということだろう。

中世の教会から始まった音楽の歴史では、西洋の音楽は歌うことから始まっている。つまり、全員参加が音楽の前提だ。歌手の歌を聴くということが始まるのもルネサンスになってからのこと。そして、音楽がただ聞くためのものに変わるのは器楽音楽が人気となったモーツァルト以降のこと。
宮廷オペラが人気となるバロック時代だが、器楽だけの音楽はまだ貴族社会における衣食住の道具に過ぎず、日常的ななりわいの一つにほかならない。
器楽音楽は生活用品であり、衣装で身体を飾るように、日常空間を装飾していた。つまり、器楽音楽は家具のようなものなのだ。そこでの音楽は量が重要であり、豊かに沢山の器楽音楽が鳴り響いていることが空間を豊かにすること、そして、権力の高さを象徴していた。つまり器楽音楽は聴いて楽しむものではなく、荘重でも厳粛である必要もなく、ただただ聞き流すものであったのだ。

18世紀になり、聞き流していた器楽音楽を身を入れて聞くようになったことから、フィナーレ感が重視される。ここでは社会における音楽の役割の変化を考えてみる必要がある。時代は貴族社会から市民社会へ、音楽はオペラだけでなく聴いて楽しむ器楽音楽が盛んになる。そして19世紀になり、フィナーレとそれを迎えるためのクライマックスはなくてはならないものに変わった。

器楽音楽は貴族社会にあっては当初は芸術ではなく、ディリービジネス、終わりという観念もなく、風や水の流れのような存在であった。やがて、市民社会になり「音」だけを楽しむという演奏会が誕生し、初めて器楽音楽におけるフィナーレという終わりが重視される。そして、音楽は全てはじめがあり、クライマックスがあり、フィナーレがあるものとして完成していく。

器楽音楽はかって、フィナーレがなく、ただひたすらの時の流れであったということはとても重要なことを意味している。音楽は時間の中にあり、時間は何かの目標を実現するための手段ではなく、人間として生きることの全てである、という当たり前のことを改めて喚起してくれているのではないだろうか。
人間が生きる上での「時間」は東洋も西洋も変わらない、当たり前で自然なことなのだ。しかし、この当たり前の時間の流れが西洋では「音楽」となり芸術となった。西洋文化の面白さはこんなところに姿を表す。

ボクは「音楽は建築」だと考えている。歴史から見ると、建築が音楽なのだが、「人間が人間として生きる特別な空間」つまり芸術の空間はかってはすべて建築の中に統合されていた。しかし、市民社会に入り、音楽は聴くもの、絵画・彫刻は見るものとなり、全ての芸術は建築からは分離し独立してゆく。
残された建築はニュートラルな生活の容器であり道具あるいは箱に変容した。つまり建築の解体だ。美術館やコンサートホールという「建築」はもはや、美術でもなければ音楽でもないのだから。

こんなことを考えながら、バッハおよびそれ以前の「都市と建築」を体験して見る必要がある。時代が変わり、貴族社会が市民社会に変わったという事実からだけでは見えてこない、「人間が人間として生きる時間」の流れを気づかせてくれる。現在の建築からは決して体験することができない、何か大事なもの、そこには「日常的な時間」の流れと同時に、「特殊な時間」も重層して流れている。

Google Keepから共有

須賀敦子の世界 神奈川近代文学館

連休最後の日は予定通り横浜へ、近代文学館は満員だった。 今日は講演会もあるというので、行くならこの日と決めていたが、驚くばかりの大人気。 晴れた秋の半日、「港が見える丘公園」わきに建つ文学館は散歩にも最高、展覧会の内容も彼女の世界がわかりやすい丁寧に展示されていて、大入りなのは当然と理解した。 混んだ中の2時間タップリの見学は、相当の疲労。 恥ずかしながら、講演会はウトウト、講演者には申し訳ないことをした。 それにしても返す返すも残念なのは「アルザスの曲がりくねった道」が出版されないまま他界されてしまったことだろう。 ほぼ完成している草稿がA4で打ち出され展示されていた。ユルスナールの「黒の課程」、アンゲロプロスの「ユリシーズの瞳」に触発されての彼女の新たな構想、なんとしても完結させたかったと思うのは決して出版者だけではない。 帰りの売店をのぞくと、ほぼ全作品の直販。 最近になり文庫版化された作品も数多く、その売れ行き人気には草葉の影に立つ彼女、きっとビックリしているに違いない。

2014年11月3日月曜日

ピアノの時代とスマホの時代

十八世紀は視覚革命の時代。タブローに描かれる世界は最早、中世の神の世界でもなければ、ルネサンスの人間中心主義を支えた透視画法でもない。
それはルドゥの建築に示される平行図像、気球から見たようなアイソメトリックな世界だ。

神の目に変わり、人間の目で世界を見ることが可能となった十五世紀以来、我々は透視画法を利用し、部分と全体を調和させた建築的世界を作ってきた。
しかし、十八世紀、建築家は人間中心の目を捨て、再び古代ギリシャの天使の目を希求している。
それは全てを等角投影、等距離におき、何処にも絶対的中心を置かない世界像。

ルドゥとモーツアルトは同時代人。
モーツアルトは人間の歌を楽器演奏の音楽へと導き、すべての世界をを楽音によって表現して行く。
ルドゥは人間の視線を解放し器械的記号化により世界を描いて行く。
十八世紀は「ピアノの時代」だ。
その初頭、フィレンツェで生まれたピアノはモーツアルト、ベートゥヴェンによって全く新しい音楽の世界を開いて行った。
ピアノの時代は、現代のコンピュータの時代に似ている。
アナログメディアをデジタル化していく現代のコンピューター技術者に似て、モーツアルトは開発時代のピアノ(コンピューター)を操り、あらゆる歌を軽快な機械音と同調させ、ウィーン中の居酒屋(ゲームセンター)を沸かせている。
彼はまさに現代社会におけるゲームやアニメづくりの天才と全く同じだ。

「ベートーヴェンの32曲のピアノソナタは新しいテクノロジーを貪欲に取り入れ、それと格闘してきた歴史でもある」と渡辺裕氏は書かれている。
ベートーヴェンの最新式ピアノとの格闘は、コンピューターを手にして、未だプリントメディアを超える新発想を見いだし得ていない、我々の姿に近いかもしれない。

ギリシャの時代は「天上の館」が建ち、「天体の音楽」が響いた時代。
巨大な楽器であつた宇宙、そこでは固有のメロディーが奏でられ、そのメロディーの中には世界を解きあかす法則が秘められていた。
芸術が、すなわち技術であった彼らの時代、宇宙はある種のスーパーコンピューター、数学的法則はそのためのソフトウェアーと言って良い。

しかし、十七世紀後半、ニュートンがプリンキピアによって、スーパーコンピュータとしての「宇宙=世界」を解体した。結果、天体は音楽を奏でる場ではなくなった。
十八世紀後半の「ピアノの時代」、建築家はルドゥは気球に乗り新しい理想世界を想像し、モーツアルトとベートゥヴェンは新しいピアノを駆使し、再び「天上の館、天体の音楽」を奏でようとしていた。
そして現在の我々はバームの中のスマホを駆使し、懸命に新しい世界を想像しようとしている。

Google Keepから共有

2014年11月1日土曜日

リスボンへの夜行列車 パスカル・メルシェ

映画「リスボンに誘われて」はとても面白かった。早速、原作が読みたくて調べてみたら「リスボンへの夜行列車」はすでに欧米では500万部以上の一大ベストセラー。早川書房の邦訳本はアマゾンでは当分品切れ。仕方がないのでkindle英語版を購入。英語で小説を読むのは高校以来のこと、大苦戦。しかし、辞書付きなので、あわてなければ結構読める。内容は映画とは全く違う筋立て。こんな自覚的に内省を語る深い小説、ほとんど日本ではお目にかかったことがない。新たに追加出版するときは是非電子版もお願いしたい。何故なら、現在の早川版は2700円、中古だと3400円、しかし、kindle英語版は810円。

2014年10月31日金曜日

イラク チグリスに浮かぶ平和

2003年3月20日、アメリカ軍によるバグダッド空爆。 映画はその3日前、その後訪れる大きな悲劇がまるで嘘のようなのどかな市民の生活風景から始まる。 カメラは空爆から10年にわたるアリ・サクバン家族を中心にこの都市の人々を写し撮っていく。 時は変わるが場所は代わらない。 周到に設置され、決してブレることなく、同一のカメラアングルに納められた10年間の映像は言葉を超え、強烈なメッセージとなった。 イラク紛争をリアルにドキュメントした映画には違いないが、この映画では銃撃の現場ではなく終始家族そして一般の人々が描かれている。 アリのおじいちゃん、おばあちゃん、政府に駆り出され亡くなった兄貴ふたり、軍から逃げ出したアリとアリの奥さん。 そして、アリの5人の子どもたち。 終わりのない悲劇に次々と巻き込まれるバグダッド市民、特に老人と子どもたちには逃げる場はどこにもない。 この映画のテーマはなんだろう。 「悲劇は終わらない、悲劇を生みだすものがある限り。ならばこの悲劇を生み出すものは何なのか」といろいろ考えさせられる。 大量殺戮兵器の有る無しをめぐって、思いつきのように始まった悲劇の空爆。 始めたのはアメリカのブッシュだが、ブッシュに追従した日本人もまた結果としてその悲劇に加担している。 悲劇の予兆に無関心であった市民たちもまた、問われるものがなにもないわけではない。 そして、今日もまたハンナ・アーレントの「思考を停止した非人間、凡庸であることの悪」が思い出されてしまった。 しかし、思い出されるだけでは悲劇は永遠に終わらない。 家族そして老人のまぶたから消えていく子どもたちの姿、 残されたものは空っぽになった心と子どもたちの部屋。 大家族が消えた白い土壁だけの部屋はどこまでも虚しい。 言葉を失い、無関心でありつづけるなら、それは悪の凡庸、 平和と言う言葉がチグリスに浮かぶだけでは、 悲劇は決して永遠に終わることはない。 ps. この映画は現在、東中野ポレポレ座で上映中、11月から全国主要都市でも放映される。

2014年10月29日水曜日

遠い水平線 アントニオ・タブッキ

透視画の中の消失点(焦点)や水平線が示していることは、モノや空間が無いのではなく、あるのに見えないだけだと認識させたことにある。 視覚によって見ることできる現実世界の限界はあっても、その限界は人間の住む世界の限界ではない、ということをルネサンスの透視画法は明らかにした。
タブッキはこの透視画法の水平線や焦点を目の中に持ち、物語を絵を画くようにまとめている。

須賀さんは描かれた都市はジェノア、と訳者あとがきで明かしている。 現実の都市ジェノアを知らないボクは、この本を読む楽しみは半分だったかなと思っていたが、須賀さんは逆に、「ジェノアだとわからないままで読んでみたかった気がしないでもない。」と書かれていた。
そうか、この小説を透視画法によるルネサンス絵画として眺めてみると、須賀さんのおっしゃることが判らないではない。

透視画法は実際のジェノアの街を透明な硝子板を透して眺め、その硝子板に風景をそのまま写し取り描いたもの。大事なことは描く人が目線の位置を変えなければ、その画面には目に見えなくとも水平線や焦点は画面の中に存在し続けるということ。

小説の中の見えない水平線の下の平面に、記号のようにばらまかれているのが港湾都市ジェノアのアチコチ。
各々の場所の持つ意味はジェノアを知れば地図を眺めるように具体的に理解できるだろうが、タブッキはむしろ20篇を記号としてバラバラに散りばめ、その記号的イメージをエピソード化することで、読者には読者のイメージとして自由に読者の目線(水平線上の焦点)の透視画法を読み取るよう仕組んでいる。

透視画法の焦点や水平線は観る人のものだが、焦点から観れば物語は水平線に立つ人の支配下にある。
つまり、作者であるタブッキの支配下。
それはまさにバロック都市の君主の視点。
作者であるタブッキはこの焦点に立ち、物語を支配しているがが、その場所はまた死者の位置でもあることも、この小説の面白さだ。

「 生者と死者 の間の距離はそんなに大きくない。」と書くタブッキは生者であるスピーノを極めて現実的な世界を徘徊させ、死者カルロ・ノーボディを探し回らせる。
それは場所あてゲーム、そして幻影探し。

どうやらタブッキはオースターのニューヨーク三部作同様、作家である自分自身を幻影化している。
水平線をうみ出すのは読者だが、そこに立つのはタブッキが描いた死者のカルロであり、作者のタブッキ自身。
「はっきりはかっていれば、ぼくは小説なんて書かない」と須賀さんのインタヴューに答えたタブッキ。
この小説はやはり読者自身が作家であるよう目論まれている。
そして生者スピーノは18世紀のスピノザの引用、死者カルロはノーボディ、どこにもいない人のこと。

訳者である須賀さんは「この本は、ゆっくり読んでいくのに適している。・・・・ひとつひとつのエピソードを、愉しみながら読んでほしい。・・・・結末ばかり気にしていては、見えるものも見落としてしまう。」と書かれている。
さらに須賀さんは「超えようと思えば、いつでも越えることのできる、ほんのひとすじの線にすぎない、というのが、作者の発想のもとになっている。天と地のように、生と死のように、私たちはふつう、まったく交わらないと信じていることが、じつは、そうではない。そういったことを作者は表現しようとしているようだ」と書いている。
ボク自身、例によって早読みの癖がある。
次のイタリア行きのチャンスにはジェノアを訪れ、丘の上の墓地のベンチに座り、このタブッキをゆっくり再読したいと思っている。

Google Keepから共有

2014年10月28日火曜日

トム・アット・ザ・ファーム

今、評判のグザヴィエ・ドランを観る、渋谷アップリンク。 驚いた、小さい館内、若い女性で一杯、館内が暗くなるまで、思わずオジサンは小さくなってしまった。 「わたしはロランス」でブレークし、多くのファンを魅了した彼、今度は自身が主演するとなれば前評判は当然か。 美貌なホモセクシャル、若いがヒリヒリするような才能、今晩はじめて観て、その魅力少し判った気がする。 モントリオールという大都会から霧深い広大な平原をクルマは真一文字に走り、トーモロコシ畑と乳牛だけの一大ファームに到着する。 そして、展開されるドラマは獣的とも言えるような飾りっけ一つない心理サスペンス。 ファーム特有のタブーの中で、総ての登場人物の本音の言葉と行動が休む間もなく展開される。 広大な自然が舞台であるが故だろうか、人間の中の秘められていた野生の表出はどこまでも直截で半端ではない。 個人としては好みではないが、観る人の好き嫌いに関わらず、終始ヒリつくような感覚はグザヴィエ・ドラン特有のものと言えそうだ。

