2013年5月8日水曜日

石山寺

三井寺の仁王門(常楽寺の楼門)を出てまっすぐ、石坂線の踏切を越え疎水を渡れば右手が三井寺駅、石山寺駅へはここから15分程度。 石山寺へはこの駅からは瀬田川沿いの散歩道を行く。 人もなく、船もない、水の流れは風だけを友としてゆっくり流れる、ここまた静かでのどかな風景だ。 石山寺には三重塔や五重塔はなく、多宝塔がある。 河原を15分も歩くとなにやら人だかり、広い駐車場、どうやら 石山寺の門前のようだ。 広場にはたくさんの白いテントの店、まるで朝市のような雰囲気だ。 表門(東大門)を潜るとまっすぐな参道、左右は禅宗ではないから塔頭とは呼べないが、鎌倉の円覚寺、建長寺に似た子院の門がちょうど咲き終わった桜並木と土塀を抉り 続いている。
見学門に近づくともう大変な人だ、いや、かわいいピンクやグリーンの帽子を被り手に手を繋ぐ子供たちの集団。 そうか、この寺の樹木に囲まれた見学道は山あり谷あり石段あり、幼稚園児から小学生、格好な遠足コースに違いない。 入場券を買い中に入り、この人混みさぁ、どうしよう、目的は塔だ。 周りを見回すと人の流れは広い参道を本堂へと続いている。 右手は急階段だが、その脇のくぼみからは真正面に大きな石組みと多宝塔。 一頻り、子供たちをやり過ごし、脇のベンチでカメラを出しシャッターを切る。
聖武天皇の命で良弁が開創した(749年)というから東大寺と同じ時代だ。 平城京建設の時、この地に琵琶湖周辺の材を集め瀬田川の水運で奈良に運んだ。 その時の石山院と称する役所が今の石山寺の起源とされている。 当初は華厳宗、10世紀に東寺真言宗の大本山となり、朝廷、皇族、貴族の信仰が篤かったそうで、紫式部や頼朝、淀殿、芭蕉、さらに島崎藤村ともゆかりがあると書かれている。 子供たちをやり過ごすと早速、意を決して勢いよく一直線に石段を登り始める。 本堂の建つ境内を踊り場としてさらに右手の階段を登る。 鐘楼に突き当たり左によればそこはもう多宝塔の真下。 大きく軒を広げる上層の屋根だが、その支えとなる円形の塔身は細く、亀腹が小さいこの多宝塔はさすがに美しい。
塔に美しいはないかもしれないが、多宝塔は最初から仏像あるいは教典を安置する建物、三重塔のようなお墓(ストゥーパ=卒塔婆=塔)ではない。 その構成は正方形の堂の上に半球の亀腹、その上は円形に配置された十二本の円柱。 円形に配置された円柱には十六の四手先に支えられた方形の屋根が載る。 なんともドラマチック、さらにこの多宝塔は亀腹は小さく、円柱による塔身全体も細く短い。 そのバランスはどのように導かれたものなのか絶妙だ。 正方形と球あるいは円筒という構成は世界中にある建築構成の基本だが、誰が作ったのかこの塔は世界に名だたる名建築の一つと言って間違いない。 詳しく見ると、一般的に多宝塔では蛙股が使われているが、石山寺では初層三間の中備えはすべて間斗束。
1194年鎌倉前期、頼朝により建立されたと言われるこの建築が今は最古の多宝塔と言われるが 、この多宝塔はその始まりからなんと簡素に合理的に組み上げたものよと驚いてしまう。 この塔の魅力は斑鳩の塔に似ている。 それは足したり引いたりのない、率直な部材構成のみで複雑な建築を構成するという面白さ、まさに音楽そのものだ。
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