2013年5月31日金曜日

獅子の座 平岩弓枝


尊氏・義満の時代はフィレンツェ・ルネサンスに似ている、とかってに思っている。 
旧態となった秩序綱紀の乱れ、戦乱と一揆と下剋上の乱世だが一方、商人・職人が台頭し 、商品貨幣経済が発達する。 
宗教的には一元的に従順であることより、現世肯定や合理主義を認める生き方が模索され、猿楽・茶の湯・作庭が人気となる。 
その世界は幽玄・閑寂を好むと同時に雑学・雑芸にも価値を置きその洗練を目指す。 
レオナルド・ダ・ヴィンチがリラの名手であり、音楽家としてミラノ宮廷に雇われたように、ルネサンスの万能人はみな雑芸多才の大家だった。 佐々木道誉のようにバサラ大名と呼ばれる人々は古典・和学・神道・儒学・和歌・連歌・詩文・山水画をも嗜んでいた。 
御伽草子で知られるように絵草紙の大半がこの時代に作られ、さらに、現在の日本人の生活様式の大半はこの時代に生み出されたとさえ考えられている。 
雑学・雑芸が多彩な社会であったからこそ、建築デザインも際立っていた。
堂塔はもちろんだが、書院造りという宸殿にあっての個人的なスペースが接客スペースとして格式を持ち、今ある名苑の大半とともに現代に遺された。 
まさに、コジモ・デ・メディチを足利尊氏に置き換えれば、その孫のロレンツォは義満であろう。 
そんな見立てを楽しみ、室町の塔の見物したのが、この四月・五月の常楽寺から明王院だった。 
旅行中持ち歩いた文庫は「獅子の座ー足利義満伝」、家に戻り読んだのは「風の群像ー足利尊氏伝」。 
一頻り「塔の旅」の感想をブログにしたので、いま、改めて尊氏・義満の時代を思い描いているのだが、なかなか想像の世界が広がらない。 

当然ながら小説は文化史ではないのだから当たり前だが、辻邦夫が書いた「春の戴冠」からはタップリとフィレンツェ・ルネサンス、ロレンツォをはじめボッティチェリ、ジュリアーノ、フィッチーノそしてサヴォナローラにシモネッタが躍動する世界が想像できたのだが。 
室町時代はまだ見えてこない、考えて見れば勉強不足なのだ。 日本史は中学までだし、吉川英治や司馬遼等で戦国や維新の英雄の物語はともかく、日本文化に関わる物語はほとんど読んでいないからだ。
塔を見ながら考えていたんだ、どんなに時代が貧困でも、こんな美しい建築が造れるんだ。 
同時代は建築に必要な木材は日本中どこでも、もっとも枯渇していた時代。 
そんな時代だが、建築人(中央の宮大工はともかく)、それはまだ職人とは言えない人々が、明から輸入したての大工道具を駆使し、日本中に沢山の堂塔建築を作っていく。(現存する五重塔と三重塔、その大半は室町時代の建立。) 
そして600年あまり後、いろいろあろうが驚くばかり、塔は目の前に生きつづけている。 

「獅子の座」は「風の群像」よりボクの好みだ。 
やはり、権力闘争には違いないが日本国王義満の人となりが面白い。 
乳人の玉子とその夫、後の管領頼之に支えられ着々と獅子の座を目指す。 
そのためには最早、武力ではなく文化サロンがものをいう。 
鎌倉幕府を倒し、後醍醐天皇や北畠親房押さえ、直義とともに幕府を開いた足利尊氏もまた武のみの人ではなかった。 
公家社会と渡り合うためには、当然、和歌に強くなければその権威は保証されない。 
事実、尊氏は直義よりも誰よりも和歌の才を持っていたようだ。 
しかし、義満はその比ではない。 
彼は将軍職には目もくれず、その文化的素養で形式的には自らを天皇や上皇を凌ぐ准三宮に叙し、公家と守護を従え、南北朝を統一し勘合貿易を開いていった。 
彼の文化的素養を開いたのは二条良基。 
幼き時より良基に教えられ、あらゆる公家文化はもちろん、まだ鄙にあった田楽・猿楽の世界をも取り込み、同時代の宴席の中心に据える。
(このあたりは同時代の北イタリアの宮廷とよく似ている、つまり、牧歌劇からオペラの誕生まで、その役割は宮廷生き残りのための文化政策) 御所を越えた室町第(花の御所)の造営により公家社会を、北山第(一部分が金閣)に至っては宗教社会をも義満は眼下に置く。 
そんな義満がその先に目指すものは何だろうか。 
この辺りが「獅子の座」の押さえどころ、ミステリー仕立ての物語はクライマックスを迎える。
 この小説で、はじめて三法院満済を知った。 
三法院跡を若干18才で継ぎ、醍醐寺座主となり、黒衣の宰相と呼ばれ、 義満亡き後、義持、義量、義教の幕政に関わった人だ。 
この人はなんと良基の子であり、良基の命により義満の猶子となり、義満の文化政策に関わっている。いまある三法院は応仁の乱で焼失後秀吉が花見の為に再建したものだが、満済はあの五重塔の下で「満済准后日記」を書いた。 
国語力を鍛え読んでみたいと思っている、もっともっと室町時代を知るために。