2014年10月14日火曜日

鍵のかかった部屋 ポール・オースター

オースターはこの小説の中で「ガラスの街」、「幽霊たち」、そしてこの本、三つの物語は究極的にはみな同じ物語なのだ、と書いている。(p182)
小説の中に他の小説がそのまま出てくるのには驚いたが、この小説は作り物を作り物で壊すかのような周到な戦略を持った小説といって良いのかもしれない。

さらに気がつくことは「ガラスの街」と「幽霊たち」が幻影を追いかける小説であり、この小説はその幻影に取り付かれた小説なのだ。
オースターが作家になる以前の、彼の実際の体験そのものがベースとなっている小説でもあり、このニューヨーク三部作の最後の一作は三作の中では最もリアリティが高い小説。
が故に、ボクにはまさに「実在」が「幻影」に翻弄されるという巧みな戦略がイメージされてくるのだ。

小説内にも書かれているが、人と場所、場所と時、時と人をつなぐ作業は大変であったようで、取り付く幻影はニューヨークのみならずアメリカ中、さらにタンカーに乗り太西洋、太平洋上へ、そして幻影のキーとなるパリ、南フランスと動き回り、最後はアメリカ発見に因むボストンのコロンブス・スクエア9の荒れ果てた、しかし19世紀の優雅な4階建の煉瓦建築の鍵のかかった部屋に行きついていく。
いや「鍵のかかった部屋」とは部屋ではない、取り付かれた心象全体のことだ。

例によってオースターの小説には「隠し味」のような謎と逸話が沢山散りばめられている。
小説をつくるオースターが人、場所、時のリストに取り組んだように、この小説の「隠し味」をリスト化しておこう。
ロビンソン・クルーソー、サンチョ・パンサ、どこでもない国、白鯨、スピノザからの一節、死せる魂的詐欺のアメリカ版、ラ・シェールの物語、ロレンツォ・ダ・ポンテ、ミセス・ウィンチェスター、ソロンの言葉、M・M・バフチン、ペーター・プロイフェン、四分音ピアノ、ローリーの世界史、カベサ・デ・ヴァカの探検記、タイピーを棄てた流浪な娘とハーマン・メルビル、鯨、赤いノート、列車がいままさに出発しようという瞬間、僕は最後のページにたどり着いた。


Google Keepから共有

2014年10月2日木曜日

猟人日記 ツルゲーネフ

4月以来、漱石や荷風、吉川英治の私本太平記など、多くの無料電子版を読んできたが、グーテンベルグ版「猟人日記」を読み終えたところなので感想をまとめておこう。
kindle paperwhiteの画面は野外や車中での直射光に煩わされないので、いつでもどこでも読書が可能だ。

いつでもどこでも読書が可能ということは、遠からず電子ツールが我々の思考空間を変えてしまうだろう。
天気の良い日、読書と思考と連絡だけなら固定事務所は全く不要。
事務所の椅子より、ホテルや庭園の椅子の方がズゥーッとズゥーッと居心地が良く快適なのだ。

しかし、読みたい本の大半はまだまだ紙媒体というのが実情。
いまの時代、それはどこの分野にも見られることだが、時代が時代に追いついていないと言って良いようだ。
情報時代はあいも変わらず、無味乾燥でフラットなコンビニエンスストア止まり、それが今のボクの実感です。

歴史的名著と言われる「猟人日記」、やはり素晴らしい本だった。
なんと言っても文章が美しい。リリカルな自然描写と士族や農民たち、さらにジプシー女やいかがわしい商人や役人、宗教人たちが描く人間模様。
どこから読んでも、数行読めばすぐに広がって来る、生き生きとしたロシアの風景。
どの風景も人の営みと決して離れることはない。
文学であるなら当然のことだと思うのだが、最近の日本の小説はどうも時間も空間も不明というのが流行りのようだ。

ツルゲーネフは近代日本文学の最初のモデルだそうだが、彼の描く世界はボクにはすべてビビッで新鮮だった。
すでに「父と子」、「初恋」で知ってはいるツルゲーネフの世界だが、「猟人日記」の二十編余りの短編の各々は決して繰り返されることなく、様々に異なる多様な世界を次々と興味深く展開していく。

農奴解放はプーシキンが有名だが、1861年アレクサンドル二世に農奴解放令を決意させたのはこの「猟人日記」という説がある。
ツルゲーネフはロシアの多くの作家たちとも距離を置き、生涯の大半をロシアではなくドイツやフランスで生活したそうだ。
オペラ歌手のボリーナ・ヴィアルドーに恋をし、結婚する事はなかったが、その愛は生涯に渡ったといわれている。

どうみてもロシア人作家らしくないツルゲーネフ。
だからこそ、ロシアの自然と人間を自由に美しく、率直で優しく包み込むように描けたのではないだろうか。
彼の視線はどこまでも深入りはせず、光を当てるだけ。
農奴の悲惨さがテーマなのではない、人と自然を他者とする、人間そのものの孤独がテーマなのだ。







Google Keepから共有

倫敦塔 夏目漱石

「 倫敦塔は宿世の夢の焼点のようだ。」と漱石は書いている。
1900年10月からの2年間ロンドンに留学した漱石だが、その建築体験が小説となったのはこの短編だけだろうか。
文中、この塔へは二度と行かぬ、とわざわざ書き、事実、二度と行かなかった漱石。

都市や建築に関心が強い彼が、この時の体験を小説にしたのでとても興味深い。
当然のこと、建築体験を文章にするなら、その想像世界を描かなければならない。
漱石はドラロッシの二枚の絵画をこの建築体験に重ね合わせ描いている。(絵画の解説ブログを見つけましたのでリンクします。 http://katuheiyam.exblog.jp/12930742

建築空間とタペストリー、そして石壁に刻まれたらくがき。それは塔で斬首された皇子兄弟と15才のジェーン・グレイ。そして、皇子たちの魂だろうか、塔を見学する母娘が見つめる窓の外の二羽の烏。
死よりも辛い牢獄、 世界はまるで小さな戯曲。

面白いのは見学後、宿に帰ってからの亭主とのやりとり。
彼は「烏」は奉納の五羽であり、「ジェーン」の文字は見学者の悪戯と語り、漱石の空想は一瞬に砕かれる。
この亭主こそまさに二十世紀の倫敦人と漱石は認め、二度と行かぬと感情移入の戯曲の幕をとじる。

Google Keepから共有

2014年9月27日土曜日

幽霊たち ポール・オースター 

ブルーはマンハッタンに行く、東26丁目。
誰あろう、「かっての未来のミセス・ブルー」が目の前に飛び込んで来る。
突然亡霊でも現われたかのように、「かっての未来のミセス・ブルー」は、その亡霊が誰なのかも気づかぬまま、はっと息を呑む。
ブルーは彼女の名を呼ぶ。
人でなし!と彼女はブルーにいう。
人でなし!

ニューヨークは幽霊たちの住処。
人は自分自身が書いた物語を生きている。
いつも物語りを書いている作家には人生がない、作家は幽霊だ。
そこにいるときはそこにいない、デスクに向かって物語を書いているのだから。

探偵であるブルーはホワイトにブラックを終始見張り、彼の行動を毎日報告するという仕事を依頼される。
ブルーは毎日、ブラックの行動を見張り、デスクに向かい報告書を書く。
奇妙なことに見張られているブラックもまたいつもデスクに向かって何かモノをかいている。
ブラックはブルーを見張り、報告書を書いているのだろうか。
お互いにデスクに向かい何かを書いているだとしたら、ブルーにとっての本当の人生はどこにあるのか。
ブルーは自分自身の人生(物語)を書こうとして街に出た。

春のうららかな陽気のなか、オレンジ・ストリートを往復しながらブルーは生きていることをつくづく嬉しく思う。
通りの一方の端からは川が見え、波止場が見える。
マンハッタンの摩天楼が見え、橋がいくつも見える。
ブルーの目にはその何もかもが美しい。

ブルーはマンハッタン、東26丁目を歩く。
最初に書いたように、そこで「かっての未来のミセス・ブルー」に出くわし、「 人でなし!」と叫ばれる。
探偵(作家?)であるブルーは自分自身が幽霊であることを自覚する。

1947年生まれのポール・オースターが1947年のオレンジ・ストリートを小説にしている、それが「幽霊たち」。
この小説はオースターのニューヨーク三部作の一つ。
ガラスの街、鍵のかかった部屋、そしてこの幽霊たち。
往年のエスピオナージやハード・ボイルドではいつも都市が舞台となり、スパイやディテクティブが活躍する。
ボクはそんな物語が大好き。
しかし、オースターには暴力は似合わない。
どこまでもエレガントでクール、映画・文学好みの我々を魅了する。

オースターが自分自身が生まれた年、1947年にこだわるのは何故だろうか。
野球好きのオースターは「その年に史上初の黒人大リーガー、ジャッキー・ロビンソンがドジャースに入団している。五月のある天気の良い火曜日、ブルーはエベッツ・フィールドまで出かけ、7回にロビンソンが左翼フェンスに届く二塁打を打つのを見る。」と書いている。

映画好き、いやプロでもあるオースター自身がこの時代の映画を書き落とすこともない。
それは都市に生きる作家であるポースター自身の物語でもあるからだ。
「幽霊たち」の探偵であるブルーはビールを一杯やりに酒場に行くこともあるが、たいていは何ブロックか離れた映画館まで足を運ぶ。
「湖中の女」「堕ちた天使」「ピンクの馬に乗れ」、とくにお気に入りは「過去からの脱出」。
「その映画はありふれた人生に戻ろうとするが戻れなかった男の話。一方、ありふれた人生から逃げ出そうとする男もいる。どちらにしろ自分の人生を決めるのは自分なのだ。物語はいつまでも立ちどまってはくれない。」
全くオースタらしい洒落た語り口だ。

大都市は幽霊たちの住処。
オースターがなぜ、1947年の「幽霊たち」を書いたのか少し判るような気もする。
オースターの描いた「幽霊たち」はどこまでもエレガントでクールでスマートだ。
現代都市のニューヨーク、そして東京。
そこはもはや「幽霊たち」ではなく、「ゾンビたち」の住処になってしまったのかもしれない。

Google Keepから共有

2014年9月23日火曜日

われらが背きし者 ジョン・ル・カレ

映画にもなったというので薦められ、図書館から借り出し、立て続けに読んでいたのが次の三作。
松林図屏風、火天の城、のぼうの城。
だめだ、ボクにはちっとも面白くない。

良く知られた人物の名前ばかりが羅列される16・7世紀の物語。
武将と絵師・職人たち・・・、「のぼう様」はともかく、どの小説からもさっぱり人間像が見えてこない。
映画を見ているのではない、今は本を読んでいるのだ、と思わず言いたくなった。

この時代のイタリアは大好きだが、日本の人間文化状況も全く同じ、もっとも面白い時代と言って良い。
そんな時代だ、読みごたえがある小説は沢山ある。
大好きな辻邦生をだけでもあげてみると。
嵯峨野名月記・安土往還記・天草の雅歌・・・・。

先週末、暫くぶりに神保町の本屋街を歩いてみたが、出版状況は大きく様変わりしたというのがボクの印象、驚いている。
都心だけというわけではないだろう、大型店の書棚は電子書籍で見るような、売れ筋ばかりがぎっしりと並んでいる。
二十世紀の作家は最早古典扱い、紙媒体を新刊で読むなら全集の中を探すしかないのかもしれない。

一冊だけ購入した。
ル・カレの最新作「われらが背きし者」だ。
彼もまた二十世紀の作家。
かって新刊の発売に合わせ、神保町に通ったが、今や紙媒体もアマゾンの時代。
しかし、久しぶり書店で見つけたこの本はお薦めだ。
21世紀になってもル・カレそしてスマイリーは健在だった。

ル・カレは数年前に映画化された「裏切りのサーカス」 http://leporello.exblog.jp/18291985/ (ティンカー・ティラー ・ソルジャー・スパイ)を書いた人。
冷戦時代のスマイリー(ル・カレ作品の諜報員)のサーカスはもう無いが、現代社会を生きつづけるイギリス諜報部(M6)はいまも健在。
例によってヒーローは登場せず、物語は複雑。
と同時に現実の社会や世界から決して離れることはない。
ボンドを超える本格的エスピオナージが久しぶりに復活した。

今回のル・カレはオックスフォード大学で教えるスポーツマン・テューターとその恋人弁護士をロシアのマネーロンダラーとその家族に絡ませ、現代世界の内奥を日々新聞で読む時事世界と連動させ描いていく。
そして、新たにネットで知ったことだが、「裏切りのサーカス」  に引き続き映画としての製作も決まったようだ。

「われらが背きし者」はサーカスの男の物語というより、様々な恋人、家族、人間たちのドラマ。
舞台もカリブ海リゾート、パリ、ベルン、そしてグリンデルワルド。
映像化すればボンド並みに華やかになるのは間違い無し。
今からどんな映像になるのか、大いなる楽しみというところ。

Google Keepから共有

2014年9月21日日曜日

ヒュプネロトマキア・ポリフィリ 

15世紀イタリアの奇書「ヒュプネロトマキア・ポリフィリ」http://leporello.exblog.jp/1527068/については数年前、Quovadisで取り上げたことがある。
当時、「ダヴィンチ・コード」がブームだったが、ボクは小説なら同時期出版された「フランチェスコの暗号」のほうがはるかに面白いと言いたかったからだ。

しかし「ヒュプネロトマキア」は「暗号」の一部であって、「フランチェスコの暗号」でもその周辺情報しか触れていない。
ボク自身は奇書そのものにも興味が惹かれ、その後調べても見たのだが、全く情報もなくお手上げ、すべて????で終わっていた。

ヴェネツィア建築大学ジョルジョ・アガンベン教授の「イタリア的カテゴリー」の中に「言語の夢」という章がある。偶々見つけたことだが、ここになんと「ヒュプネロトマキア」について30ページに渡って論述がなされていた。

「イタリア的カテゴリー」とは何かと言えば、「詩は何故必要か」という問いかけ、ポイエーシス(制作すること)とプラクシス(実践すること)の関係を問うことで「人間」の中味に言及しようとしている。
「人間」についてそれほど自覚的ではない我々にとっては「中味のない人間」を問うことは意味のないことかもしれないが、「イタリア的カテゴリー」はイタリアをテーマとしたのではなく古代から現代にいたる「人間の中味」「詩学に於ける言語と言葉」が問題となっている。

どうやら「ヒュプネロトマキア」はラテン語の幹に生きた俗語(母語としてのイタリア語)を接木した二重言語主義がテーマのようだ。
この奇書はルネサンス・イタリアの知的遊戯と言ってしまえばそれまでだが、アガンベン教授は「言語の夢」の中でこんな解説をしている。

この物語のポリフィロとポリアはダンテとベアトリーチェ、あるいはポリアはラテン語、ポリフィロは俗語に置き換えられる。
15世紀イタリアは都市や家族どころか人間にとって最も基本的な言語そのものの危機、知識人にとっては俗語も絶え間ない死にさらされていた。
そして「ヒュプネロトマキア」は14世紀のダンテの詩における諸テーマに類似させ作られている。
詩における愛の経験は生の出来事に対する言葉の根源的絶対性、生きられたものに対する詩作されたものの絶対性に支えられている。
しかし、今やその関係は転倒。
そんな詩作上の危機感から「ヒュプネロトマキア」がつくられた。
ということのようだ。

考えてみればボクの知るダンテ、ペトラルカ、アルベルティ、後年はラテン語だが初作はみな俗語、現在に言うフィレンツェ語が中心となるイタリア語だった。
「神曲」はイタリア語で書かれているからこそ、現代イタリアで小中高校と勉学中の全員が学ばなければならない教科書となっている。
しかし、ボクはラテン語は古代からのヨーロッパ公用語であるから、普遍的な論を立てる時の必要上の言語とかってに思い込んでいたのだが、それは余りにも浅はか、まさに人間の中味が全く理解できていないようだ。
ダンテが組み立てた清新体派の抒情詩の意味を理解しなければ、ボクは永遠に転倒に転倒を繰り返さざるを得ないかもしれない。

先の「言語の夢」はさておき「イタリア的カテゴリー」にもうすこし留まっていることにした。
序文に戻ると70年代にアガンベンはイタロ・カルヴィーノとクラウディオ・ルガーフィオーレとの三人で雑誌の発行を計画していたと言う。
目的はイタリア文化のカテゴリー的構造を究明しようとするもの。
発刊にはいたらなかったそうだが、この時ルガーフィオーレは「建築/優美」という対概念を提示していたと言う。
つまり、数学的かつ建築的な秩序によっての支配と移ろいゆくものとしての美の知覚。
このカテゴリーこそ、ボクの関心があるところ。
検索したが、残念ながらまだルガーフィオーレの「建築/優美」は見つからない。
しかし、松岡正剛がアガンティを解説する記事を千夜千冊(2009年10月14日)に書いていたのを思い出した。
久しぶりに読んでみて、そうか、やっぱりこの辺りだったんだ、ボクの関心。
その後、前に進むことは出来なかったが、イタリアに関わってみようという気持ちだけは今も変わらない。

2014年9月15日月曜日

伊豆の旅 島崎藤村 

百年前の下田街道の旅は馬車と汽船、石廊崎沖には帆船が浮かんでいた。
三十路の坂を大きく越えた四人の男たちが大仁から修善寺、湯が島、湯が野へと早春の天城峠を三日がかりで超えて行く。
今なら、一時間余りのドライブだろうが、彼らは椿が咲き、蜜柑が黄色く、黒い山毛欅と白い欅の山道を馬車に揺られ揺られていく。

「此処には山芋はありませんかね。」と私は内儀さんに尋ねて見た。
「ハイ、見にやりませう。生憎只今は何物もございません時でしてーー野菜も御座いませんし、河魚も穫れませんし。」内儀さんは気の毒そうに言ふ。「芋汁(とろろ)が出来るならご馳走して呉れませんか。」斯う頼んで置いて、それから山を一廻りした。我儕のために酒を買ひに行った子供は、丁度我儕が散歩しての帰った頃、谷の上の方から降りて来た。
夕方から村の人は温泉に集まった。この人たちはタダで入りに来ると言ふ。夕飯まえに我儕が温まりに行くと、湯層の周囲には大人や子供が居て、多少我儕に遠慮をする気味だった。我儕は寧ろ山家の人達と一緒に入浴するのを楽しんだ。不相変、湯は温かった。容易に出ることが出来なかった。我儕の眼には種々なものが映った。ーー激しく労働する手、荒い茶色の髪、僅かにふくらんだばかりの處女らしい乳房。腫物の出来た痛そうな男の口唇ーー
夕飯には我儕の所望した芋汁は出来なかった。

僅か一時間足らずの別世界のような休日の午後の旅。
藤村の伊豆の旅は一人ニ圓余りだったようだが、
ボクの旅はKindlepaperwhite利用で零圓だった。



Google Keepから共有

2014年9月13日土曜日

ムーン・パレス ポール・オースター

「 ポール・オースターのムーン・パレスを読んでいる。こんな小説を読みながら月を観ると、天空に穴が空いたのかと思ってしまう。その穴からを覗いているの誰だろうか。」
一昨日の十六夜、こんな感想をnoteにしていた。

いま、読み終わって見ると、まんざら外れていたとは思えない。
覗いているのは作者であるポール・オースターだ。
頁を繰り終わり、目を瞑ると、ボクにはこんな言葉が聞こえる。
生きるということはかくも悲しい。
しかし、その悲しみに涙はいらない。
人は自分自身が生み出す物語を生きるのだ。

今回のオースターもまた素晴らしかった。
この小説はストレートに人間の生き様をカタチにしている。
この小説は決して青春小説ではない。もちろん、流行りの自分探しというものでもない。
世代の異なる男三人と彼らに関わる人間たちの話だ。
それも、奇妙で不細工な男ばかり、決して群れない、迎合しない、不器用でイイネなんて絶対に言わない男たち。
いや最も徹底しているのはマーコ・フォッグのチャーミングな恋人、中国人のキティ。
彼女にイイネをすればコメント漬けでボコボコにされる。

27才のマーコ(作者であるポール・オースターと同年生まれ)もまたほかの二人同様、ニューヨークからユタ砂漠を越え、カリフォルニアへ行く。
そして彼だけがラグーナ・ビーチの浜辺に立ち、上っていく月をじっと見るのだ。
「ムーン・パレス」という表題が示すようにこの小説は月が象徴となる。
巻末の解説によれば「ムーン・パレス」はコロンビア大学の近くに実在した学生食堂よりちょっとましな中華料理屋こと。
そこでのコンパでマーコが引き当てたフォーチュン・クッキーは「太陽は過去、地球は現在、そして月は未来だ」。
ボクが3日前すでに予測していたように、巻末で満月を見上げ続けるマーコ・フォッグは、作者ポール・オースターに、この小説が終わってしまう「明日」は、どうするのだと問いかけている。

物語のキーとなるのはユタ砂漠、そこは月面着陸のシュミレーションの場としても有名、地球上につくるられた月なのだ。
さらにこの地に孤立して住むようになったインディアンにとっては、こここそが祖先であるポグとウーマが旱魃で住めなくなった月から逃げ出し降り立った地球の上の「原初の森」。
「人間」と名付けられたインディアンは自分たちの霊は肉体の死後、月に住む、と歴史学者である肉が何層にも積み重なった大伽藍のようなソロモン・バーバーは語っている。

物語はラルフ・アルバート・ブレイクロックの絵画「月光」に触れる。この絵画こそ間違いなくこの小説「ムーン・パレス」の中心となるもの。
目の見えない車椅子の奇妙な偏屈老人エフィングはマーコとの人間関係を生み出すため、彼にブルックリン美術館に実在する「月光」を見てくるように命令する。
「口をきくんじゃないぞ。何もかも黙ってことを進めるんだ。アメリカ絵画の常設展をやっている階をさがして、ギャラリーに入りたまえ。なるべくどの絵も見ないようにして歩け。二番目だか三番目の部屋に、ブレイクロックの「月光」があるはずだ。そこで止まって、絵を見なさい。まる一時間のあいだ、ほかの絵はいっさい無視して、「月光」だけを見るんだ。精神を集中してな。見る距離もいろいろ変えてみなさい。三メートル、五十センチ、二センチ。全体の構図を考えたり、細部を吟味したり、見方もいろいろ変えるんだ。メモを取ってはならん。その絵のあらゆる要素を記憶するようにしろ。人影や自然の事物の位置を正確に覚えて、カンバスのありとあらゆる地点の色を頭に入れるんだ。目を閉ざして、自分でテストしてみたまえ。それから目を開けろ。目の前の風景のなかに入っていこうとしたまえ。目の前の風景を描いた画家の心のなかに入っていこうとしたまえ。ブレイクロックのつもりになってみろ。自分がこの絵を描いているつもりになってみろ。これを一時間続けたら、少し休憩だ。何ならギャラリーの中を歩き回って、ほかの絵を眺めても構わん。それからブレイクロックの絵に戻れ。世界じゅうにこの絵しか存在しないつもりになって、絵に心を委ねるんだ。十五分そうやったら、その場を離れろ。」

さらに、小説でポール・オースターは月から見たボストン、ニューヨーク、ユタ砂漠、サンフランシスコでの出来事をこと細かく語っていく。
その細かさはすでにエフィングが命ずる「月光」の見方に詳述されている。
簡約すれば、何事も一般化し、物同士の差異よりも類似のほうに目が行きがちだが、無数の個別性からなる世界を五感で捉え、直接受けるデータを言葉によって再現している。

加えれば、展開されるのは三世代の男たち自身の命名も半端ではない。
主人公フォグはM.S.Fogg(fog霧、fogel渡り鳥)。
エフィング=F-ing(Dounting=Fukking Tomas疑り深いトマス 、糞ったれトマス)。
ソロモン・バーバーのソロはソリ、つまり太陽そして大地のこと。

「人はみな自分の人生の作者だからね」とビクター伯父さんはまだ幼いマーコ・フォッグに語る場面がある。
ビクターは幼くして母をなくしたマーコの育て親。
母の兄でありクリーブランド交響楽団のクラリネット奏者だが、マーコに様々な名前を付けることで、彼に意味ある人生を生き抜けるように励まし送り出す。
フォッグ=下っ端、フロッグ=蛙、霧(フォッグ)からの連想でスノーボール・ベッド、スラッシュ・マン、ドリズル・マウス。
Marcoはダンボ、ジャーコ(あほんだら)、マンボ・ジャンボ(ちちんぷいぷい)、マルコ・ポーロにポロ・シャツ。

つまり物語全体は満月の月の光が地球を嘗めるように、じっくり這い回り、大樹の木の葉、大地の草の葉、水辺の煌めきはもちろん大都市の屑かご、商店のウィンドウや戸口、ごくあたりまえの街灯、なんの変哲もないマンフォールのふた等を人間が目に見えるように浮かびあがらせていく。
それをどう意味づけ、カタチにし、物語にするかは各々の人間が生きなければならない、個々人の生き様にほかならない、ということだろう。





Google Keepから共有

2014年9月11日木曜日

日記にすることで文章を簡潔にしたかった。雨が降ったら「雨」と書けばいい。

「日記にすることで文章を簡潔にしたかった。雨が降ったら「雨」と書けばいい。・・・・・。ぶっきらぼうなほど文章を簡潔にそぎ落としていったとき、人間が浮かび上がる。」 
作家小川洋子サンのインタヴュー記事はまだ続く。 
「「博士の愛した数式」「猫を抱いて像と泳ぐ」も同じ思い。「本来感情のないはずの数式が、人間関係にかかわってくる。チェスをさす人もお互いの内面を出さないのに、盤上に何かが現れる。人間の感情から遠い場所に行っても、小説が成り立つかどうか。ずっと追いかけているテーマなんです。」

そうか、日記か。 
日記ならフィクションを意識する必要はない。 
書き手は日常世界と等身大でリアルに関わっている。 
しかし、ポイントはその中に一切の感情に関わらない「装置」をいかに仕込むか。 
その装置が「境界」となり、リアルな日常世界と非日常が分離しまた通低する、そしてそこにはじめて物語が生まれる。 

しかし、ここからは書き手の能力だ。 
読み手の感情を「境界」を行ったり来たりさせることで、語るべき物語をいかに読み手に想像させるか。 
この「境界」は従来の「額縁」あるいはプロセニアムアーチに似ているが、 フレームとして物語全体を囲い込み、日常世界とは分離した非日常な時間世界を生み出すのではなく、日常世界に仕掛けれた「装置」によって物語が生まれる。 

これはボクの「建築」の方法と同じだ。 
読み手は日常世界の中にあって、「建築」に出会うことで、初めて新たな物語を想起させられる。 
フレームにより静止空間を作りその空間を視覚的に捉え、かっこいいか、美しいかを押し付ける従来の方法に対し、絶えず動的時間の中にあって、読み手が望んだ時いつでも物語が想起される空間をデザインする。 
まぁ、「建築」もまた読み手の想像力次第ということなんだが、むしろ最近は作り手の想像力不足が気になってしょうがない。


Google Keepから共有

2014年9月10日水曜日

やさしい人

試写会場はシネマート六本木、50席余りの会場は開始30分前というのにほぼ満席。 ギョーム・ブラック監督の長編第一作とあって人気は上々だ。 映画は冬を迎えるブルゴーニュの静かな街、トーネルを舞台として淡々と始まる。 中世の以来の小さな街と街を取り巻く石造りの家々。 その内部空間は簡素だが、古びて落ち着いた光を放つ椅子とテーブルとベッドと書棚。 赤々と薪を燃やす暖炉の焔はこのドラマの通奏低音かもしれない。 街の外側は雪に閉じ込められる山道と湖と山小屋。 どの場面も生の世界がそのままスクリーンに写し撮られる。 そしてドラマでは何処までも、時に退屈するほど淡々と静かな小さな冬がつづく。 しかし、そのドラマを今ここで触れるわけにはいかない。青春をとっくにやり過ごしたミュージシャンであるマクシムと十代を終えたばかりのこの街の情報誌のレポーターメロディの恋。 恋はいつでもどこでも、年の差に関わらず、なんの前ぶれなく、突然始まる。その恋は暖炉の焔に似て烈しく燃えるが、しかし、いつか必ず静かに消える。と、書いてしまうと書き過ぎかな。いや違う。それは監督であるギョーム・ブラックの意図ではなく、例によってボク個人の思い込みであり、恋は哲学ではなく気まぐれ。 しかし、ギョーム・ブラックは周到にトーネルの冬の終わりの春を描いた。 それは「やさしい人」はマクシムとメロディという二人だけの物語ではなく、「人が人を本当に愛する」ということの物語としてメッセージしている。(本当にあるのかなぁ!)

2014年9月6日土曜日

ペトラルカー生涯と文学 近藤恒一 

キリスト教徒の王子様とイスラム教徒のお姫様、はたまた水を売り歩く貧困だが善良な小男ガリュゴと狡猾な官吏たちの騙しあい等々。
イスラム建築を調べるつもりが、思いのほか楽しい千夜一夜に迷い込んだ「アルハンブラ物語」。
さらにそれならばとジュネの「泥棒日記」の再読。結局、ここのところアンダルシアばかりさまよってしまった。それはそれで楽しかったのだが、今日は久しぶり、本題のイタリアに戻ることにした。

ダンテにアルベルティ、彼らは100年の隔たりがあるが、イタリアの個人主義・ロマン主義の始まりが気になるボクにとって決して、離れることはない二人だ。しかし、今日はさらにもう一人、重要な詩人を調べることにした。ペトラルカだ。
彼の存在は世の識者、あるいはルネサンスの研究者なら決して外すことはないのだろう、しかし、「音楽と建築」というテーマから彼に直接触れるチャンスはなかった。いや、それは大いなる間違いで、抒情詩の詩人という先入観がボクからペトラルカを遠ざけていたのかもしれない。とはいえ、考えて見れば、かのイザベラ・デステがフロットラに飽き、マドリガーレを作らせたのはペトラルカの詩に打たれたから、と音楽史にはある。ここは抒情詩の何たるかを考えて見る必要がありそうだ。

ペトラルカは「都市」と「家族」を失った詩人。しかし、その「孤独生活」は凡人が考える孤独とは全く異なる詩的世界。それが彼の抒情詩。考えてみれば、ダンテもアルベルティも ペトラルカ同様、フィレンツェから追放された人であり、あるいはそんな家族の一員。イタリア人にとって「都市」と「家族 」を喪うことはどんなに辛いことだったのだろうか。ペトラルカはその苦難を直接詩にしている。ユルスナールが書いたゼノンは最初から「都市」と「家族」に 触れる事すら許されなかった近代人だった。

ペトラルカの街、プロバンスのヴォークリューズ
La vie en Provence - Sault, Vaucluse | by © . SantiMB .

ヒューマニズムの形成にはロマンチシズムは不可欠と言って良い。今、そんな予感に捉まえられている。近代は「都市」と「家族」を失った。したがって、ヒューマニズムを支えるロマンチシズムが意味を持つ。19世紀をそう理解するコトができそうだ。
一方、近代にいう「集団」と「個人」の間にはイタリアでは現在でもいつも彼ら特有の「家族」が存在し続ける。ヴェルディのオペラはそれを感じさせるし、イギリス、フランスに比べ近代化が遅れた理由も理解できる気がする。

ダンテやペトラルカから100年後のアルベルティが20代で家族論を書き、30代で古典を読み変え「建築論」を書き、何故、イタリア中の都市の宮廷に招かれ想像としての「理想都市」を説いたのか。それがボクの「音楽と建築」の目的の一つであり、イタリア文化を検討する上で最も重要なこと。

20世紀、トマス・マンが語る芸術としての都市は解体した。したがって、新しい「都市」を想像しようするならば、この三人は当分マーク、と同時にその想像に関わろうとするならば、もはや現在の工学的建築では不可能、文学と音楽という分野の役割に違いない。この「ペトラルカー生涯と文学」は「都市と家族」、「音楽と建築」というテーマにとって不可欠、そんなことが感じられる貴重な読書時間だった。


Google Keepから共有

2014年9月5日金曜日

幻影の書 ポール・オースター

名作映画「ルル・オン・ザ・ブリッジ」の監督であり、脚本家、そして現代アメリカ最高の小説家ポール・オースターの「幻影の書」を先週末、図書館から借り出し、ナイトキャップ代わりナイトブックとして楽しんだ。

アメリカの映画と小説はTVやネット、新聞以上に21世紀を最もポピュラーに表現する媒体といって良いのではないだろうか。
映画と小説どちらにも秀でているオースターは、こともあろうに今度はこの「幻影の書」によって、まさに映画と小説による「20世紀の鎮魂歌」を生み出した。

すべてが真実、すべてがあり得ない話。そして、すべてが消えさる壮大な虚構あるいは幻影。「わたしが月を見なかったなら、月はそこにはなかったのだ。」
やはり、彼は面白い、明日はまたオースター漁りだ。

この書は読みやすいから蛇足だが、若干内容に触れると、忽然と姿を消した無声映画時代の俳優の話。そして映画づくりでも良くあるように、オースターはこの物語の中に、「ガラスの街」のピーターや「リヴァイアサン」のサックスを登場させている。つまりフィクションの中に既に知られているフィクションを重ね合わせることでオースターは通俗的ではあるが、ある種の現代の世界観を描き出している。

日本の私小説のような私とアナタの物語ではなく、どこまでも彼(三人称の普遍的人間)を描こうとする姿勢。このスタイルこそ、エンターテイメントではあっても芸術的と呼べる古来からの方法と言って良いのではないだろうか。

Google Keepから共有

2014年9月3日水曜日

6才のボクが大人になるまで

映画 6才のボクが大人になるまで。
「トスカ」について書いていた。プッチーニが作曲したこのオペラは1800年6月17日というローマの丸一日だけが舞台だ。そして、午後、半蔵門の東和の試写会で「6才のボクが大人になるまで。」を観た。この映画はパパがいなくなった6才のメイソンがテキサス大学に入学するまでの話。それもなんと12年間をまともに12年かけて撮った映画だ。
「トスカ」はその日の内に主役4人 死んでしまう、大向こうの受けを狙った腑抜けたお涙頂戴の感情志向オペラだという話を書いていただけに、離婚した両親と姉弟2人の12年かけた12年間の地味で訥々とした物語には却って驚かされた。それも面白いことにどちらも同じ150分の超ヴェリズモなドラマなのだ。

今日は 「6才のボクが大人になるまで。」を続けよう。ボクの周りでも最近、とみに多くなったパパと離れた子どもたちの話。アメリカではなんと50%もの子供たちがそんな環境にあるというが、映画はトスカのようにドラマチックではないが見どころ豊富、いろいろ考えさせられた物語。
全編35ミリで撮り続けたとというだけに、12年間の子どもたちの成長以上に機材の継年変化は凄まじく、映像制作にはいろいろ苦労したようだ。しかし、あえて淡々と描かれた時間と映像は継ぎ目なく、却って観るものにきめ細かく沢山の事を語り続ける。しかし、描こうとしているものは決して時間の継起ではない。むしろ瞬間瞬間の持つ意味を積み重ね織り上げている。ここら辺りがこの映画の見どころでありポイントだろう。

いささか長い映画だが、powerMacやX-Box等の変遷 、ゲームとSNSでサイボーグ化されつつある高校生たちの画一的な(舞台はテキサス州ヒョーストン周辺)郊外住宅での日常生活。
さらに、イラク戦争とブッシュ批判のパパとパパの仲間、オバマ応援の選挙サポート、アストロウズを応援するナリーグ観戦やハリー・ポッターミュージアムでの熱狂。
レアー化された映像の積み重ねだが、映画はまさに21世紀アメリカ、いや、サイボーグ化された子どもである事を実感する頭のいいメイソンの呟きはまさに現代の日本人若年層そのものの姿に繋がる。

特に惹きつけられたのは二週間ごとに遠方から会いに来る父親の状況変化とユーモアある言葉と心配り。
15才のサマンサの誕生日には、パパは避妊についての話を姉弟二人に懇々とする。「まずは決してセックスしないこと、するときは絶対にコンドームを忘れないこと」。そして翌日メイソンとの男同士二人だけのキャンプでは、「女の子と1対1になったとき、いったい何を話したらいいの?」というメイソンの質問にパパは言う「彼女を質問責めにして、答えを熱心に聴いてあげるんだ。そうすれば必ずライバルを引き離せる」。
パパの両親の家でのメイソンの15才の誕生日パーティー。そこにはパパの新しい奥さんと生まれたばかりの彼らの弟も参加する。パパからのプレゼントは彼が編集したビートルズのブラックアルバムとメイソンにとっては初めてのスーツ。お爺ちゃんからは散弾銃と射撃訓練、おばぁちゃんのプレゼントは名前入りの聖書。

18才のメイソンの高校卒業パーティーはパパの家族もお爺ちゃんたちもみんなママが苦労して手に入れた家に集まる。パーティーの後、パパはメイソンだけを連れ彼の昔仲間のライブハウスに行く。そこでは往年のもて男だったミュージシャンたちのお祝い演奏。そして、メイソンは一緒にヒューストンにいくはずだった恋人に振られた話を打ち明ける。「お前がブレなければシーナみたいな女は山ほど寄ってくるよ。自分に得意なものがあれば女はいつでも選べる。」と写真が得意なメイソンを励ます。この言葉はママに振られたギタリストパパの実感でもあるだろう。しかし、言葉の裏には、幼い子を残しアラスカに逃げた彼の悔恨とママへの深い想いも込められている。

そしてなによりもこのドラマは、夫とわかれキャリアアップまでして、ひとり子育てを続けた、ママの苦労物語と言っていい。
新たに結婚した二人の夫からは、家財道具も持ち出せぬまま、子どもたちをワゴンに放り込み、逃げ出して行くママ。パパのいない子どもたちを守り続けるのは施設でも学校でもなくママだけなのだ。
テキサス大学の寄宿舎に行くという別れの日、その日をママは「人生最悪の日」と言った。この言葉もまた意味深い。巣立った子どもたちとの別れの日だが、懸命な子育ての最終日でもあり、ようやっと好きな本を書く時間が許された日でもあるのだ。

Google Keepから共有

2014年8月30日土曜日

水の眠り灰の夢 桐野夏生&火刑都市 島田荘司

東京に生まれ、東京に育ったボクにとって、隅田川の水辺と皇居周辺の内濠・外濠はいつも共にある絵画であり、音楽だった。
そしてまた東京オリンピックの開催が決まり、今度は霞ヶ丘と神宮の森が侵される。そう、記憶の中の都市破壊がまた始まったのだ。
東京オリンピック開催を喜ぶのは決して東京人ではないだろう、安倍さんも猪瀬さんも・・・・。

そんなことから、かっての東京を描いた都市小説を読んでいた。
それは前回のオリンピックに起因する都市の解体と都市不安。

島田荘司の「火刑都市」。
外濠を遮断し、なんと飯田橋濠の上に高層建築を造ってしまった当時の役人の非。
現在のラムラの建設は神楽坂商店街を含め我々外濠の住人にとっては悔恨の出来事だった。
そんな水辺を奪われた外濠周辺に建つビルが次々と火刑に処されていく。
物語は推理小説というより、水辺都市東京へのオマージュだ。

伏線となって描かれるのが、まだ貧しかった東北、東京より東から東京に出てきた若い女性たちのもつ都市体験。
それは水を失った都市での水を求めての必死な生活。
彼女たちはまずは上野駅に到着、そしてその周辺や浅草さらに東に住まうが、やがて、夢を追い西へ西へと流れて行き、火刑事件に巻き込まれる。

浅草から新宿そしてさらに西へ、貧しい水辺から逃げるように遠のくのが女性たち、いや戦後の成長に合わせ、新たに東京に集まる人々の夢だったのかもしれない。
この夢は今も変わらない、人々の想いは下町から山手へ。
ダサい古い街ではなく、コジャレた珈琲ショップとコンビニエンス。
今ではそこは東京の郊外都市、かっての緑地田園を浸食して生まれた、フラットなハイパーヴィレッジ。

新しく作られた建築に決して罪がある訳ではない。
しかし、物語は女性たちを巻き込み、外濠に建つ建築を次々と火刑に処していく。
水を失った都市を顕在化させようとする強烈なメッセージをもった犯罪なのだ。

昨晩は「水の眠り 灰の夢:桐野夏生」を読んだ。
1963年9月、東京オリンピック前年の地下鉄銀座線爆発事件、いわゆる「草加次郎事件」だが、この小説もまた華やかさとは異なる、スカイツリー以前の東京の下町が描かれている。

「せっかく戦災にも遭わずに残った建物や道が、オリンピックのために、高度経済成長のために、と惜しげもなく壊されていくのだ。この銀座の商店街も例外ではなかった。松屋百貨店も松坂屋百貨店もこまつストアーも皆、大改装工事中だ」。(水の眠り 灰の夢 から)

おしなべて20世紀の都市建設は、確かに便利さは提供してくれた。しかし、その様はまさに無印都市の建設だった。そして今は21世紀の都市建設。それは再開発という名の高エネルギー集約による高層液状化都市建設。東京はもはや都市のミエもカタチもない、フラットな郊外都市、高密度集落へと変わりつつあるのです。

2013年11月21日 by Quovadis

Google Keepから共有

2014年8月27日水曜日

藤村の散文をめぐって、堀江敏幸氏の講演から。

藤村は若菜集からスタートした詩人、やがて破戒、春、家、夜明け前等の長編作家と目されるが、実は沢山の短編・中編も書いている。
早くから英語もフランス語もマスターし、漢籍にも関心が高く、五七調の詩を書き、散文の世界にも関わっている。
その経緯はふるいものを壊し、新しい言葉を新たに作っていく。その時全てを壊すのではなく、いいものは残す。
藤村の方法はまさに、言葉の「継立て」と言えるようだ。

継立てとは 「夜明け前」にも度々登場する言葉。
街道において「宿」から「宿」へと「ひと」「もの」「情報」を 継立てていく。
この日、堀江敏幸氏の講演は「継立て」に視点を置いての藤村文学の話しと言ってよい。

藤村の故郷は美濃と木曾の境界にあり、中山道の宿、馬籠。そこは文字通り継立ての場。その文学もまた明治と大正の狭間、同時代、表現された言葉も文語と口語を継立てている。
藤村は言葉を「継立て」ることで、自らの文学を留まらせることなく、新たな表現を模索し、人間世界への洞察を深めていく。
藤村がもつ文章を書き続けていくことのしぶとさはこの「継立て」にあったようだ。

講演の後半で具体的に触れた作品は「柳橋スケッチ」の中の「海岸」。
「柳橋スケッチ」自体が5つの短編で作られているが、その中の一つの短編「海岸」は4部に分かれている。
内容は一文一文、時間が行ったり来たりする複雑な構成。
それは時間のズレを読者と共有しようとするもので、まさに柳橋の下を流れる水のように、絶えず揺れ動いている文章だ。
藤村は小さな短編を書いているのだが、それは大きな長編小説と全く変わることはない。
だからこそ、彼はその全体を「スケッチ」と呼んだのであろう。

「柳橋スケッチ」を一度も読んだことの無いボクにとって、堀江氏の言わんとするところを百パーセント理解できたわけではない。
しかし、メモ帳に残された走り書きはどれもこれも興味ある事柄ばかり。
すでに講演から1週間も経ってしまったが、幸い 「柳橋スケッチ」を電子ブックで見つけることが出来たのでメモ帳を片手に読んでみた。

「柳橋スケッチ」は柳並木、柳橋、神田川の岸、日光、海岸という5つの短編の一群とした中編小説。
明治から大正という狭間の時代に書かれている。
それは藤村自身が3人の子を失い、妻を失い、こま子との関係に懊悩している時。
そして彼がまさに自らの「新生」に向かおうとする象徴となる作品と言える。

特徴的なのは前半3部が川、藤村の日常生活の場である柳橋、神田川での考察、そして後半は海への思考。
この川から海への展開の「継立て」になるのがワイルドの「獄中記」であり、藤村を「新生」に導く。

川と海は死と再生のイメージを喚起し、生きる上での新たな活力を感じさせる。
その各々はバラバラなアンソロジーだが、全体は一つの長編のような構成。
事実、川部分の3部は長編小説の「新生」そのものと言える。
私とK君の川岸での出会いに始まり、静思、自省、停滞、澱み、理由のない寂寥感が描かれている。

転機を描く「日光」の編。
「私」という人間を規定している肉体的苦痛から旅行へを導くもの、それは獄中記への親近感と苦痛から遊離した虚構の持つ霊的な力と言えるようだ。

「彼(ワイルド)の「新生」とは人生を持って芸術の形式となすにあった。かくして始まる芸術的生活は結局一種の作り物語であろうと思うけれど、彼のいわゆる知力的勇桿には動かされる。」そして、「心がかわいてきたーどれ、日光を浴びようか」 (「日光」から引用) と藤村自身の「新生」への継立てを宣言する。

最後の編、「海岸」は今日の講演の堀江氏自身の継立てでもあるようだ。
藤村の特別な研究者でもない堀江氏が坪内祐三氏に請われ「明治の文学」の編集に関わったことからこの「海岸」に出会っている。
この短編は明治期に書かれ大正期に出版された。
文体には時代の気風が反映されるので、よくあることだが、書かれた時と校正し出版された時とのタイムラグはそのままズレとなって文章にはあらわれる。

「上総の海、とうとうこの海岸の漁村へ来た」 (「海岸」から引用) 、
今までの文体と異なり、まるで前代の雅文のような調子で藤村は「海岸」を書き始める。
つまり古い文体だが新しい精神を表現する。

中盤では海を写生する画学生の絵に現実の海にはない船が描かれていることから、無為、空虚、平凡な日常を引き吊り旅に出た自分だが、ごくわずかな間、 画学生の考えによって日常の海を「永遠」そのものとして見る海に、「なめらかな波の背、波のしわ、うず、日光の反射、透きとおるような海の色、それらのものが集まって自分のほうへはいってくる印象はあざやかに生き生きと感ぜられる。」海に、変わると藤村は書く。 (「海岸」から引用)
つまりここもまた、ワイルドが言う虚構が持つ霊的な力の再確認。

時制を含み、この短編の複雑な構成はすでに触れたが、藤村は最終節で70歳に近い、目の見えない老婦を登場させ、彼女の子供の頃、やがて大人になり、そして今はその人の最後を見る思いを感じさせる文章だと堀江氏は語っている。

「この宿に一人のおばあさんがある。七十近い、目の見えない老婦だ。その年まで生き延びたら、食うという欲よりほかに残らない人で、あてがわれたわんを大事にしては、食事の時間でなくともガツガツ震えている。暗い部屋《へや》にひとりで引きこもっていて、かみさんの足音を聞きつけるたびに、例のわんをさしつけて拝むようにする。
「おばあさん、朝の御飯がすんだばかりだよ……そんなに食べたがって、また腹下しするよ……。」かみさんにしかられては、おばあさんは、子供のようにわんを引きこます。わたしは思いがけない所で、人の一生の最後を見る気がした。
 わたしはよく年ごろな婦人やかわいらしい娘などを見るたびに、その人たちの子供の時の容貌《ようぼう》や、それから年をとっての、姿などを思い比べることがある。
「わたしたちがずっと年をとったら、どんなふうになるんでしょうねえ。」とある娘が言ったが、わたしは今、あの娘の言ったことを思い出した。おそらくわたしが東京へ帰って、この漁村で見たおばあさんの話をしたら、どうかしてそんなになりたくないものだと、あの娘などは言うかもしれない。」(「海岸」から引用)

それはあの娘、新生の節子、実の姪のこま子へと引き継がれる想像的世界、この小さな短編は壮大な長編をその内に秘めていると堀江氏は読み取っている。

Google Keepから共有

藤村展を観ながら考えていたこと。

「小諸なる古城のほとり」や「まだあげ初めし前髪の」は歌曲としても知られた藤村の詩。
その歌には思い出がある。
高校時代の友人、と言ってももはや他界してしまった、男ともだちだが。古今和歌集や山家集に被れたふたりは共に伊豆や信州の旅をし、演奏会にも出かけた。
本とクラシックが好き、お互い島崎藤村を読んでいたことは間違いない。
しかし、話は「惜別の歌」を含め、多少の若菜集や落梅集と歌曲のことばかり。
藤村のことやその作品に深くふれ、話し合うことははほとんどなかった。

ボク自身から友人に藤村の話をできなかったのには理由がある。
「新生」だ。


ある時、この友人とは別の友人から芥川の「ある阿呆の一生」の話しを聞かされ、そのませた情報に唖然とさせられた。

「新生」は藤村の実話、それも兄の娘に子を産ませた近親相関というスキャンダルをそのまま描いた物語。
小説は様々の局面が舞台となる様々な人間の物語。実話であるか否かに関わらず、当時、まだウブなボクはこの小説もまた近代の浪漫派小説の一つとして気楽に読んでいた。

しかし、友人の言う「ある阿呆の一生」の中の、(「新生」に至っては、――彼は「新生」の主人公ほど老獪な偽善者に出会ったことはなかった。)という芥川のくだりが、それ以降、ボク自身から藤村に触れることを奪ってしまった。

高校卒業近くになって、偶然、藤村のこんな文章に触れた。
……ここに引いた『新生』とは私の『新生』であるらしく思われる。私はこれを読んで、あの作の主人公がそんな風に芥川君の眼に映ったかと思った。
 知己は逢いがたい。『ある阿呆の一生』を読んで私の胸に残ることは、私があの『新生』で書こうとしたことも、その自分の意図も、おそらく芥川君には読んでもらえなかったろうということである。私の『新生』は最早十年も前の作ではあるが、芥川君ほどの同時代の作者の眼にも無用の著作としか映らなかったであろうかと思う。しかし私がここで何を言って見たところで、芥川君は最早答えることのない人だ。唯私としてはこんなさみしい心持を書きつけて見るにとどまる。でも、ああいう遺稿の中の言葉が気に掛って、もっと芥川君をよく知ろうと思うようになった。

 島崎藤村 「芥川龍之介君のこと」

以来、ボクは芥川龍之介を読むことはなかった。と同時に、藤村の言う「新生」で書こうとしたことと、その意図を正確に知りたいと思い、藤村を読み続けた。
「新生」は確かに、スキャンダルには違いない。しかし、ボクは文人として生きることを自分自身に科した藤村自身の決意と覚悟の物語として読みとっている。
大学は文学部ではなく、工学部建築科だが小説はかなり読んでいる。多くはフランス、ドイツ、ロシアだっただろうか。リリカルだが、古典の叙事詩のような人間の物語がボクの好みだ。日本の私小説はボクには不向き、しかし、藤村は好きだった。多分、書店にある藤村の大半は読んだだろう。

「新生」は藤村自身がようやっと文人として世に出た頃、描かれたもの。物語のなか岸本捨吉は東京に移住するが家族の生活は貧困のどん底。そんな中、妻は子どもを残し、早々に他界してしまう。
必死に書き続ける捨吉は節子に助けられる。彼と彼の幼い息子たちの世話と生活を支える健気な節子。いつか岸本は、そんな節子を愛するようになる。

やがて、身ごもってしまった節子を残し、フランスに行く捨吉。しかし、パリは第一次大戦によるドイツの侵攻。捨吉は友人の画家と共にパリを脱出、フランス中を逃げ回り、這々の体で阿修羅のようだが日本に戻る。

物語は確かに、このフランス前後の藤村自身の世界だ。節子は兄の次女、実在のこま子のこと。そして、藤村はこの前後の事情を懺悔として描くと物語の中で語っている。と同時に標題は「新生」、人間は生まれ変わることはできないが、新たに生きることはできる。そんな、物語の核心は、阿修羅の中で取り交わされるふたりの手紙の中に垣間見える。特に節子の手紙、もちろんそれは作者である藤村自身の言葉だが。切々と語るその文は、もはやふたりだけの恋文とは大きく隔たる、人間としての新たに生れ出る新しい世界のことなのだ。

藤村は小さな私小説家ではない、大きなフィクションを書いているのです。
ギリシャ神話にあるような普遍的な人間の持つ虚構の世界を。
そんなかってな解答を秘め、芥川を嫌っていたが、さらに後年のある日、ネットの千夜千冊で松岡正剛さんの「夜明け前」を読んで「目から鱗」だ。

「夜明け前」は「新生」のすぐあと、フランスから帰国後、こま子と別れ完成させている。
その内容は藤村の実父、島崎正樹の半生を画いたもの。
つまり、「新生」と同様、藤村にとっての生の体験が大きな小説を生み出している。

そして松岡さんが書かれているのは以下のくだり。
(藤村は王政復古を選んだ歴史の本質とは何なのかと、問うた。しかもその王政復古は維新ののちに、歪みきったのだ。ただの西欧主義だったのである。むろんそれが悪いというわけではない。福沢諭吉が主張したように、「脱亜入欧」は国の悲願でもあった。しかしそれを推進した連中は、その直前までは「王政復古」を唱えていたわけである。何が歪んで、大政奉還が文明開化になったのか。
 藤村はそのことを描いてみせた。それはわれわれが見捨ててきたか、それともギブアップしてしまった問題の正面きっての受容というものだった。)
千夜千冊「夜明け前」から引用

そうだよ藤村の物語はいつも大きなフィクションなんだよ、単なる木曽山中の本陣の息子の話しではない、当時の日本人が誰も書けなかった本来の「ご一新」と挫折を藤村は実父正樹の半生を青山半蔵に託して浮き彫りにした。
「ご一新」の本来的な意味、それはまだまだ問うべきであろう、永井荷風や幸田露伴、さらに漱石や・・・・文化的範疇で近代日本に疑問を持つ作家は数知れないのだから。

藤村好きのボクには藤村について考えて見たいことがまだまだ沢山ある。そして、いつも気に掛かり、手放せず、ことあるごとに振り返って読みたくなるのが「夜明け前」なのだ。


現代の我々が日に日に失っているもの、それを短絡的に現代の西欧主義・日本主義、右主義・左主義、工業主義・自然主義、民族主義、宗教主義で語って腑に落ちてしまっているのが大半だ。しかし、そういうわれわれ自身の問題を藤村は90年も前、すべてを文章にし、かたちにした、それが「夜明け前」なのだ。

「親ゆづりの憂鬱」をもって自己を「歴史の本質」に投入させるという作業、 と松岡さん前述の彼の「夜明け前」に書かれているが、まさに、インフラストラクチャーの瓦解に関わる人間の生き様をこれほど実感を持って書かれた小説は日本では見当たらない。
ボクの関心はいつもこのインフラストラクチャーの瓦解に関わる「狭間の人間」にあり、それが相も変わらず「イタリア・ルネサンスの音楽と建築」から抜け出せない理由でもあるのだが、この「狭間」は決して単なる経過ではない、
人間の意志つまりフィクションだ、だからこそ、詩や小説が必要とされ、音楽と建築も必然なのだ、といつも思っている。

松岡さんは千夜千冊の「夜明け前」の締めを以下のように書いている。
(どうも「千夜千冊」にしては、長くなってしまったようだ。その理由は、おそらくぼくがこれを綴っているのが20世紀の最後の年末だというためだろう。ぼくは20世紀を不満をもって終えようとしている。とくに日本の20世紀について、誰も何にも議論しないですまそうとしていることに、ひどく疑問をもっている。われわれこそ、真の「夜明け前」にいるのではないか、そんな怒りのようなものさえこみあげるのだ。)
どうやら、狭間にあるボクたちは現在、意志あるいはフィクションを表現しえていない。
やはり、古代に習い叙事詩を語り、音楽と建築を生み出す毎日であらねばならないようだ。

Google Keepから共有

2014年8月14日木曜日

塩田平

亜熱帯化した東京を台風11号の接近前に抜け出し塩田平に来た。
ここはかっては湖の底、いや、常楽寺梅楽苑の女店主には海の底だったと教えられた。
大昔の信濃川が産み出す広大なアースワーク。
その河岸段丘の東は上田平だが、西が塩田平。
なるほど、ここはかって海の底だからこそ塩田平。
地名とは人が記録する文字ではなく、悠久の風景が語るものであるようだ。

東京駅から新幹線で僅か九十分、上田電鉄に乗り換え三十分余りで別所温泉。
シックなダークブルーの車両、オシャレな一両電車は塩田平をほぼ真一文字に西に走る。
その終点駅から、緩やかな坂を上ると段丘の淵、石造多宝塔の常楽寺と八角三重塔を持つ安楽寺に着く。

段丘の淵を段崖と呼ぶが、ここは崖とは言い難く、上る道はごく緩やか。
しかし、歩を進めれば進めるほど、振り返る眼下には長閑な平原が大きく広がって来る。
今は、フラットな戸建て住宅が密集する、日本中どこにでもある郊外住宅地の趣だが、かっては豊かな農産物を育む田園とそこに生きる人々の平安の地であったことを、前面の空を縁取る緩やかな山々の重なりが教えてくれる。

決して暑くない、幸いまだ雨もない塩田平の段丘に建つ幾つかの建築を見て回ろうと言うのが今日の目的。
と言っても、クルマもタクシーも使わないのが、ボクの建築見学の鉄則。
友人が待つ夕方の軽井沢の宿までのひとときの時間。
取り立てて下調べも予定も持たず、のんびりとした一人歩き。

安楽寺を有名にしているのは国宝の八角三重塔。
中国風禅宗建築と平安以来の和風建築をミックスした何ともユニークな建築。


四角を多角化すればするほど、形状は円に近づく。
軒を支える斗拱は複雑化し、部材断面は細分化され、木造架構は困難を極めるが、より丸く見せようとする塔は当時の新生中国、元との闘いに勝った明の国の息吹を伝えているかのようだ。

何故なら、明の時代こそ今の様々な大工道具が発明された時代。
我が国の木造建築もこの時代の中国からの到来した新しい道具を駆使し、いよいよ技術の洗練を極めていく。
一方、瓦ではない、こけら葺の屋根は和風の伝統、鳥の羽のような柔らかさはどの時代も我々の持つ心象とピッタリと呼応する。

隣りの常楽寺には塔はない。
あるのは日本には珍しい七重石塔の連なりと厚い入母屋茅葺きの屋根を持つ立派な本堂。
そして、圧巻は甘露甘露の梅汁のかき氷。
曇り空とは言え、今は日本の夏の真っ最中。
見晴らしのいい高台で、風に吹かれ、景観を楽しみつつの甘味は最高だ。

まだ、暑いし混むからと、家を出るの躊躇った我が身を強引に誘い出した友人に感謝しつつ、そんな話を他に客が居ないことを良いことに前述の女店主にうち明けた。
と、いろいろと彼女とのお喋りは続いたが、気がつくともうお昼すぎ、あわてて坂を降りかかると、今度は畑の中に「石挽き蕎麦」の旗竿を発見した。

信州に来たら、まずは蕎麦。
それに河岸段丘の断崖の地はどこも水がうまい。
その旗竿の脇にはクルマが数台。
さらに見回すと、店とはいえない普通の住宅の玄関に暖簾が掛かっていた。

ここの蕎麦も旨かった。
こんな店では山菜天麩羅は欠かせないのだが、
のんびり散歩には冷酒と焼き味噌か漬け物が決まりもん。
そば久は有名店のようだ。
混んではいたが、幸い引け時、待つこともなく座敷に座ると、
ほどなく注文の冷酒がきた。
それも、石挽きのさらしにはピッタリの酒、石川の「菊姫」だった。
ただ一人、顔には出さず胸の内では小躍りしながら、
小一時間タップリと想定外の酒と蕎麦を楽しんだ。

のんびり散歩とは言え、別所温泉だけですでに時間は悠に回ってしまった。
しかし、ついていると言って良いのか悪いのか、
そば久の席を立ちついでに帳場の女性に、これから行く段丘に建つ前山寺やデッサン館・無言館への道を聴こうとすると、なんと店の下二百メートルの温泉駐車場から、もうすぐ循環バスが出るという。

タンブラーのマップを見るまでもなく、バスは丘の緑陰を突っ走り、あっというまに龍光院まで来てしまった。
客は一人だけ、適当な場所で降ろしてもらおうと思っていたが、降りたのは正規の停留所。
なんのことはない、降りるつもりの中禅寺を一瞬のうちに通り越してしまったのだ。

中禅寺の薬師堂は重要文化財、平安末期の建築だが、見学は寺々だけが目的ではない、今日は諦め、先に進むこととした。
惜しまれ、躊躇させるのは塩野池手前の塩野神社。
その橋掛かりを持つユニークな形態の神社の話しは、梅楽苑で教えて貰っていただけに、悪いことした気分でチョット心残り。

バスを降りれば、ここは塩田の館。
立派な新築の木造建築の展示館。
形態は上階を持つ養蚕農家、多分、全盛を極めた繊維の上田の象徴だろう。
山門は欅の大木を従えた大きな黒門。
龍光院はそれだけでも、すでにある種の威厳を放っている。
この威厳はこの地を治めた北条氏の力だけではない、遠い鎌倉からの歴史を伝えているようだ。

創建は十三世紀後半、その後北条氏の滅亡とともに衰退したが、塩田北条氏ゆかりの地であっただけに武田氏に保護され、徳川時代、曹洞宗寺院として再建されている。
しかし、塩田の館と同様、今の建築は新しい。
狭い境内に大きな本堂。
屋根も大きく堂々としている。
正面入り口扉の両側に設えられた禅宗寺院特有の二つの火灯窓が何とも可愛らしく微笑ましい。

龍光院を出て心残りの塩野池を背にすると散策には持って来いの小道が前山寺まで続いている。
梅楽苑で教えてもらったアジサイの道、かっての鎌倉街道だ。
本道に戻ると、やがて右手に大きな椎の木(多分)を従えた黒塗りの門と前山寺と書かれた石柱。
同じ黒塗りだが、その門の風格と大きさは龍光院の黒門には叶わない。

しかし、大木を従え視線を参道に導くそのデザインには、今どきは見ることがない、意志の強さ鋭さが感じられる。
門からの敷石の参道は桜並木とともに一直線。
石段にかかると、ここからも一切折れることなく真一文字に頂上の山門に掛け上る。
上りきると三重塔は山門に縁取られ、なんと真正面に姿を表す。
塔は手招きするように前面に躍り出て、その全容を露わにする。

ここまでは大木を従えた小さな黒門から一直線の敷道と石段。
そしてまた、また山門をくぐると、三重塔まで一直線の敷道、石段が繰り返される。
ここまで来るともう、デザインの意志のもつ強さどころか脅威を感じさせる。
こんな古代風の伽藍配置も始めて体験させられた。

しかし、この配置は偶々だろう。
門、塔、講堂と一直線に列ぶ伽藍配置は日本では飛鳥や四天王寺という奈良以前の寺院ですでに終わっている。
斑鳩の法隆寺ですら、塔は本堂と並列、門の真正面に建つことは決してない。
この寺は九世紀の弘法大師に始まり、三重塔の建立も十六世紀前半の室町時代と目されている。
そんな古刹の寺が北を正面とした山門の前面に建つ事などありえない。

境内に上がり周囲を見渡してようやっと気がついた。
上がり切った境内の右手、西側に当たる、さっき通り過ぎてきた鎌倉街道側が元々の参道なのだ。
こちら側から上れば塔は真西に位置し、その左手、南側に本堂が建つことになる。
その本堂の正面も、いくら眺めが良いからといって決して北側、塩田平側に向けることなく、塔側(南側)、鬱蒼とした山側、 に向いている。

小さな三重塔だがこの塔は見応えがある。
解説書では未完の塔と書かれているが、この塔の魅力はむしろその完成度にある。
室町特有、塔身はやや膨らみかげん、しかし、こけら葺の屋根は反りが強く柔らかく、その全体はまるで十代の少女のようなイメージ。

すでに、日本中多くの五重塔、三重塔を見てきたが、やはりこの塔はボクの好み。
部材構成や断面形状に狂いなく、その全体は清楚絢爛に組み上げられている。
狭い壇上に建つ、立ち位置から、納得のゆくフォトを撮るのが難しいのは、日本の中どこの寺にも共通している。
そしてまた、プロのフォト作品でさえ、これはいい、これは凄いというものには、なかなかお目にかかれない。
雪や桜や紅葉という取り巻く周辺に一切関わることなく、生身の塔の面白さはやはり、生身で体験し、想像するしか方法がないのだ。

石段を北に降りると、平地の右手は信濃デッサン館。
蔦に絡まれた平屋建て切り妻の美術館。


今日は憑いていることになんと立原道造展の開催日。
本郷東大裏にあった道造記念館は一昨年閉館されたが、今日もまた図らずも、こころゆくまで、その展示を見ることができた。

実は明日からの友人との軽井沢予定は昨年六月に亡くなられた、なだいなださんの講演会、そして、立原道造展を覗こうというのが今回の目的。
そうそうに一人出かけてきたのは、この塩田平では道造展に出会うことはつゆ知らず、前山寺周辺の槐多庵・無言館・スケッチ館でのんびりしていようと思ったからだ。

無言館(戦没画学生慰霊美術館)は切り妻の屋根に打放しコンクリートの外壁、デザインは素朴で単純、そのイメージはストレートにヨーロッパ中世ロマネスクの僧院に繋がる。
その前方はすべて北の塩田平を見渡す長閑な平原。
後方の樹林からは蝉音も鳥声も聞こえてこない。
雨もないが照りもない、人もいない静かな時間。


草地には厚板の木板の椅子とテーブル。
そして、漂う珈琲の薫りと湯気。
まるで月並みな、コマーシャルなような時間だが、突然のバス音に消える。
16時31分、ボクだけを駅に連れて行く、小さな循環バスが到着した。




Google Keepから共有

2014年7月31日木曜日

リヴァイアサン ポール・オースター

「文学における原風景/奥野健男」「混住状況社会論/小田光雄」を読み、戦後の小説は都市および故郷の崩壊により文学の基盤となる原風景を喪失する中に描かれていることと、1980年以降の都市の郊外化により、私小説はますます「小さな物語」に変容しつつあるということを教えられた。

都市の崩壊と郊外化については多少知識もあり、両書を読んでいてもいろいろ教えられたが、日本の小説そのものをほとんど読んでいないので、喪失や小さな物語に特別な感想を持つことはなかった。
村上春樹等、偶々読んでいた小説も両書ではほとんど取り上げられていないものばかりだった。
日本の小説やコミック、いろいろあるんだなぁ、という感想で終わっている。

しかし、この何日か、ポール・オースターの「リヴァイアサン」にくぎ付けにされ「これは凄い小説だ」と思ったので、いろいろと気になりだした。
物語が人間の持つ普遍性や社会の理念に触れている「大きい物語」か、あるいは個人の微細な内面に関わる「小さい物語」かということより、まずはボク自身に取って面白い小説って何だろうと考えさせられることが多かったからだ。

ポール・オースターはすでに何冊か読んでいる。
しかし、この「リヴァイアサン」は特別の中の特別の小説と思っている。
小説は往々にして主人公が一人。ストーリーは始まりから終わりまで一直線とは言わないまでも、撚り合わされた線のように進んで行く。
確かに、最近の私小説では時間と場所は曖昧のまま主人公に絡まる登場人物との意志の疎通が事細かに描かれる。
心の行き違い、仄かな思いや強烈な恋心、大半はうまくいかない内面と外面、自己と他者とのずれ、そして悲劇。
しかし、「リヴァイアサン」では主人公は書かれたサックスか描いたピーターか、二人は互いに三角関係にあると同時に、最愛の妻や恋人との生活もあり、空間も時間も立体的。
描かれているフィクションは二重三重、複雑に折り重なった人間の胡散臭いがピュアでもある物語と言える。
決して二次平面の上に展開される単純なストーリーではない。

小説の舞台はオースター特有のニューヨークの下町が大半、それにバーモントの森の中とカリフォルニアのバークリー郊外、終幕ではアメリカ中の街へと拡散する。
舞台の時間は広島の原爆投下の日、1944年8月6日に始まり、1990年7月4日、アメリカ建国記念日に終わる。

チョット長いが、この小説が佳境に入る第三章、そのプロローグとなる重要な言説を引用したい。
「利己主義と不寛容、力こそ正義と信じて疑わぬ愚かしいアメリカ至上主義、といった昨今の風土にあって、サックスの意見は奇妙にとげとげしく説教臭いものに聞こえた。右翼がいたるところで力を得ているだけでも十分にひどい話なのに、彼にとっていっそう不安だったのは、それに対する有効な対抗組織があらかた崩壊してしまったことだった。民主党は力尽きた。左翼はほぼ消滅した。ジャーナリズムは沈黙していた。あらゆる議論が突如敵勢力に盗用され、それに対して反対の声を上げることは無作と見なされた。・・・・・」

ボクの知るオースターは小説の中で、政治についてこれほど直截に語る作家ではない。
どの小説でも現実は大半、韜晦と諧謔、生の政治や時代背景はある種の間テキスト性を持って描かれていたように思う。
しかし、この小説ではアメリカの「ロナルド・レーガンの時代」と括弧づきで詳細に現実世界を描いている。
そして、この時代こそこの物語を支える全ての基盤。
それは1980年代、アメリカの転機の時代であり、小田氏の混住状況社会論によれば日本の現在、2010年代に照応している。
つまり、物語は現在の我々が呼吸している生の現実であり、不満と不安に苛まれ始めた時代と言って良い。
「リヴァイアサン」は同時代の中に明確に描かれた場所と時間という現実世界をスッポリと覆う、まるで薄い透明膜のようなフィクションの世界なのだ。

韜晦を多用するオースターは本扉の裏に時々箴言を記す。
「すべての現実の国家は腐敗している。」ラルフ・ウォード・エマソン。
そして、この物語のタイトルは「リヴァイアサン」。
リヴァイアサンは旧約に登場する幻獣、いや、トマス・ホッブスの「近代国家」。
読み終わって見てわかることだが、オースターは国家の下に生きる等身大の我々の事を書いているのだ。

しかし、このブログも速読みしてもらっては困る。
オースターは決して、反政府、反国家、反自由を書いているわけではない。
確かに物語はサックスの爆死に始まり、怪人によるアメリカ中の自由の女神の爆破に終わる。
そして、近代国家の腐敗を箴言にしたエマソン。
しかし、箴言は「腐敗は現実の国家」であって、「未来を生きる理想的理念の存在」を敢えてこの言葉に隠しているのだ。
この小説のポイントはここにある。

描かれるのは3つのカップルの奇妙な三角関係、複雑に絡まり合う嫉妬に批判、セックスに純愛。
どの場面も場所と時間は周到に記される。
全体はギャツビーに似て、主人公だけの物語ではなく、語り手の物語でもある錯綜した形式だが、どこまでも現実を現実として追う、推理ドラマのようでもある。
そして、厄介なことに、大きな虚構の中に、全てが二重、三重のフィクションとして描かれている。

さらに、この厄介なフィクションから浮き上がって見えてくるのが、国家の理念、現実には悲惨も悲観もあるが、自由な意思が羽ばたき、理想があるというエマソンの箴言だ。
滑稽な人間どもが取る行動ではあるが、そこには自由な意志があり、理想がそれを支えているのだ。
ピーターが最後に古書店で見つけるサックスの「模倣のサイン」には、思わず涙を落としてしまった。





Google Keepから共有

2014年7月20日日曜日

この頃、都に流行るもの 二条河原落首

吉川英治の「私本太平記」を読み続けている。 ようやっと第九巻「建武らくがき帖」まで読み進んだが、どこが後醍醐の新政なのか。 北条から旧守護・公家勢力に権力が移っただけ。 中興などとはなばかりの相変わらずの権力闘争。 現在の安倍政権と全くかわらない。 楮幣を発行するインフレ策、庶民はますます疲弊し、逆らえば加茂の岸辺で打首だ。 現在のガムシャラな原発推進と環境規制緩和の横行、 消費増税とGIPF運用、財政再建そっちのけの経済政策と何処が異なるのだろうか。 外部に敵を想定し、かってに軍事費をバラマキ、結局は敵を作ってしまう策、 特別秘密保護法、集団的自衛権のごり押しと全く変わらない。 東京新聞の今朝(7月20日)の「核心」は「舞台裏 官僚が誘導」。 やっぱりそうかと読んでしまった。 650年余り前の二条河原にはこんな落書きが建てられたそうだ。 この頃、都に流行るもの 召人、早馬、から騒動 生首、還俗、自由出家 俄か大名、迷ひ者 安堵、恩賞、虚戦 本領離るる訴訟人 文書(訴願の)入れたる細葛 追従、讒人、禅律師 下克上する成り出者 器用の堪否、沙汰もなく もるる人なき決断所 着つけぬ冠、上の衣 持ちも習わぬ笏もちて 内裏交じはり珍しや ーーーーーー 「二条河原落首・建武元年夏八月」 まだまだ続くが、面白すぎてうら悲しい。 Google Keepから共有

2014年7月18日金曜日

herスパイク・ジョーンズ

センダックの「かいじゅうたちのいるところ」は子どものころ、 読んでもらったり、読めるようになったり、誰もがなつかしい物語。 スパイク・ジョーンズ監督はこの絵本を4年前に映画にしている。 今日の映画Herも同じスパイク・ジョーンズ、昨年度アカデミー脚本賞。 いい映画だった。 「過去」とは今の自分が作る物語。 ちょっと違うが、そんなセリフが気に入った。 センダックのかいじゅうたちの世界と今日のHer、 どちらも虚構の世界とのコミュニケーション。 リアリティってなに、というところが見どころだろうか。 私とあなたの関係はかいじゅうたちの世界であっても、 人工知能の恋人の世界であっても全く変わらない。 家に帰ったマックスの夕ご飯はまだほかほかとあたたかったが、 サマンサを失ったセオドアはなかなか立ち戻れないだろうな。

2014年7月15日火曜日

永遠の一瞬 ドナルド・マグリーズ

舞台劇を観ることはほとんどなかった。
週末の図書館で「悲劇喜劇」の新刊(8月号)を手に取った。
めったにないコトだが、 巻末の戯曲が気になったからだ。
「永遠の一瞬」の公演は毎月送られて来るTheAtreで知っていた。
シナリオを読むという経験はほとんど無かったが、読み始めてみると引き込まれていた。
1時間ほど読んだだろうか、舞台を観たいという衝動が疼き始めた。
携帯でボックスオフィスに連絡すると、明日の(月曜日)のバルコニーならまだチケットはあるという。
今日の午後、新国立劇場の小劇場に出かけた。

ドラマは舞台奥のTVモニターがスイッチオンされ、シャシャー音が鳴り響いた時、始まった。
幕のない舞台が明るくなると、そこはロフト風のアパートの一室。
その部屋に爆弾テロで九死に一生を得、松葉杖をついたサラが恋人ジェームズに助けられ戻ってくる。
サラは戦場カメラマン、ジェームズはライター。
ほどなく、雑誌社のフォトエディターであるリチャードと、彼の新しいガールフレンド、マンディが見舞いにやって来る。
戦地、難民キャンプで命を賭ける恋人同士と、結婚を決めた年の離れたカップルの四人、彼ら彼女らの趣味と仕事と人生観、生き方の違いがドラマの内容だ。

見慣れていない舞台劇では印象としてのフィクション性が先に立ち、リアルティを見つけるのが難しいのだが、このドラマではシナリオを走り読みしていたせいか、すんなり入り込めたようだ。
いや、演出だろう、個々人の極めて奥底に触れるシリアスな会話劇であるため、ドラマからはことごとくフィクション性を排除し、4人各々の胸のうちを切々と言葉にしていく。

戦争、飢餓、大量殺戮はイベントなのか?
死に行く子どもを助ける事なく、何故、シャッターを切るのか?
一枚の写真によって、始めて知らされる不幸と残虐、しかし、戦争は決して、永遠に終わることはない。
世界は永遠に続く飢餓と戦争、しかし、人はネガティブな記事ばかりを好んではいない。

アドレナリンを放出してカタルシスの体験を喜ぶ虚構、それは、撮る人なのか観る人なのか。
極めて虚構性を排除した舞台は暗転となり消えるが、サラのカメラの閃光が虚構の客席に鋭く一瞬の意味を問い、ドラマは終わる。

翻訳・常田景子
演出・宮田慶子
出演・中越典子・瀬川亮・森田彩華・大内浩
美術・土岐研一





Google Keepから共有

2014年7月12日土曜日

ボルノウの希望

18世紀後半、アンシャンレジームにより人間はようやっと誰にもおかされない自由を手に入れたが、20世紀の二つの大戦は人間は決して理性的には生きることができない動物であることを証明してしまった。
しかし、ボルノウは「希望」をテーマに、人間について考えた。
理性ではなく衝動と欲望の動物である人間が「希望」を抱ける条件は何だろうと。
彼は人間が形成してきた文化(生き方)について調べることで、そのような文化を形成する人間の本質について考え続けている。

ボルノウが重視することの一つは、幼児の時代においては庇護されているという「信頼」の感覚。
大事なもの形あるものが壊れることがあっても、小さい時には「保護」されているという感覚が盾となり、それを乗り越えることができたのだから。
さらに、敵対的な世界の脅威に立ち向かう力はこの「保護」されていたことへの「信頼」のうちに育てられてきたと考えた。

「希望」とは底なしの淵へ没落するのではなく、またきっと救い上げられるという確信。
「希望」は不安と挫折を超えた人間の生活の土台となるもの。
確信を与え、土台をささえるのはボルノウはこの「信頼感」と言っている。

「希望」にとってもう一つ重要なことは「出会い」。
人間にとって「出会い」は偶然的なものであることは免れない。
あるいは、「出会い」はいくつもの可能性から選ぶこと、決断すること、賛成するか反対するかを強いるものです。
「出会い」は予期することはできないが、そのための用意だけは出来る。
教養と出会いのあいだには依存関係が生まれる。
教養は人生のお飾りではなく、教養の為にあるものではない
広い教養(リベラル・アーツ)は個々の出会いを偶然だけに終わらせない為の用意と言えるもの。

「信頼感」や「出会い」を支えるもの、ボルノウは、それは「親密な領域=家」、人間の空間と言っている。
つまり、ボルノウの「希望」は大きく意訳すると「信頼感」と「出会い」のある「建築」に支えらていると言って良い。
「人間と空間/オットー・フリードリッヒ・ボルノウ/せりか書房」を再読しつつ深夜になった。
しかし、つくりそして壊す、ボク自身の「建築」のなかでは、まだボルノウの言う「生きられている時間と空間」を見い出せてはいない。






Google Keepから共有

2014年7月6日日曜日

黒の過程 マルグリット・ユルスナール

久しぶりに重量感溢れる小説だった。
ユルスナールは広くて深い、前回の「ハドリアヌス帝の回想」で感じたことだが、普遍的に生きようとする近代人間の孤独と悲しみを克明に描いている。
この小説もまた長編ではあるが、大作と呼ぶものとは異なる愉しみを持っている。それは主人公ひとりの内側と外側のすべてが描かれているからだ。つまり、時代や社会や人間、ありとあらゆるものを描くのではなく、ゼノンという独りの人間を語り続ける。
中世から近世へと、激しく流れる時間とじっととどまる都市と建築の空間。
そんな外側に吹き飛ばされ、懸命にしがみつき、ゼノンは近代を生きる自分自身を省察する。
読んでは戻り、ページを繰っては考えさせられる。読み終わることを恐れているような、不思議な重みのある読書体験だった。


16世紀宗教改革に揺れる西ヨーロッパ。
その世界はプロテスタントとカソリックの争いと括りがちだが、それはこの小説が描きたかった世界の姿ではない。
描かれた世界は、唯物的、物質的、現実的、背教的に生きざる得ない主人公ゼノンの、つまり、近代的人間に課せられた生き様の模索と言って良い。
「ペストは別段足を速める様子もなく、皇紀のように鐘の音をともなって旅を続けた。飲んだくれのコップをのぞき込み、本に囲まれて腰を下ろしている学者の蝋燭を吹き消し、司祭のあげるミサに仕え、蚤のように娼婦の下着にひそみ、ペストはあらゆる人間の生活に、無礼きわまりない平等の要素をもたらし、荒々しく危険な冒険の酵母を混ぜ込んだ。」(p108)
ユルスナールが描きたかった人間の悲しみがここにある。
近代を生きる喜びは、この「平等そして均質の中に」こそあるはずだったのに、ゼノンがその中に見たものはペストだけだった。

ゼノンの父親アルコベリコ・デ=ヌミはフィレンツェの大商人の息子。
ジュリアーノ・ファルネーゼの友人であり、ジョヴァンニ・デ・メディチと従兄弟だが、歴史上のジョヴァンニと同じようにデ=ヌミは従兄弟のジュリオ・デ・メディチに殺される。
母親はフランドル、ブリュージュの大商人を兄に持つ敬虔な女性イルゾンド。
しかし、未婚の母から生まれたゼノンはフィレンツェにもブリュージュにも生きる場はなく生涯、孤独と放浪の旅を続ける。
無神論者の彼は錬金術師(黒の課程とは錬金術においての化金石にいたる最も困難な段階)、それはつまり、医者であり科学者、つまり、物事をすべて合理的に思考する人。そして、彼はまさに前代との狭間を生きた最初の近代人だったのだ。
描かれた孤独と放浪と悲しみは現代人の持つ心象風景、ボクにはゼノンはその後の全ての人間を象徴した人と思えてならない。

Google Keepから共有

2014年7月4日金曜日

ガラスの街 ポール・オースター

真夜中に電話のベルが鳴る。 クインはニューヨークに住む作家だ。 ウィリアム・ウィルソンというペンネームで、探偵マックス・ワークのミステリー小説を書いている。 ウィルソンは腹話術師として機能する。クインは人形、ワークは命ある声、ウィルソンは幻影となり、二人の生に根拠を与える。そんなクインの部屋の電話のベルが鳴ったのは、彼がマルコ・ポーロの本を手にとっている時。 電話の主はオースター探偵事務所のポール・オースターさんと話がしたい、という内容。番号違いとクインは話し、電話を切る。 蛇足だが、ポール・オースターとはこの「ガラスの街」の作家さまの名前。 電話はあくる日の夜中にも掛かってくる。 マルコ・ポーロが北京から厦門への旅を語る章をトイレの中で読んでいるとき。 クインはこの電話をとることが出来なかった。 オースターへの三度目の電話は、なかなか掛かってこない。次の日も次の次の日の夜も掛かってこない。 5月19日という両親の結婚記念日の日にようやっと掛かってくる。 その日にちに意味があるのは、クイン自身が母のお腹の中に宿った日と言われたから。 クインは私がオースターです。 電話で答えると、私は殺されようとしている、と電話主は話す。 クインは翌朝十時、七十丁目と五番街の角でバスを降り、東にゆき、マディソンアヴェニューで右へ折れ、一ブロック南に行ってから左へ曲がりアパートメントのドアを開ける。 ドアは三度目の電話の主 、ピーター・スティルマンの家。 玄関に出てきたのはヴァージニアン・スティルマン。 電話主ピーター・スティルマンの奥さんだ。 そして、ピーターの奇妙な話が、彼が赤いビロード張りの肘掛け椅子に腰を下ろし、はじまる。 僕はいま何より詩人です。・・・詩人が終わった後は・・・消防士になりたい・・・その後は医者・・・一番最後は綱渡芸人に・・・綱の上で、死ぬまで踊る。・・・と物語はいよいよ佳境に誘う。 しかし、ここまでは31ページ、残りはまだ6倍はある。 明け方には読み終わるだろう。どうやら、今晩は楽しめそうだ。 読後 ヨーロッパの都市のような確固たる形を形成することもなく、また、漱石や荷風があるいた東京の原風景、何一つ残されることなく、戦後の東京は崩壊して行った。自己形成空間や生活空間の喪失は小説にとって致命的な危機であると書き、戦後の都市と小説の関係を長編評論集としてまとめたのが奥野健男氏の「文学における原風景」。 「ガラスの街」の舞台は戦後の大都市ニューヨーク。作者ポール・オースターは1986年にこの小説を書いている。 その時代の東京は都市膨張の最盛期、郊外と称する山の手周辺は団地と中高層住宅、ハウスメーカーによる無国籍デザインの戸建て売り住宅が野山を切り開き、ビッシリとマッチ箱状に建てられた。住宅団地周辺の新しいロードサイドには、これまた無国籍デザインのレストランや中古車売り場、本屋に住まいとガーデニングの為のドゥ・イットショップが軒を連なる。これが好き嫌い以前に、我々に架せられた生活環境の変貌だ。 それを「漂う生活空間」と捉え、この空間を舞台とした、新しい小説の可能性をいかに探るかが「文学における原風景」の意味ということになる。奥野が語る日本の小説はオースターと同時代、揺らぎ漂う不確かな都市空間に重ねられ、不確かな人間模様が必死に捉えられた虚構の世界だ。 しかし、「ガラスの街」は確固たるニューヨークを舞台とした幻影の世界。オースターは小説の舞台ニューヨークをこんな風に書いている。 「あてもなくさまようことによって、すべての場所が等価になり、自分がどこにいるかはもはや問題ではなくなった。散歩がうまく行ったときには、自分がどこにもいないと感じることができた。そして結局のところ、彼が物事から望んだのはそれだけだった、どこにもいないこと。ニューヨークは彼が自分の周りに築き上げたどこでもない場所であり、自分がもう二度とそこを去る気がないことを彼は実感した。」 そう、ニューヨークはもちろん、東京とは異なる実体のある街だ。しかし、その街はどこまでも透明、ヨーロッパの街々とは全く異なる透明感を持った街。この透明感の上に描かれた透明人間たちが小説の中味となっている。 オースターの描く虚構世界は嬉しくはないし、美しくもないが、死を死として迎えられる透明感を持ち、羨ましいほど詩的でもある。 最後に、ほんの数行だけ一人称で語る私が登場する。私は最初から最後まで、見えないのだ。都市が見えない以上に私は見えることなく、実体もなく、全くの透明のまま小説は終わる。

2014年6月21日土曜日

東京藝大チェンバーオーケストラ第23回定期演奏会

チェンバーオーケストラはしばらくぶりだった。
ボッセ先生が亡くなられて2年、
しかし、このオーケストラは全く変わってはいない。
今日もまた、質の高い演奏を楽しんだ。
ハイドン好きのボクにとってはボッセ先生は欠かせない。
彼の死の悲しみは学生たちだけではない、
愛好者にとってもはかりしれないものだった。
ハイドンの面白さを教えてくれたのはボッセ先生であり、
彼のチェンバーオーケストラなのだから。
しかし、今日の演奏はなんと尾高忠明氏。
藝大もボッセ先生を引き継ぐ人として、
彼を拝み倒したに違いない。
曲目はエルガーの序奏とアレグロ。
オネゲルの交響曲第2番。
ヴァーグナーのジークフリート牧歌。
そしてラストはモーツアルトのジュピター。
当然、今日は尾高氏の世界。
古典派ハイドンではないが、曲種の異なる難曲を、
色とりどり、びっしり揃えた興味深い演奏会となっている。
その演奏は、当然ながら愛好者を裏切らない、
端正な調和と一体感ある躍動がチェンバーの大きな魅力なのだ。
とくにオネゲルのその曲想のきめ細かい演奏は、
聞く人をしっかりと抱きとめる。
ナチに占領されていた当時のパリの雰囲気がビシビシ伝わる曲想。
なんか、心踊ると言うより、涙ぐまされてしまったようだ。
演奏後、尾高氏は話された。
近々、彼はアメリカ、ジュリアード音楽院に赴任するが、
かの地の学生より、今日の学生の方がレベルはずっと上なのだそうだ。

Google Keepから共有

2014年6月19日木曜日

グランド・ブダペスト・ホテル

この3月の開場早々に「アイーダ」を観て気に入ったTOHOシネマズ日本橋。 今日、おなじシネマズで「グランド・ブダペスト・ホテル」を上演していると知り、早速、行ってきた。 常連が多いウェブ・アンダーソン監督。 平日のまだ陽のある午後なのに、シネマズ・スクリーン6は一杯だった。 ダージリン急行やムーンライズ・キングダムを引継ぐアンダーソン・ワールド。 「グランド・ブダペスト・ホテル 」は前回を超えている。 カレの映画の世界はもう、ヒッチコックを超えている。 アンダーソン・ワールドはミュージカルではないが、音楽は軽快。 舞台ではないが、シェーナ・グラフィカルでカラフルだ。 そして、今回は架空の国ズブロッカ(酒ではない国の名)が舞台となるドラメディ(ドラマ・コメディのこと)。 「グランド・ブダペスト・ホテル」はハンガリーの首都のホテルではない。 ドイツアルプスのまっただ中に建つ超高級リゾートホテル。 そのホテルを仕切る執事とベルボーイが殺人犯に仕立てられ、国中を逃げ回るロードムービー。 いや、例によって場所よりも乗物が面白い、プレイスよりヴィークルだ。 ドラメディであるからコミカルではあるが、今回は一段とシリアスでもある。 そのシリアスさはネタバレしたくないので説明できないが、超高級と名の付くものは、いつでもどこでもアンエクスプロアードなのだ。 注:この記事のカタカナ語の多用はボクのせいではない、許せ、アンダーソン・ワールドだ。

2014年6月16日月曜日

バーレスク

9時からBSプレミアムのバーレスクにくぎ付けにされていた。 まったく知らなかった、こんな素晴らしいミュージカル。 アリはルクスもダンスも歌もいいが、性格がいい、なんとも可愛い。 テスもまた同じ、彼女の歌はじっくりと聞かされた。 ジャックの女装とヌード 、その演技と感性にも魅せられた。 この映画の登場人物、男いや女?、女いや男?、 どうでもいいんだ皆んな良かった。

2014年6月10日火曜日

永遠の旅行者 橘玲

若くして弁護士事務所を退職し、国を出て世界中のどこをも居住地とすることのない、「永遠の旅行者」真鍋恭一が語る物語。これはハードボイルドと言って良いのだろうか。サスペンスでもありディテクティブでもあるがチョット違うな。ジャンルなどどうでも良い、キンドルで初めて知ったとても面白い作家だ。
橘玲はツィッターでもすでに12千人ものフォロワーを抱える人気者、最近作「タックス・ヘイブン」もネット上では大人気、いまさらボクが書くことは何もないのだが、チョットメモっておきたいと思っている。

小説としては決して巧くはない、面白いが、話しと思いが入れ込みすぎていて、シッチャカメッチャカだ。しかし、描かれる世界に対する周到な調査と知識にはビックリさせられた。最近のネットでは、これだけ分かりやすく、入念に克明に書かれたコンテンツを読んだことがない。考えてみれば、そのはずだ、ブログ読者は次から次と沢山のコメントを読みあさっていく。周到すぎる記事など読み飛ばされてしまい、気がつかない。かく言うボクがその一人、恥ずかしいことに、「永遠の旅行者」を読むまで何も知らなかった。

メモっておこうと思ったのは、国際金融やテロでもなければ、伊豆の南端やハワイや香港、ニューヨークのホームレスの末路やシベリアの抑留者のことではない。国に利用される人々ではなく、国を捨て、機械的な国を利用しようとする人々の話し。「永遠の旅行者」とは歌を詠まなければならない、生きとし生けるものの歌のような気がしたからだ。

物語の前半に時々ニーチェの「ツァラストゥラはかく語れり」が引用される。19世紀、ニーチェの生存中は全く売れなかった本だ。「神の死」を確信したツァラストゥラはひとり山に登り、孤独の中で思索する。やがて、山を下り「超人」を語るが、聞いてくれる人は一人もいない。

そんなツゥラストラを真鍋恭一はサンフランシスコのアダルトショップで英語版を二ドル四九セントで手に入れる。その時、アダルトショップの店主は恭一に「君の孤独に幸いあれ」と呼びかける。そしてまた、天使のまゆと恭一のワルプルギスの夜のような出会いのシーン。実際は水族館の夜だが。作者は「舞踏する星を産むためには、ひとは心に混沌(カオス)を持っていなければならない。君のこころのなかにもいまだ混沌はある。」とニーチェの言葉を引用する。

Google Keepから共有

2014年5月27日火曜日

穴 小山田浩子


コンビニが一軒だけある田舎の町。
そこは夫の実家のある小さな町。
都市に住まう夫婦二人は夫の転勤でこの町に住む。
幸い、実家の隣家が夫の両親が持つ貸家。
妻は仕事を失い収入は減るが家賃はゼロ。
まだ子どもがいない、この妻の専業主婦生活が始まる。
隣家の舅と姑は夫と同じように、毎朝、車で職場に向かう。
車は各々別々、舅だけが普通車で姑と夫は軽のよう。
毎朝、残されるのは車も自転車も無い専業主婦。
いや、隣家には毎日、庭に水撒きをする九十歳近い義祖父がいる。
物置小屋のような別棟には、専業主婦が全く知らされていない義兄がいる。
川沿いのコンビニの近くの土手には、黒い獣の小さなたくさんの穴。
穴は義兄の小屋と実家を隔てるブロック塀の路地にもある。
ある日、義父が町を徘徊し、やがて肺炎で亡くなる。
隣家での葬儀には舅、姑、夫も知らない近隣の住人。
やがて、妻はコンビニを訪れパートの仕事を得る。
自転車で土手を走り、専業主婦生活が終わる。

読後感想
上手いね。
ファンタジーいや、リアルな空間に浮遊する幻影か。
読まされました。

Google Keepから共有

2014年5月20日火曜日

バルテュス展

バルテュスの絵は観る絵であって、考える絵ではないようだ。 猫がなぜ可愛いか、などと考えても意味がないように。 ビデオの中のバルテュスは語っている。 自分は芸術家ではない、絵を描く職人だと。 展覧会場の第一室にバルテュスが模写したピエロ・デラ・フランチェスカの絵があった。 ヤッパリそうか。 一人よがりの妙な得心を持って、彼の絵画の世界にわけ行った。 彼が描き続けたのは、中世やルネサンスの宗教画のように静寂で織り目正しい、しかし、どこか寂しい具象画ばかり。 光の中の世界が色とカタチとテクスチャーによって画布の中に丁寧に具体的に構成される。 描かれた少女はどれも不自然のポーズで片脚を組むが、 表情は硬く、視線は的を得ず他者とはばらばら。
勿論、絵を観るものの視線など眼中にない。 見方を変えればまるで神聖な機械のよう。 ルネサンス特有の透視画法も退けられ、 様々なカタチある物体はなにを意味する事なく、 ただただ二次元の静止画の上にバランスよく散らばっている。 かって、有元利夫の絵が好きだと書いた。 藤田嗣治も嫌いではない。 バルテュスはこのふたりに似ている。 だから、昔からバルテュスの絵も好きだ。 あえて言葉を探すと、 彼の絵はリアルな日常だが何処か非現実。 見る人を拒否し、距離を置く。 迎え入れようという優しさなど何処にもなく、 群れることを拒否し孤独を誘う。 最近読んだ好きな作家を持ち出せば、 それは間違いなく、アントニオ・タブッキだ。 さして混むこともない平日の会場。 二時間以上ほっつき歩いたが、 何も言わないのだから、何も聞こえない。 でも、有元利夫展同様、中世的な音楽が絶えず鳴り響いていたような気がする。

2014年5月19日月曜日

悪徳の栄え マルキド・サド

限りない悪徳のファンタジー、しかし、判りやすい哲学書と言って良い。
中世以来のキリスト教からいよいよ決別し、新たに人間と自然との関係を問わなければならなくなった18世紀後半、「美徳に奪われた権利を自然が取り戻すのも、悪徳のみのおかげです。」とする主張は説得力が有る。
しかし、「本当はあたしたちが自然にさからうことだけが、罪と呼ばれるべきなので、こういう罪は自然がけっして赦してはくれますまい。」と書かれると、安易に自然との一体化を口にする我々は肯首してしまうが意味は全くの真逆であることに気がつく。
西洋文化の中の「自然」はわれわれの自然とはかなり異なっている。
西洋にあって自然はいつも人間の外側にあって我々と対峙している存在なのだ。
自然を愛していると容易に語る我々は自然とは一体、その分離の結果としての西洋の機械化文明を我々は口々に非難する。
しかし、もともと自然の一部である人間が「人間」であることを明確に自覚したとき、はじめて今に受け継がれる文明(建築も同じ)が誕生した。
そして、自然を自然としての人間とは区別し対象化して捉え続けてきたのが西洋文明であり、キリスト教。
18世紀の哲学はキリスト教なき後の人間と自然との関係の新たな問い直しということになるが、サドはその末期、デカルトやカントという人間側からの問いではなく、自然の側から鋭く人間を問いている。
そして、あらゆる人間の「悪徳」を網羅し、「自然が人間を創ったのは人間が地上のありとあらゆるものを楽しむためにこそでした。これが自然の鉄則であって、あたしの心の鉄則も永久にこれのみです。」とジュリエットに語らせ、この書を書き終える。
最初に書いたように、この書はまさにファンタジー、人間が想像しうる悪徳のすべてがジュリエットによって語られている。
読んでいて時々、ピラネージの牢獄を思い出した。
あるいは、ダンテの地獄だったかもしれない。
14世紀、16世紀、18世紀のヨーロッパは低成長、経済や社会の展開とは異なる時代、積極的に時代の展望が開かれない世紀。
サドの時代は歴史に規範を見いだそうとする古典主義時代でもあったのだ。
そして、20(21)世紀の我々もまた一向に新しい時代の展望を開けそうにはない。

 


Google Keepから共有

2014年5月9日金曜日

愛の妙薬 ライブビューイング

愛の妙薬 ライブビューイング
今年のライブビューイングの始まりは「愛の妙薬」。
演出はバートレット・シャー、「ホフマン物語」でボクを魅了した人。
その面白さはすでに触れたが、今日は加えて大好きなドニゼッティのオペラ。
シャーの演出の面白さは彼の独自性の発揮にある。
前回のホフマンは決して孤独ではなかった。
ロマン主義いや個人主義の詩人ホフマンだが、彼にはいつもミューズであるニクラウスがついていた。
そんな舞台にすっかり魅せられ、時々DVDを聴く。
今日の「愛の妙薬」、幕間でシャーはドタバタ喜劇では終わらせず、人間ドラマとしてできるだけリアルに描いた、と解説している。
しかし、今日は、ボクは気に入らない。
確かに、気に入っているグライドボーン、あるいはYouTubeにもアップされているウィーンのシュタッドオパーとは大きく異なり、リアルな人間の物語。
というよりつきなみのよくある三角関係の物語。
そう現代風に二人は互いにリアルに相手の愛を探り合う。

もともとこの物語は第一幕でアディーナがトリスタンとイゾルデやマルスとヴィーナスの物語を語るように、中世の騎士物語やギリシャ神話の三角関係を下敷きにした喜劇。
そもそも、恋する男はいつの時代も、ホンモノであればあるほど喜劇的。
だからこそ、このオペラの面白さはドタバタにあり、二幕の「人知れぬ涙」が際立って真実味をおび心を打つ。
ネモリーノが垣間見たアディーナの涙。
男が知る愛の喜びは何故あれほど悲しみ持って歌わなければならないのか。
ドタバタでしか説明できない恋をした男の琴線だ。
シャーの演出ではこの喜劇のもっとも重要な役割を果たすはずのキューピット、そう、惚れ薬売りのドゥルカーマラが今日のオペラではまったく生きてこない。
それは歌手のアンブロージュ・マエストリの責任ではなくシャーの演出にある。
シャーはドラマの現実感を強めるために舞台背景は逆に奥行きを消し絵画的、2D化したと語っている。
なるほど、映画でオペラを観る観客を充分に意識した演出。
そして相変わらず2Dしか聴いていないネトレプコだが、今日も文句なしのディーバ、いや今日の役は神話の中のヴィーナスと言って良かろう。
奔放自在、シャーの演出を超え、男だったら誰でも惚れる魅力たっぷりのアディーナを歌い続けてくれた。

2012年11月7日
by Quovadis

Google Keepから共有

2014年4月26日土曜日

西洋美術館のジャック・カロ展

西洋美術館のジャック・カロ展
フランスのロレーヌ地方に生まれたカロはローマに行き、国外追放されたフランス人フィリップ・トマッサンから版画の技術指導を受ける。
貴族を自称する彼はやがて、フィレンツェのメディチ家の宮廷づき版画家に抜擢された、17世紀初めのことだ。
そして10年、その作品群は「奇想の劇場」、 今日の展覧会の副題にはぴったりの内容だ。
1600年にフィレンツェではじまるオペラ、あるいは当時流行のインテルメッツォやドラマ仕立の槍試合、カロが生み出す版画はまさに劇場世界の雰囲気を伝える格好のメディアだった。
版画は印刷技術は発達したが、写真撮影がまだままならぬ時代の、宮廷の祝祭やイベント、あるいは街風景の中の庶民や虐げられた人々の生活をそのまま現代にリアルに伝える貴重な資料。
同時代にあっては、そのままの出版物あるいは印刷書に刷り込まれた他面的視覚メディア。
多くの人々をリアルタイムで愉しませる、まさに現在の新聞のようなものと言って良い。
従って、カロがメディチ家宮邸にいた10年、その製作は寸暇も惜しむ毎日であったのだろうと推測され、その作品量は膨大だ。
絵画とは異なり、墨刷り小品群は華やかさには欠ける。
しかし、表情や仕草、衣類や情景等、当時の世界が写真以上に細やかに、リアルに写し取られていて、現代の我々をも惹きつけて止まない。
会場にところ狭しと飾られた作品群だが、入場者は少なく、17世紀の世界に引き釣り込まれたままの愉しい午後の時間は静かに過ぎていく。


Google Keepから共有